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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


Breeze


 それは、一体どちらが言い出したことなのだろう。

 ある日見つけた、とある山の奥底に眠ってその一生を終えるはずだった枝垂桜。
 それを見つけたのは、幸か不幸か。
 ともあれその枝垂桜には、見つけたものを喜ばせるという役割が与えられ、そしてそれを見つけたものには、その枝垂桜を記憶にとどめるという役割が与えられた。

 枝垂桜はただ美しかった。
 誰にも見られたことがないゆえの、荒らされることのない自然の美。
 それを誰かとともに眺めたいと考えるのは、恐らく誰でも同じなのだろう。



 まぁそんな流れがあったかどうかは兎も角として、枝垂桜の前には今一組の男女がいた。
「美しいのぅ…」
「そうですね。この日本にもまだこういう場所があったとは驚きです」
 枝垂桜に聞こえたのは、そんな会話。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 長い時を生きたものにとっては、もはやこの世で眺めたことのないもののほうが珍しい。
 しかし、何を見ても一つとして同じものがない。それがこの世界の面白いところだ。
 杯を傾けながら、彼女はそんなことを考える。

 目の前に咲き誇るこの枝垂桜は、枝垂桜ではあるが今まで見たものとはやはり違う。
 大輪の華は、似てはいても一つ一つが全て違う。それはまるでこの世の理を表すかのよう。
 全てが同じで全てが違うそれは、見るたびにその姿を変える。
 それは何も見た目がというだけではなく、見るたびにそこから感じ取れるものも変わるものだ。
 例えばそう。隣に彼女の男がいるときなどは特に。

「焔樹さん」

 一歩退いたところから聞こえた声。
 彼女とは確かに違う男の声。静かに答えるように振り向けば、そこには変わらぬ笑みを湛えた男。

「こうやって眺めていると、時間が経つのを忘れてしまいます」

 そう言いながらも、男の視線は彼女から離れない。
 その言葉の意味するところは一つ。桜よりも貴女を見ています、ということ。

「…うるさいわ」

 少し、熱くなった気がした。
 どこが、というわけではなく。身体全身が、というべきだろうか。
 何時もながらにまっすぐに向けられる言葉には素直になれず、彼女はただその視線から逃げるように枝垂桜へと歩いていく。



 そも、彼女は人ではない。既に齢は千などとうに越している。
 だがしかし女であることも確かで、そこにあるものを楽しむ術は知っている。
 色恋沙汰は、その駆け引きを楽しむものである。そう彼女は思っていた。
 それは何も自分だけではなく、他人のものでもそうなのだが…それは置いておいて。
 しかし、しかしである。例外というのはいつでも存在している。

 こと、今傍にいる男性――露樹故とのことになると、その駆け引きというものができなくなるのだ。
 何も駆け引きというのは色恋沙汰だけではなく、日常的にあるものである。
 その駆け引きはまたこの上なく楽しく、彼女の心を満たしてくれる。
 しかし、それが故の前でだけは、できない。

 彼を前にすると、どうしても何か靄が掛かったように言葉が出なくなる。
 この感覚は、何時か味わったことがあるような、ないような。どこか懐かしく、新しい感覚。
 それが何なのか、空狐である焔樹にも分からない。



 そっと、その花弁に手を伸ばす。手に取った桜色は、その白い肌にそのまま吸い込まれていってしまいそうなほどに溶けて見える。
 言葉では少しからかい混じりに話しかける故ではあったが、その視線は片時として焔樹から離れない。
 不思議な感覚。彼女を見ているだけで、どこか吸い込まれてしまいそうになる。
 目の前にいる彼女は、艶やかな色香を漂わせながら、しかしどこか少女を思わせるところもあって、そのギャップがまた故に色々な感覚を抱かせてくれる。
 この長い生の中、そんな感覚を味わったのは何時振りだろうか。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 どちらからともなくその場に座り込み、気がつけばお昼時。いくら二人が人ならざるものであっても、腹が減る、という感覚はよく知っている。
「故、飯はまだかの」
 当然のように言い放った彼女に少し笑みをこぼし、
「ただいま用意いたしますよ、お姫様」
 やはりどこかからかいの混じった言葉で返事を返し、故が軽く手を振った。
 彼は名の通った奇術師である。そのタネが例え本当の魔術によるものであっても、奇術師であることには変わりない。
 何時ものように腕を振るい、何時ものように何かを出してみせる。それが今日は、偶々食事であっただけのこと。

 しかし。焔樹は少し機嫌悪そうにそれを見つめていた。
「故」
「はい?」
「何故この状況にカレー…」
「えぇっと…お嫌いですか?」
 彼らの前には、二つ並んだ見紛うことなき金色のそれ。
「…別にそういうわけではないが。お主、もう少し空気というものをだな…」
 そう焔樹が零すのも無理はない。
 この満開の枝垂桜の下、中華風の衣装に袖を通した二人。その前にあるのがインド名物では、やはりどこか不釣合いだろう。
「申し訳ありません。しかし、あまり料理は得意ではないので」
 笑う故の言葉は、本心なのかどうなのか。仕方なく、焔樹はそれに手をつけるのだった。



 口に入れてしまえば、どんなものでも同じとは誰が言ったことだろうか。
 焔樹はこのときほどそれを感じたことはなかったかもしれない。
 心地のよい満腹感(まぁ少し匂いは気になるが)に包まれながら、また枝垂桜へと視線を移す。
 そんな時、ふと思い出す。自分が彼にやられたことを。何時だったかあれは。
「のぅ」
「はい?」
 視線はそのまま、声だけを故に向ける。既に食事の後などなくなってしまったその場に、その声が風に乗って響いていく。
「膝を貸せ」

「珍しいですね、貴女からこんなことを頼んでくるなんて」
「以前問答無用で人の膝に転がってきた者の言うことか。
 よいではないか、腹が満たされたら眠気が来るのは誰とて同じであろう?」
 そんなことを言いながら、既に焔樹の頭は故の膝の上。それを故は実に嬉しそうに眺めていた。

 投げ出した手足に、散った花弁が戦ぐ。
 淡い桜の香りと、頬をなでる風。そして下に感じる誰かの体温。
 焔樹が眠りに落ちるのに、そう時間は掛からなかった。
 小さく寝息を立てる彼女の髪を梳きながら、故は絶えることのない笑みをこのときばかりは消していた。
「…………」
 無言の時が過ぎる。聞こえるのは、風に揺れる桜の音と、静かな焔樹の寝息。

 見入る。ただその言葉だけが、今の真実。
 美しい顔立ちを眺めながら、故が考えたのはなんだったのか。
 小さく首を振って、また彼は焔樹を見つめる。
 凛とした彼女が、時折見せる少女のような一面。
 できることなら、手折れてしまいそうなそれを独り占めにしてしまいたいと考えるのは、やはり駄目なことなのだろうか。

 風が戦ぐ。
「うぅん…」
 小さく吐息が漏れて、故の頬を擽る。
 吸い込まれるように。彼の頭が下がっていく。そして二人の影が重なって、

「…………何をしようとしておる?」
「おや、起きてしまわれましたか。残念無念、ですね」
 重なる寸前に、その間に割り込んだ手。それに当たる寸前で止まったそれは、笑顔だった。
「いえ、あまりに気持ちよさそうだったもので、つい」
「つい、ではなかろう…」
 先ほどまでの表情は見られていないようで、故は内心ホッと息をついた。
 明らかに不機嫌そうな彼女のそれは、何時ものように悪戯をする彼に向けるもの。
「つい悪戯をしたくなるほど可愛かった、と言えばいいですか?」
「なっ…何を言うか」
 顔を赤くして、頭は膝に乗せたままそっぽを向いてしまった彼女へ向けたその言葉は、本心からのものだったのだが。それに彼女が気付くことは、まだない。
「大体、男女の仲というわけでもなかろうに…」
「では、告白すれば受け入れてもらえますか?」
 返事の変わりに返ってきたのは、赤く染まった頬と顔にめり込んだ拳だった。





◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 そうしてまた、幾星霜。
 今度は眠りにつくこともなく、相変わらず膝に頭を乗せたまま枝垂桜を眺めていた。
 移ろい行く時が、また桜に別の一面を覗かせる。

「…お主には」
 これで何度目だろうか。取り留めのない会話は、断続的に続く。
「心より愛する…そういう存在はおらぬのか?」
 多分、答えは分かっている。分かっているのだが…なぜかふと聞きたくなった。
 長く生きた二人。二人に共通するのはその点のみ。後は何から何まで違う。
 その長すぎる時間の中に、そういう存在はいたのだろうか。それが、気になった。
「さぁ…」
 見上げた故の顔は、黄昏時のせいかよくは見えない。
「どうでしょうか?」
 それは、予想できていた答え。
 ただ。多分、笑っていないと、焔樹はそう感じていた。

「では次はこちらから」
「…なんだ?」
「貴女にそういう感情を抱いている、と言えばどう答えます?」
 急に近づいてきた笑顔。重なるということはなかったが、ほとんど触れ合いそうなほどに近くにある。
「っ……」
「答えは?」
「知らぬ」
 そっけない返事だけが、ただ響いた。
(知らぬ、ですか。まぁきっぱりとないと言われるよりはマシ、でしょうか)
 そしてまた思う。この言葉を口に出せば、彼女はどれくらい照れてくれるだろうか、などと。





 これだけ近くにいるのに、お互いの本心が見えてこない。
 それは焔樹も、そして故も同じこと。
 何百年、何千年という気の遠くなりそうな時を歩んできた二人。
 もはや知らぬものはないと思えそうな二人が、この時ばかりはまるで初恋に落ちたばかりの者のように。
 もう、顔が重なることもなかった。
「そろそろ帰りましょうか…もう桜も闇で見えない」
「夜桜というのも乙なものではあると思うが…冷えてきたしのう」
 そう言いながらも。体温が離れていくのは、どこか寂しかった。

 帰り道。月の光が二人を照らす。
「焔樹さん」
「ん?」
「また今度、こういう場所を見つけたら…一緒にきてもらえますか?」
 男のその誘いに、
「さぁ…今日のようなことがあっては困るからのぅ?」
 女は意地悪そうに答える。
 少し困ったような彼は、何時もとは違う苦笑交じりの笑みを浮かべ、彼女はそれに満足したように笑う。
「申し訳ありませんでした、お姫様。粗相のないようにいたしますゆえ何卒お許しを」
「仕方がないのぅ」
 そうして二人は離れていく。再会の約束だけ残して。



 また風が戦ぐ。
 男と女の心には、小さな小さな風が起こる。
 まだまだ小さい。とても小さい。
 しかしそれは、重なり合って嵐になってもおかしくはない。

 だがそれは、まだ微風。
 それでも。その微風は、同じ方向に吹いているのかもしれない。





<END>