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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


桜宴

 ――屋敷にいらっしゃいませんか。
 そんな誘いをアドニス・キャロルが受け取ったのは、春だと言うのにやや肌寒い日が続いたある日のこと。
 誘った主の趣味なのか、金の刺しゅうに縁取られた古風な招待状に、日時と場所の指定と共に誘いの言葉が綴られていた。
 特に見知らぬ相手では無い。まして、彼のもとにいるもう一人は……。
 だが。
 リンスター財閥の頂点に今も君臨し続けている男――セレスティ・カーニンガム自らがパーティらしき催しに招待するほどの接点は無かった筈、なのだが。
「……」
 ややうす曇りの空を仰ぎながら、手に招待状を持ち、大きな門の前で立ち止まったアドニスが小さく息を吐いて、すんなりと呼び出しに応じた自分自身にも不思議な思いを持ちつつ、呼び鈴を押した。

*****

「――やあ。よくいらっしゃいました」
 午後も過ぎた指定時刻ぴったりに現れた『客人』に、セレスティはにこやかに笑みを浮かべながら、車椅子姿とはいえ、自ら出迎えていた。それはそれなりに歓迎の意を表しているのだろうが、意図が掴めていないのだろう、アドニスがやや戸惑い気味の表情を浮かべているのを見て、内心でくすりと笑う。
「招待を受けたものでね。が、今日は一体?」
「ああ――桜を、ね」
「桜?」
 ええ、ともう一度にっこり笑って、セレスティがゆっくりと庭に向かう。
「……これは」
「彼が予想していた通りになりましたね。今日が丁度見頃です」
 時期を見計らって招待状を送った価値はあった、とセレスティが満足げに目を細める。
 そこには、見事に咲き誇る満開の桜――そして、その花を良く眺められる位置に設えたテーブルと三脚の椅子があった。
「さあ、お花見といきましょうか」
 淡い薄桃色の花びらで、枝が覆い尽くされた木を眺めながら、テーブルの傍らに置かれたワゴンから、何種類かの甘い香りのする菓子と、温められたティーセットをテーブルに置いていく。
「……随分と本式のアフタヌーンティーだな」
「日本ではこうした振る舞いは習慣づいていませんからね」
 本当ならもっとたっぷりした料理もお出ししたかったのですが、とセレスティが残念そうに呟き、
「まあ、少人数ですから仕方ありません」
 どうぞ、今年のファーストフラッシュです、と淹れたての香り高い紅茶をアドニスと自分のカップに注いで、静かに腰を降ろした。

*****

 さあ……っと、柔らかな風が二人の頭上を通り過ぎ、ただそれだけの風にはらはらと花びらが舞い落ちる。
 それはまるで、ほのかに色付いた雪を見るようで、穏やかな今の気温が嘘のような錯覚さえ起こす、そんな静かな時間。
「……」
 それなのに。
 ――どこか、ぴんと張り詰めた空気が感じ取れるのは何故だろう。
 いや、緊張しているのはこの場のせいではなく、自分自身だろうか? そんな事を思い浮かべたアドニスが、無言の間を取り繕うように口を開いた。
「いいお茶会だ。……でも、何故俺を呼んだのかが分からないのだが」
 その、呟きともとれなくはない問いかけを待っていたかのように、セレスティが嬉しそうに目を細める。
「当然といえば当然でしょうね。アドニス、一度キミとじっくりお話がしてみたかったのですよ」
「俺と?」
「ええ。当然でしょう? 私は彼の『雇い主』ですからね」
 にこりと。
 挑戦とも取れる不敵な笑みを浮かべたセレスティが、す、と薄い色の瞳を細め、アドニスを真正面から見る。
「雇い主と言ったな? それだけ理由とはとても思えないが――」
「おや。まさか、もうひとつの言葉を引き出したい、とでも?」
 笑顔のままのセレスティの唇が、ごくわずか上に引き上げられる。
「そうですね。アドニスには、早いうちに言っておかなければなりませんね。その方が傷は浅くて済みます。私と、『彼』はね――」
「!?」
 何を、と言いかけて、その向こうに透けて見えそうなものに我知らずかぶりを振る。
 そこから先を言わないまま、変わらない笑顔でいるセレスティと、じわじわと追い詰められた獲物のように次第に目付きが鋭くなっていくアドニス。
 静かにはらはらと舞い落ちる桜を背景にしながら、実に対照的な『画』が、そこにあった。

*****

「全く。今日はどうなってるんだか」
 春から先、財団の所有する庭の植物が一斉に芽吹くこれからの季節の支度を忙しく送っていたモーリス・ラジアル。
 そんな彼の元に、予定していた筈の肥料や新たな苗がキャンセルされたと言う情報が入ったのは、つい先日の事だった。
 化学肥料や急激な成長促進を促す品々を嫌って、自らの足で探し歩いた品のほとんどが使えなくなったというのは納得がいかない。もちろん自らの能力を使えばそれなりの成果は上げられるだろうが、それはよほどの事が無い限りやりたくは無かった。
 ところが。
 今朝からあちこちに確認を飛ばしたところ、モーリス側が間違って受けた誤報であったり、店側の勘違いであったり……逆に店が信用出来ないのかと職人気質の店主に拗ねられてしまったりと散々な目に遭っていた。
 最後の電話確認を終えてため息を付きながら、モーリスがついぼやいてしまうのも無理は無い。
 ともあれ、植え替えと土や肥料の追加はなんとか予定通りに行きそうだからと自分を慰めていたのもつかの間、再び電話が鳴って半ば飛び上がる。
「……」
 また何か問題でも、と、一瞬ためらいはしたもののすぐに諦観の表情を浮かべて受話器を取り――そして、目を僅かに見開いた。
 受話器の向こうから流れて来るのは、柔らかな声。
 聞き間違える筈の無い、モーリスに庭の全てを任せてくれているセレスティその人だった。
『そういうわけで、友人とお茶会を開いてましてね。今から来ませんか』
 静かに、流れるような声――その向こうに、かすかに。ごくかすかに、笑みを含んだ気配がある。
『友人って――』
『待っていますよ。場所は分かるでしょう、この間まで丹念に世話をしてくれていたお陰で見事な花を咲かせた桜のある屋敷です』
 ――ん?
 セレスティが慌てたように言葉を被せる前。
 聞き覚えのある声が、耳に届きはしなかっただろうか。
「行きます」
 だからだろうか。
 即答してしまったのは。

*****

「キャロル!」
 驚いた声と共に駆け寄ってきたモーリスに、嬉しさと複雑な気持ちがないまぜになった表情を浮かべ、立ち上がって近寄る事も忘れてアドニスは彼を見詰めていた。
 一方のモーリスは、やはり電話から漏れ聞こえたのは彼の声だったと思いつつ、何故ここにいるのかが分からずこちらも戸惑った表情になる。
「どうしてここに……友人って聞いたけど」
「ええ。友人ですよ。――正確にはこれからなるのですけどね」
 うす曇りの天気の中でも、ほんのりと色付いた花がみっしりと咲き誇る桜の庭は、確かにお茶会でも開きたくなるだろう。自分で世話をしたのだから、それは自信を持って言える、
 けれど、この二人の間に流れている奇妙な雰囲気はなんだろう。モーリスが来た事で、雰囲気のベクトルが少々変わったように見えたが。
「何を話していたんですか?」
 勧められた椅子に座りながら、モーリスがどちらにともなく問い掛ける。
「たいした話ではありません。そうですね……強いて言うなら、私とモーリス、キミとの関係についてでしょうか」
「……は?」
 思わず目が点になったモーリスの隣で、じっとりとモーリスを見詰めるアドニスの視線にも気付き……そして。
 そんな二人の様子を見ながら穏やかな笑みを浮かべているセレスティの、その瞳の向こうにあるきらきらと楽しげに輝く光を見つけて、
「セレスティ様……やりましたね?」
 その言葉を聞いて、セレスティが心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。

*****

「すみません。最初は素直に招くつもりだったんです。本当ですよ?」
「いやもういい……分かったから」
 部下でもあり友人でもあり、ある意味では家族以上の存在とも言えるモーリスに大切な人が出来たらしいとセレスティが知ったのは、アドニスと初めて会ってから後の事だった。
 そこから先は推して知るべし。
 こうした機会をセレスティが逃す筈も無く。また、大事な友人だからこそ、相手がどの程度モーリスを大事に思っているか見極めようとしたのだろう。それが、こうした悪戯めいたお茶会になってしまったのはどうしてなんでしょうねぇ……と、うそぶくセレスティが優雅な手つきでお茶を口に運ぶ。
「でも、良い経験でした。キャロルがどれだけモーリスの事を想っているのか、教えていただけましたからね」
「っ!? って、何を、言ったんですか」
「――言えるかそんなこと」
 口に含んだ紅茶を吹き出しそうになりながらアドニスに視線を向けるモーリスに、ぼそりと応えるアドニスが、ぐいっとカップを煽る。
「それは、ねえ?」
 意味ありげな視線をまともに受けて、ほんのりと……桜の色を写したように白い肌に血の色を散らせたアドニスが、ふいっと横を向いた。
「まあまあ。スコーンでもいかがですか? これは自慢の一品でしてね……」
 お詫びのつもりなのか、アドニスの皿の上に次から次へとお茶菓子を積んで行くセレスティに、ちらりと視線を合わせたモーリスとアドニスが、ごくかすかに笑みを浮かべた。
「ふむ。こうやって積み上げたお菓子を見ると、まるでクロカンブッシュのようですね」
『っっ』
 セレスティの声に、思わず声を上げそうになる二人。
 計らずもふと同じ事を連想してしまったのが悔しいやら情けないやらで。
「――祝いましょうか?」
 それに気付いたか、再び悪戯っぽい笑みを浮かべたセレスティに、作法も忘れて慌てて言い訳を始めるモーリスと、ペースを崩されっぱなしで疲れたようにモーリスに寄りかかったアドニス。
 そんな二人を見詰めるセレスティの目は、とても柔らかな光に満ちていた。

*****

 尚、後日ではあるが。
 あの日、偶然にでも桜の様子を見に来させないように、と、肥料の予約キャンセルなどの誤情報を流すよう指示していたのがセレスティ本人だと知ったモーリスが、仕込みにそこまでやるかと脱力したのは言うまでも無い……。