|
いと恋しや、消えぬ君。
草間興信所の壁に貼られた、『怪奇ノ類 禁止!!』の紙は、むなしく揺れている。
灰皿にはつぶされた煙草が山のようになっている。
草間武彦は、目の前にある写真を見ながら、また新たに1本を取り出し、火をつけた。
「……ったく、うちは怪奇事件専門じゃねぇっての……」
写真には、一本の桜の木が写っている。
その場所は、先日新しい高層マンション建設予定地だった。
「この桜を切ろうとしたら怪奇が起きる……なんつーベタな依頼だ……」
どうにかして工事を進めたいらしい業者からの依頼だったが、あまりにも王道的な展開すぎて呆れてしまう。
業者は必死になって武彦に仕事を押し付けていたが、武彦自身からしてみれば、そこらにいる陰陽師あたりをつれてくればいいのに、という考えでいっぱいだった。
何故自分のところに。
「…探偵、だよな……俺は…」
「はい、お兄さんは探偵ですよ」
怪奇専門の、と草間零が悪戯っぽく付け加えた。
写真に写っているのは大きな、満開の桜。
その桜の傍に、しっかりと写っているのは、骸骨。
まるで木にもたれかかるように、頭蓋骨から足の骨までが写っていた。
しっかりと、その頭蓋骨の二つの穴…本来なら目があるべき空洞をこちらに向けたまま。
「どう思う?」
「どうって…骸骨がポーズとって写ってる」
「だよなぁ」
事務所に入ると、接客用ソファーに寝転ぶ武彦の姿が見えた。シュライン・エマは零に挨拶しつつ、武彦の傍へと寄ると写真を突きつけられた。それに対する答えがこれである。
「何これ、心霊写真?あんたそんなもんのお祓いまでやってたの?」
「やるわけねぇだろ…依頼だ」
悪態をつき、煙草を咥える武彦。ああこれは相当機嫌が悪いようだとシュラインは悟り、いらぬ雷が落ちないうちに写真を持ってさっさとその場を離れた。
その写真の骸骨をマジマジと見れば見るほど、そのポーズは。
「……モデル立ち…よねぇ」
「そうですか?」
近くに居た零がその言葉に反応し、覗き込んでくる。
「何か、悪霊には見えないわよね」
シュラインが呟いた途端に、武彦の声が飛んだ。
「行くぞ。カメラ持って来い」
ジャケットを肩に担ぎ、一足先に出て行った武彦の背中には、何か危機迫るものがあった…ように見えた。
「…何かあったのかしら」
「悟った、んじゃないですか?」
「ああ、違うわよ。それを言うなら諦めた、よ」
現場に着くと、そこにあったのは一本の見事な桜だった。武彦が頼んで、今日は工事を中止にしてもらってある。
その為そこにいたのは武彦とシュライン…そして、骸骨だった。
「えー……っと、すいません」
『………』
骸骨に話しかけても、ちらりと目を向ける―実際は目など無いので、その空洞がかすかにこちらに向くだけだが―だけで、一向に動きを見せない。
「…俺の声、聴こえてますか?」
『えぇ、聴こえてますよ』
恐らく表情というものがあれば笑顔というものが一番似合っていたであろう声で、骸骨は答える。
「…貴方は、何故ここにいるんですか?」
『あれ、貴方霊能力者じゃないんですか?幽霊がいる場所といえば、大抵殺された場所とか未練がある場所とかじゃないですか。案外無能なんですね』
カタカタカタ、と骨がなるたびに武彦の眉間に皺がよる。
これはヤバイ、とシュラインは二人の間に入る。
「この人霊能力者では無いのよ。それで、あんたはここに未練……」
骨を鳴らすのをやめ、骸骨は微動だにせずにシュラインを見つめている(ように見える)…正確には、シュラインの持っていたインスタントカメラを。
『あ、貴方が持ってるそれは……』
「カメラ、だけど…」
『何だ早く言ってくださいよ!もう人が悪いなぁ。待ってくださいね、今僕が一番スタイルのいいポーズをとるんで、』
「おい、俺らはアンタを撮りに来たわけじゃ、」
骸骨がポーズをとろうとするのを遮り武彦が言うと、骸骨はぴたりと動きを止めた。
『……なんだって?』
「だからアンタを……っ!!」
武彦が全てを言い終わらないうちに、目の前にいた骸骨は禍々しい気を放ちながら外見が変化していった。
「…………これは、」
骸骨の身体にはだんだんと人間の皮が現れ始めていた。指が現れ、脚が現れる。一見は普通の青年だった。ただし、その顔は酷く歪み、右半分は血で濡れている。よく見れば頭部が少々陥没しているようだった。
「シュライン、」
「これが殺された時の姿…ってこと?」
「多分な」
二人は身構え、身体を緊張させる。
だが元・骸骨は、そんな二人を見て、少しだけ歪んだ眉間を緩めた。
『…僕の姿が、怖くないのかい?』
「生憎、そういうものに見慣れているもんでな」
「同じく」
『……じゃあ、効果は無いね』
人間の姿をしていた骸骨は、だんだんとその姿を戻していく。武彦とシュラインが呆然としている間に、また骸骨はその白い骨の姿に戻っていた。
『何度か来た人間達は、これを見たら怖がって逃げていったんだけどな。予想外だった』
「結構そういう類には慣れているのよ」
『そうだったんですか。貴方がたのお名前は?』
「シュライン。シュライン・エマよ」
「草間武彦だ」
『シュラインさん、そのカメラで僕を撮っていただけますか?』
「………は?」
『この美しい骨格を、是非写真におさめていただきたい。撮っていただけたら、ここにいる理由をお話しますよ』
「…武彦さん、」
「撮れ」
目をそらしながら、武彦は一言言った。
シュラインはレンズの中で様々なポーズをとり続ける骸骨に少々ため息をつきながらも、シャッターを押し続けた。
結局、フィルムを全部使い切るまで写真を撮らされた。
「これ現像出しててね武彦さん」
「何で俺が、」
「文句ある?撮るのも結構疲れるのよ?」
「…いや」
事務員はお前じゃないのか、という心の声は、シュラインの鋭い視線によって実際に声には出されなかった。
「で、ええと……」
『松本と申します。松本秋一と』
「じゃあ、松本さんは何でこんなところに?」
桜の木の下に三人で座り込む。座り込む時に骸骨―松本の関節がぽきぽきと鳴る音が妙にリアルだった。
『僕、ここに埋められてるんです。強盗に遭いまして、頭を一撃。致命傷でした。ちなみにいま武彦さんがいる辺りです』
「桜の木の下には死体が埋まってるって本当だったのね」
「……それで?」
示された場所からさり気なく移動した武彦は、煙草に火をつけながら問う。
『まぁ、未練っていうか……僕、彼女がいたんですよ。今生きていれば50歳ぐらいだろうけど…その子と待ち合わせしていて、そこに向かう途中で殺されちゃって』
「あら、ご愁傷様で…」
『はい。で、彼女のことが忘れられなくて…というか、謝りたくて。これなくてごめんねと。僕、彼女を泣かせることだけはしたくなかったんです』
カタ……と小さく音を立てて松本は俯く。その空洞には今は何も無いが、生前はきっと良い顔立ちをしていたのだろう。
「でもどうして骨の姿で…?まだ人間の形をしていたほうがわかりやすくない?」
『どの姿をしていても、誰も気付かないんですよね。それに僕、骨格が良いってよく彼女に褒められていて…』
それから延々と生前の惚気を聞かされる羽目になってしまい、一通りの話が終わった頃にはシュラインも武彦も疲弊していた。
彼女の話、骨格自慢、彼女の話、骨格自慢……その繰り返しだった。
『僕が死んだ日も、彼女は赤い牡丹の服を着てくれるって言ってて…』
「………(武彦さん、どうやって話切り出す?)」
「(お前がいけよ。俺ぁごめんだ)」
「(何で私が?)」
「(写真現像行くからいいだろッ!)」
「(現像ぐらいで何言ってんのよ!)」
『あれ、二人ともどうしたんですか?』
小声で言い争っていると、松本はそれに気付いたようであった。武彦はその機に便乗して、本来の依頼を遂行すべく口を開いた。
「この桜を切って、新しく建物を建てるんだが、……アンタ、邪魔してないか?」
『…ちょっと脅かしただけさ』
「それでも人間にとっては十分恐怖なのよ。貴方だって前は人間だったんだからわかるでしょう?」
『………僕は、待たなきゃいけないんだ……彼女に会うまで僕は……』
雰囲気がだんだん危険になる前に、と武彦は慌てて声をあげた。
「わかった!俺たちがその彼女を連れてきてやる。それでどうだ?」
『…彼女を……?』
「名前ぐらいは覚えてんだろ?」
『はい……はい………!!』
きっと彼は、身体があれば泣いていただろう。ただし今は、細かく骨が震えてカチカチと音が鳴るだけだったが。
シュラインは、ビル建設の発注者…即ちオーナー宅の前にいた。
あれから松本の相手を武彦に任せ、その間に松本の生前の恋人を連れてくることになったのだ。
「しかし、凄い偶然だねぇ……」
松本が言った名前は、紛れもないビル建設の中心人物だったのだ。
名を時任慶子と言い、女手一つで会社を成長させた敏腕社長であった。
「今は女も働く時代、だね」
ここに来る途中までに連絡してあったため、社長室で時任と面会するのにそう待つ時間もなかった。
「…それで、どういったご用件で?」
「単刀直入に申します。松本秋一という人物についてです」
「……秋一?」
「今彼は、貴方に会いたいと願っています」
「あの人とはもう…何もありません。何十年も前に彼が消えて…それで終わりです」
「信じてもらえないことを承知で言います。彼は幽霊になって、ずっと時任さんを待っています。今もです。待ち合わせ場所だった…桜の木の下で、赤い牡丹の服を着た貴方を」
その言葉を聞いた瞬間に、時任はバッとシュラインを見る。
「…なんで貴方が…それは……私と、あの人しか………」
「……お時間、いただけますか?」
笑顔でシュラインはそう言った。
「お、帰ってきたな」
『慶子さん……』
時任は、松本と待ち合わせしたときに来ていた赤い牡丹の服を着ていた。ずっと捨てられなかったのだと言っていた。
少々やつれたように見える武彦と、その隣にいる骸骨こと松本。シュラインは横目で時任を見るが、時任にはやはり松本の姿が見えていないようだった。
『慶子さん、僕だよ…』
「あの、どこに彼は…秋一は……」
『慶子さん、慶子さん……』
武彦に問う時任の横で、松本は必死に声をあげている。武彦とシュラインの耳には確かにカタカタと例の骨の鳴る音まで聞こえているというのに、時任の耳には何も届いていない。
「……本当に、秋一がいるの…?」
「時任さん、私たちには見えるんです。確かにここに松本さんはいる、としかいえません…」
シュラインに向けていた目を、武彦に移す。武彦も、そんな時任の視線に答えるように頷いた。
「………ここに、いるんですか…秋一……私には何も見えない……あの日、ずっと待っていた貴方に裏切られたのだと…ずっと……」
『違う、慶子さん、…泣かないで、ねぇ、慶子さん…っ』
「ごめんなさい、私だけ何も知らなくて…ずっと辛かったでしょう……」
『僕が謝りたかった…泣かないで、』
「秋一…さん………」
そのとき、武彦とシュラインは確かに見ていた。骸骨だった松本に、だんだんと身体が戻っていくのを。あの血みどろの姿ではない、恐らく生前待ち合わせしていた格好なのであろう姿で。
『慶子さん……ごめんね……』
「秋一さんっ!」
時任がその姿に手を伸ばした瞬間に、松本の身体はポロポロと崩れていった。崩れた破片は桜の花びらのように散り、また細かく宙に溶けていく。
誰も何も言えないまま、完全に松本は消えてしまっていた。
「………っ……私が望んだのは…そんな、言葉じゃなかった…のに……相変わらず馬鹿なんだから……」
嗚咽を堪えながらも時任は笑っていた。今はもう見えないその姿を思いながら、美しく咲く桜を眺めている。
「本当に……遅すぎだよ……」
コツン、と武彦はシュラインを小突き、促す。
二人は静かにその場を離れた。
あの時、あの場所は、確かに彼女達だけの場所だったのだ。
後日、武彦が現像した写真には、全て人間の姿で写った松本がいた。
武彦はそれら全てを封筒に詰めると、シュラインを呼ぶ。
「何?」
「これ、こないだの人に渡しておいてくれ」
「……写真?」
「不思議なことに、全部人間の姿だった。俺らが見たのは骸骨だったが…」
「あら、写真写りいいじゃない」
「オイ」
手元にあるのは、優しそうに微笑む青年の写真だった。
その青年は手に一輪の花を……牡丹を持っていたのだが、それは二人だけに通じるものだ。無粋な真似はしない。
「ま、良かったわね」
「そうだな」
桜は、別の場所に植え替えられることになった。
その根元からは、白骨化した死体が出てきた。
■■■登場人物(この物語に登場した人物の一覧)■■■
【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
■■■ライター通信■■■
この度はご発注ありがとうございました。
細かいプレイングをご注文いただいたので、出来るだけそれに近づけるように努力したつもりです。
望まれる話の展開でなかったら申し訳ありません…(汗
今回も本当にありがとうございました。
|
|
|