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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


10年前の貸し



1.
「これがその手紙です」
 依頼人が草間に手渡したのはずいぶんと古びた手紙だった。
 中身を改めるが、依頼人から先に言われていた通り内容は非常に素っ気ないものだった。

『10年前にお貸ししたものを、返してもらいます』

 差出人の名前はない。宛先も文字がぼやけていて辛うじて判別できる程度だ。
「……で、あなたはその約束に覚えがない、と」
「そうなんです」
 依頼人は困り果てた顔で草間を見たが、その態度には何処か横柄なところが滲み出ている。
 ある程度の地位にいる者にありがちなことではあるが、所謂『勝ち組』と呼ばれる者の持つ独特の空気だ。
 会社の名前を聞けば草間でも軽く眉を寄せて「あぁ、あそこか」と言うような有名企業の社長ともなれば、なるほどこのような男が相応しいのかもしれない。
「借りた覚えのないものを返せと言われても、いったい何のことかもわからないのに」
「で、その返してもらいに来るというのはいつなんですか」
「その手紙によるとちょうどその日に、ということらしいんですが」
 依頼人が困るのも無理はない、肝心の日付を示す文字はぼやけていてきちんと読むことができない。
「お願いします」
 手紙を見て考え込んでいる草間に向かって依頼人は口を開いた。
 しかしその口調も人に何かを指示することに慣れた者のそれで、あまり頼っているという風ではない。
「この相手が何をわたしから奪おうとしているのか突き止めてください。そして、もし命に関わることなのでしたら助けてください」
 少々その口調に辟易しながらも、命に関わるかも知れないと言われては草間も断るわけにいかず、しかしこれだけでは手がかりが足りない。
 しかも、どうもこいつは少々きな臭いものがあり、草間は正直あまり関わりたくないと思っていたところだった。
「また、厄介事か?」
 仕事帰りだったのか、それともただ立ち寄っただけなのかは不明だが、現れてそう尋ねてきたヴィルアを見て、草間は助かったと思った。


2.
 その会社名も男の名前もヴィルアは聞いたことがあった。
 男のほうはというと、引き受けるのが草間でなくとも構わないのか、それともこういう手合いにはこちらのほうが打ってつけだと言ったからなのか不躾な目でヴィルアをちらりと見てから「お願いしますよ」と素っ気なく言っただけだった。
 もしかすると命を狙われているかもしれないと言う男にしては態度があまりに横柄すぎる。
(まぁ、それもしかたあるまい)
 この手の人間を数多に見てきたヴィルアは草間ほどあからさまに不快にはなりはせず、頭の中で依頼人の経歴を思い起こしていた。
 数年前、どん底の生活から突然莫大な金を手に入れ、その金を元にいまの会社を作り、その規模をいまも拡大していっている。
 簡単にいえばそんな感じだっただろうか。
 もっとも、その会社および目の前の男の噂に関しては、良いものを探すことはかなり困難だ。
 そもそものその会社を作るための元手になった金というのも、依頼人以外の近親者が誰もいない人間が死んだことによって得たものであり、その後の会社の運営にも泣かされているものは多かったはずだ。
 周囲の者の不幸と引き換えに己が富を得ている男。
 悪し様にそう罵っているものも少なくはない。
 そんなことを考えながら顔には一切出さずにヴィルアは依頼人に尋ねた。
「仮にこれが脅迫だとして、仕事上でこのようなことをしてくる者に心当たりは?」
「さぁ。私を恨んでいる者や妬んでいる者が多いことは知っていますが、ビジネスではそういうことは当たり前です。勝負に負けた奴のことなんていちいち気にしていたら仕事なんてやっていけませんよ」
「しかし、貴方も以前はその『負けた奴』だったと記憶していますが?」
 ヴィルアの言葉に、依頼人は不快そうに顔を歪めた。
「それは過去の話だ。確かに私は一度会社を乗っ取られた、家族も失った、いや、何もかもをだ。だが、私はいまこうして全てを手に入れた。私は断じて負けてなどいない」
「そう、貴方は全てを取り返し、またそれ以上のものをその手に掴まれた。それもたった数年で。その成長ぶりは目覚しいものがある。まるで──魔法か何かのように」
 ヴィルアの言葉に、依頼人は鼻で笑ったが、その顔は何故か微かに引き攣ったように見えた。
「教えていただけませんか。どうすれば貴方のように成功することができるのか。聞けば貴方は一度の挫折以降は一度も貴方のいう『負け』を経験していない。不自然なほどに」
「いい加減にしてくれませんか。私は手紙について依頼に来たんだ。何故私のことをとやかく聞かれなければならない? しかも、こんな中傷めいた言われ方で」
「中傷のように聞こえるのは、後ろ暗いものがある人間だけだと思いますよ」
「話にならん!」
 ヴィルアの挑発に、男は憤然とした態度で椅子から立ち上がった。
「そんな話ならこれ以上付き合う気はありません。依頼は言った、前金も十分すぎるほど渡したはずです。くだらないことを詮索する暇があるならそちらを解決していただきたいものです、怪奇探偵さん」
 黙って聞いていた草間もその口調には流石にむっとしたのか詰め寄ろうとしたのをヴィルアが制した。
「では、ひとつ解決に繋がりそうなものをお聞きしましょう」
「やっとですか。なんです」
 見下した目を向けている依頼人に、ヴィルアはあくまで表面的には紳士的な態度を崩さないまま口を開いた。
「貴方がいま身につけているソレは、いったいなんですか?」
 途端、依頼人の顔色が変わり、手に持っていた鞄を強く握り締めるとじろりとヴィルアを睨みつけた。
「……俺の守り神を何故知っている」
 もともとはこちらが本性なのだろう口調につい戻ったことにも気付かずそう尋ねてきた依頼人に、ヴィルアは薄い笑みを浮かべた。
「知っているのではなく、感じたのですよ。貴方の鞄の中に入っているものをね。どうやら呪具のようですが、それを何処で──」
「これは俺がもらったんだ! 依頼とは関係ない!」
 そのまま扉から出て行こうとする依頼人と扉の間に草間が自然と入り込み、すっと鞄を奪い取った。
「何をする!」
「依頼された調査に必要なので改めさせてもらうだけですよ」
 どうやら余程依頼人の態度に腹を据えかねていたのだろう。そのまま許可も得ず草間は鞄の中を見た。
「……なんだ、これ?」
「返せ!」
 よく見ようとする間もなく、草間から鞄を奪い取ると依頼人は扉のほうへと走っていった。
「お前らこんなことをしてただで済むと思うなよ。必ず後悔させてやる!」
 慌しく走り去っていくその姿は会社のお偉方というよりもただのチンピラのようにしか二人の目には映らず、顔を見合わせると肩を竦めた。
「報復にでも出るっていうのかね。こんな事務所すぐ潰せるっていうつもりか」
「おい、武彦。お前、何を見つけた」
 悪態をついている草間は無視してヴィルアは先程見たらしいものについて尋ねると、草間は少し考え込んでから口を開いた。
「気のせいかもしれんが……腕のようだった」
「腕?」
「干からびてミイラみたいになってたが、あれは腕だな。でも、なんだってそんなもの抱え込んでる? 人を殺したにしてもその一部をなんて馬鹿な真似はああいうシャチョウはしないもんだろ」
 その言葉を聞いてからヴィルアは少し間を置いてから口を開く。
「ああいう手合いは己の手は汚さんだろうな。まして、殺人の嫌疑がかけられるようなものを持ち歩くような馬鹿なことは決してしない」
「じゃあ、あの腕は何だ?」
 草間の問いに、ヴィルアは至極当然という口調で答えた。
「言っていただろう? 奴の『守り神』だと。返してくれというのは、アレかもしれんな」
「守り神? 干からびた腕が? そんなもの、明らかに犯罪行為じゃないか」
「確かにただの腕なら犯罪だ。だが、奴はこうも言ったな。もらったんだ、と」
「……じゃあ、誰かがあの腕を奴に渡した」
「そして、それを奴は自分のものになったと思い込んでいる。が、そうじゃなかった。『守り神』は期限付き。そして、その期限が切れたので返却を求めている。そういうところか」
 言いながら、ヴィルアは席を立った。いまからならすぐ依頼人に追いつくことができるだろう。
「なぁ、お前、腕と聞いて妙に納得したように見えたが、アレの正体に心当たりでもあるのか?」
 草間の言葉に、勘の良い奴だなと少々感心しながらヒントだけを提供することにした。
「もっとも有名な話としては、昔、ある老夫婦の元へ幸福と禍をもたらしたもの、というのがあったかな」
 それだけ言うと、ヴィルアは依頼人を追って外へ出た。


3.
 てっきり自宅へ戻るかと思っていた依頼人は、まったく違う場所へと向かっているようだった。
(呼ばれてか自覚してかは怪しいものだな)
 そう思いながら後を付け、辿り着いたのは人気のない路地裏だった。
 依頼人は鞄を握り締めたままその場に立ち尽くしている。
「ここが、始まりの場所というわけですか?」
 ヴィルアがそう声をかけると、弾かれたように依頼人がこちらを見た。
 何かに追い詰められている暗い目だ。
 凶暴な光もやや帯びたその顔が、おそらくそのとき依頼人がここへ来たときのものなのだろう。
「──つけてきたのか」
「詳しい説明を聞いていませんでしたのでね。それによって、私も方針を決めなければいけないもので」
「人のものを無理矢理見るような興信所への依頼を取り消さないとでも──」
「貴方、願いをいくつ叶えてもらいました?」
 社長というふうにはとても思えない男の言葉を遮ってヴィルアがそう尋ねると、相手は凍りついた。
「なんのことだ」
「草間が言っていませんでしたかね。それとも聞いていなかったのか。こういうことには詳しいんですよ。貴方の持っているソレの正体も見当はついている」
「──これは」
「猿の手。そう呼ばれることが多いものの一種だ、違いますか?」
 言い繕う方法を考えていた依頼人にその隙を与えずヴィルアは断定するように言い放った。
「思い出したんですよ。貴方が挫折から立ち直るきっかけになった遺産を手に入れたのはちょうど10年前。手紙の年月とも符合する」
「これはもらったんだ! 返せとは言われていない!」
「それは貴方の思い込みだ。聞かされていなかっただけで期限はあった。だから、もう一度同じことを聞きたいんですよ……ソレにいくつ願い事を叶えてもらいました?」
 ヴィルアの言葉に気圧されてか、依頼人はその場にへたり込んだ。
「少なくとも、一度は叶えてもらっている。それはわかっている。そして、貴方はその手の力を知った。問題は、その後の貴方の選択だ。またそれに願いを聞いてもらったのか、それともやめたのか」
「……渡されたときは、信じていなかった」
 消えそうな声で依頼人はそう呟き、話し始めた。

 10年前、何もかも失い自暴自棄になっていた頃、依頼人はここである男に出会った。
 良いものをやると言って歯のない口で笑う男を薄気味悪いと思いながらも、もはや失うものなど何もなかった依頼人はその男の話を聞いた。
 そして、それを手渡された──猿の手だと男は言ったらしい。
 勿論、依頼人もその物語なら聞いたことがある。
 願い事を3つ叶えてくれる魔法の道具。
 馬鹿馬鹿しいと思いながらも、依頼人はそれを受け取った。藁にでも縋りたい気分というのはああいうことを言うのだろう。
 いかにもインチキだとわかっているものだとしても、幸福を与えてくれるというその言葉だけにでも縋りたかった。
 そのとき依頼人は、遠縁の叔父にあたる人物に会う約束をしていたところだった。目的は勿論、そのときの窮状を救ってもらうこと。
 しかし、その叔父には、いや、誰にもとうに見捨てられていた依頼人はその願いが聞き届けられないことを知っていた。それでも縋らざるを得なかった。
 男からもらった腕は、そんな心情の気休め代わりとして鞄に入れていた。干からびた腕になど何も期待していなかった。
 そして、叔父の家へ行った依頼人は、要求を言いきる前に、相手のほうから拒絶された。それも、酷く侮辱的な罵りを受けて。
「……のたれ死んでしまえと言ったんだ、あいつは。お前のような負け犬にくれてやるような無駄金はないと」
 そのときに向けられた目を、依頼人は未だに覚えている。まるでゴミでも見るような目。
 それを見た瞬間依頼人の中に渦巻いていた憎悪が爆発した。
(お前こそ死んでしまえ。お前が死ねば、俺はお前の遺産を手に入れる。老い先短いおいぼれのくせに俺を見下すのか。さっさと死ね……死んでしまえ!)
 その途端だった。
 叔父の口から悲鳴が漏れた。尋常の悲鳴ではない。
 まるで何かに内側から身体を食い破られているような、全身を一寸刻みに切り刻まれているような、つい先程まであんな傲慢な態度を自分に向けていた者が発するとは思えないような惨めで、しかしそれ以上に聞いている依頼人さえ震え上がるような悲鳴だった。
 しばらくの間、叔父はまるで依頼人に土下座するような体勢で床に這いつくばり苦悶の声を上げ、そして、死んだ。
 依頼人はただそれを、呆然と眺めていた。いったい何が起こったのかさっぱりわからなかった。
 持病があるなどということは聞いていないし、仮にそうだとしてもついさっきまであれほど元気だったものがあんな苦しんで突然死ぬなどということがありうるだろうか。
 呆然と立ち尽くしていた依頼人に、その声が聞こえてきたのはそのときだった。
 ぞっとするような声だった。人のものとはとても思えないような声に、依頼人は慌てて周囲を見渡した。
 そして、今度こそ背筋に冷たいものが走り、恐怖のあまり悲鳴さえも出すことができなかった。
 窓辺に、いつの間にか一匹の猫が座り込んでいた。
 その猫が、にたりと笑ったのだ──まるで人間のように。
『コレデ願イハ残リフタツ』
 その顔は、腕を依頼人に与えた男そっくりだった。

「そして、貴方はその金を元手にいまの会社を作った」
 ヴィルアの言葉に、依頼人はゆっくりと頷いた。
「確かにそれは一種の猿の手、その持ち主の願いを3度だけ叶える呪具だ。しかし、その一度目の願いで貴方は知ったはずだ。そのためには他の者の不幸──ときには命が必要だということを」
 猿の手と呼んではいるが効果は作った術者によって様々だ。
 草間に言ったように幸福と不幸をともに持ち主に与えるものもあれば、他人の不幸を糧に持ち主に幸運をもたらすものもある。今回のものは間違いなく後者だ。
 そして、依頼人に対する社会の評判はまさにその持ち主として相応しいものだった。
 曰く、『他人の不幸でのし上がってきた男』。
 さて、とヴィルアは依頼人に再度尋ねた。
「貴方が叶えてもらった願いは、いくつですか?」
「一度……だけだ」
「本当に?」
「俺が嘘をついているとでも言うのか!」
 依頼人の目には救いを求めている者の目ではなく、何処か狡猾さが感じられた。ヴィルアはそれがどうも気にかかる。もっと正確に言えば気に食わないといったほうが良いのかもしれない。
 最初の願いのときにその力を知り、その力を恐れて以来使っていないというのなら、術者にそれを渡せば話は終わりだ。
 だが、いまの言葉を信じるには一度願いを叶えてからの依頼人の行動が引っかかる。
 自らが負け犬と蔑まれていた男は、いまは同じく負け犬だった者を蔑み、弱者を蹴落とし、彼らの不幸で成功を掴んでいる。
 そんな男の言葉を鵜呑みにするようなヴィルアではない。
 しかし、とヴィルアは考えた。
 男の功績と願いの数が合わないのだ。
 何度も男の会社やその身辺では不穏なことが起きている、窮地に陥りそうなスキャンダルも耳にした。しかし、それらは全て解決し、その度にライバル会社やスキャンダルの元となっている者たちは破滅している。
 猿の手の効果かとも考えられるが──数が多すぎる。
 これはどういうことだとヴィルアが考えている間に、依頼人はじりじりと後ずさり、その場から逃げようとしていた。
「こいつは…守り神なんだ……これさえあれば俺は、もう、負け犬にならない。なって、たまるか! なるのはあいつらだ! 俺を見下した奴、俺より幸福な奴、邪魔な奴、あいつら全てを蹴落としてやるまでこいつは渡さない。永久に俺のものだ!」
 ヴィルアを、いや、依頼人を取り囲む全てのものに対して嘲るように呪うように依頼人がそう叫んだときだった。
「──ようやく、言うたなぁ、3つ目の願いを」


4.
 不意に、そんな声がヴィルアの耳に届いたが、それ以上に目を引いたのは依頼人の反応だ。
 その目に浮かんでいるのは、明らかに恐怖に満ちた目だった。
「ち、違う! いまのは願いじゃない! こいつに願ったんじゃない!」
 怯えた依頼人の目線の先を追うと、そこにはいつの間にかボロを纏った老人が立っていた。
 その顔は一面皺だらけで、歯のない口は笑みを浮かべているが酷くそれが醜く不快な気分にさせるようなものに映った。
「お前が、あの手の持ち主か」
 ヴィルアの問いに、男はにたりと笑って首を振った。
「儂は作るだけよ。使いはせん。持ち主は、あの男じゃ。ついさっきまではな」
 にたりにたりと男は笑いながらヴィルアを見た。
「お前さん、良い線をいっておった。あの男の成功は願いで叶えられる数には多すぎると。確かに、あの男は願いをいままで2つしか叶えておらんかった。2つ目は、人を殺したときだったかのぅ。ま、その辺は儂には関係がない」
 依頼人は、なんとかその場を逃げ出そうとしているようだったが、その場でもがきはしても足どころか身体もまともに動かすことができないようだった。
「では、それ以外はどうしておったか。お前さんならすぐわかるじゃろう?」
「……成程、そういうことか」
 すぐにヴィルアは男が何を言おうとしているのかがわかった。
 叶えてくれる願いは3つだけ。数に限りがあるものをそうやすやすとは使えない。ならば、どうするか。答えは簡単だ。
 自分の手でそれを行えば良いのだ。
 猿の手には願わず、自分の頭で考え、他人を騙し、裏切り、蹴落とし、その不幸の上に自分の幸せを掴み取る。
 もしかすると、男はその手段も1度目の願いのときに得ていたのかもしれないし、もともとその素質があったのかもしれない。
「あんなものがなくとも、あの男はそのうち成功してたじゃろうて。こういう男はなかなか見つからんでな、随分待ったぞ。しかし、その甲斐はあったわ」
 にたにたと笑みを浮かべながら男はゆっくり依頼人のほうへと近付いていった。その手には鉈のようなものが握られている。
「残念じゃったのう。3つ目を言わなければ返すだけで済んだのに」
「お、俺は言ってない! これは、罠だ! お前がハメたんだ!」
 依頼人の言葉に男はうんうんとわざとらしく頷いてみせていたがその顔には相変わらず不気味な笑みがある。
「しかし、お前さんは言うてしもうた。まぁ、ちょうど良い願いじゃろう。これからお前さんはいろんなものを不幸にしていく。お前さんより幸福なもの、見下したもの、いろいろとな」
 笑いながら、男はゆっくりと鉈を振り上げる。そのときになって、ようやく依頼人はヴィルアのほうを見た。
「助けてくれ! 俺を、俺を助けてくれ!」
 しかし、ヴィルアはその言葉を冷たく聞き流した。
「他人の不幸を知りつつ願ったのだろう? 代償ぐらい支払え」
 その言葉を合図にするように、男は鉈を振り下ろした──依頼人の左手首へと。
 周囲に、依頼人の絶叫が響き渡った。

「少々、やり方が強引過ぎる気もするのだがな」
 死んだようにその場に蹲っている依頼人は無視してヴィルアは男に声をかけた。
 相変わらずにたりと笑いながら男は先程まで依頼人の身体と繋がっていた左手を小汚い袋へと入れていた。
「これだけの業を重ねるものはそうおらんでな。どうしても欲しくなったんじゃよ。それに、あの場で何も願わずに返しておれば、こんなことにはならんかったぞ」
「3つ目の願いは叶えられていない気もするが」
 その言葉に、男は歯のない口を大きく開いて笑みを浮かべた。
「叶うさ。『こいつ』がその願いを叶えてくれる。これを渡したくなるような者はなかなか見つかりそうにないがな」
 さて、と男はゆっくりと何処かへ向かって歩き出した。
「少々これから忙しくなるわい。こいつを早く完成させてしまわんと。何せ、欲しがるものは多いでな──猿の手というやつは」
 その言葉とともに男の姿が消えるのを見送ってから、ヴィルアもその場を立ち去った。


5.
「つまりは、彼曰くの猿の手というやつの正体はそれに願いを叶えてもらった者の手というわけか」
 カタン、とグラスをカウンタに置いてから、男はくつりと笑いながら言葉を続けた。
「成程、成程。確かに、『猿』の手だ」
 ヴィルアの話を愉快そうに笑いながら聞いていた男の名は黒川。場所は、黒猫亭である。
「3つ目は強引だというのは僕も賛成だ。だが、手の作り主の考えにはもっと賛成だね」
「いままでしたことを思えば騙してでも代償を支払わせるべきだ、というわけか? 存外倫理観があるのだな」
「知らなかったのかい? 僕はこう見えて正義感には熱いんだぜ」
 にやにやと馬鹿にしたような笑みを浮かべながらそんな言葉を吐いたところでヴィルアはもとより誰も信じなどしないだろう。
「本当のことを言え。お前、この話を聞いてからやけに愉快そうにしているが、何を期待している?」
 ヴィルアの言葉に、黒川はにやりと笑った。その笑みは先程見た術者のそれによく似ている。
「その男は、随分と賢い男だったようじゃないか。猿の手を使わずに、狡猾に他人の不幸を糧に自分の益を手に入れる術を一度用いた呪具からすぐに学び、それをなし遂げることができた。そんな男の手で作った『猿の手』を用いたら、さて、いったいどれほどの不幸を見返りに持ち主に幸運をもたらすようになると思うかい?」
 くつくつと黒川は愉快そうに笑っている。
 そしてその言葉にヴィルアも成程と納得した。
 新しい猿の手が作られるたびに、おそらくアレは力を増しているのだろう。次の猿の手に相応しい者、前以上に優れた力を帯びるようなものへと伝わり、猿の手は力を増していく。
 そして、あの男から作ったものなら、さぞかし絶大な力を発揮することは間違いなさそうだ。
「しかし、そんなものを渡す相手はなかなか見つからないかもしれないね」
 そう呟いた黒川に、今度はヴィルアが軽く笑って顔を見た。
「なに、ああいう手合いはいくらでもいるものだ。存外、もう次の相手は決まっているのかもしれんぞ」
「ふむ、かもしれない。僕はどうも、そういうことには疎くてね」
 何処までが本心か掴みかねる言葉を吐いている黒川を横目で見てから、ヴィルアはいつの間にか置かれている新しいグラスを掴んで軽く口をつけてから、思い出したように口を開いた。
「そういえば、先日この店でマッチをもらったな。以前ももらったが、色が違った」
 少々気になっていたことなので何気なくそう尋ねたつもりだったのだが、黒川の反応は違った。
「ほう」とこの男にしては随分と驚いたような顔をして見せて、しかしすぐに見慣れた何かを企んでいるようなにやにやとした笑みを浮かべだした。
「そうか、あれをもらったのか。久し振りにそれを聞いた」
 言いながら、黒川はコートのポケットに手を突っ込んで出して見せたのは、ヴィルアが以前もらったものと同じマッチ箱だ。もっとも、随分古びてはいるが。
「何か特別なものなのか?」
「普通のマッチさ。普通に使う分にはね、しかし、少しばかりおもしろいこともできる」
 そう言いながら、黒川はマッチを一本取り出すとしゅっと火を灯してみせた。
 翠の炎が淡く店内を照らし、すぐ消えた。
「この店でひとりきりになったとき、灯してみると良い。もしかすると、滅多にお目にかかれないものに出会えるかもしれないよ」
 ただし、と黒川は付け加えた。
「数に限りはあるし、多用はお薦めできない。今回の被害者と同じでね。彼のほうも何が忙しいのかひとりでいてもなかなか顔を出さないときも多いからね。まぁ、求められればやってくるだろう」
 詳しくは本人に聞きたまえと言って黒川はにやりと笑った。愉快なことがまた増えたという顔だなとヴィルアには感じられた。
「機会があれば、そうさせてもらおう」
「そうしたまえ。さて、今日は久し振りに奢ろう。いろいろと楽しみが増えた礼だ」
 勘定を払ったところなど見たことがないのだがなとヴィルアは思ったものの、その提案は受け入れることにした。
 しかし、同時にふとあることが頭を掠めた。
 この男の奢るという甘言に、はたして何度まで応じても良いものだろうと。
 猿の手などよりも、こちらのほうがずっと曲者だ。
 そう思っている間にも、いつの間にか新しいグラスが目の前に差し出されていた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)       ■
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6777 / ヴィルア・ラグーン / 28歳 / 女性 / 運び屋
NPC / 草間・武彦
NPC / 黒川夢人

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■         ライター通信                    ■
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ヴィルア・ラグーン様

いつもありがとうございます。
猿の手、使用した回数によって対応が変わるということでしたのですが、3つ目を叶えていた代償の案がとても魅力的でしたのでこのような形にさせていただきました。
お気に召していただければ幸いです。
いつも黒猫亭や黒川を締めとして使ってくださり誠にありがとうございます。
マッチについては本文でも書かせていただきましたが、少々補足いたします。
『彼』とは黒猫亭主のことです。
会うための条件はいくつかあるのですが、それは本文にて黒川が言った通りです。
不明な点、リテイク等がありましたらお尋ねくださいませ。
またご縁がありましたときは、よろしくお願いいたします。

蒼井敬 拝