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桜の樹の下で
煌々と光る月の下に広がる桜の園。薄紅色、白、紅色の花が咲いている満開の林。
そこはしんと静まりかえり、冷たい月の光だけが足下にはっきりとした影を映し出していた。
いつどうやってこんな所に迷い込んだのだろう。それを不審に思いつつ、満開の桜の下を歩きながら、足は奥へ奥へと進んでいく。
「………」
しばらく歩いていると、一本の樹の下で一人の男が立ちつくし、じっと天を仰いでいるのが見えた。長身で、長い髪を後ろでくくっているが、影になって顔がよく見えない。
だがその視線の先にあるのは、奇妙な桜だった。
緑の桜。
満開なのに花弁が緑のせいか、何となく慎ましやかな雰囲気を感じさせる。静かに、ひっそりと桜の園の中で、佇むその姿。
その不思議な光景に立ちつくしていると、不意に男が自分の方に顔を向ける。
「そんなところにいると、月と桜に惑わされる。良かったらここで少し花見でもしていかないか?この、緑の桜…『御衣黄(ぎょいこう)』の下で……」
「あれ……?」
仕事の帰りに少しだけ遠回りをして夜桜を見ようと思ったのは、既に月に惑わされていたからだろうか。
それともこの不思議な桜に誘われたのか……。デュナス・ベルファーは、声のした方に歩きながら、そんな事を思っていた。
デュナスが桜を見たのは日本に来てからだ。故郷のフランスで春を告げる花は、マグノリアやパンジー、ムスカリなどで、そのどれもこんなに鮮やかに春を告げるものではなかった。
「緑の桜なんて、初めて見ましたよ。何だか不思議な感じですね。桜もこの場所も……」
本当は、もっと警戒しなければならないのかも知れない。見たことのない場所、家路の途中にはない桜の園。だが、デュナスは不思議とそんな気持ちにはならず、ゆっくりと呼ばれた場所に近づいていく。
桜の下に立つ人物の、その背格好と声には覚えがあった。ただ、纏っている雰囲気というか気配が少し……いや、かなり違う。自分が知っている彼は、もっと人懐っこい雰囲気で、煙草を吸いながら笑う姿が印象に残っている。だがここにいる彼は、何かこの世の人でないような、そんな不思議な雰囲気で……。
「どうした?」
そっと近づくデュナスに、男が笑いかける。その声にも聞き覚えがあり、デュナスも思わず笑ってこんな事を聞いた。
「麗虎(れいこ)さん、ですよね?」
その問いに答えるように桜が揺れた。
「どうして俺の名前を知っている?」
「えっ、麗虎さんとは友人ですし……人違い、じゃありませんよね?」
麗虎は何か考えるように天を仰いだ後、何かに気付いたように頷いてデュナスを見た。
「ああ、もしかして現実での俺の知り合いか。すまない、この時期は色々あって、上手く現実世界のことを認識できないんだ。他の時期なら、すぐ分かったんだろうけどな……まあ、座りなよ」
「はあ……」
桜の下に敷かれているござに、デュナスはなんだか不思議な気持ちで座った。
麗虎の言うことには、ここは「異界の花畑」で、麗虎はそこを守る「花守」らしい。ただ、現実と異界での記憶がリンクしておらず、ここで起こったことは現実の麗虎は覚えていない。その代わり桜の時期は、花守の麗虎も現実の記憶が曖昧だという。
「なんだか大変ですね……」
正座しながらそう言うと、麗虎は杯を渡し苦笑する。
「まあな。でも俺はここに来たら花の世話をするだけだから、さほど面倒でもないよ。ここに迷い込んだのも何かの縁だ、一杯酌み交わそう」
「いただきます」
染め付けの杯には、桜の花が描かれていた。それを溢れそうなほど注がれ、慌ててデュナスは口を付ける。
「………」
その日本酒は甘く、ほのかに桜の香りがした。盆の上に置けるぐらいになるまで飲み、大きく一息……。
「ハハハッ、注ぎすぎたか。でも結構いける口だな」
「すいません、本当は乾杯とかするべきだったのでしょうが、こぼしたら勿体ないと思ってしまって……」
「見かけは外人なのに、日本人みたいだな」
それは、よく言われる。
元々デュナスは日本文化に興味があり、大学などで学んだ後でやって来たのだが、ここ最近それがやけに進んだような気がする。
何故か急に恥ずかしくなり思わず黙り込むと、麗虎は自分の杯から酒を飲んで人懐っこく笑った。その笑い方だけは、デュナスがよく知っている麗虎と同じだ。
「この場所じゃ異国も何も関係ないのに、俺も無粋なことを言ったな。忘れてくれ」
「いえ、気にしてませんから。この桜のことを教えて頂けますか?あと、この場所のことも……どうやらここは、普通の場所ではないようですし」
この桜。
薄紅や白の桜の園の中で、緑に包まれた桜。御衣黄……と言っただろうか、そんな緑の桜を見たのは初めてだ。この林では周りのせいでよく目立つが、別の場所で咲いていたらそれが花だと気付かずに通り過ぎてしまうかも知れない。
「じゃあ、御衣黄のことから話そうか」
「そうですね。こういう緑の桜は、これだけなんですか?」
デュナスの質問に、麗虎は隣の木を指さした。そこにも黄緑色の花が咲いているが、花弁の外が薄紅色になっているので、御衣黄ほど緑には見えない。
「今デュナスが見てるのは鬱金(うこん)って桜だ。花びらは鬱金の方が多いが、御衣黄は花びらにも気孔がある……普通に生まれた品種じゃなくて、突然変異だがな」
「突然変異……」
そう言われ、思わず天を仰ぐ。
八重の花びらの間から、微かに月が見えた。
「桜を実生(みしょう)で増やすことはほとんどない……大抵は挿し木か接ぎ木をして増やしていく。そうしていくうちに突然変異……枝変わりをして、こんな緑の桜が咲いたりするんだ」
「………」
まるで自分の事のようだ。
他の家族は誰も自分のように、光を操ったりする能力はなかった。闇の中から光を生み出し、それを操る力……子供の頃は闇に怯えても、自分で辺りを明るくできることが嬉しかったのに、成長する事にそれは恐れに変わっていった。
どうして自分だけ、こんな力を持っているのだろう。
それが上手く操れるのなら、力を何かに生かしたり出来たのだろうか。だがデュナスは、いまだにそれを上手く使えない。感情が高ぶれば発光し、全力で使えば消耗しすぎる。東京にやって来たのも、その異端な能力から逃げるためだったのかも知れない。
「近くで花を見てみるか?」
どう言葉を繋げばいいのか分からずデュナスが黙り込んでいると、麗虎は立ち上がって枝から一輪花を取りデュナスに見せた。
「ずいぶん緑が濃いんですね」
手渡されたそれをじっくりと見ているデュナスに、麗虎はまた酒を飲み始めた。
「突然変異かも知れないが、桜に変わりはない。御衣黄だって今は緑鮮やかだが、だんだん色が抜けて白っぽくなり、花ごと落ちる頃には薄紅色になって他の桜と区別が付かなくなる。違うのは最初だけだ」
「………」
なんだか麗虎の言葉が、嬉しかった。
やっぱり不思議な人だ。自分の心を見透かしているかのように笑い、その不安をなくすように話す。デュナスはスーツの胸ポケットから手帳を出し、御衣黄の花をそっと挟み込んだ。次に開いたときには薄紅色に変わっているかも知れないが、それでも桜には違いない。
「桜には、変わりがないんですね」
「十人十色って言葉があるが、それと同じだ。桜だって御衣黄だけじゃなくて、色々ある……枝垂れ桜に二度桜、菊桜なんか一個の花に花びらが百枚以上ありやがる。その中で花が緑になったぐらい、大したもんじゃない。そう思わんか?」
「そうですね……やっぱり麗虎さんは不思議な人です」
「そりゃそうだ。異界の花守なんだからな」
お互い顔を見合わせて、クスクスと笑い合う。
そういえば、デュナスは東京に来てから、自分の力のことをあまり悔やまなくなった。楽なことばかりではない。物価の違いに驚き、パンの耳と塩スープで食いつないでみたり、危険な仕事に首をつっこんだりしたこともある。
でも、それ以上にここに住んでいる皆は、デュナスの能力を気にしない。お互い東京に住んでる者として、普通に毎日を過ごしていて……。
「………」
持っていた杯に入っていた酒を、ぐいと飲み干す。その杯に麗虎がまた酒を注ぐ。
「ここは天国みたいですね」
「縁起でもないな。ちゃんと生きてるだろ……まあ、ここは世界のどこでもない場所で、人の心に咲く花が全てある花畑だから、確かに天国っていえば天国っぽいか?」
人の心に咲く花が全てある。
それを聞き、デュナスはついこんな事を聞いてしまった。
「じゃあウツボカズラとか、ラフレシアとかそういうのもあるんですか?」
「………」
……気まずい。
どうしようかとデュナスが困っていると、麗虎はくつくつと喉の奥で笑い始めた。
「そういう質問は初めてだ……」
「い、いえっ、何だかちょっと気になったんです。そう、桜。桜見ましょう」
「見たいなら連れて行こうか?」
「ごめんなさい、桜だけでいいです」
我ながらどうしようもない質問をしてしまった。焦ったせいで顔が赤い。片手で自分を扇ぎ、ややしばらく二人で月明かりに照らされた桜を見る。
世界のどこでもない場所。
でも桜の美しさは本物だ。白も薄紅色もそして緑の桜も、春が来た喜びに咲き誇っている。
「桜は良いですね……こんなに桜があったら、桜の葉の塩漬け作り放題ですね」
何となく気分が良くなったデュナスの呟きに、隣にいた麗虎が怪訝な顔をする。
「桜餅の葉っぱのことなら、あれはどの桜でもいいって訳じゃないが」
「えっ?そうなんですか?」
「あれは大島桜(おおしまざくら)の葉じゃないと、あの香りが出ない。桜湯をつくる花の塩漬けなら、御衣黄で作っても綺麗かもしれんが」
「……知りませんでした。ボケまくりですね、私」
よかった。取りあえずここで言っているうちは、恥をかかずにすみそうだ。これから花見に行く機会もあるし、その時に変なことを言うよりは、今言っておく方が良い。
「フランスにいた頃は、バラやスミレの砂糖漬けを食べたりしたんですが、桜も砂糖漬けにしたら美味しいかも知れませんね」
「そうだな。探せばあるんじゃないか?甘い桜湯も良さそうだ」
「桜餅もおいしいですし」
さわっと春の夜風が吹く。
その下で一緒に酒を酌み交わし、桜の話をする幸せ。
御衣黄は、確かに桜の中では突然変異種なのかも知れない。それでも桜に変わりはないように、きっと自分もここで生きていていい。そう教えられたような気がする。
月も高くなってきたし、そろそろ帰ろう。
この桜の園も美しいが、自分が帰る場所……東京へ。入っていた酒を飲み干し、少し笑ったデュナスはまだ酒を飲んでいる麗虎にこう言った。
「麗虎さんを一人にしてしまうようであれですが、そろそろ帰ります」
それに答えるように麗虎が人懐っこく笑う。
「そうか、それがいいな。現実の俺はこの事を覚えてないから、これはここだけの話にしてくれ」
「そうします。混乱させたくありませんし」
デュナスが立ち上がると麗虎も同じように立ち、桜並木が続く闇へと指を伸ばした。
「帰り道はあっちだ。桜並木をずっと歩いていけば元の場所に戻れる……ただし、桜を見上げるのは良いが、後ろは振り返るな。今日は月が丸いから、振り返れば月と桜に惑わされる。そうなったら、俺が助けられるかどうか分からん」
「分かりました。また……会えますか?」
「花が呼べばそんな事もあるだろうさ。じゃあな」
「じゃあ、また……」
天に昇る月、地に咲く花。
言われたとおり後ろは振り返らずに、デュナスは歩いていく。並木道に咲いている桜は、よく見れば全て種類が違っていた。白や紅紫、たくさんの花が丸く咲く八重桜。その中を真っ直ぐ前へと進んでいく。
「あ、灯りだ……」
前に見えていたのは、見慣れた近所の街灯だった。そしてその先には自分の家がある。帰ってこられたことに少しほっとすると、その灯りの下から小さな黒い猫がデュナスに近づいてきた。居候している家で飼っている猫の村雨(むらさめ)だ。
「んにーぃ」
「私を迎えに来てくれたんですか?塀の外に出てると、心配されますよ」
そっと子猫を抱き上げ、天を仰ぐ。
今日の月は丸い盆のように、煌々と地を照らしていた。抱き上げられた村雨が、くんくんと鼻先を近づけ匂いを嗅ぐ仕草をする。
「お酒はそんなに飲んでませんよ。それとも桜の香りがしますか?」
「んにー」
「さあ、帰りましょう」
小さな子猫の暖かさを手に感じながら、デュナスは振り返らずに塀の中へと入っていった。
fin
ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵兼研究所事務
◆ライター通信◆
ご参加ありがとうございます、水月小織です。
今回は、緑の桜「御衣黄」の下での花見ということで、指定がない限りはそれぞれ個別で話を書かせて頂いています。
花見をしながら桜などのお話をということでしたので、御衣黄のことを説明してもらいながら、それを自分に重ねてみると感じにしてみました。枝変わりした品種ですが、それでも桜に変わりがないように、能力者でも人間には変わりないという感じです。お任せ色が強かったので、所々お遊びを入れました。
リテイク、ご意見は遠慮なくお願いします。
イベントご参加ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。
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