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<東京怪談ノベル(シングル)>


路地裏の先導者

 春風が若草の香りを運んできた、のどかな午後。
『ええ天気やわぁ……』
 お気に入りの塀の上でさんさんと日を浴びながら、高野 クロ(こうや・くろ)は目を細め街の様子を眺めていた。
 六百年以上生きているクロは、こうして猫の姿のまま生きながら町や人を観察するのが好きだ。時々猫好きな人に頭を撫でさせたり、時にはちょっとおやつなどをもらったりしながら毎日のどかに過ごしている。
『今日はのどかでええなぁ。お日さんもさんさんで、日向ぼっこ日和や』
 さて、これからどうしようか。
 ふあぁ……と、一つ大きくあくびをして目を瞑る。何処かふらりと遊びに行こうか、それともお気に入りの場所で昼寝としゃれ込もうか。そんな事を思いながら、辺りを見渡したときだった。
『おや?蒼月亭のあの子やんか』
 番地案内を見ながら黙々と歩いていたのは、蒼月亭という店に勤めている立花 香里亜(たちばな・かりあ)と言う名の少女だった。蒼月亭からは結構離れているのだが、こんな所まで来ているのは珍しい。今日は休みなのか、いつものエプロン姿ではなく、カジュアルなパンツルックで紙袋を持っていた。
「あれー、また迷っちゃった?」
 香里亜はクロが眺めている事に全く気付いていないようで、あちこち確かめるように歩いては、また同じ所に戻ってきている。
 実は香里亜は、かなりの方向音痴だ。
 北海道にいた頃は、一区画が東西南北に四角く区切られていたので、方角さえ間違えなければ何とか時間はかかっても目的地に行く事は出来た。だが、東京ではそうもいかない。真っ直ぐ歩いているはずなのに何故か番地が飛んでいるし、何より一区画が四角くない。
「一度怪獣がどーんと壊したら、街とか四角くならないかなぁ……」
 今日は仕事が休みなので、フリーペーパーで見つけたちょっと入り組んだ場所にある雑貨屋に行ってみようと思い立ち、しばらく迷ってその店にたどり着いて安心したのだが、今度は帰り道が分からなくなってしまった。しかも闇雲に歩いてしまったせいで、自分がどこからやって来て、どこに行こうとしているかも分からない。
 道に迷ったらあまり歩き回るなと言われているのだが、香里亜は行動力のある方向音痴なので、自分で何とかしようと思ってしまうのが事態を悪化させているのだろう。
「はうー、自分がどこにいるかわからなーい」
 そんな香里亜の呟きが、クロの耳に聞こえてきた。
 どうやら香里亜は道に迷って困っているようだ。蒼月亭で餌をもらった事もあるし、このまま放っておくのは道理に反する。困ったときはお互い様だ。
『うちで良かったら、道案内したろか……』
 塀からひょいと飛び降りたクロは、立ちつくしている香里亜の足下に擦り寄った。その柔らかい感触とお日様の匂いに、香里亜は嬉しそうにしゃがみ込む。
「あれ、クロちゃん?こんな所で会うなんて奇遇ですね」
「ニャー」
 二、三度頭を撫でられると、クロは少し離れて振り返った。
『うちに付いてきたらええよ』
 金の目がゆっくりと瞬きをする。それを見た香里亜は、少し吃驚したようにこう話しかけた。
「クロちゃん、もしかして『付いておいで』って言ってるんですか?」
「ニャーア」
 また一声鳴いて、少し離れて振り返り。
 どんな反応をするだろうかとクロが待っていると、紙袋を手に持ち直した香里亜はクロの後をとことこと付いて歩いてきた。
「じゃあ、道案内お願いしますね。これでちゃんと帰れるといいな……最近知ってる場所しか行かなかったし、出かけるのも誰かと一緒だったから、方向音痴だって忘れしました」
『うちに任しとき。ちゃんと蒼月亭まで送ってくからな』
 そう言うと、クロは路地裏の細い道に入った。家と家との間の細い道だが、蒼月亭に行くにはここが近い。ちゃんと付いてきてるか心配になって振り返ると、香里亜は人がいないのを確かめてから、小走りで薄暗い路地を歩いてくる。
「秘密の道なのかな?でも、誰かに見つかったら気まずいからそーっと……」
「ニャー」
 心配しなくても大丈夫だ。ここはクロがいつも通っている道だし、大柄な男性なら通るのは難しいだろうが、小柄な香里亜なら楽に抜けられる。
 この辺りは、古い街並みと新しい建物が点在して建っている場所だ。細い路地を抜けると、今度は住宅の塀が待っている。
『ここが近くて通りやすいんよ』
 ぴょん。
 身軽に塀の上に飛び上がり、呼び掛けるように一つ鳴く。
「ここ……誰も見てないよね」
 辺りを気にした後で、香里亜も同じように飛び乗った。足下が少し心配だったが、香里亜が上っても大丈夫なぐらい塀はしっかりしている。バランス感覚には自信があるので滑り落ちる事はないだろうが、誰かが通りがかったらちょっと厄介だ。
「クロちゃーん、ちょっと待って下さいね」
『ゆっくりでええよ』
 持っている荷物を気にしつつ、香里亜は塀の上を歩いていく。いつも見ている景色が、塀の上からだと何だかかなり違って見える。
「クロちゃん達はこんな景気を見てるんですね……っとと。今度は何処かな?」
 狭いところを抜けたり、塀に上ったり、香里亜にとってはちょっとした冒険だ。だが次に待っていたのは、思わず吃驚するような場所だった。
『ここから行くから、上ってきーや』
「えっ……」
 塀の突き当たりにあったのは、古い倉庫のようだった。もう既に使われていないのか、あちこちボロボロになっている。塀を足がかりにクロは屋根に飛び上がり、香里亜が上ってくるのを待っていた。
「これはちょっと大変そうですね……」
 さほど高くはないので何とか上れそうだし、人が来る様子もないのだが、やはり屋根に上るのはちょっと躊躇う。少しだけ屋根を見上げると、クロは「ニャー」と鳴きながら香里亜の顔を見ている。
 屋根は薄いが、香里亜ならここを踏み抜かずに歩けるだろう。
 それぐらいはクロにも分かるし、わざわざ危険な道に引き込むような真似はしない。道案内をしてケガをさせてしまったら、本末転倒だ。
『大丈夫やって、うちが保証するから』
 そう言うと、何かを決意したように香里亜がそっと屋根に手を掛けた。ぴょいと体を持ち上げて、そして足を屋根につける。
「スカートじゃなくてよかった……あ、これなら私でも歩けそう」
 屋根は薄いが、道案内のクロが足をつけても大丈夫な場所だけを選んでゆっくり歩いているので、落ちる心配はなさそうだ。何だか子供の頃にあちこち探検した事を思い出し、香里亜はそっと風に目を細めた。
「今日は暖かいですね。こんな所で日向ぼっこしながら街とか眺めたら、楽しそう」
 猫しか知らない秘密の場所。それは空に近く、風も良く通り抜ける。
『東京はこんな所もあるからな。人が知らないとっておきの場所や』
 倉庫を抜けると、足がかりになるような塀がまたある。そこから今度は地面に降り、破れたフェンスをクロがくぐり抜けた。
 それは元々隣の倉庫との間にあったものなのだが、すっかり穴が開いていて辺りには雑草も生えている。その藪にクロが走っていき、その後ろを香里亜は荷物を抱えて通り抜けた。
「おおー冒険ですね。ここをくぐり抜けたら何があるのかな?」
 草をかき分けて行った先に見えたのは、倉庫とビルの間にある小さな空き地だった。多分元々はここにも倉庫があったりしたのだろうが、今は日当たりの良い場所になっている。
「あ、猫さんがいっぱい。集会場なのかな」
 クロの姿を探すと、その空き地の中にたくさん猫がいるのが見えた。
『うちのお客さんやから、心配せんでもええよ』
 クロは突然の訪問者に戸惑う猫たちに、そう言って安心させた。ここはあまり人がやってくるところではないが、香里亜なら猫も好きだし悪さをしない。たくさん猫がいるのが嬉しいのか、香里亜はその場にしゃがみ込んで猫を呼んでいる。
「こっち来ないかなー。急にお邪魔しちゃったから、吃驚してるかな?」
「ニャー」
 ここにいる猫たちはクロの顔見知りだ。
 最初にクロが香里亜に近づき頭をすり寄せると、それで安心したのか他の猫たちも近くにやってきて頭を撫でてもらったり、喉を鳴らしたりしはじめる。
「うわー皆さん人懐っこいですね。たくさん触っちゃおうっと」
『嫌がらない程度にしたってな』
 しばらく塀の上や屋根などを歩いたので、休憩させた方が良いだろう。猫であるクロにとってそんな事はお茶の子さいさいだが、人間はこういうときに不便だ。道に迷っても屋根の上から居場所を確認できないし、障害物を真っ直ぐ進む事も出来ない。
「ニャー、ニャー」
「わー可愛い。皆餌とかもらってるのかな、毛もふかふか〜」
 それでも何だか香里亜が楽しそうなのでいいだろう。クロがそんな事を思っていると、香里亜はふと空を見あげて日差しに目を細めた。
「ここがどこだか分からないのが残念です。もう一度来られたら、おやつ持って遊びに来るのに」
 方向感覚があればさっきクロに出会った場所がどこだとか、ここがどう繋がっているのか分かるのだろうが、付いてくるのに必死で、残念ながら歩いてきた道をちゃんと覚えていない。もう一度迷ってみれば分かるのかも知れないが、それはそれで今度は本当に帰れなくなりそうだ。
 しばらく猫まみれになり、香里亜が満足したようなのを確認すると、クロはまた歩き出して遠くから呼び掛けた。
『そろそろ行こか。あんまりゆっくりしてると日が暮れるからな』
「クロちゃんが呼んでるから、そろそろ行きますね。お邪魔しました」
 すっと立ち上がり猫に手を振ってから、香里亜はまたクロの後ろを歩いてきた。今度はビルとビルの間の細い路地だ。少し薄暗く肌寒いが、香里亜の足取りは軽い。
『お前さん、方向音痴なんやね。難儀やわぁ』
 仲良く連れ立って歩きながらクロが呟くと、香里亜はそれが聞こえているのかくすっと笑っている。
「クロちゃんに会えて助かりました。住宅街だからタクシーも見つからないし、ちょっとした散歩のつもりが、何か遠くまで歩いた気がします」
『そうやね、お前さん蒼月亭と真逆に遠ざかっとったもんな』
 多分、香里亜には方向感覚が著しくないのだろう。もしあのまま放っておいたら、逆方向に力強く歩いていたに違いない。休みの日に一日歩いて終わってしまったら、それは何だか虚しい話だ。
 細い路地を抜け、また家と家の間。ちょっと塀に上り、段差を越える。
『ちゃんと付いてきーや』
 ピンと長い尻尾を上げ、クロは堂々と香里亜を道案内していく。少しすまして前を歩き、時々立ち止まっては、ちゃんと後ろを付いてきているか振り返り、香里亜が遅れそうになっていたらちょっと先で来るのを待つ。
 クロにとってはいつもの風景。
 香里亜にとっては見慣れない風景。
 地面に二つの影が仲良く映り、時々景気を見ては香里亜が立ち止まる。
「あ、沈丁花の匂いがする。そっか、東京は花が咲くのが早いんだっけ……私が住んでた北海道だと、まだ雪が残ってるんですよ」
『それは暮らしにくそうやわ。こっちは暖かいからな』
「東京に来て初めての春なんですよね。向こうには杉がなかったので花粉症を心配してたんですけど、この調子だと元気にお花見が出来そうです。何か一足先に春漫喫中〜」
 そっと通り抜けた庭の隅にはユキヤナギの花が咲いていた。その白い花びらがクロの体に落ち、ぷるぷると体を振り花びらを落とす。
「ニャー」
 角を曲がると、見慣れた道が見えてきた。普段通っている道ではないが、番地がだんだん蒼月亭に近づいている。
「ちょっと道が違うだけで、全然知らない街みたいですね。次のお休みの時は、もう少し近所の道を覚えようかな……あ、でもまた迷いそうかも」
『迷ってもええから、やってみないとな。うちが見つけたときはちゃんと案内するから、たくさん迷って勉強しいや』
 ニャーアとクロが鳴いて、ゆっくりと瞬きをする。
 方向音痴に関しては今すぐ直るというものでもないし、これからもきっと迷うだろう。
 でもそれを恐れてどこにも行かなければ、新しい事は見つからない。沈丁花が咲いてる事や、いつもとは違う視点。猫の集会場だって、香里亜が迷わなければ知らないままだったかも知れない。
 失敗を恐れずに。
 猫の身の自分だって、仏の道を学び密教を身につけたのだ。人の身である香里亜だって、あちこち迷いながら東京になじんでいける。クロはそう思う。
「あ、やっと看板が見えたー。クロちゃん、着きましたよ」
 遠くに蔦の絡まるビルと、小さな木の看板が見えてきた。香里亜が安心したように、クロを見ながら看板を指さす。
「ニャー、ニャー」
 クロは蒼月亭の入り口まで香里亜を送る事にした。流石にここまで来て迷う事はないだろうが、何者かに拐かされる心配もある。自分が送ると決めたのだから、無事に店の中に入るまでは見送りたい。
『まあ杞憂やけど、これぐらいはせんとな』
 ゆっくりと歩いていると蒼月亭の入り口が見えた。そこまで来るとクロは踵を返し、少し香里亜から離れる。
「あれ、クロちゃん。寄っていかないんですか?何かご馳走しますよ」
『礼はいらんよ、困ったモンを助ける世の道理に乗っただけやから』
 普段ここに来るのは夜と決めているし、別に礼が欲しかった訳ではない。困っている者を助けるのは当然の事だ。くるりと振り返り、クロは嬉しそうにニャーと鳴く。
『また来たときにでも、何かご馳走してや』
「あ……また来てくださいね。お店で待ってますから。クロちゃんからもらったぬいぐるみも、ちゃんとお店に飾ってますよ」
「うにゃー」
 じゃあ、今度来たときにでもそれを確認する事にしよう。店の前で手を振って見送る香里亜を何度か振り返り、クロは足取り軽く路地へと消えていった。

fin

◆ライター通信◆
ありがとうございます、水月小織です。
道に迷った香里亜を、猫の秘密の道から案内をして送るという事で、このような話を書かせて頂きました。家でも猫を飼っているのですが、時々視線を落としてみるとこんな景色を見てるんだなぁと思う事があります。
もしかしたら子供の頃のように塀を上ったりすると、いつもと違う風景から春を感じられたりするのかも知れません。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。