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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


10年前の貸し



1.
「これがその手紙です」
 依頼人が草間に手渡したのはずいぶんと古びた手紙だった。
 中身を改めるが、依頼人から先に言われていた通り内容は非常に素っ気ないものだった。

『10年前にお貸ししたものを、返してもらいます』

 差出人の名前はない。宛先も文字がぼやけていて辛うじて判別できる程度だ。
「……で、あなたはその約束に覚えがない、と」
「そうなんです」
 依頼人は困り果てた顔で草間を見た。
「借りた覚えのないものを返せと言われても、いったい何のことかもわからないのに」
「で、その返しに来るというのはいつなんですか」
「その手紙によるとちょうどその日に、ということらしいんですが」
 依頼人が困るのも無理はない、肝心の日付を示す文字はぼやけていてきちんと読むことができない。
「お願いします」
 手紙を見て考え込んでいる草間に依頼人は縋るような目を向けた。
「この相手が何をわたしから奪おうとしているのか突き止めてください。そして、もし命に関わることなのでしたら助けてください」
「少し気になるのですが、どうしてこの文面から、命に関わると思われたんですか?」
 手紙を草間から受け取って目を通したシュラインはそう尋ねた。
 手紙には貸したものを返してもらうとしか書かれていないというのに、それを万が一としても命に関わるものだと思うには何か心当たりがあるのではないだろうかと踏んでの問いだった。
 命を狙われるかもしれないということは、何か後ろ暗いことが自分にあると依頼人が考えているからなのではないだろうか。
 その問いに、依頼人は不安げな顔になって草間とシュラインを見た。
「何故かは僕にもわかりません。けれど、何故かこの手紙を読んでから心がざわつくんです。何か、恐ろしいものがこめられているような、そんなものを感じてしまって」
「職業柄、感受性が豊かなためというわけではないのですか?」
 先程聞いたところによれば、男の職業は作曲家なのだという。草間は名前を聞いてもまったく知らなかったがシュラインは情報としては耳にしたことがあった。
 所謂癒し系と呼ばれるような曲調が主流で、一部では好評のようだ。
 そのような職業についているものは繊細な部分が多い。感じなくても良い悪意を掴んでしまうこともあるのではないだろうか。
 しかし、シュラインのその考えには、どうも依頼人は納得しかねるようだった。
「考えすぎ、ということが言いたいのでしたら認めます。昔からそのきらいは多かったので。でも、やはりこの恐れは何か原因があると思うんです。もしかすると、それが返して欲しいものなのかもしれませんが」
「でも、それだけで命まで普通考えるかねぇ」
 草間の疑問は至極もっともなものだろうし、依頼人のほうもその言葉にうなだれてしまった。
「とりあえず、手紙を預からせていただきます。後日また来ていただけますか?」
 シュラインの言葉に、依頼人は力なく頷いた。
「そうそう、あの手紙が届いたのは何日前でしょう」
 立ち去ろうとしていた依頼人にシュラインがそう尋ねると、少し考えてから答えが返ってきた。
「一週間ほど前です。確か、新しい曲が浮かんで、それをある程度作り上げた後だった気がします」
 それだけを言うと、依頼人は興信所を後にした。


2.
 依頼人を帰した後、シュラインは丁寧に手紙を調べてみた。
 消印はかすれていてきちんと確認できないが、うっすらと地名のようなものが確認できた。きちんとは読めないが微かに『村』という文字があることだけはわかった。
 日付のほうは雨にでも濡れたのだろうか、それとも故意になのか読み取ることは難しい。
 薬品か何かで消された痕跡はないが、紙の質を考えれば投函日は別としても手紙自体はひどく古いものだ。依頼人が嘘をついているのでなければこの手紙が書かれたのはかなり以前ということになる。
 返却期限が近付いたので投函したのか、それとも第三者がいままで隠していたのか。隠していたのだとしたら、それはいったい何故なのか。
「せめて地方が特定できないかしら」
 シュラインがそう呟くのを待っていたように、いつの間にか出かけていたらしい草間が、扉が開いて入ってきた。
「武彦さん、何処行ってたの?」
「CDショップにちょっとな」
 仕事を放り投げて何処かへ行くことはあるが、今回はどうやら違うようだった。
 草間の手には確かに近所のCDショップの袋、ならば中身も見当がつく。
「さっきの人のCD?」
「そういうこと。一応、聞いておいたほうが良いかと思ってね」
 言いながら、草間は買ってきたCDを無造作に手に取りオーディオに入れるとかけ始めた。
 この手の依頼人が作ったものとなれば普段は過敏なほど警戒することが多い草間だが、一般に売られているものなら安全だと思ったのだろう。
 数秒後、シュラインと草間の耳に心地よい音色が聞こえてきた。
 人の気持ちをリラックスさせるという点では非常に良い曲だ。
「良い曲ね」
 シュラインがそう言うと草間も頷いてから口を開いた。
「ついでに、ちょっとした噂も手に入れてきた。この依頼人の曲を聞くと、風景が頭に浮かぶことがあるっていうんだ。それも皆同じ風景が浮かぶんだと」
「ジャケットの写真からじゃないの?」
 シュラインがそう言ったのはCDジャケットに描かれていたのが何処かの地方の風景画だったからという理由もあったのだが、草間は軽く首を振った。
「その風景が浮かぶだけならともかく、風の音だの草の匂いだのまでは、それこそああいう感受性豊かな職業の専売特許じゃないか?」
「でも、これはそういうものはないわね」
 曲に何かがこめられているのだとしたら、シュラインならそれを感じ取ることができそうなものだ。
「作った場所が違うからかもな。特定の場所を思い浮かべて作曲をしたものにその現象が起きてるんじゃないかっていう話だ」
「その場所は?」
「それは誰も知らない。何せ、あの依頼人曲作りに詰まると昔からいろいろな場所を転々と旅する癖があったみたいでな」
「その場所、全部探すことはできないかしら」
 シュラインの言葉に草間は肩を竦めてみせた。どうやら関係者でも知らないのか行っている場所が多すぎて把握しきれていないのだろう。
 少し考えてからシュラインは草間にもう一度尋ねた。
「じゃあ、10年前に依頼人が行った場所まで絞り込んだらどう? 最近そこで大きく変わったことがあったとか、もしくは依頼人が二度とそれ以来行っていない場所とか」
「それなら、なんとか探れるかもしれないが、本人に聞いたほうが良くないか?」
 草間の提案に、シュラインは首を振った。
「依頼人は手紙から何かを恐れを感じていたのよ。仮にそこが、過去何か事件があったような場所だったとしたら、正直にそれを話してくれるとは思えないわ」
 それもそうかと草間も納得したのか、億劫そうに了解の旨を告げ、また何処かへ出かけていった。
 今度は草間もなかなか帰ってこず、シュラインはその間にネットなどから情報を得ていた。
 見えたという風景や音、などの噂を手繰っていったのだが、悪いものはない。みな、「あの場所へ行きたい」や「懐かしい思いがした」というような言葉ばかりだ。
 その場所が関わっているとして、どうして依頼人は何かを恐れているのだろう。
 シュラインにはどうもそれが納得できない。
「手がかりになりそうなものが見つかったぞ」
 そう言って草間が戻ったのは深夜近くになっていた。
「作曲家になって数年経ったとき、1週間ほど何処かへ行ってたみたいだ。場所は誰にも言わなかったがそこから曲調ががらりと変わったらしい」
「その場所は?」
「いま、それを聞こうと思ってな」
 そう言った草間の後ろには、連れてこられたらしい依頼人の姿があった。


3.
「どうして、その場所が関係あるんですか?」
 移動中からずっと依頼人はそう何度もシュラインたちに尋ねているが、それはこちらが聞きたい台詞だと思ったが口には出さなかった。
 依頼人がシュラインたちに教えたのは都心からかなり遠い山だった。そこへ向かっている途中なのだが、場所が近付くにつれて依頼人は徐々に落ち着きを失っていっていた。
 何がそんなに怯えることがあるのだろうとシュラインは怪訝に思い、草間は仮に犯罪者だった場合を想定して逃げないようにさり気なく依頼人の動向を警戒していた。
「ハイキングにしては、随分危なっかしい場所だな」
 山道を歩きながら草間がそうぼやきたくなる気持ちもわからないではなかった。歩いている道は随分と険しく、おおよそ気分転換や楽しむために行くような場所ではない。
「そうね、ハイキングには向かないわね。けれど──」
 と、そこで歩みを止めて、シュラインは依頼人のほうを見た。
「こんなに人目の着かない場所なら、命を断つつもりだったのだとしたら打ってつけかもしれないわね」
 途端、依頼人がびくりと身を竦ませた。もしかしてと思ったことがどうやら的中したらしい。
「おい、命を断つってつまり……」
「そういうこと」
 依頼人のほうは黙ったままだったが、小さくそれを肯定するように頷いた。
「そのつもりで、確かに来ました。10年前……」
「でも、何かに命を救われた。そして作曲家としても成功できた。そのことを、もしかして負い目として考えていたんじゃない? だから、返してくれといわれたとき、自分の命なんだと無意識に思った」
 依頼人は答えなかったが、間違ってはいないだろう。
「念の為聞くけれど、あなた、自分以外の人に危害を加えたわけではないんでしょう?」
「そんなことしていません」
 慌ててそう答えた依頼人に、シュラインは安心させるように微笑んで見せた。
「なら、大丈夫よ。きっと、この手紙を書いた相手はそんなつもりでこれをよこしたんじゃないわ」
「じゃあ、なんのためだ?」
「それは目的地に着いてからじゃないとわからないけれど」
 そう言って、シュラインは依頼人のほうを見た。詳しい場所を教えてくれという意味だ。
 小さく頷くと、依頼人は山道をゆっくりと進んで行った。
 ふたりが案内されたのは樹齢何年ともつかない巨大な樹の下だった。
「ここで、首でも吊ろうかと思っていたんです」
「でも、止めてくれた。いったい、何が?」
「声、です」
 その言葉にシュラインと草間は顔を見合わせ、依頼にはその反応に気付いて苦笑するように話を続けた。
「声が聞こえたんです。『周りを見ろ、お前なら感じられるだろう』って。その声に、ようやく僕は辺りを見渡しました。自然があれほど綺麗に見えたのは生れて初めてです」
 言われてシュラインたちもその樹の周りを見渡した。
 さっきまでは何の変哲もないただの山の風景としか思えなかったが、改めて見れば花々や虫が生きているこの光景には命がある。
 枝葉が擦れる音、鳥や虫の鳴き声、何処からか水の流れる音も聞こえる。
 それらが相俟って奏でる音は、命の音、死を考えていた人間を踏み止まらせるだけの力がそこにはあった。まして、それが音に対してのプロフェッショナルなら尚のことだろう。
「それから僕は山を下りました。早く曲を作りたかった。この風景を、この山が持っている記憶を、音を、自分の手で表わしたかった」
「それで、曲調が変わったっていうわけか。この山の影響で曲をいままで作り続けていた……待てよ」
 そこまで納得したような顔をしていた草間はシュラインのほうを見た。
「じゃあ、返してくれっていうのは、曲にした『音』か?」
「音というよりもそのときにもらった風景や記憶のほうじゃないかしら。返してくれっていうのも少しおかしいけれど。ねぇあなた、少しここでもらった音や記憶にだけ固執しすぎていたんじゃない?」
 シュラインの言葉に、依頼人は少し考え込んだ。
「その声の主も、ずっとここの音だけ作らせたくてあなたにこの風景や記憶を貸したわけじゃないんじゃないかしら。いまのあなたならもっと別のものからでも人の心に響く音色を作ることができるでしょ? だから手紙をくれたのよ。余計な負い目も一緒に返してくれって」
「でも、返すって言ったってどうやって……」
 困惑気味の顔になっている依頼人に、シュラインはにっこりと微笑んだ。
「簡単よ。ここにあるもの、いるものにありがとうとお礼を言って、心を動かせるものを探せば良いだけよ。手紙の主はとても寛大な心を持ってるようだもの」
 その言葉に促されるように、依頼人は木々や山に向かって丁寧に頭を垂れた。
 顔を上げたそこには、僅かながら何かに解放されたような表情が浮かんでいた。


4.
「結局、あの手紙はなんだったんだ? 送り主は誰だ?」
 依頼人を送り届けてから興信所に戻り、シュラインが入れた珈琲を飲みながら草間がそう尋ねると、シュラインはにっこりと笑った。
「あら、武彦さんは気付いてなかったの?」
「何にだよ」
「あの樹、随分と古くからあったみたいよ。多分、あの山の主なんじゃないかしら」
 シュラインの言葉に、草間は呆気に取られたような顔をした。
「じゃあ、何か? 樹が手紙を書いたっていうのか?」
「言ってたじゃない、声がしたって。自分の下で命を断たれるのはやっぱり困るものでしょう?」
「だからって、樹が?」
「自殺をしようとした場所に自分から足を向けてはくれないでしょうし、電話は使えない。ネットなんてもっと無理よね。だったら手紙ならまだ可能なのかもしれないわよ」
 そう言われても草間は首を傾げながら軽く唸っている。おそらく木の枝がペンでも持って便箋に文字を書く光景でも想像しているのではないだろうか。
 そんなことを考えて、シュラインはくすりと笑った。
 草間はどうやら気付いていないようだが、樹の根元に古いリュックサックが置いてあった。おそらくはその持ち主にでも書かせたのだろう。自殺を思いとどまらせることができるのなら、そのくらいの芸当は可能なのではないだろうか。
 それとも、とシュラインは考える。
 もしかすると、依頼人は覚えていないが立ち去る前に自分自身が樹によってあれを書かされていたのかもしれない。
 10年後の自分に向けて、おそらくはその頃になれば自分たちは不要だろうと考えて。
「真実は藪の中ならぬ山の中っていうのもミステリアスで良いじゃない」
 シュラインの言葉に、納得しかねているらしい草間はもう一度軽く唸った。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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0086 / シュライン・エマ / 26歳 / 女性 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
NPC / 草間・武彦

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■         ライター通信                    ■
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シュライン・エマ様

いつもありがとうございます。
男について作曲家で風景を借りたという案をいただき、何故手紙によって生命の危機を感じたのかという疑問も抱かれていたのでこういう形でまとめてみましたが如何でしたでしょうか。
土地の記憶を借りるために貸した代表として大樹を添えてみましたが、お気に召していただけると幸いです。
またご縁がありましたときはよろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝