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<東京怪談ノベル(シングル)>


勇気と力、そして慎重

「今日もよろしくお願いします」
 既に習慣となりつつある挨拶。
 去年の秋口から黒 冥月(へい・みんゆぇ)が、立花 香里亜(たちばな・かりあ)につけている稽古は、少しずつだが成果が出てくるようになってきた。
 最初はマラソンだけでひーひー言っていた香里亜も、体力が付いてきたのか最近は長い組み討ちにも耐えられるようになってきた。
「最近キレが良くなったな」
「ありがとうございます」
 今日もいつものように、影内の道場に衝撃を吸収するマットが敷いてあり、床に書かれた一メートルの円の中に立っている冥月の体を香里亜が触るという訓練なのだが、動きもかなり良くなってきている。受け身も上手になったし、そろそろマットを外してもいい頃合いかも知れない。
 しかし。
 武術は急に伸びるものではない。日々の反復訓練と攻撃予測、その積み重ねがものになり成長していく。よほど格闘センスなどがあるならともかく、急に開眼するようなものではない。
 もし、開眼するとしたら……。
「………」
 前回は時間がなかったのと、香里亜の家で色々あったので聞きそびれてしまったのだが、何処かで実戦でもしたのだろうか。
 そう冥月に思わせるほど、香里亜の動きは急に良くなった。踏込みや動作に、無駄や躊躇が減っている。冥月を触ろうとする攻撃の鋭さも増し、間合の距離感も良くなった。前に教えた「攻撃の予測」も、今までは感覚だけで何とかしようとしていたのが、ちゃんと体の動きを目で追い、理解しているように感じる。
 これがいくらか武術やスポーツの積み重ねがあるのなら、冥月にも理解できる。
 だが、香里亜は柔軟性や反射神経がいいぐらいの素人だ。真面目に毎日の柔軟などをやっていたとしても、急に何かに目覚めるとは思えない。
 それぐらい前々回と前回では、動きの良さが違う。格闘のプロである冥月が訝しむほどの成長具合……それが妙に気にかかる。
「はうっ!今のは触れると思ったんですけど」
 隙をついて繰り出された手刀を弾くと、冥月は間合いを取って息をついた。
「よし、そろそろ攻守交代だ。今日も肩から行くか?」
「はい。お願いします。左肩で」
 少し確かめる必要があるだろう。
 今度は冥月が香里亜の体を触る番だ。ただしハンデとして円はなく、冥月は香里亜が指定した一カ所だけを攻撃する。いつものようにゆっくりとしたスピードで攻撃を出しながらも、冥月は香里亜の動きを観察した。
「少しは付いてこられるようになったようだな」
 足の使い方や、間合いの取り方も良くなっているが、一番の成長は目だ。
 動きを見つつ、同時に体を動かす。それはすぐにやれと言われて出来るものではない。大抵は動きを目で追うだけになって隙が出来たり、逆に隙を見せまいとして勘だけで動きを止めようとしたりどちらか一方向になってしまう。
 前までは香里亜も目で冥月の動きを追い、それを手で止めても足下ががら空きだったりしていたのに、それが急に出来るようになった。気のせいかとも思っていたのだが、こうして実際組み討ちをしているとよく分かる。
「今日は触られませんよー」
 軽快に冥月の手を避けながら、香里亜がそう言った。
 確かに自分でそう言っているとおり反応が早い。冥月はゆっくりと手を動かしている中、試しに突然死角を付き手刀を繰り出した。
「はっ!」
 香里亜がその動きに反応する。だが冥月の方が早かったのか、その手はちょんと肩に付いた。
「ああー、見えたのに避けられませんでしたー」
 やはり違う。
 前までなら突かれた拍子にバランスを崩してよろけていたのに、今は重心も上手く移動させて指先が触られるぐらいでかわそうとしている。何処か別の所で習っているのか……冥月は香里亜の両手を握ると、じっと顔を見て観察した。
「み……じゃなかった、老師。どうしました?」
「…………」
「じっと見つめられると、照れちゃうんですが」
 目が合ったのが恥ずかしいのか、香里亜は両手を握られたまま、ほにゃっと笑う。それを見た冥月は、ピンとおでこを弾いた。
「あ痛っ」
「香里亜、他の誰かに武術を習ってるのか?」
 きょとん。と香里亜の目が丸くなった。
 冥月としては別に嫉妬という気持ちはなく、ただ自分のやり方が身に付いていないうちに他の誰かに習っていると、どちらも中途半端に覚えてしまうのではないかとの心配があったのだが、そういう訳ではないらしい。首を横に振った香里亜は、どうしてそんな事を質問されたのか分からないというような表情をしている。
「いいえ、冥月さん……違う、老師に習ってるだけで一杯一杯ですよ。社交ダンスとかはやってみたいなとは思ってますけど、武術は他の人の所に通うつもりはありませんから」
 別に所に行っている訳ではない。なら、やはり……少し真剣な表情で、冥月は次にこう問いかけた。
「なら、どこかで実戦交えたか?」
 びくっ、と香里亜の笑顔が引きつる。
 冥月が言うとおり、香里亜は以前ちょっとした出来事で実際に戦うことがあった。その時は自分の力をパワーアップさせてもらったので、その時の動きを覚えておこうとしていたのが出ていたようだ。
 だが、冥月にはどう言うべきか。まさか世界の運命を守るために……などと言っては、不審に思われるだろう。かといって上手な嘘をつけるほど、器用でもない。
「ま、まあ、ちょっと……」
 結局こういってお茶を濁すしかないだろう。
 だが冥月は、それ以上追求する気はないようだった。香里亜にも事情とかプライバシーがあるし、それをいちいち小姑のようにうるさく言うべきではないだろう。意気揚々と武勇伝として聞かせるようなら、最初から修行のやり直しをさせなければならないだろうが、そういう訳でもないらしい。
 ただ、教えなければならないことは、師として言わねばならないだろう。
 握っていた手を放し、冥月はじっと香里亜の顔を見る。
「一つ言っておく。お前は弱い、実戦には到底及ばない。だが、だからこそこの訓練が切札になる。敵は知らんからな」
「はい」
 弱いことは承知の上だ。戦ったと言っても、普段の自分であればきっと無理だった。必要以上に、自分の力をひけらかしたりするべきではない……冥月はそう言いたいのだろう。
 真剣に、自分の力を過信せずに。
 こくっと頷く香里亜に、厳しい言葉が続く。
「今持っている力はジョーカーじゃない、精々数字の九位の切り札だ。戦える事は決して人に知られるな」
「分かりました。不必要に戦ったりしないようにします」
 勇気と力だけがあってもいけない。
 戦えるということを相手に悟られてしまえば、それより上の力でねじ伏せに来るだろう。だからこそ、それを知られないに越したことはない。本当は出来るだけ争って欲しくはないのだが、香里亜は正義感が強いので見て見ぬふりは出来なそうだが。
「じゃあ稽古の続きをやるぞ。今から少し強く行く。強い攻撃が来るという覚悟だけしておけ」
「はい。が、頑張ります」
 理由が分かれば問題はない。あれだけ香里亜が動けるのなら、そろそろ段階を上げても良いだろう。防御に回るために間合いを取った香里亜に、冥月がスッと向き直る。
「行くぞ」
 瞬間……。
「えっ……!」
 冥月が目にも留まらぬ早さで懐に飛び込み、香里亜の腕を弾き飛ばした。パシッという乾いた音が道場の中に響き渡る。
 まずい。
 体を動かさないと、次が来る……。
 そう分かっているのに、体が動かない。痛みではなく、鋭い動きで手が痺れていることに、思わずその場で立ちつくしてしまう。そう考えているのと同じ速度で、鳩尾に鋭い痛みが走る。
「………!」
 声も出なかった。
 鳩尾に冥月の掌底が入り、自分の体が吹っ飛んでいるのに何が起こったのか一瞬理解できない。何とか受け身だけは取ってみせたが、息が出来なくて立ち上がることもできず、香里亜はその場で咳き込んでしまった。
「ゴホッ……ゲホゲホ……」
 息が苦しい。目の前がだんだん暗くなる。
 胸を押さえて何とか自分の体に酸素を送り込もうとしていると、薄暗い視界の中に冥月が走り込んでくるのが見えた。
「大丈夫か?慌てないでゆっくり息を吐け……吸う方より、吐く方を意識しろ」
 無言でこくこくと頷き、香里亜は倒れたまま深呼吸をした。
 天井と、覗き込んでいる冥月の顔がぐるぐる回っているが、少し目を閉じ自分を抑えるように息をすることに集中する。
 ……怖かった。
 心臓が止まってしまうかと思った。あまりの出来事に、まだドキドキしている。でも、心臓が動いているということは、ちゃんと生きている証拠だ。
「……やっぱり、まだまだかなぁ」
 息をすることに集中している頭の隅で、香里亜はそんな事を思う。訓練していたはずなのに、体が全く動かなかった。痛みはなかったのに、驚きで立ちつくしていたままになっていた。
 もっと強くなりたい。
 その為にはまだまだ修行が必要だ。うっすら目を開けると、息苦しかったせいか目が潤んでいた。そのぼやけた視界に心配そうな冥月が見える。
「大丈夫か?」
「は……い……」
 かすれる声で何とか返事をすると、冥月が香里亜の体を起こしてくれた。まだ体に力が入らないので、ぐったりと寄りかかっていると、少し溜息をついて香里亜の頭を撫でる。
「悪かった。だがこれが実戦レベルだ。戦いの恐さをよく覚えておけ……」
 こくっ。
 やっぱり自分はまだまだだ。少しは付いていけるようになったけれど、それで満足していてはいけない。今日も吃驚して体が動かなかったが、冥月だからこれで済んだのであって、もしそれが敵意を持った者ならきっとケガどころの話ではないだろう。
「一番怖いのは、さっきのように『体が硬直して動かなくなること』だ。一度こうして受けておけば、次はちゃんと反応できる。これから厳しくなるが、付いてこられるか?」
 出来れば冥月としても、香里亜に痛い思いはさせたくなかった。
 だが、受けたことのない攻撃に、人は身を固めることで対処しようとする。そうならないために実戦形式での攻撃予測、それがある程度出来るようになったら実際の攻撃を受けてみなければ体が覚えない。戦いの怖さは己の身で知るしかない。
 さっきは硬直して体が動かなかったようだが、一度痛い思いをしたら次は対処できるようになる。
「頑張ります……ふにゃ〜、やっと声が出るようになりました」
「今日はこれぐらいにしておこう。一応香里亜のために手加減はしたんだ」
「ほえ?」
 正座し直して頭を下げようとした香里亜を見て、冥月が困ったように笑う。冥月は香里亜の他にも弟子を持っているのだが、同じような訓練をしたときには鳩尾に掌底を入れて、一度心臓を止めてしまったのだ。
「あわわ、そ、それは私には無理そうです。川の向こうでお婆ちゃんに呼ばれちゃう」
 少し間違っていたらそうなるかと思うと、やっぱり怖い。次に同じような攻撃が来そうになったら、手が当たる前に自分から倒れたりした方が良いだろうか……冥月に手をとられて立ち上がりながら、香里亜はそんな事を考えていた。

「うわぁ、手形が付いてますー」
 温泉に入り体を洗っていると、鳩尾に冥月が掌底を打ったときの跡が付いていた。歩いているときから鈍く痛むとは思っていたのだが、大丈夫だろうか……心配そうに香里亜が冥月を見ると、ライムの香りの石鹸をボディスポンジにこすりつけながら、何事もないようにこう言った。
「しばらく痣になるかも知れないな。だが、内臓や骨にダメージが行かないように手加減しているから、そのうち消えるだろう。それとも見せる相手でもいるのか?」
「い、いないです。私なんて、せいぜい健康センターに行くか行かないかですよ」
 顔をほんのり赤くして、香里亜が首を横に振る。そんな仕草に冥月はクスクス笑いながら目を細めた。
 付き合っている人が、今のところいないのはよく知っている。それでも俯いて気にしているようなので、何だか少し意地悪なことを言いたくなった。その反応を見るのもなかなか楽しい。
「もしかしたら、掌底がきれいに決まったのは、脂肪の山が少ないからかも知れないな」
「脂肪……確かに細いですけど……って、あれ?」
 視線が自然に一方向に向いた。
 確かに自分も小柄で細身ではあるが、冥月だって細身だ。違う部分と言えば……。
「うわーん、冥月さんひどーい」
 違うのは、背の高さと胸の大きさ。割と気にして毎日バストアップ体操などもしているのだが、何故かそっち方面の成果は芳しくない。シャワーの蛇口を捻り、香里亜は冥月に向かってヘッドを向ける。
「こら、石鹸が流れるだろう」
「うー、ナイフで刺されても私だけ心臓に抜けちゃう〜。冥月さんはきっと刃が途中で止まって助かるんですよぅ」
「待て待て、その前に手で止めろ。大きいからってあまり良いことばかりでもないぞ」
 冥月に向けられていたヘッドを自分の肩に向け、香里亜はじとーっと次の言葉を待った。何だか向けられる視線が妙に痛い。
「悪いことってなんですか?」
「走ったり動いたりすると邪魔だとか、その……ブラのサイズを探すのに苦労するとかだな……」
 ………。
 気まずい沈黙が流れた後、香里亜はにこっと笑った後でもう一度シャワーを冥月の顔に向けた。
「こらっ!ちょ……」
「却下です!小さくても見つからないんですよ」
「背中の肉を前に寄せたらどうだ?」
「寄せるものがないんです」
 流石にそこまでひどくはないだろう。どちらにしろ、胸の話題は鬼門なのだが。
 シャワーが止まり、香里亜の背中を流しながら冥月が呟く。
「小さくても可愛いぞ。ニットやTシャツも伸びないし」
「むー」
「あまりいじけてるとこうだ」
 小さく背中を丸めた香里亜の脇をくすぐると、ビクッと振り返り頬を赤く染める。それに笑っている隙に、冥月の胸にぺたっと手が当たった。
「今日は触りましたよ」
 本当なら影で止めるところだが、今日は勘弁しておこう。
 ニコニコと無邪気に笑う香里亜の鼻の頭に泡をつけ、冥月は溜息をつきながらくすっと笑った。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
前回触れられなかった、良くなった香里亜の動きと「戦いの怖さ」を教えるということで、こんな話を書かせて頂きました。少しずつ成長しているようですが、やはりまだまだのようです。これからもっと厳しくなっていくのでしょうか……。
そして久々に最後のお約束です。ナイフで刺されないように修行をしているはずなのに、そこではすっかりそんな事を忘れてます。何故ナイフなのかは謎です。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。