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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


一緒の時間



 桜の淡いピンク色が春を告げ出した頃のこと。


「こんなものかな」
 居間の掃除を終えて、あたしは一息ついていた。
(ちょっと張り切りすぎちゃったかなあ)
 次のお休みには整頓をしよう、と心に決めて迎えた休日。
 いらないプリントやとっておいたテストの答案用紙を思い切って捨てて、あとは本棚の細かい整頓をするだけ――だったのに、ふとテレビの裏側の僅かな埃が気になりだして、気がついたらお風呂掃除まで済ませていた。
(汗までかいちゃった)
 窓から入ってくる風はあたたかいから、余計に汗がじんわりと出てきてしまう。
 それでも、お掃除の後は気分がいい。片付いた部屋を前にすれば、汗の不快感も軽減される気がするのだ。
(それに、お父さんだって帰ってきているんだし)
 いつも仕事で忙しいお父さんが家にいるんだもん。部屋は綺麗な方がいい。
 ――肝心のお父さんは、まだ夢の中。
 昨日の夜にふらりと帰宅したお父さんは「昼過ぎに起こしてくれ」と言うや否や、お風呂にも入らず、布団にもぐりこんでしまっていたのだ。
(そろそろ時間かな……)
 ご飯も作ってあるし、お風呂も掃除の後にきちんと沸かしてあるし――さっきまで干していたバスタオルも畳んで用意してある。お日様の匂いがしていて、良い頃合いなのだ。
 うん、完璧。
(久々の親子の時間だもん)
 お父さんにも気持ち良く過ごしてほしいから、用意はしっかりとしておきたい。
 弾んだ気持ちで冷たいウーロン茶を二つ淹れて、声をかける。
「お父さん、おはよう」


「ご飯とお風呂、どっちを先にする?」
「風呂にしようか。昨日は入ってないからね」
 肩を揺するようにして笑ったお父さん。お仕事の関係で外国へ行っているからか、以前よりも日に焼けた気がする。
(本当に久しぶりなんだなあ……)
 毎日寂しいと感じている訳じゃないけど――。
 こうして会っていると、お父さんの肌にふれたくなるような、一抹の寂しさが募ってくる。
「……お土産?」
「そうだよ。ほら」
 お父さんから手渡されたのは、掌くらいの大きさの箱だ。空けてみると、花の良い匂いのする、押し花の入った石鹸が出てきた。
「可愛い……」
 自然に出たあたしの感想に、お父さんは微笑んでくれた。
「額が汗ばんでいるけど、どうしたんだい?」
「お掃除につい夢中になっちゃって……」
 苦笑いするあたし。
「気持ち悪いだろう」
「ん……少し……」
 でも、汗なんてすぐ乾くから。
 そう続けようとしたあたしに、お父さんは顔色一つ変えず言った。
「じゃあ丁度いい。みなもも一緒に風呂に入ろう」
「え?!」
 一緒にってことは、お父さんとあたしの二人でお風呂に入るんだよね。
(どうしよう)
 あたしだって中学生になったのだ。お父さんとは言え、男の人なんだし……。
(だけど……)
 お父さんと一緒にいられる時間って、そんなに多い訳じゃない。親子でお風呂に入れる期間なんて、もっともっと少ないのだ。今のうちに入らなくて、いつ入るんだろう?
(お父さんのこと、大好きなのに)
 お土産の石鹸を手にして、ニコニコしているお父さん。こんな笑顔見せられたら――。
「……うんっ」
 あたしはすぐに着替えを取りに行った。


 だけど。
 お父さんと一緒にお風呂に入るのって、決して嫌ではないけど、年頃の女の子にとってはものすごーく恥ずかしいことなのだ。
(いざ入るとなると恥ずかしい……)
 家には脱衣所はないから、お風呂のドアの前でお父さんは脱ぎだしている。
 つい後ろを向いてしまうあたし。
 あたしも脱がなきゃいけないんだけど、服に手をかけては外し、手をかけては外し――、ちらちらと後ろを見てしまう。
「みなも、どうしたんだい?」
「う、うん……」
 ……気にしすぎなんだよね、あたし。親子なんだし。
(ああ、でもでも)
 結局、お父さんに先に浴室へ入ってもらうことにした。見られていないと思うと脱ぎやすくて、一呼吸置くだけで下着も全部取れた。脱いだ二人の洗濯物を洗濯機の中に入れるのも忘れない。自分自身、拍子抜けしてしまうくらいスムーズだ。
(やっぱりお父さんを意識しすぎなのかな)
 父親と娘って、照れがあるからコミュニケーションが取り辛いって聞いたことがある。同じクラスの女の子も、お父さんと一緒にご飯食べていても全然話はしないと言っていた。毎日の朝と夜には一緒にいるのに。
(そんなの、あたしは嫌だなあ……)
 悲しい、と言った方が正しいのかもしれない。お父さんといるのに、自分から話すこともなければ、話しかけられることもない関係なんて。ただでさえ、お父さんとは毎日一緒にいられる訳じゃないのに。
 ――ふいに寂しくなった。
「みなも、どうしたんだい?」
 お父さんの声がする。
「あ……何でもないの。今入るね」
(そうだよね)
 寂しくなる必要なんてない。だって今はお父さんが帰ってきているんだから!
 浴室に入ると、丁度お父さんがこちらに背を向けて背中を流しているところだった。それが何だかとても嬉しい。
 ――今日はお父さんと一緒。
 ――今日はお父さんとお風呂。
「おとーさん……」
 優しく手を回して、ゆっくりと抱きついた。お湯をかけたばっかりのお父さんの背中は凄くあたたかくて、気持ち良い。
「みなも?!」
 今度はお父さんが動揺する番だ。でも、恥ずかしがらせている時間はあげない。
「背中なら、あたしが洗ってもいーい?」
 甘えた口調になってしまうのは何でだろう。小さい子供が親にいたずらっぽく話しかけるみたいに。
 わざと泡をいっぱいたてて、お父さんの背中を泡だらけにする。くすくすと笑いながら。
(こんなことするの、今では妹だけだと思っていたのにな)
 まさか自分がやるなんて。
「あたしが子供のときも、こんな風にお父さんと一緒にお風呂に入っていたよね」
「はは。今も“子供”じゃないか?」
「ち、違うもん……。もう中学生になったんだから……」
 強く反論したくても、今この状況では無理がある。それがおかしかったのか、お父さんに笑われてしまった。
「お返しに、みなものことも洗ってあげようか」
 そう言ってお父さんは素早く立ち上がってあたしを座らせた。
「え、でも……きゃっ」
 大量の泡を身体につけられて、肌があっという間に泡で白くなる。足の裏までヌルヌルさせながら、二人で泡の付け合いになってしまった。もっとも、身体の洗いっこだとお父さんは言うけれど。
(二人とも、小さい子みたい)
 最後は二人でお湯をかけて、泡を綺麗に落とした。
「お父さんの髪、洗ってあげる」
 ここからは普通の親孝行。
 痒いところがないか訊きながら、指で優しく髪の根元まで洗う。そこにはもう、幼い子供のあたしはいない。
「確かになあ。前言撤回。みなもは立派な中学生だ」
 ――いくつになっても、あたしはお父さんの“子供”だけどね。


 人魚にとって、水は特別なものだ。
 例えば水に触れるとき、普通の人では感じない感覚を人魚は得ている。その血を引くあたしでも同じこと。身体を人魚に変化させなくても、指の先から、腕から、足から――水はあたしの肌を通して、本能に直接語りかけてくる。
 ――快楽。
 海原家の浴槽はそんなに広くない。あたしとお父さんは足を重ねるようにして、向き合って入った。
「気持ち良いかい?」
「ん…………」
 人魚の血が目覚めたばかりの頃、水やお湯に触れることをあたしは極端に恐れていた。だけど、それも慣れてしまえば、お風呂やプールが好きになった。
(魅せられる)
 肌が、本能が欲している水。学校のプールでもそうだけど、毎日お風呂に入ることは凄く気持ちの良いことだった。肌にお湯が吸い込まれていく感じがして――水をまかれた土のように、じわじわと快感を飲み込んでいくのだ。
 ――自然と吐息が漏れた。
「お父さん……向き合っていると、何だか恥ずかしいね」
「そうかい?」
「……入浴剤、入れておいたら良かったかな」
「はは、みなもも年頃だから。気にすることないさ」
 本当は、人魚としての本能を見られることが恥ずかしかったんだけど――。
(お父さんがそう言うなら、気にしない)
 さっきから羞恥心と人魚の本能が絡みあったせいで、身体が敏感になって疼きだしている。それがとても気持ち良くて――。
 あたしは目の前にいる大好きな人に甘えたくなっていた。
「お父さん…………いい?」
 小さい声で尋ねると、お父さんは伸ばしている足を浴槽の両端に移動させて、笑顔で答えてくれた。
「おいで」
「……うん」
 いつもより狭く感じる浴槽の中。お父さんは手を広げていてくれる。
 あたしは膝を立てて上半身を起こすと、倒れるようにしてお父さんにきつく抱きついた。



終。