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桜の樹の下で
煌々と光る月の下に広がる桜の園。薄紅色、白、紅色の花が咲いている満開の林。
そこはしんと静まりかえり、冷たい月の光だけが足下にはっきりとした影を映し出していた。
いつどうやってこんな所に迷い込んだのだろう。それを不審に思いつつ、満開の桜の下を歩きながら、足は奥へ奥へと進んでいく。
「………」
しばらく歩いていると、一本の樹の下で一人の男が立ちつくし、じっと天を仰いでいるのが見えた。長身で、長い髪を後ろでくくっているが、影になって顔がよく見えない。
だがその視線の先にあるのは、奇妙な桜だった。
緑の桜。
満開なのに花弁が緑のせいか、何となく慎ましやかな雰囲気を感じさせる。静かに、ひっそりと桜の園の中で、佇むその姿。
その不思議な光景に立ちつくしていると、不意に男が自分の方に顔を向ける。
「そんなところにいると、月と桜に惑わされる。良かったらここで少し花見でもしていかないか?この、緑の桜…『御衣黄(ぎょいこう)』の下で……」
そんな不思議な場所に黒 冥月(へい・みんゆぇ)が迷い込んだのは、刀剣鍛冶師の太蘭の家から帰ってくる途中だった。その隣では弟子の立花 香里亜(たちばな・かりあ)が、辺りを見渡している。
元々太蘭の所には剣術を見てもらいたかった事もあり、冥月一人で行くつもりだった。だが途中で香里亜に捕まり一緒に行くことになったあげく、太蘭に黙って首を横に振られ、駄目出しをされる所を見られてしまった。
「冥月殿はその『不断桜』が手に合っていないと言うが、俺が『神斬りの刀』を打つときは、誰かに合わせて作る訳じゃない。それが合わないというのなら、別の誰かに頼むだけだ……冥月殿が考えて、答えが分かったらまた来るといい」
いつも凛とした冥月が、駄目出しをされるのは滅多にないことだ。だが確かに、太蘭は誰かのために刀を打つ訳ではないのだろう。痛いところを突かれてしまった。
「………」
師匠である自分が駄目出しをされたのが何だか気まずく、帰り道冥月は無言だった。そんな時にここに来てしまったのだが、もしかしたら桜と縁のある刀持っていた為かもしれない。
「また妙な所に迷い込んだか?」
辺りの雰囲気に、冥月は思わず眉を顰め男を見た。だが、隣の香里亜は何だか楽しげで、男と冥月を交互に見てにこっと笑う。
「悪い人じゃないと思いますよ。悪い人なら『月と桜に惑わされる』なんて言いませんし」
すると桜の下にいた男も、ふっと笑う。
「惑わされてみたいなら別に止めないが、こんな所一人で飲んでてもつまらんと思ってたところに丁度二人がやって来たからな。悪いようにはしないよ」
元々香里亜はこうして不思議な場所に迷い込むことがあるらしく、あまり不安そうではない。それどころか満開の桜を見て、何だかやけに嬉しそうだ。
気負っていても仕方ないか。冥月は男の側に近づく。
「仕方ない、しばし付き合ってやろう。ただし、ちゃんと元の場所には返してもらうぞ」
「当たり前だ。その為に呼び止めたんだからな」
くすくすと笑う男の腰には、日本刀が下げられていた。鞘も鐔も真っ白な刀……それに目を向けていると、香里亜が警戒心なくござの上に座る。
「お邪魔しまーす。私、緑の桜って初めて見ました……御衣黄って言うんですね。ところで私、何処かで貴方のこと見たような気がするんですけど、どちら様ですか?」
「俺はこの異界の林の花守だよ」
確かに冥月も、花守を何処かで見たようなことがある気がする。だが、それがどこでだったのか思い出せない。
まあ詮無きことだろう。冥月も香里亜の隣に座り、御衣黄を仰ぐ。すると花守は二人に朱塗りの杯を渡した。
「御衣黄か……色や光合成、花ごと落ちるなど、他にない特徴が面白い桜だな」
「よく知っているな。八重桜や菊桜は、花ごと落ちるのがもの悲しいが……っと、香里亜も酒でいいのか?」
「はい……あれ、やっぱりお知り合いですか?私の名前……」
「気にするな」
そんなやりとりを聞きながら、冥月はこんな事を思っていた。
自然に有得ない性質は、品種改良の弊害なのかもしれない。接ぎ木で増やされた為の突然変異、枝変わり。だが、緑から白、そして紅色へと変わる色の変化も含め、御衣黄は綺麗な八重桜だ。それは変わるものではない。
そう思いながら見上げると、冥月の思いに答えたかのように花が落ちた。それを手で受け止め、香里亜の頭にぽんと乗せる。
「どうしました?」
「いや、よく似合うぞ」
それを見て花守が笑って髪を指さした。
「枝に咲くのを見るのも良いが、可愛い娘さんの髪で咲くのもまた一興だ」
「えっ……あ、本当だ。でも、何か嬉しいからこのままにしますね。乾杯しましょう」
香里亜の言葉に、杯をかざし三人で乾杯する。口に含んだ酒はほのかに甘く、そして少しだけ桜の香りがした。つまみは春の山菜料理や魚などで、それに箸を伸ばしながら香里亜は花守と話をしていた。
「鰊(にしん)の塩焼き〜東京で見ないから、何か嬉しいです♪」
「春を告げる魚だからな。遠慮せずに食ってくれ」
何処か迷い込むことに慣れているのか、やはり香里亜は暢気だ。そんな様子を眺めつつ、冥月が空になった杯を差し出すと、花守は少し笑って屠蘇器から酒を注いでくれる。
「ここがどこか気になるか?」
「ああ。ここで酒に酔わされて、気が付いたら帰れなくなったら困るからな」
ふっと花守が笑う。
「ここは人の心に咲く花が全てある、異界の花畑だ。現実のすぐ隣にあって、すごく遠い場所……俺は花の世話をしたり、迷い込んだ人間の道案内をするだけだ。取って食ったりはしないよ」
確かに、目の前の花守からは殺気も何も感じない。ならばしばらく花見を楽しむとしようか……冥月も箸を取り、コゴミの天ぷらに手を伸ばす。花守はつまみにはあまり手を出さず、手酌でぐいぐいと酒を飲むばかりだ。
「人の心に咲く……ということは、この林にはたくさんの桜があると言うことか?」
「そうだな。薄墨(うすずみ)や普賢象(ふげんぞう)……数え切れないぐらいの桜がここにはある。だから、この季節は賑やかで敵わんよ」
そう花森が言ったとおり、桜の園はよく見ると咲いている花が色々違っている。花の色も白から紅紫色まで千差万別だ。
その中でもこの御衣黄は、違った雰囲気を醸し出している。それは色付く桜の中でひっそりと緑に佇んでいるからなのだろうか……。
「御衣黄は色が色だけに、咲いてる事に気付かれない事もあると聞くが、ここでは逆に目立つな」
「そうですね。他の木の間にあったら、気付かないで通り過ぎちゃいそうです」
ほうっ……と、息を吐きながら香里亜が御衣黄を見上げた。
若葉と見まごうほどの緑。風のない静かな夜。
月明かりが桜の影を地面に映す。
「御衣黄は最初は緑だが、そのうち色が抜けて最後は薄紅色になる。そうなると今度は、他の桜と区別が付かない。それはそれで難儀だ」
「だが、それが御衣黄の良さだと私は思うがな」
二人の会話を聞きながら、香里亜はきょろきょろと二人を見た。冥月は御衣黄のことを詳しく知っているようで、それが何だか羨ましい。桜はよく見る花なのに、思えば香里亜は桜のことをよく分かっていない。
「もしかして、冥月さんって桜に詳しいですか?」
「何でそんな事を聞く?」
「だって、御衣黄のこともずいぶん知ってるようですし、今も何か盛り上がってるなーって。私、桜の種類はあんまり知らないんですよ。北海道の桜は山桜が多いってぐらいで」
冥月が桜に詳しいのには訳がある。
それは、亡き彼の好きだった花……冥月が今持っている『不断桜』もそうだが、彼は桜が好きだった。だから色々調べていたのだが、彼が死んでいることを香里亜は知らない。そのうち話さねばと思ってはいるのだが、まだそれを口に出せそうにはない。愛しいと思う気持ちと、辛い気持ちが大きすぎて、言葉にする事が出来ない。
「桜は人の思い出に残るからな」
何かを悟ったように、花守が自分の杯に酒を注ぐ。それを見た香里亜が、少しだけ残った杯の中身を飲み干し、にこっと笑った。
「冥月さんも、彼氏さんと色々見たんですか?」
「なっ……」
「なんか桜を見上げる目が、すごく優しいんですよねー」
図星を突かれて冥月は、思わず動揺する。
確かに彼のことを思い出していたのだが、それが顔に出ているとは思わなかった。急に恥ずかしくなり、酒を注いでもらおうと差し出していた香里亜の杯を、照れ隠しにそっと横から奪う。
「からかう奴には飲ません」
「あー、冥月さんひどいです。花守さん別の杯下さい」
「残念ながら人数分しか用意してないんだ。桜湯用の湯飲みならあるぞ」
「私一人だけ湯飲みって切なーい。ぶーぶー」
しょんぼりとしながら、香里亜は菜の花のごま和えを口に入れた。そんな様子に冥月は意地悪く笑い、香里亜の杯を持ちこう言ってみせる。
「私の口移しならやるぞ」
「えー。冥月さんならいいですよー」
くっくっと花守が二人のやりとりに笑いを堪えた。
そう言えば、最近香里亜の勘が鋭いのか、それとも冥月がが少しずつ彼のことを受け入れられるようになってきたためか、銀粘度細工の時や雛壇の時……そして今など、彼に関して色々見抜かれる事が増えたような気がする。
彼が死んだときのまま直さずにいた二対の日本刀『不断桜』も、一本は彼の所へ逝ってしまった。
止まっていたはずの時間。
凍り付いていた自分の心。
それも少しずつ変わっていってしまうのだろうか……。
「うふふー」
でも、取りあえず今は香里亜に見抜かれているのが悔しい。自分の杯を持った冥月はニヤッと笑いこう言った。
「そうか、なら……」
酒を一口含み、顔を間近に近づける。すると今まで笑っていた香里亜が焦って体をのけぞられた。
「あーっ、ダメです。ファーストキスの相手が冥月さんになっちゃいます。ま、まだ、取っておかなくちゃ……」
よく見抜かれるようにはなったが、やはり香里亜はこうでなくては。酒を飲んだ冥月は笑いながら香里亜に杯を返す。
「冗談だ。そうか、ファーストキスはまだなのか」
「ま、まあ……あ、お酒頂きます」
「顔が赤いのは、酔ってるからか?」
「冥月さんの意地悪ー」
そんな事を話しているうちに、月が天まで昇ってきた。時間はさほど経っていないようだが、ここは時間の流れが違うのだろうか……。それを確認したように、花守がすっと立ち上がる。
「さて、頃合いも丁度いいから桜に舞でも見せてくるか。二人もそこで楽しんでくれ」
黙って見送っていると、花守は桜の咲いていない場所まで歩いていった。そして腰に下げていた日本刀を抜く。
ざわっ……。
桜の林が一斉に鳴った。花守の舞に合わせて花びらも舞う。
「………」
鞘も鐔も真っ白な刀は、抜いた刀身すら白かった。それが月の光に反射している。冥月は思わず立ち上がり、鞘袋から『不断桜』を出した。
「香里亜、そこで待っていろ……花守、私も舞わせてもらうぞ」
ちらりと向いた視線が無言で頷く。
躍り出たのは黒の舞。刃が触れ合うギリギリの距離で、二人は舞い散る花びらの下で優雅に踊る。
「良い刀だな。俺の『雪桜』と同じぐらいだ……銘は何という?」
「『不断桜』だ。お前の刀も見ているだけで良さが分かるな」
ふっと花守が何かを見透かすように笑った。
「そのうちその桜も、お前になじんで来る……」
そうだろうか。
今は亡き彼の形見。自分には合わないと思っていた長さや握り。
「力を抜けば自然に使えるようになる……それは、お前の刀だ」
そうだ。この刀は前は彼の物だったが、今は自分の刀だ。彼が遺したもの、それと一緒に生きていく。もしかしたら今まで冥月がなじまないと思っていたのは、まだこれが彼の物だという意識があったからなのかも知れない。
『誰かに合わせて作る訳じゃない……』
今なら、その意味が分かる。
彼のことを完全に受け入れるにはまだ時間がかかるかも知れないが、この刀は自分の刀だ……。
「綺麗……」
月明かりの下に舞う刀と桜吹雪。
幻想的なその光景を、香里亜は時間も忘れて見とれていた。
fin
ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
今回は、緑の桜「御衣黄」の下での花見ということで、個別で話を書かせて頂きました。
剣術を見てもらい、駄目出しをされた気まずい帰り道で迷い込む……とのことで、冥月さんには桜を楽しむだけではなく、刀にも触れさせて頂く話にさせて頂きました。誰かに合わせる訳ではなく、自分が合わせるというのもありかなと。刀に関しては持ち主が変わるというのはよくあることなので、そんな感じになってます。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
イベントご参加ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
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