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<PCゲームノベル・櫻ノ夢2007>


桜の樹の下で

 煌々と光る月の下に広がる桜の園。薄紅色、白、紅色の花が咲いている満開の林。
 そこはしんと静まりかえり、冷たい月の光だけが足下にはっきりとした影を映し出していた。
 いつどうやってこんな所に迷い込んだのだろう。それを不審に思いつつ、満開の桜の下を歩きながら、足は奥へ奥へと進んでいく。
「………」
 しばらく歩いていると、一本の樹の下で一人の男が立ちつくし、じっと天を仰いでいるのが見えた。長身で、長い髪を後ろでくくっているが、影になって顔がよく見えない。
 だがその視線の先にあるのは、奇妙な桜だった。
 緑の桜。
 満開なのに花弁が緑のせいか、何となく慎ましやかな雰囲気を感じさせる。静かに、ひっそりと桜の園の中で、佇むその姿。
 その不思議な光景に立ちつくしていると、不意に男が自分の方に顔を向ける。
「そんなところにいると、月と桜に惑わされる。良かったらここで少し花見でもしていかないか?この、緑の桜…『御衣黄(ぎょいこう)』の下で……」

「今月も厳しいな……」
 食卓テーブルを机代わりにし、守崎 啓斗(もりさき・けいと)はノートを見ながら頬杖を付いていた。その上にはたくさんのレシートと計算機。
 弟の北斗(ほくと)が夜遊びをしている間に、家計簿でも付けておこうと思い計算していたのだが、今月も食費で家計は厳しい。これも北斗がやたら食べたりするせいだ。どれだけ色々切りつめても、エンゲル係数の上昇だけはどうにもし難い。
「パンの耳とか、おからでかさを増すか、それとも……」
 数字を見つめていると何だか眠くなる。
 いや、そうじゃない。この季節は何かとナーバスになりがちだ。春は心が弾むなんて啓斗にはあり得ない。早くこの時期が過ぎ去ってしまえば、いつも通りになるのに。
「眠い……」
 きっと自分は疲れているのだ。少しだけ眠れば疲れも取れるし、そのうち北斗も帰ってくる。今日はどうやって玄関から入ってくるのだろう。言い訳めいた事を言いながら入ってくるのか、それとも案外堂々と玄関を開けるのか……。
 目を閉じる。心地よい眠気に身を委ねる。
 あと少し……もう少し寝かせて欲しい。そう思いながら啓斗が薄く目を開けた時だった。
「………!」
 目の前にあったのは、薄紅の林。どこまでも続く桜の園。
 気付けば今まで腕や頭を預けていた食卓テーブルもなくなっていた。見上げた空には、煌々と月が光っているのが見える。
「仕方がない、出口を探すか」
 無理矢理帰るのは最後の手段にしよう。薄紅色にうんざりしながらも、啓斗は黙々と林の中を歩いていく。
 普通なら、この桜に見とれるものなのかも知れない。
 だが啓斗にとって桜は忌まわしいものだ。出来ればここにある全ての桜を切り倒してやりたいぐらいで、鑑賞して心を奪われるなどあり得ない。
 飲み込まれそうなほどの薄紅。
 むせそうなほど香る若葉。
 その中を桜に目もくれず、足下を見ながらただひたすら歩く。そうしているとやがて、少しだけ変わった場所に出た。
「緑の桜?」
 その下で男が一人天を仰いでいる。薄紅色の林の中、その緑だけが妙に慎ましやかに見えた。男は啓斗に気付いたのか、目を細めながらこう呼び掛けた。
「そんなところにいると、月と桜に惑わされる。こっちに来て座るといい……ござぐらいなら用意してあるぞ」

 これは誰だろう。
 初めて会った男のはずなのに、その口調は全てを知っているような何かを感じさせた。啓斗はその男の側に近づき、御衣黄を見上げる。
「鬱金(うこん)とは……また違うのか?」
 啓斗の言葉に、男は花を指さし嬉しそうに笑う。
「鬱金なんてよく知ってるな。鬱金はつぼみが薄紅色で花の中も紅色だが、御衣黄は咲き始めから緑が濃い。花びらにも気孔があるから、花というよりも葉にかなり近いな」
 確かに御衣黄の方が鬱金よりも緑が濃かった。この桜は特にそれが顕著で、つぼみから花まで見事な若草色だ。
「これだけ緑だと、桜という感じがしないな」
「そうだな。桜だって言われなければ、通り過ぎるような花だ。良かったらここで少し座っていくといい。この時期は、よく月と桜に惑わされて迷い込む奴が多いからな」
 ここは世界のどこでもない場所にある、異界の花畑らしい。男はここの花守をしているということで、取りあえず殺気も敵意もなさそうだった。
 桜の下にはござが敷かれ、小さな和菓子などが置いてある。そこに座りながら啓斗は溜息をついた。
「切り倒したくならない桜が、一本でもあって助かった……」
「それは困る。花守が花を守れなかったら、何を言われるか分かったもんじゃない」
「昔色々あってな……薄紅色はあまり好きではないんだ」
 そう言うと啓斗は口をつぐんだ。
 この季節に気が沈む理由……そして、桜の木を切り倒したくなる理由。それは自分の父親が桜の妖魔と戦って相撃ちになり、啓斗の目の前で死んだからだ。その事を弟の北斗は知らない。いや、知らないままでいいと思う。こんな思いを共有させる必要はない。
「皆が皆、桜好きって訳でもあるまいよ」
 何も聞かず、花守はそれだけを口にした。そして啓斗の隣に座り、茶を点て始める。抹茶の濃い香りが、桜の匂いを打ち消す。
「取りあえず茶でも一服どうだ?」
「不作法で良ければいただきます」
「そんな堅苦しいことは言わんよ。第一俺だって適当だ」
 花守の前に正座し、啓斗は茶碗を手にした。

「うわー、先が見えねぇし。啓斗大丈夫かな……」
 手を伸ばせば、その先まで薄紅で染まってしまいそうな桜闇。その中を北斗はただひたすら啓斗の気配を頼りに歩く。
 気配はする。だから絶対ここにいる。
 もし何者かが自分達を引き裂こうとしても、それだけは絶対に出来ないという自信。
「ちゃんと、何があっても側にいるんだ」
 それが、北斗の足を前に動かすエネルギー……。

「しかし、ここまで薄紅色の海だと、帰るときには遭難しそうだ……弟が来るまで待つか」
 啓斗の前には薄茶を点てた茶碗、花守の前には酒の入ったぐい飲み。そんな不思議な酒宴の中、啓斗は少し遠くを見ながら呟いた。
 月に照らされる薄紅色の海。風が吹き木々が揺れると、それは波のように寄せては返す。
「弟さんとやらも、ここに来てるかね?」
「来るさ、あいつは絶対にな。だからそれまでの間、あんたと話でもしていようかと思ったんだ」
 ぶっきらぼうに啓斗はそう言うと、近くにあった和菓子に手を伸ばした。生クリーム入りの洋菓子は嫌いだが、練り切りや羽二重餅などは食べられる。
「ずいぶん自信があるんだな。俺も丁度退屈していたところだ、それまで何か話すとしようか」
 不意に二人の間を風が通り抜けた。その瞬間御衣黄が揺れ、二人に降り注いでいる月光も揺らぐ。
 妖魔の類ではない。だが、人間じゃない。
 啓斗が聞きたいことはたくさんあった。ここが何処かとか、何故自分達がここに来たのか……。しかし、それより先にこんな言葉が口をついて出た。
「まさかこんな場所で、目的もなしにずっといるわけじゃないだろう?何の目的で、何故この御衣黄の下にいた?」
 知りたいのはこの花守のこと。
 すると花守は手酌で酒をぐい飲みに注ぎ、啓斗を見ながら目を細める。
「目的か。しいて言うなら今の時期は桜の番人だ。さっきも言ったが、この時期は月と桜が人を惑わせて、こんな所に誘い込むからな……それに御衣黄ならどこからやってきても、この林の中では一番最初に目が留まる。他にさしたる理由はないよ」
 花守の言う通りだろう。自分の居場所さえ見失いそうな桜闇の中で、この御衣黄の緑だけが微かに光って見える。
 だが本当にさしたる理由はないというのか。理由がないのなら、何故花守は『月と桜に惑わされる』などと、意味ありげなことを言うのだろうか。
「ここの月と桜がどう人を惑わすか……あんたは知ってるんじゃないのか?」
 そう言った瞬間だった。
「救助隊到着〜」
 よく聞き慣れた声が啓斗の耳に届く。振り返るとそこには弟の北斗が立っていた。北斗はにこっと笑うと、崩れるように膝からござに座り込む。
「取りあえず、水一杯……広すぎて走ってたら、喉渇いた」
 やっぱり啓斗はここにいた。
 座っている花守が湯飲みに水を入れ、北斗に渡す。
「本当に来てたんだな。あんたが迎えに来なきゃ、兄にこの御衣黄残して一本残らず桜を切り倒されるところだった。取りあえず一休みしていきな」
「………」
 その言葉に北斗はちらりと啓斗を見る。相変わらず無表情だが、否定も肯定もしないと言うことは、あながち花守が言ったことも間違いではないらしい。
「桜全部切り倒す気合があんなら、どんな環境でも生きていけるわな〜」
 ぼそっとこう呟くと、啓斗の視線が北斗に向く。
「何か言ったか?」
「何も。あー、この水冷たくて美味い。もう一杯」
 二人のやりとりに花守が笑った。それは馬鹿にしているという風ではなく、二人の微笑ましいやりとりが羨ましいというような笑い方だ。
「好きなだけどうぞ。っと、さっきの話の続きに戻るか。『ここの月と桜がどう人を惑わすか、俺が知ってるんじゃないか』って話だったよな」
 それを聞き、いつもなら前に出て行く北斗が押し黙った。この時期、兄の気が沈む事は良くある。それが桜のせいなのではないかということは分かっているが、それについて突っ込んだ話をしたことはない。
 少し黙って二人の話を聞いていよう。近くにあった和菓子を一つ口に放り込む。
「そうだ。知っているのに、何故止めない?」
「……止められないからじゃないのか」
 何げなくその言葉に北斗が突っ込みを入れると、啓斗が横からものすごい勢いで裏拳を出した。
「うわっ、暴力反対」
「少し黙ってろ」
 兄が桜を嫌いなのは分かっている。でも、ここの桜たちに罪があるんだろうか。
 しばしの沈黙の後、花守は天を見上げ溜息をついた。
「知っていてもどうしようもないことはあるさ。ここの桜が人を惑わすのは花が咲く時期だけ……なら、その間本当に人を取り込んでしまわないように、俺は道案内をして元の場所に帰すだけだ。春が来れば花が咲くのと同じで、こればかりはどうしようもない」
「ならば、何故……」
 花が妖魔化するのか。
 その後の言葉を啓斗は続けられなかった。一人なら迷わず聞いていただろう……しかし今は北斗が側にいる。それを言ってしまえば、父の死の真実を教えることになる。
 花守は啓斗が何を言いたかったのか察したように、少し寂しげに笑い酒を飲み干した。
「どうしてだろうな。でも、人間に感情があるように、花たちにも心がある。それが時に極端に悪い方にぶれちまうのは、人も花も変わらんさ」
「まあ確かにその通りだわな」
 北斗はさっきから桜の樹の下で話をしている啓斗が、沈まないか心配していたのだが、緑の桜だとさほど沈む様子もないらしい。しかも無口な啓斗にしては珍しく、今日は何だか饒舌だ。まだ真剣な表情で花守を見ているその横顔を眺めつつ、北斗は御衣黄の花に模した和紙の花を作り、そっと横から兄の頭の上に乗せる。
「………」
 人も花も変わらない。
 その通りだ。別に桜の花全てが妖魔な訳ではないし、ここにある御衣黄や他の桜も自分達に敵意を向けたりはしていない。それは嫌と言うほど分かっている。
 それでも……きっと自分は桜を好きになれないだろう。そう思いながら黙っている啓斗に、花守がすっと立ち上る。
「御衣黄はな、接ぎ木や挿し木が枝分かれして出来ちまった突然変異種なんだよ。他の桜たちとは少し違う……だから俺はこの樹の下で迷い人を待つ。この林の中では一番最初に目が留まるし、誰もが必ずここに一度はたどり着くからな」
 月明かりが揺れる。立っている花守の表情が闇に隠れる。
「人も桜も変わらんよ。月と桜だけじゃない、時には人が人を惑わせる……桜が嫌いでも春は来るし、しばらくすりゃ嫌でも散る」
 くつくつくつ……と闇に笑い声が響く。それは笑っているはずなのに、何故か寂しげに桜の林へ消えていく。その闇の中から手が伸び、ある一方向を指さした。
「帰るならあの闇の方に真っ直ぐ歩きな。それで元の場所だ……ただし見慣れた景色に出会うまで、後ろは振り返るなよ」
「………」
 多分自分達が帰っても、花守は御衣黄の下で桜が散るまでずっと、迷い込んでしまった誰かを待っているのだろう。無言のまま啓斗が立ち上がると、北斗がその手を引く。
「おじゃましましたー。水どうも」
「どういたしまして。花、似合ってるぞ」
 そのまま北斗は啓斗が挨拶しようとするのにも構わず、闇の方へと歩いていった。少し強く握った手が温かい。
 薄紅色の林はしばらく続いたが、二人が闇へと一歩足を進めるたびに、それが少しずつ薄くなっていった。散る花びらもまるで雪のように消えていく。
「おい……」
「大丈夫、あの時と違って、ちゃんと横にいるからさ」
 あの時……父が死んだときに、自分は兄の側にいなかった。だからこれからは、何があっても側にいようと決めた。桜闇の中でも、それは絶対に変わらない。
「北斗……」
 それきり啓斗は黙って手を引かれていた。
 一緒に。ずっと一緒に。それだけがささやかな願いで……。
 しばらく歩くと見慣れた玄関の灯りが見えてきた。そこで啓斗は花守が最後に言った言葉を思い出した。
『花、似合ってるぞ……』
 あれはいったい何だったのか。そう思いながら頭に手をやると、かさっと言う音と共に何かが地面に落ちる。
「あっ、俺の自信作!」
「なっ……」
 それは和紙で作られた緑の花。自分はこれを頭に付けたまま、あそこで真剣に話をしていたのだろうか。それが急に恥ずかしくなり、啓斗は北斗を蹴り飛ばす。
「痛っ!」
「うるさい。家から閉め出してやる」
 これで、いつも通りだ。桜の時期もそのうち過ぎる。
 家まで走る二人の足下に、月がくっきりとした影を映し出していた。

fin

ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0568/守崎・北斗/男性/17歳/高校生(忍)
0554/守崎・啓斗/男性/17歳/高校生(忍)

◆ライター通信◆
初めまして、水月小織です。ご参加ありがとうございます。
今回は、緑の桜「御衣黄」の下での花見ということで、二人一緒の指定にそって話を書かせて頂きました。オープニングが少しだけ入れ替わっています。
桜に関する複雑な思いや、お互いが思い合う気持ち、絆などが書けているなといいなと思っています。人の想いは変わらずとも、季節はまた過ぎていく…という感じです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
イベントご参加ありがとうございました。また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。