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どこまでも切れない縁
「今日も平和だな……」
ゆっくりと東京の街を歩きながら、阿佐人悠輔はつぶやいていた。
学校帰り。人が増える時間帯だ。今日の東京は天気がよくて、悠輔も機嫌がよかった。
夕暮れ時。人々の声。喧騒も心地よく。
今日の悠輔はちょっと気になる店に寄ってみようかと思っていた。
(と言ってもなあ……あの店、男一人では入りにくいよな。何か女の子女の子してて)
鞄をぶらぶらさせながら考える。
と――
「ちょっとおどきなさいな! 邪魔! 邪魔よ!」
……遠くから聞き覚えのある声。
悠輔は立ち止まった。――まさか。
「邪魔と言っているのが分かりませんの!? この私が通るのです、おのきなさい!」
平和だった道がざわざわと騒ぎだした。
悠輔は声のする方向を見て、その声が『どこ』から近づいてくるのかを判断した。
……ああ、いつものことか。
そんなことを思いながら、自分の方へと直行してくるその声を黙って待つ――
「――! あなた……っ!」
響いてきた声の主である少女は、急ブレーキをかけようとして失敗した。すばやく悠輔が動き、彼女の服のすそを引っ張ったからだ。
ずどん、と少女の体に重力がかかる。
少女はへたりと、その場に座り込む。
悠輔は、触った布類すべてを自分の思うがままに操れるという能力があった。
「悔しいですわ〜〜〜〜!」
少女は――葛織紅華は服が重くて動かない体を震わせる。
「また叔父さんの家庭教師から逃げてきたのか」
悠輔は呆れて、紅華を見下ろした。
悠輔の叔父はある縁でこのいいとこのお嬢様である紅華の家庭教師をしている。だが紅華の勉強嫌いと言ったらもう言葉にしきれないほどで、家庭教師から逃げること数え切れず。
そのたびに悠輔がなぜか追いかけることになったり、叔父の代わりに家庭教師をするはめになったり……
こんな街中で出会ってしまったことといい、この少女とはなぜか縁が切れない。
「だって!」
悠輔が腕の辺りの服にかける重力だけ解いてやると、紅華は両手をわななかせた。
「訳の分からないことばかり教えるんですのよ! あれが将来何の役に立つというの!」
「……まあ、それにはっきりとは答えられないのは事実なんだけどな」
悠輔は認めた。だが、だからと言って『じゃあ勉強やめよう』などとは言えない。
(……このまま連れ戻すか)
き〜〜〜っとしかめ面になる紅華を見ながら悠輔はぼんやりと考える。
だが、ふと思い出した。――自分は今、ある喫茶店に行こうとしていたのだった。
(紅華さんと一緒なら問題ない)
紅華は人目を引く美少女だ。目立ちすぎるかもしれないが――まあ、その連れが目立つことはないだろう。
それに、紅華を毎度毎度『勉強!』と追い回しているのも無粋だ。
「気分転換にもいいか」
「何がですのっ!?」
紅華がきっと訊き返してきた。
悠輔は微笑んで見せて、
「この先にある喫茶店。おしゃれだから一緒に行ってみよう」
喫茶店と聞いて最初は不審がった紅華だったが、実際にその店の前に連れて行くと、
「あら、まあ。フランス仕様ですのね。なかなか合格点ですわ」
とその店を気に入ったようだった。
もちろん店の中は外から見えている。紅華の言う通り、西洋系のおしゃれな喫茶店だ。
中に入ると、チリンとかわいらしい音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
店員が二人を出迎えてくれた。
当然というかなんというか、二人はカップル席に招待されてしまった。まあ仕方ないだろう。悠輔は十七歳、紅華は十四歳だ。
悠輔は飲み物の他に、この店で一番評判になっているケーキを注文した。
「おごるから、紅華さんも何か注文しなよ」
「おごってもらわなくても結構ですわっ」
紅華はふんと鼻を鳴らしながらも、デザートセットのメニュー表を食い入るように見つめている。
こういうところは普通の女の子だ。きらきら輝いている緑の瞳を見て、悠輔は笑った。
「何を笑っているんですの」
「いや」
かわいいな――と思って、とは言わない方がいいだろう。
やがて悠輔の注文したケーキと、紅華が注文したパイがテーブルに置かれた。
悠輔のケーキは、一見普通のチーズケーキに見えて、中にフルーツがたっぷりと包まれている。かけられたシロップもひとあじ違った。添えられた生クリームが最高だ。
紅華はパイをこぼさないように食べながら、悠輔のケーキを羨ましそうに見ていた。悠輔はケーキのひとかけらを黙って紅華の皿に移す。
「――お、お礼なんて言いませんわよ」
ぷいっとそっぽを向いた紅華は、やがてむずむずし始めたのか皿に向かってそのケーキを一口で食べてしまった。
「なかなかですわね」
ぽつりとつぶやく声。
悠輔としても、このケーキは合格点だ。
――夕焼けが、カップル席にも大きくとられている窓から差し込む。
紅華の豪奢な銀髪が、照らされて輝いていた。
「……なぜこの店に来たんですの?」
しばらくの沈黙の後、紅華が自分から訊いてきた。
「前から妹に引っ張りまわされててね」
悠輔は苦笑した。「うまいお菓子を探して回るのが趣味の一つになったんだ」
「変な男の人ですこと」
「そうかもしれないな」
悠輔が軽く流すと、視線を落としていた紅華はやがてぽつりと、
「……でも、何かあった時においしいお菓子を準備してくれる男性は理想かもしれませんわ」
とつぶやいた。
「あんたにも理想があったんだな」
悠輔は笑う。紅華が真っ赤になった。
「私だって、れ、恋愛にくらい興味がありましてよ!」
「彼氏がいるのか?」
「いないんじゃありませんの! 作らないだけですわ!」
悠輔はますます笑った。紅華はべしべしとメニュー表を意味もなく叩いた。
「紅華さんには趣味はないのか?」
不意打ちで訊いてみると、紅華はきょとんとし、
「趣味……」
とその言葉の意味が分からないかのようにつぶやいた。
「紅華さん?」
悠輔が促すと、紅華は両指を伸ばしたまま両手を組み合わせ、うつむいたままぼそぼそと、
「さ、裁縫ですわ」
と言った。
「裁縫! 服を縫うのか?」
「刺繍もパッチワークもできましてよ」
意外と女の子らしい。けれどおどおどとしている彼女の指先の繊細さを見れば――それはうなずけた。
「似合うよ。紅華さんに裁縫」
悠輔は微笑む。
紅華が、今までにないくらい真っ赤になった。
店を出た後、「少し遊んで行こうか」と悠輔はすぐ近くにあったゲームセンターに紅華を誘った。
ゲームセンター特有の騒がしさが聴覚を埋める。
「な、なんですのこのうるささは!」
とても近くにいなければ相手に声が聞こえない環境で、紅華は悠輔にくっついた。
さすがお嬢様。ゲームセンターには縁がないらしい。
「色んなゲームで遊ぶところだ。ほら、的当てとかクレーンゲームとか……カーレースもあるな」
「こ、こんなところで私は遊びませんことよ!」
「いいからちょっとやってみろ。あそこにある、曲のリズムに合わせて床のスイッチを踏むゲームなんかどうだ?」
「曲に合わせて?」
見れば画面に出てくる合図に合わせて足を激しく動かしている少年たちがいる。
「……悠輔はできますの?」
「俺はそうだなあ……あまり得意な方じゃないけど」
ちょうど前の少年たちが他の場所に移ったので、悠輔はそのゲームに挑戦してみた。
レベルは中程度。紅華の前でそんなに恥をかくこともないだろう。
かかった曲は悠輔も好きなヒップホップな曲だった。ノリにノッて、悠輔は足を弾ませる。
悠輔がやっているのを見ているうちに、好奇心がむくむくと湧いてきたらしい――
「私もやりますわ!」
悠輔が終わるなり、紅華はそこに飛び乗った。
曲が始まる。いきなり紅華が慌てた顔になる。どうやら知らない曲だったらしい。
画面の合図と足が全然合っていない。最終的に、得点は限りなくゼロに近かった。
「悔しいですわ〜〜〜!」
きりきり爪を噛む紅華が次に興味を示したのはカーレースだった。なぜか少年たちがやっているものに興味を示すらしい。
悠輔がてほどきをし、紅華が席に座る。レースが始まる――
紅華の疾走は、同時に走っていた隣席の知らない人々を驚かせた。
悠輔が片手で顔を覆った。……車は速ければいいというものではない。紅華は右に左に障害物に関係なく正面からぶつかっていき、それでもなおスピード全開で前に進もうとする。
それでも、紅華は楽しそうだった。
(……紅華さんらしいか)
悠輔は苦笑して、注意するのをやめた。
レースの終了。得点は……聞くまでもない。
「悠輔もやりなさいな」
紅華は偉そうに命令した。やれやれと悠輔は紅華と交代する。
そして――見事な走りを見せた。
いつの間にか周りに集まってきていた知らない少年たちの歓声を受けた。そう、悠輔はカーレースが大の得意だ。
素晴らしい得点を叩き出し、紅華を見やる。
紅華は得点の意味は分かっていないようだったが、周りの少年たちの「すげー」「かっこいー!」の声にやけに誇らしげにしていた。
「ねえ、あれは何ですの?」
「ん?」
紅華が指差した先で、主に男女のカップルが狭い布のかかった場所に入ってきゃーきゃー騒いでいる。
「あー……」
悠輔は頭をかいた。自然と視線が泳いだ。
「……気にしなくていいよ、紅華さん」
「そんなこと言われたら余計気になりますわよ」
「あそこはゲームじゃないから」
「そうなんですの?」
紅華はどこまでも気になるようだったが、その紅華を悠輔は引っ張った。
――プリクラはごめんだ。
悠輔は心の中で紅華に詫びながら、早く紅華の興味が他に移ることを祈った。
一通りのゲームが終わるころ、紅華はすっかり悠輔の腕に腕を巻きつけてはしゃいでいた。
「このクレーンゲーム! あのぬいぐるみ! あのピンクのウサギがいいですわ!」
「あれか。取れそうだな。よし」
悠輔は硬貨を投入し、ピンクのウサギに挑戦する。
クレーンアームの動きをつぶさに見つめて……前後、左右の動きを調整して……
「――よし! 行ける!」
ころん
取り出し口に、ピンクのウサギのぬいぐるみが転がり落ちてきた。
紅華は喜んだ。ぎゅうと抱きしめて、頬ずりする。
「今夜はこの子を抱いて寝ますわ」
「喜んでもらえて嬉しいよ」
悠輔も満足だった。充分な気分転換になったようだ――
その後、悠輔は紅華を家に送って行った。
「ありがとう」
滅多に聞けない、少女の礼が、耳に残った。
**********
一ヵ月後――
「と言うわけで紅華さん」
紅華邸の彼女の部屋で、悠輔はどんと勉強用具を置きながら紅華の服をつかんだ。
再び重力による束縛。
「なんでですの! ウサギのぬいぐるみなら大切にしてますわ!」
椅子に押さえつけられて、紅華は泣きそうにわめいた。
「……叔父さんに、あんたを遊びに連れ出したあげく浪費したことがバレた。しばらく俺が家庭教師代役」
「そんなこと知りませんわよ!」
「何のかんのと言ってられないんだ」
世話になっている叔父の怒りを買ってしまったのだから仕方がない。悠輔はやるとなったらみっちりと勉強をさせるつもりだった。
――ウサギのぬいぐるみなら大切にしてます――
紅華のその一言に、良心の呵責を覚えて、ほんの少しだけ優しくしてやろうかなと思いながら……
―FIN―
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