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<東京怪談ノベル(シングル)>


春の宵


  草間興信所のある通りから少し外れた、人通りの少ない路地にある喫茶店。
 ドアのガラスに書かれた店名らしき文字は、かろうじて英語らしいということしか判らないほど剥がれ落ちている。
 立て看板もなく、店の前に来なければそれが喫茶店だとも分からないような、ひっそりとした佇まい。
 こんな店だが常連客が割といるらしく、店主の新作メニュー目当てもいれば、店主の本業がらみの密談の場所としても使われる表裏のある場所。
 喫茶店【Lycanthrope】、それがこの店の名だ。
 桐嶋・秋良(きりしま・あきら)にとって馴染みの店でもある。
「こんばんは〜」
「いらっしゃい、今日は仕事帰りか」
 カウンターの向こうからこちらを見やる、金髪にいつでも何処でもサングラスの彼は北城・善(きたしろ・ぜん)。
 この喫茶店のマスターだ。
「ええ、珈琲一杯もらえます?」
 普段のラフなスタイルから一転してばっちりメイクも服も髪型も決めて挑むのは占い師の仕事のため。
 日頃はノーメイクというわけでもないのだが、どうにも幼く映るらしく、こうして少々濃い目にメイクしている。
 人の心を掴む占い師としては客に変な違和感を与えてはならないから。
「今日は思いのほか繁盛したんで疲れました…」
 彼の前になるカウンター席に陣取り、頬杖ついて今にも突っ伏しそうな体勢になる。
「お疲れさん」
 出された珈琲の香りがすぅっと鼻に抜け、肩の力が抜ける。
 そしておまけで出されるクッキー。
 本日はシュガークッキーで毎度の事ながらこれを手作りしてると思うと、何だか笑えてきた。
 この習慣も、今のところ秋良だけらしい。
 善曰く茶化し半分だそうだが、それでも自分だけという所で、秋良は嬉しく感じる。
 カップにつかないように落ちない口紅を選んで、目鼻の利く彼に煩わしさを感じさせない為に、店に来る直前で少しばかり香りを薄めて。
 サングラスの奥の、染めた髪と同じ金色の瞳と時折視線が交わる。
 意識しすぎないよう軽く会釈で返すと、他愛のない話題を振ってきては談笑している。
「あ、そうだ。閉店後少し時間貰えますか?」
「?構わんが…何だ?」
 あとで言いますとその場は言葉を濁した。
 そうしているうちに客の数も少なくなり、洗い物をする音が店内に響く。
 店の外には既にクローズの板。
 後は出て行く客だけ。
 そして、自分ひとり。
「これはおごり、な」
 そういってデミタスカップに注がれた珈琲が自分の前に置かれる。
「有難う御座います♪」
 店が終わってからの静かな時間。
 善は店を閉めると自分用に珈琲を入れて、カウンターで小一時間ほど休憩しながら煙草をふかすのが習慣だそうだ。
「ねぇ北城さん」
「あ?」
 一本目を灰皿に擦り付けるタイミングを見計らって話をきり出した。
「昼間は人が多いしお互い仕事なので、夜桜見学しに行きませんか?」
「今から?」
「今から」
 鸚鵡返しにそういうと、それがさっきの続きかと問われる。
 そうです、と頷くと苦笑交じりにいいよと言われた。
 溜めて言うほどのことでもないと思ったのだろう。ついでに子供っぽいと笑ったと見た。
 戸締りするからといったん外へ出ると、空は晴れ、月明かりが煌々と地上を照らしている。
「満月だったらもっと綺麗だっただろな――…」
「お待たせ」
 空を見上げている所にいきなり顔を覗かせ、思わず叫びそうになったところで口を押さえられた。
「これぐらいのことでいちいち騒ぐなっての」
「こ、これぐらいとは何ですかッ これぐらいとは…」
 自分にとっては『これぐらい』では済まない。
 友人以上で考えてほしいと言ったのは一年前のこと。
 あれから特に進展も何もないのだけれど、それでも、少しは意識してくれているのだろうか?
 何となくからかわれているような気がしなくもないのだが、時折見せる気遣いやちょっとした特別なことがあると、やはり少しは意識してくれているのかなと期待してしまう。
「…どうした?」
「…何だか二丁目の黒服さんみたいですね」
 サングラスはそのままに、黒いロングコートを羽織っているその後姿を見ていると、何となくそんな風に思える。
 勿論、その後でやかましいとデコピンくらったりするのだが。


  春の香り漂う三月下旬の夜。
 花見のシーズンではあるのだが、秋良が善を誘った場所には満開の桜の大木が立っていて、しかも人気のない穴場中の穴場。
「見事なもんだ」
「でっしょ〜!これだけ見事に咲いてるのにあんまり人が来ないんですよ」
 自慢げに説明する秋良に、善は苦笑しながらも話を聞いている。
 また、そんな目で見る。
 子ども扱いしているような、微笑ましげな視線。
 いつまで、この人は自分の事を子ども扱いするのだろう。
 確かに年は九つ離れている。
 誕生日を照らし合わせれば恐らく、ほぼ十年。
 善が秋良と同じ年の頃には、秋良はまだ小学生。
 そんなことを考えだすと無性に空しさを感じてなんだか泣けてきた。
 目指せ大人美人!という目標自体が、子供だと思われてしまう要因なのだろうか。
 桜を見上げ、人工の明かりではない柔らかな自然の光に透ける花びらを見つめ、風に舞う花弁を視線で追う。
「っくしっ!」
 強い風でもないのに急に背筋にぞわっと寒気が走る。
「春だっつってそんな薄着してっからだろうが。花冷えの時期は過ぎたにしろまだまだ夜は冷えるんだよ」
「だ、だってぇ…」
 仕事着だもんと一人ごちる秋良に、肩をすくめて呆れた様子の善。
 ああ、やっぱり子供だなって思ってる。善の表情に、またやってしまったと溜息をつく秋良。だが――
「――ほら…」
「え…?」
 背後からふわりと温かい空気に包まれる。
「ここにいる間はこれで十分だろ」
「ええええええええええええ!?」
 今自分が置かれている状況。
 自分を包み込んでいるコートが善のものだというのはわかる。
 しかし、コートをかけられたわけではない。
「え、あ、あの、その、きた、しろさん?」
 その、腕の中に。
「――期待してたんじゃないのか?」
 悪戯な笑みを浮かべて、顔を覗き込んでくる善。
「し、してないです!してませんってば!!だって…そんな…」
 とてもじゃないが顔が上げられない。
 この間の姫抱っこ以上に緊張している。
「まぁこのが温かいだろ。さすがに俺もこれ脱いでかけてやるってなぁ厳しいしなー」
「……」
 こういう人だ。
「〜〜〜〜〜〜〜〜北城さんのばかっ……からかわないで下さいよ…」
「お前次第だと思うケド?」
 耳元で低く、甘い囁き。
 絶対遊んでる。
「…け、検討中、です…」
「俯いてないでせっかくなんだし、上見れば?」
 間髪いれずにそう囁く。
 クスクス笑うその声と表情が、今この瞬間とても憎らしい。
「――――…」
 空を見上げれば薄紅色の花弁が月明かりの下でキラキラと輝いている。
 頬を撫でる冷たい風と、体を包む温かさの違いに、またもや自分の包み込む腕の存在を意識してしまう。
 でもこれは、ただコートの中に一緒にいるだけ。
 それ以上でも以下でもない。
 端から見ればそう映るかもしれないけれど、この腕にはまだそういう想いは宿っていない。
「(……ホントに、私次第で、いいんですか…?)」
 今の善の表情を伺う勇気もなく、ただ秋良は舞い散る桜を見上げる。
 


 意地悪な、だけど友人以上の関係を築きたい人と共に―――




― 了 ―