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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


10年前の貸し



1.
「これがその手紙です」
 依頼人が草間に手渡したのはずいぶんと古びた手紙だった。
 中身を改めるが、依頼人から先に言われていた通り内容は非常に素っ気ないものだった。

『10年前にお貸ししたものを、返してもらいます』

 差出人の名前はない。宛先も文字がぼやけていて辛うじて判別できる程度だ。
「……で、あなたはその約束に覚えがない、と」
「そうなんです」
 年齢は10代の終わりか二十歳になったばかりといったところだろうか。
 青年と呼ぶにはまだ若い雰囲気を漂わせているその依頼人は、困り果てた顔で草間を見た。
「借りた覚えのないものを返せと言われても、いったい何のことかもわからないのに」
「で、その返しに来るというのはいつなんですか」
「その手紙によるとちょうどその日に、ということらしいんですが、手紙がこれではいつなのかも」
 依頼人が困るのも無理はない、肝心の日付を示す文字はぼやけていてきちんと読むことができない。
「お願いします」
 手紙を見て考え込んでいる草間に依頼人は縋るような目を向けた。
「この相手が何を僕から奪おうとしているのか突き止めてください。そして、もし命に関わることなのでしたら助けてください」
 その目に草間は拒否することはできなかった。
「わかりました。お引き受けしましょう。ただ、あなたに心当たりがまったくない上に手がかりもこの手紙だけとなると、ちょっと助っ人を呼ぶ必要がありそうですね」
 そう言って、草間は席を立つと電話を手に取った。
「頼みがある……いや、押し付けようっていうつもりじゃないんだが、ちょっと力を貸してもらいたいんだ。見てもらいたいものがある。頼んだぞ」
 面倒臭そうにではあったが相手はどうやら引き受けてくれたらしく、草間は息を吐いた。


2.
 扉を開いて姿が見えた途端、翠の顔に何処か険しいものが現れたように草間は感じた。
 どうしたと聞く前に、じっと翠は依頼人の顔を見てから、草間のほうを向いた。
「あれが、依頼人か」
「そうだが……何かあるのか?」
 翠は黙ったまましばらく答えず、珍しく躊躇うように草間にしか聞こえない声を発した。
「お前、わかっていて私を呼んだのではないのか」
 何をだと尋ねた草間の言葉に嘘はないと理解したのだろう、翠は重く息を吐いた。
「あれは、ヒトではない」
「……なんだって?」
 結局また怪異絡みかと思ったらしい草間の声は、しかし翠の雰囲気を察してか依頼人には聞こえない声に抑えられていたのは流石だなと感心する余裕は翠にもあった。
「俺には普通の人間にしか見えないぞ」
「身体は人だ。だが、魂は違う……極めて人に近くはしてあるが、人の手によって作られたものだ」
 翠の説明を受けても草間は首を捻っている。
「なんだってそんなことになってるんだ? 俺にはよくわからん」
 尚も説明を聞こうとする草間を無視するように、翠は依頼人のほうへと近付き、できるだけ何気ないふうを装い話しかけた。
「失礼ですが、貴方は今年おいくつになられましたか?」
 突然の言葉に驚きながら依頼人は少し考え込みながらそれに答える。
「もうじき19ですけれど、それが何か……」
「では、この手紙が言う10年前には、貴方は9歳頃だったということですね?」
「……そう、ですけど」
 質問の意図が飲み込めないのだろう、怪訝な顔をしている依頼人に、翠は尚も尋ねる。
「ご両親は健在ですか」
「え? あぁ、はい。ふたりとも元気です」
「そして、貴方を可愛がってくれている」
「この歳にもなってとでも?」
 むっとした顔になった依頼人に、翠は真面目な顔のまま「いえ」と否定した。
「昔は身体が弱かったんです。何度かそれで倒れたこともあって、だからいまでも僕の身体を気にかけてくれてるらしくて……そりゃ、過保護かもしれませんけど」
「愛されている、ということです。むきになって否定するようなことではないと思いますよ」
 素っ気なく聞こえるほどそう言ってから、翠は手紙のほうを見た。
「拝見しても、よろしいですか?」
「えぇ、どうぞ……」
 そう言って、翠は手紙を受け取る振りをして、依頼者の手に触れた。
 触れたのはほんの一瞬だったが、それで十分だった。
 翠の顔に、僅かに影が降りた。


3.
 ──まず視えたのは、嘆き悲しんでいる母親の姿。
 いや、それは嘆くという言葉では収まらないほどの悲しみとそして混乱に満ちている顔だった。
『シュンちゃん! そんな……!』
 近くにいる中年の男はおそらくは父親だろう。母親を宥めようとしているが、母親はそんなことを聞こうともしていなかった。
『シュンちゃんがいなくなったら、あたし……まだ、まだ9歳なのよ!』
『……寿命だったんだよ、先生も言っていただろう。長くは生きられないと』
『あんたはそれで納得できるの? それでも父親なの!?』
 母親の狂乱はますます悪化していく。父親とて悲しいのは同じはずだが、母親のほうはあきらかに精神的にかなり追い詰められている。
 そこで、場面が変わる。
 虚ろな顔をした母親の姿、ぶつぶつと子供の名を呼んでは嘆き悲しむ姿は痛々しい。
 そして、父親の姿が別のところにある。
 父親の目の前には、明らかに怪しい男──術師だとすぐに翠は気付いた。
『本当に、できるのですか?』
 困惑しきった父親に、術師は頷いてみせた。その口元には何処か卑しさを感じる笑みがある。
『かりそめの魂を吹き込めば良いのです。大丈夫、お子さんの記憶もきちんと与えましょう』
『では、では、息子は──』
『えぇ』
 にたり、と術師は笑った。
『生き返らせることができます。そうすれば、奥様がこれ以上嘆くこともなくなる』


「──おい、翠」
 草間の声に、翠の意識は『いま』に戻った。
 その顔は以前複雑な顔をしたままだ。
「……外法による蘇生か」
「なんだって?」
 おそらくは独り言のつもりだったのだろうが、生憎と草間の耳にはその言葉が届いていた。
「お前……何を視た?」
「人の心の弱さ、子を失ったものの悲しさだ」
 先程見えたものから考えるに、依頼人(シュンちゃんと母親は呼んでいた)は9歳のときに一度死んでいる。
 身体が弱かったと依頼人も言っていたのだから、おそらくは病死だったのだろう。
 人はいつか死ぬ。だが、我が子の死を容易く受け入れられる親はそういない。
 それでも時が経てばその傷も少しは癒えていくこともできたかもしれない──なのに、そこに誘惑が入った。
 死んだ息子を生き返らせることができる、と。
 母親の嘆きように耐えられなかった父親は、その誘惑に乗ってしまった。
 しかし、術者がその身体に宿したのは本当の息子の魂ではなく、それに作り物だった。
 記憶も移してあるのだろう、だから本人は自分がまさか偽りの魂だなどとは気付いていない。
「……なぁ、武彦。珍しいと言うなよ?」
「なんだ?」
「正直、悩んでいるのだ」
 その言葉に、草間はやや驚いたような顔になった。
 確かに、翠が悩んでいると草間に言うことなど滅多にあるものではない。
 依頼人は控えで待たせてある。話が聞かれることはない。
 そこで、翠は自分が感じた(いや、知っているといったほうが良いのかもしれない)依頼人の『過去』を草間に説明した。
 話を聞き終えた草間も、しばらく黙り込んでから、口を開く。
「じゃあ、返してもらうって言ってる相手っていうのは、誰なんだ?」
「見当はつく」
 病死した息子の身体へ移された作り物の魂に、返してもらうという言葉を使うような相手に思い当たったとき、一層翠の悩みは深まった。
「おそらく……いや、間違いはないだろう。相手は、本当の身体の持ち主、もともとあの身体に宿っていた息子の魂だ」
「なんだって? じゃあ息子は死んでなかったのか?」
「死にはした。だが、成仏はしていなかった。蘇生を施した術師が封じてでもいたのだろう」
 何かに用いるためか、万が一作り物の魂が駄目になったときを考えてか(後者はあまり考えにくかったが)術師は息子の魂を成仏させることなく封じていたのだろう。
 だが、ああして依頼人の元へと手紙がやってきたということは、その魂は解放されたということになる。
 理由として翠が考えたのは術師が死亡し、封印が解けたというもので、それは当たっていると見て間違いなさそうだ。
 そうでなければ、10年経ったいまになって依頼人に接触してくるはずがない。
「おそらく、手紙は依頼人に自分が死んでいるということだけでも理解させようとしたため送ったのだろう。まずそうしなければ目的を果たすのは難しいからな」
「なら、返してもらうっていうのは」
 草間の問いに、翠は僅かに頷いた。
「依頼人の身体だ。その中に自分が戻り、『本当に』生き返るためだろう」
「できるのか? そんなことが」
「可能不可能の話ではない。それを望んでいるから、相手はこんな手紙をよこしたのだ。そして可能かという問いに対してなら答えは可だ。……手立てはある」
 ふたりの間に、沈黙がおりた。
 翠は、先に草間に言った通り迷っていた。
 外法ではなく正しく蘇生させる方法を翠は知っている。だから、『本当の』魂を身に移し変えることは可能だ。
 だが、それではあの『依頼人』はどうなる?
 ここまで悩むのは翠の過去にも関わっているが、それは草間にも言うことはできない。
「なぁ、武彦。どうすべきだろうな」
 草間に対して悩んでいることを言う翠は非常に珍しいが、草間はそれをからかうでもなく考え込んでいた。
「……俺は、そういう術だのなんだのっていうのはよくわからん」
 そう前置きをしてから、草間は「けどな」と言葉を続ける。
「作り物かもしれないが、『生きてる』依頼人と、昔はその身体の持ち主だったかもしれんが『死んでる』魂ってやつのどっちが、『いま』の身体を持ってるべきだろうな」
「………」
 また、しばしの沈黙の後、翠が小さく息を吐いた。
「お前にしては、まともなことを言う」
「俺は、いつもまともだ。おかしいのはここに来る依頼だけだ」
「そういう依頼が来る、ということ自体がおかしいというのだ、普通はな」
 そう言った翠の顔には僅かだが笑みが浮かんでいる。
「結論は、出たか?」
 草間の問いに翠は「ああ」と答え、依頼人を待たせている控えに向かった。
「貴方の誕生日はいつですか?」
「2日後ですが、それが何か? 僕から何かを返してくれという日がそれだと?」
「おそらくは」
「それで、相手は誰なんです? いったい僕に何を返してくれと?」
 言うべきか迷っていた翠だが、最低限のことだけを明かしておいたほうが良いのだろうと翠は結論に達した。
「貴方の身体の以前の持ち主です。ですが、いまの持ち主は貴方だ。返す必要はありません……いま、生きているのは貴方なのだから」
 意味がわからないという顔になっている依頼人に、翠は複雑な顔をした。


4.
 2日後。
 依頼人の家の明かりが消え、代わりに仄かな灯火がついたのが窓から見えた。
 おそらく、依頼人の誕生日を祝っているのだろう。
 生れてくれて──生き返ってくれてありがとう、と。
 思わず最後を付け足して翠は小さく息を吐く。
 家族の周囲も調べたが、ぎくしゃくしたところはない。やや過保護のきらいはあるかもしれないが、両親は『彼』を心から愛している。
 息子の姿をしているからだけではない。10年という年月は、魂が変わったことなどもう影響がないほどに親子の絆を深めている。
 魂の真贋など、もはや彼らには関係がないのだ。
 真実は、大切なことは10年間『彼』が彼らにとって本当の『家族』だったということだ。
「……だから」
 と、翠は呟いた。
「あそこには、もう戻れないのだ……死んでしまった貴方は」
 ゆっくりと、翠の、いや依頼人の家に近付いていた『それ』の動きがぴたりと止まった。
 そして、こちらを向く。
 魂でも、人の形として見ることはできる。
 幼いが依頼人と瓜二つの顔、だが、ひとつだけ決定的に違うものがあった。
 虚ろな目は、死したもののそれだ。
『これ』はもう死んでいる。
「よしんば身体を取り戻したところで、無駄だ。10年という歳月封じられていた間に貴方の居場所はもうなくなっている。そして、身体を取り戻した瞬間、あの身体は死ぬ」
 無理矢理身体を奪ったところで死した魂では身体を生かすことはできない。
 手順を踏めば──正しい蘇生法を使えばそれでも生き返らせることはできる。
 だが、と翠は己を律するように険しい目を『それ』に向けた。
「お前は死んだのだ、あの身体は『彼』のものだ。もはや、お前にはその資格はない」
『ドウシテ?』
 虚ろな声が翠の耳に届く。
『ボクハ……コウシテ生キテイルノニ』
「生きてはいないのだ。お前の行くべきところはあの身体ではない。いまならまだ……外法に関わらされたとはいえ正しい道へと行ける」
 窓からは、まだ、楽しげな声が聞こえてくる。
 ハッピーバースディと歌っている声、笑い声。
 ふっと灯火が消え、部屋の明かりがつく。
 家の様子が良く見えた──勿論、『それ』の目にも。
 幸せな家庭の光景。愛されている息子、愛している両親。
 微笑ましいゆえに、『それ』にとっては残酷な光景だったかもしれない。
 だが、これが現実だ。10年という歳月をかけて彼らが築き上げたものだ。
 彼らにとって『それ』よりも、もはや『彼』が本当の息子なのだ。
『ボクハアソコヘハ行ケナイノ?』
 悲しげな、けれど何処か虚ろな声に翠は厳しく諭すように口を開く。
「見ただろう? 楽しげに笑う母君を、父君を。お前がいま、『彼』をふたりから奪い、お前が身体を取り戻せば、ふたりを悲しませるだけだ……息子を何度も失う悲しみを与えるな」
『………ボクハ』
「私が送ってやる。だから、迷わずに行くのだ、己が行くべき場所へ」
 ぽたん、と流せるはずのないモノから涙が零れたように見えた。
 翠はそれを見ず、弔いの言葉を紡いだ。


5.
「あの親子、これからどうなる?」
「何がだ」
 草間の問いに、翠は酒を注ぎながらそう尋ね返した。
「だって、お前息子に明かしたんだろう? 自分が作り物だって」
「それがどうした。彼は自分が愛されていることを知っている。身代わりとしてではなく『彼』自身をな。ならば、険悪になることはないのではないかな」
 それでもしばらくは、彼は悩むかもしれない。
 己が死んだ息子の代わりに作られたものだと知れば。
 だが、そんなこと以上に彼は知っているはずだ。
 両親の彼への愛情が偽りではないことは。
 昨夜、翠が見たように。
 ならば、それで良いのではないかと翠は思う。
「なぁ、武彦。お前だったら、どうする?」
「自分が作りものだと言われたらか?」
 持っていた杯を机に置いて、草間はほんの少し考えてから口を開いた。
「そうだな、最初は信じない。で、どうしても信じろというんならそれがどうしたと言ってやる。いま生きてるのは俺だ。それで十分だろ」
「お前らしい単純な回答だが、それが良い。そして、そういうことだ」
 何がそういうことなんだよと言っている草間に微かに笑みを返してやりながら、翠は杯の中身を飲み干した。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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6118 / 陸玖・翠 / 女性 / 23歳 / 面倒くさがり屋の陰陽師
NPC / 草間・武彦

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■         ライター通信                    ■
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陸玖・翠様

いつもありがとうございます。
今回の『依頼人』の正体及び過去を知るために、『視る』という方法を使用しましたが、よろしかったでしょうか。
悩むということでしたので、草間に背中を軽くですが押してもらうような流れとし、真実を明かすということも依頼人には最低限で済ませ、取り返しに来たほうへ『真実(現実、でしょうか)』を告げて成仏させるという形にさせていただきましたがお気に召していただければ幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝