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<東京怪談・PCゲームノベル>


過去の労働の記憶は甘美なり

「シュラインさんってさ、通訳も出来るんだよな」
 蒼月亭のマスターであるナイトホークに、シュライン・エマがそんな事を聞かれたのは、ランチタイムが終わり、カウンターの上にコーヒーとチーズケーキが置かれたときだった。
 唐突にそんな事を聞かれたことに、シュラインは少し戸惑いながらも笑って頷く。
「ええ、通訳も翻訳も出来るけど、急にどうしたの?ナっちゃん王子さん」
「いや……社長が、色んな言語の通訳が出来る人探しててさ。豪華客船でのパーティーなんだけど、ぞろぞろ人連れて歩きたくないから、一人で多言語通訳できる人がいないかって」
 社長、と聞いてシュラインは顔を上げる。
 ナイトホークが「社長」と呼ぶのは一人しかいない。篁コーポレーションの若き社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)のことだ。だが雅輝には天才科学者の兄である雅隆(まさたか)がいるはずだ。多分雅隆なら通訳も出来る。
 その事を思わず問うと、ナイトホークはカフェエプロンからシガレットケースを出し、ふっと笑う。
「ああ、それね。通訳してると飯食えないってのと、自由にあちこち行けないのが嫌なんだとさ。シュラインさん耳もいいし、都合が良かったら……って話なんだけど」
 通訳していると何も食べられないというのを聞き、何となくくすっと笑ってしまう。確かにパーティー会場で通訳中は雅輝の側を離れられないだろうし、堅い雰囲気が苦手だというのはよく分かる。
 多分自分のことは雅隆にでも聞いたのだろう。一度雅輝には会ってみたいと思っていたし、通訳や翻訳なら自分の腕を生かせる。にこっと笑って頷いたシュラインは、温かいコーヒーカップを持った。
「いいわよ。私の方も特に予定はないし、通訳なら任せてちょうだい」
「そう言ってくれると助かるよ。じゃあ、向こうに連絡するから、詳しいことは社長から聞いて。俺も仕事の内容まで聞いてないんだわ」
「分かったわ」
 豪華客船でのパーティーとは、いったいどのようなものなのか。
 少し緊張しながらも、シュラインはナイトホークが電話を掛けるのを、コーヒーを飲みながらじっと見つめていた。

 シュラインが呼び出されたのは、篁コーポレーションのビル最上階にある社長室だった。
 呼び出された……と言っても、自らここに来た訳ではない。あの後「今迎えに来るって言ってるけど、時間空いてる?」と聞かれ、思わず頷くと、車が迎えに来てあれよあれよとソファに座っていたのだ。
「お忙しい中、ありがとうございます。どうぞ」
「いえ、お気遣いなく」
 そう言いながらお茶を出してくれたのは、雅輝の秘書である冬夜(とうや)だ。一度雅隆の忘れ物を届けに来たときに会ったことがあるのだが、サングラスにダークスーツという取り合わせが、あまり秘書っぽく見えない。
 あまり社長室という場所に入ることはないのだが、社長の机だけではなく、パーテーションの後ろに応接セットがあったり、花が生けてあったりしてあまり堅い印象は受けなかった。むしろわざと隙を作っているような、そんな雰囲気。
「こちらから呼び立てておいて、申し訳ありません。お待たせしました」
 直前まで仕事をしていたのだろう。そう言いながら、雅輝が隣の部屋からシュラインの所にやってきた。それに思わず立ち上がり、シュラインは自分の名刺を差し出す。
「こんにちは。シュライン・エマです」
「改めまして、篁 雅輝です。どうぞお座り下さい。いつも兄がお世話になってるようで……」
「こちらこそお世話になってます」
 そう挨拶すると、雅輝の後ろで冬夜が渋い顔をして、小さく呟くのがシュラインに聞こえた。
『世話はかけても、世話してることは絶対ない……』
 やっぱり冬夜と雅隆は仲が悪いらしい。と言うか、多分冬夜が雅隆を嫌っているのだろう。その辺りは冬夜よりも、雅隆に聞いた方が良いのだろうが。
「早速ですが、仕事の内容を言ってもいいでしょうか?」
「ええ、お願いします」
 そのパーティーは日本に寄港するの客船上で行われ、シュラインにはそこで通訳をして欲しいと言うことだった。世界中を回っている船なので、あちこちの国の乗客乗員がいるらしい。
 だがそれだけなら、シュラインに頼む理由がない。
 本当の依頼はここからだった。
「……シュラインさんは、聴音や声帯模写に優れていると兄に聞きましたが、それはどれぐらいでしょう。よろしければ、参考に教えていただけませんか?」
 やはりただの通訳ではないらしい。シュラインは少しお茶を飲み、まず冬夜に向かい頭を下げた。
「ごめんなさい、冬夜さん。さっき私が挨拶したときに、後ろで呟いていた言葉を『世話はかけても、世話してることは絶対ない……』」
 シュラインの口から冬夜の声が出る。
 雅輝はそれに少しだけ目を丸くした後で、後ろに立っている冬夜を見てくすっと笑う。
「冬夜の兄さん嫌いは筋金入りだね。本当にそう呟いてたのかい?」
「申し訳ありません。間違ったことは言ってませんが、呟いたのは本当です」
 そのはっきりとした言葉に、シュラインは何となく太蘭(たいらん)を思い出した。兄弟だと聞いていたが、こういうはっきりとしたところはやっぱり似ている。
「ありがとうございます。これなら安心して本当の仕事を頼めます。シュラインさんには、パーティー会場で僕を狙っている相手の話を聞き、それを冬夜に伝える役をして欲しいんです」
 雅輝の話はこうだった。
 最近篁コーポレーションの近くでは、不穏な事件がいくつか起こっているらしい。雅輝も狙われている一人なのだが、かといって警戒しすぎて全く動きを見せなければ相手の思う壷だ。それにずっと守りに入っている気はなく、この際人目の付くところに出て、相手をおびき寄せ、攻撃に出たい……と。
 その後ろで冬夜が淡々とこう言った。
「雅輝さんとシュラインさんの安全は、俺が守ります。お引き受けいただけますか?」
 危険には慣れている。それに雅輝に何かあれば、きっと雅隆は悲しむだろう。自分向きの仕事をわざわざ断る理由もない。
「私でよろしければ、お引き受けします」

 全長三百メートルを越す、「エンプレス・アントーニア」。
 海の上に浮かぶ街と呼ばれるように、船内にはウェディングチャペルやミュージカル劇場、ショッピングができるプロムナード、美容室、エステ等ありとあらゆるものが揃っている。
 今日のパーティーはその船内で行われる、招待制のイベントだ。きらびやかな照明に、せわしなく行き交う人々。その会場内をシュラインと雅輝、そして少し離れて冬夜がゆっくり歩いていく。
「今日のシュラインさんは、僕の秘書兼通訳ということになってますので、よろしくお願いします」
「豪華客船なんて、緊張しちゃうわ……」
「気楽に楽しみましょう。なかなか来られる機会はありませんから」
 シュラインは雅輝が用意した赤いドレスに身を包んでいた。髪も今日はアップで、アクセサリーは目の色に合わせて青で統一されている。冬夜と雅輝も礼服だ。
『雅輝!今日は珍しく美女連れじゃないか』
 シャンパンを取って歩くと、目の前から白髪の紳士がロシア語で話しかけてきた。自分のことを言うのは少し恥ずかしいが、シュラインはそれを通訳して雅輝に伝える。
「ごきげんよう、ミスターデニース。彼女は僕の優秀な秘書なので、ちょっかいをかけられると困ります」
『それは失礼』
 そう言って笑うと、デニースは雅輝とシュラインに握手を求める。
『貴女のロシア語はとても美しいです。雅輝はいい秘書を持ってて本当に羨ましい』
「ありがとうございます」
 そうやってしばらく挨拶は続いた。フランス語、英語、中国語……雅輝は顔が広いようで、景気の話や株価の話など、会話にいとまがない。時には全く違う言葉を話す三人の会話を、同時に通訳したりもする。
「シュラインさんの通訳は素晴らしいですね。兄に通訳をさせると、自分の都合の良いように話を変えられるんですが、シュラインさんだと話がすぐに通ります」
「そう言っていただけると嬉しいわ。私も久しぶりに色々な国の言葉を使えるから、楽しんでます」
 実はシュラインは語学オタクと言っていいほど、色々な国の言葉を学んで話すのが好きなのだが、普通に草間興信所やライターの仕事をしているときは、その知識をあまり使うことがない。そんな話を雅輝としつつ、シュラインは辺りの音も聞いていた。
 たくさんの人の話し声。トレーにグラスが置かれる音。
 食器の音や足音に、流されている音楽……どこにも音はたくさん溢れている。それが一つのざわめきになっているのだが、シュラインには一つ一つの音を別々に聞き分けるが出来た。
 その中に混じる話題も……。
『篁は女連れだがどうする?』
 それはセルビア語だった。その音がする方へシュラインは顔を向ける。
『一緒に殺ってもいいだろう。狙われているのに着いてきてるのが悪い』
 堂々と自分達のすぐ側で、シャンパンを飲んでいる二人の男。その表情は穏やかで、とても襲撃計画を練っているようには聞こえない。襲撃計画以外は英語で他愛ない話をしている。
『この会場内ではまずいだろう。騒ぎになるのは面倒だ』
『篁はあまりパーティーに長居しないだろうから、外に出たときがチャンスだな』
 そろそろ教えた方が良いだろう。シュラインは雅輝と冬夜にこう呟いた。
「……夜も更けたわね」
 前もって決めておいた言葉。
 何もなければただの通訳でいい。だが何かを聞きつけたとき、上手くそれを教えるための合図として「夜も更けた」と言って欲しいと、前もって伝えられていたのだ。もし他の誰かに聞かれたとしても不自然には思われないし、『夜』と入れたのは、冬夜の名前も連想出来る。
 そして冬夜へは、続けて相手の特徴を直接耳に。
「私達の側にいる二人組が襲撃計画を話しているわ。どうしたらいいかしら」
「ひとまず外に出て下さい。俺はその後に続きます」
 チラリと冬夜を見ると、少し離れた場所にいるのが見えた。今度は雅輝の耳に指示を出す。
「冬夜さんから外に出て下さいって。私が少し具合の悪くなった振りをするから、一緒に出ましょう」
 そう言うと、シュラインは少し額を抑えて軽く首を振った。雅輝が少し笑ってその手を取る。
「少し飲み過ぎたかしら……」
「風に当たった方がいいね」
 人混みを抜け、出口へ。その耳に冬夜の声が聞こえた。
「甲板のほうへ向かって下さい。出口から右へ真っ直ぐ。外に出たら、すぐ横の壁に隠れて」
 言われたとおりその方向へ二人は歩いた。男達の声と足音が聞こえる。
『外に出るらしいな、行くぞ』
 甲板方面ということは、外で片を付ける気なのだろう。そのままドアを開けると目の前には夕闇が広がっている。シュラインと雅輝は冬夜に指示されたように、壁に張り付くように身を潜めた。
 これで大丈夫なのか。そう思っていると音もなく冬夜がやって来て、二人に向かって小さくこう言った。
「シュラインさん、俺の方から話し声がするように声を出して下さい。すぐに片を付けます」
「分かったわ、任せて」
 闇の中へ冬夜が歩いていく。言われたとおりにシュラインは、冬夜の方から話し声がするように音を出した。会話は他愛ないもので良い。少し酔ったとか、この船が広くて驚いたとか。
 そこへ二人組が現れた。
『暢気に何か話してるな……』
『まあいいだろう、その方が都合が良い』
 闇の中では音の情報に惑わされる。二人が冬夜に近づこうとした瞬間……。
「生かしておいても情報は出なさそうだ、ならば死んでもらおうか」
 見えたのは闇に光る光の筋。そして聞こえたのは高速で風を切る音。
 それが見えると同時に、男達がゆっくりと倒れた。冬夜の手には鞘に収まった短刀が握られている。おそらく風を切った音は、高速で刀を振るった音だったのだろう。
「シュラインさんのおかげで、こちらに注意を引き寄せられました」
 サングラスを外しながらそう言った姿は、太蘭によく似ていた。シュラインの隣で隠れていた雅輝が、ふぅと大きく溜息をつきながら笑う。
「まさか、刺客があんなに堂々と近くにいるとは……シュラインさんにはお礼を言わなければいけませんね。ありがとうございます」
「いいえ、何もなくて良かったわ。でも、さっきのは何だったのかしら」
 倒れた二人に外傷のような物はない。だが、確かに光の筋を見た……急に吹いた海風に肩をすくめると、冬夜は自分のスーツを脱ぎ、シュラインの肩に掛ける。
「外に傷を付けずに中だけを斬る居合いのようなものです。どの刀でも出来る訳ではありませんが」
「それは、もしかして太蘭さんが作った刀かしら」
 仕事で来ているし、あまり突っ込んじゃいけないかなと思いつつも、シュラインは思わずそう言ってしまった。冬夜は珍しく驚いた様子でシュラインと雅輝を見る。
「兄を知っているんですか?」
「ええ、よく遊びに行かせてもらってるの。前にドクターから兄弟だって伺ってたんだけど、やっぱり似てるなって」
「そうですか」
 そんな二人に雅輝は倒れた男を見下ろし、くすっと笑った。狙われているのに堂々としたその態度は、やはり普通じゃない何かをシュラインに感じさせる。だが、次に出た言葉はこんなものだった。
「兄弟か……僕も兄さんと似てるところがあるのかな」
「えっ、それは……」
 雅輝と雅隆はあまり似ていない。シュラインが口ごもると、冬夜がものすごい勢いでそれを否定する。
「似てません。俺は雅輝さんと、アレの遺伝子に繋がりがあることが信じられませんが」
 くつくつと愉快そうに雅輝が笑う。それに冬夜が溜息をつく。
「これは『Nightingale』に処理させますから、会場に戻りましょう。もうこれ以上刺客がいるとは思いませんが」
「そうだね。一晩に何度も狙われるほど人気者だったらうんざりだし、せっかくのパーティーを台無しにされちゃ困る。行きましょう、シュラインさん。今度は通訳として」
 取りあえず、これで一段落なのだろう。
 まだ雅輝や冬夜の後ろには何かがありそうだが、シュラインにそれを詮索する気はない
 ただ……多分これから、少しずつ関わりがありそうな気はするが。
「冬夜さんに上着返さなきゃね」
 一緒に中へと歩きながら、少しだけ後ろを振り返る。
 海の向こうへと広がる闇の中、シュラインは小さく鳥が鳴く声を聞いた。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
ナイトホーク経由の篁雅輝からの仕事ということで、パーティーの通訳と共に声を聞きわけたり、声で惑わせたりという仕事にさせていただきました。シュラインさんを通訳にしていると、何だか華やかなイメージです。
きっとこれをきっかけに、色々と関係が広がっていきそうな、そんな予感を秘めつつ…ですね。冬夜が珍しく饒舌です。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。