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<PCゲームノベル・櫻ノ夢2007>


桜の樹の下で

 煌々と光る月の下に広がる桜の園。薄紅色、白、紅色の花が咲いている満開の林。
 そこはしんと静まりかえり、冷たい月の光だけが足下にはっきりとした影を映し出していた。
 いつどうやってこんな所に迷い込んだのだろう。それを不審に思いつつ、満開の桜の下を歩きながら、足は奥へ奥へと進んでいく。
「………」
 しばらく歩いていると、一本の樹の下で一人の男が立ちつくし、じっと天を仰いでいるのが見えた。長身で、長い髪を後ろでくくっているが、影になって顔がよく見えない。
 だがその視線の先にあるのは、奇妙な桜だった。
 緑の桜。
 満開なのに花弁が緑のせいか、何となく慎ましやかな雰囲気を感じさせる。静かに、ひっそりと桜の園の中で、佇むその姿。
 その不思議な光景に立ちつくしていると、不意に男が自分の方に顔を向ける。
「そんなところにいると、月と桜に惑わされる。良かったらここで少し花見でもしていかないか?この、緑の桜…『御衣黄(ぎょいこう)』の下で……」

「礼子……?」
 祭導 鞍馬(さいどう・くらま)がその林の中で目にしたのは、十二年前に行方不明になったはずの雨河 礼子(うがわ・れいこ)だった。長い髪、紺の着物……いなくなったあの姿のまま礼子は優しく微笑み、桜の下に立ちつくしている。
 月明かりがおぼろげに礼子の影を地面に映している。鞍馬はその姿気にしながらも、桜の下に佇む男に目を向けた。
 自宅で読書をしているときに、息抜きに眺めた窓の外に桜を見た。それが綺麗で、何かに誘われるように外に出てしまった。もしかしたら、こんな場所に辿り着いたのはそのせいかも知れない。
 これは……夢だ。
 行方知れずになってしまった礼子が、ここにいるのだから。だが、夢でもいい。少しでも一緒にいられるのなら、儚く覚めても構わない。
「あんた、こんな所で何をしているんだ?」
「俺か?」
 鞍馬の言葉に男が笑う。
「何をしてるって、そりゃ花見に決まってるだろ。ここは世界のどこでもない場所、そして俺はここの花守……つかの間の逢瀬も、夢も、桜と月が惑わせたひとときだ。だから彼女も呼んで、一緒に花見としゃれ込もうぜ」
「花見は別に構わんが……月と桜には既に惑わされてるさ。礼子の夢を見るくらいだからな」
 この時期に桜はつきものだが、その中でも緑の桜は美しい。それはその慎ましさが礼子に似ているからだろうか。
 夢であってもいい。彼女が消えてしまう前に。
 鞍馬は礼子の側にゆっくりと歩いていった。その足音に気付いたのか、桜を見上げていた礼子が、鞍馬に向かって少しだけ頬笑む。
「鞍馬君。あなたがいつも私の事を呼ぶから……また逢えれば良いと思っていたの」
 変わっていないのは姿だけではなかった。声も、話し方も、笑い方も……いなくなったあの時のままだ。
 何を話そう。何か口にしなければ、そのまま消えてしまいそうな儚い姿。だが、礼子は鞍馬を見上げ、自分と背を比べるように目を細めるだけだ。
「背、随分伸びたのね鞍馬君。でも強引なところは相変わらず……」
「強……引……?」
「ええ、鞍馬君が私を呼んだから、ここに来られたの。月と桜が私達を惑わせたのよ」
 さっと額に手が触れた。それは冷たくもなく、柔らかな体温を感じさせる。
 自分が呼んだ。そう礼子に言われたのに、この戸惑いは何なのだろう。ずっと探していた彼女に、やっと会えた驚きと喜び。なのに上手く笑えない。
「御衣黄の下に行きましょう。満開の桜は美しいけれど、散り際はもっと美しいもの。歩くのなら、吹雪いている方が良いわ」
 さーっと桜の林が鳴った。
 その瞬間、風もないのに二人の間に花びらが舞い散る。その中で御衣黄だけは花を落とさないままだった。そっと差し出した鞍馬の手を、礼子が握る。
 これが死んでいる者の手だろうか。
 そう思うぐらい、それは暖かく細い手だった。
 自分が呼んだ。そう礼子は言った。確かにそうかも知れない……あの日、礼子が神隠しにあったときから、鞍馬はずっと礼子を探してきた。少しでもその手がかりを追おうと、村に伝わる伝承を調べるために、親に嘘までついて東京に出てきた。
「………」
 桜吹雪の下、鞍馬は礼子の手を引きながら御衣黄へと歩く。
 やっと会えた。ずっと探していた。
 だがその姿はいなくなったあの日のままで、年格好も全く変わっていない。生きていれば自分と同じぐらいの歳なのに……そう思うと、ここにいる礼子は本当は生きていないのではないかと思う。
 御衣黄の下には竹で作られた椅子が置かれていた。花守は二人に底にすわるよう目で言うと、二人に桜の花が浮かんだ桜湯を出した。
「見事な花吹雪だな」
 そう言う花守に、礼子が目を細め頭を下げる。
「ありがとう……村の桜も、きっと今頃は満開かしらね」
 自分達が住んでいた村。両手を温めるように湯飲みを持ちながら、鞍馬はその光景を思い出す。今の季節競い合うように咲いていた桜……それを美しいと思うのは、遠い過去への郷愁なのか。溜息を押し殺すように、鞍馬は桜湯を飲む。
「俺達がいた村にも桜が多かったが、御衣黄は初めてだ」
「そうね……薄紅色の桜の中で、御衣黄は異端だわ。何故こんな所に咲いているの?」
 礼子が顔を上げてそう聞くと、花守は木に寄りかかったまま天を仰いだ。緑色の花の隙間から月明かりが漏れる。それを見ながら花守はゆるゆると言葉を吐く。
「何故、ね。御衣黄は実生(みしょう)……種を植えて生えるものじゃなくて、接ぎ木をして増やす途中に突然変異を起こして『枝変わり』するんだ。異端に見えるのはそのせいかもしれん……まあ、ここには人の心に咲く花が全てあるから、これもその一本だな」
 人の心に咲く花。
 それに鞍馬は何となく納得した。桜は心に残りやすい。だからこの林は先が見えないぐらいの桜で覆われているのだろう。
「そうなのね。でも、異端だけど綺麗だわ……鞍馬君もそう思わない?」
「ああ、そうだな」
 どうしてこんなに変わらないままなのだろう。
 笑い声、話し方……安心しなければならないはずなのに、それが妙に鞍馬の心に不安をかき立てた。そっと自分の外側に湯飲みを置くと、自分の隣に礼子がいることを確かめるように、鞍馬は細く白い指を握った。
「御衣黄だけじゃない。鬱金(うこん)も墨染(すみぞめ)も色々ある。桜というとどうしても染井吉野(そめいよしの)ばかりに目が行くが、よく見れば色々な種類があるもんだ」
 散る花びらを見ながらも、花守は鞍馬と礼子を邪魔しないように、静かに木と一緒に佇んでいる。
「これも最初は緑だが、日が経つと緑が抜けて最後は薄紅色になる……他の桜と違うのは最初だけだ。そんな木が一本ぐらい合ってもいいだろう」
「そうね。それもなんだか、慎ましやかね」
 くす……と礼子が笑う。その笑顔が今にも消えてしまいそうだった。
 慎ましやかなのはこの桜だけじゃない。ずっと想い続けていた礼子の姿。いつも物静かで、何かを憂うような艶やかな微笑みと、独特の雰囲気を持っていた。村で暮らしていたときも、皆と一緒にいるのに、一人だけ別の世界にいるかのような儚さ。
 この桜は、礼子によく似ている……。
「………」
 一緒に帰ろう。
 その言葉が出なかった。この場所にいるのなら、手を握って走れば一緒に元の世界に戻れるかも知れない。そうしたら、もう礼子を探すこともない。言葉の代わりに、鞍馬は礼子の手を強く握る。
 その時だった。
「つかの間の逢瀬も、夢も、桜と月が惑わせたひとときだ……」
 口には出していないはずなのに、花守が一言そう言った。鞍馬は礼子の手を握ったまま立ち上がる。
「惑わされていてもいい。今ここにあるのは、現実だ」
「彼女はそう思っているのかい?」
 はっと気付いたように振り返ると、礼子は悲しそうにゆるゆると首を横に振った。それに花守の言葉が重なる。
「つかの間の逢瀬だ。邪魔者がいない方がいいだろう」
 鞍馬の後ろで足音が遠ざかる。礼子は寂しそうに笑い、もう一度首を横に振った。
「ねえ鞍馬君……もう、私の事は忘れてちょうだい」
「そんな事、出来ない」
 単なる意地のはずだった。礼子がいなくなったことを認めたくなくて、少しでも手がかりを見つけるために民俗学の道に入ったはずだった。でも出会ってしまった事で、想いは水のように溢れかえる。
 十二年前、鞍馬は礼子のことが好きだった。
 礼子が自分じゃない他の誰かを好きだったことも知っている。それでも礼子が好きだった。このまま手を放せば消えてしまいそうな気がし、鞍馬は礼子をそっと抱きしめる。
 地面に二人の影が揺らいで映る。
「忘れるなんて無理だ……」
 強く抱きしめれば壊れてしまいそうな細い体。礼子はそんな鞍馬を突き放さずに、歌うように言葉を続ける。
「貴方には貴方の人生があるでしょう?私のせいで、それを壊したくないの」
 礼子の目から涙が一筋流れた。
 自分は鞍馬のいる世界には戻れない。これは桜と月、そして鞍馬が自分を呼んだことで起こっている、つかの間の夢。そして鞍馬がこれから年を取っても、自分はこのまま年を取らないだろう。
 だから、鞍馬には鞍馬の人生を生きて欲しい。
 それが礼子のささやかな願い……。
「俺の人生なんか壊していない。だから……」
 塊になった言葉が、鞍馬の喉の奥で詰まる。一緒に帰りたかったはずなのに、出るのは涙だけだ。
 分かっている。
 礼子はこの世に多分いない。なのに、感じている体温は本物だ。
 自分が呼んだから礼子はここに来た。もしかしたらこれは、二人が出会える最後のチャンスなのかも知れない。
「好きだったんだ……本当に……」
 それを言うのが精一杯だった。礼子が優しく鞍馬を抱きしめる。
「ありがとう、鞍馬君。だからもう、私の影は追わないで……」
 刹那……!
 強い風に花びらが舞う。それに鞍馬が目を細めると、抱きしめていた体がかき消えた。「礼子……」
 手のひらに残ったのは、桜の白い花びらとほのかな暖かさ。さっきまで二つあった影も、今は鞍馬のだけが足下に伸びる。涙を堪えるように天を仰ぐと、そこには緑の花が揺れ……。
「話は終わったかい?」
 いつの間にか、椅子に花守が座っていた。手に持った徳利からぐい飲みに酒を入れ、笑いながら鞍馬に差し出している。
「ここは、どういう場所なんだ?」
 ぐい飲みを受け取り、鞍馬はそれを一気に飲み干した。ほのかに甘く、桜の香りがする酒が喉を滑り落ちていく。
「ここはどこでもない場所だよ。俺はここに来る奴が月と桜に惑わされて、帰れなくならないように見張っている番人であり、桜の花守だ。最初にそう言っただろう?」
「名前を教えてくれないか?」
 くすっと花守が笑う。
「麗虎(れいこ)だよ。華麗のレイに虎……皮肉な偶然だ」
「全くだな。でも、花守にはいい名だ」
 もう一杯注がれた酒を、鞍馬は口にした。確かに皮肉な偶然だが、それでもここで礼子に会えたのだから、それでいいだろう。それが夢だったとしても、あの時感じていた想いと暖かさは本物だ。
 それだけが鞍馬に分かる、今の真実……。
「ここはあんたみたいな奴が時々来るんだ。それに囚われすぎると元の場所に帰れなくなる。現実で大事な人がいるのなら、俺が指さす方へ真っ直ぐ歩け。振り返るな」
 椅子から麗虎が立ち上がり、闇へと真っ直ぐ指を指した。そして少し皮肉っぽく笑い、何かを確かめるようにこう言う。
「囚われていてもいいと言うのなら、逆へ行け。そうしたら、もしかしたら彼女のいる場所に行けるかも知れない。どうする?」
 答えは決まっていた。
 自分は自分の人生を生きる。礼子のことを完全に忘れることは出来ないだろうし、まだその影を追ってしまうかも知れない。だが現実では鞍馬を待っている人がいるし、村に伝わる祭りに対して知らないことが多すぎる。
 その真実を知るために。
 既に意地なのかも知れないが、それまで自分は現実を生きなければならない。
「ご馳走様。俺は元の世界に帰るよ、じゃあな」
「ああ。またな」
 麗虎に言われたとおり、鞍馬は闇へと向かって真っ直ぐ走る。散る花びらが後ろへと流れていく。
「………」
 気が付くと、そこは自宅側の桜の下だった。
 今見たのは夢だったのか。そう思って自分の体を見ると、シャツのポケットに御衣黄が一輪引っかかっていた。見上げた桜の色とは違う、はっきりとした緑。
「あれは、現実だったんだ」
 緑の桜、御衣黄。月と桜が見せた、つかの間の逢瀬。
 そっと御衣黄を手で包みマンションへと歩く鞍馬の足下に、煌々と光る満月がくっきりとした影を落としていた。

fin

ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0015/雨河礼子/女性/15歳/神事の巫女
6161/祭導・鞍馬/男性/29歳/大学講師かつ研究生。民俗学者

◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます。初めまして、水月小織です。
今回は、緑の桜「御衣黄」の下での花見ということで、二人一緒の指定にそって話を書かせて頂きました。
本当は出会えない二人が出会うというのも、月と桜が惑わせたひとときなのかも知れませんが、お互いを想う切なさや戸惑い、愛しさなどが出ていればと思っています。花守の名前の音が偶然一緒だったのも、何だか不思議な縁です。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
イベントご参加ありがとうございました。また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。