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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


銘記忘却


 −分からない。何故ここにいるのか、家族友人の存在は愚か自分の名でさえ。何一つ、この心に残ってはいなかった。

 もう桜が咲き始めてもおかしくない季節だと言うのに、外はまだ肌寒い。出掛けるにはコートが必要だと言う寒さの中、ワンピースに裸足という何とも奇妙な格好で興信所を見上げたままずっと立ち尽くしていたと言う少女を零が連れて来たのはつい先ほどのことだった。
 そして今、その少女は草間と向かい合うようにして座っている。
「……で?おまえは何だってあんなところに居たんだ」
「…………分からない」
 草間の問いに対して数秒黙り込んだ後、少女は小さな声でそうポツリと呟いた。力ない虚ろな瞳に光はなく、ここではないどこかを見ているように思える。
「何も、覚えてない。気がついたらあの場所にいた」
「何も?自分の名前もか」
「な、まえ?」
 ”名前”が何か分からないかのようにぎこちなく発音した少女を見て、草間は眉間に皺を寄せた。
 −おかしい。自分の名などを忘れてしまうケースは多々あるといえ、その他の、例えば生きるために必要な知識の一切を忘れてしまうというケースは珍しいのだ。
 しかも、非常に厄介である。
「……名前。うん、分からない」
 ふるふると小さく首を振り、少女はしゅんと俯いてしまった。煙草に火をつけ、草間は訝しげに少女を見つめたまま黙り込む。何かがおかしいと思うのに、少女から感じる違和感と不思議な気配の正体が分からない。
「兄さん、珈琲淹れましたよ」
「あぁ。……これが何か分かるか?」
「黒い……水?」
 こてんと首をかしげ、暖かそうに湯気を立てる珈琲を少女は不思議そうに見つめている。”水”が分かると言う事は、全てを忘れてしまっているわけではないらしい。
「はぁ……。何か覚えている事があったら教えてくれ」
「……何かから、逃げたかった気がする。覚えてるのは、大きな梅の木だけ……」
「なるほど。……取り込まれたのかもしれないな、霊や物の怪の類に。さて、どうするか……」
 人間であるはずなのに、彼女から感じるのは霊の気配。厄介な事になったな、とため息をつきつつ草間はガチャリと受話器を取った。
 何となく顔が浮かんだ、と言うのが大きな理由であったけれど、シュラインならこの件をうまく処理してくれる気がする。
「怪奇はお断りだって言うのに、どうしてこう奇怪の依頼ばかり来るんだ」
 心底嫌そうな声色であったけれども、そのぼやきはいつものようにただ宙に霧散していくだけであった。




「…………武彦さん」
 興信所の近くにいたのか、草間が電話をかけてから幾許も経たないうちに興信所へとやってきたシュラインは、まだ幼さの残る少女の前でタバコを吸う草間の姿を見、呆れたような困ったようなため息をついた。
「こんな小さな子の前でタバコ吸っちゃダメだわ」
 諭すような声色と共にぎゅっ、と耳を引っ張られて草間が情けない声を出す。
「い、いてててて……!」
 煙草が何か分からないのだろうか、少女は不思議そうに消えていく煙を目で追っていて嫌そうな顔をしているわけではない。とは言え、幼い子供の前では煙草を控えるものではないのだろうか、とシュラインはこっそりと苦笑した。
 渋々とタバコの火を消す草間を確認しつつ、シュラインは少女と正面から視線を合わせてふわりと優しい笑みを浮かべる。
「初めまして。貴女が武彦さんが言っていた子ね?私はシュラインよ」
「しゅら……い?」
 優しいシュラインの表情に一瞬びくりと身体を揺らした少女は嬉しそうな怖がっているような複雑な表情を浮かべ、じっとシュラインを見上げて固まった。どうすればいいのか分からない、と言うように−。
 そんな少女の様子に気づいたシュラインが、優しく少女の頭を撫でる。そっと自分に触れる温もりに安心したのか、少女はシュラインを見つめてふわりと無邪気な笑みを浮かべて見せた。
「ねぇ、もう武彦さんに聞かれたと思うのだけど……貴女が覚えている事、もう一度教えてもらえないかしら?」
 草間の隣に腰を下ろすシュラインを視線で追いつつ、少女はコクリと小さく頷いて記憶を辿るようにゆっくりと話し始める。手がかりは、少女の記憶の中にしかなかった。
「ん。……大きな、梅の木があったの。わたし、いっつもその木を見上げてた気がする……。散ってく花びらが綺麗で、でも悲しかった」
「梅の木を、下から見上げてたの?」
 少女自身が記憶している事柄が少ないなら、その限られた情報の中から何らかのヒントを得なければならない。何一つ見落としをしないよう、シュラインは少女の言葉に集中する。小さな違和感が解決への糸口に繋がる事も多いという事を、経験上知っていたから。
「うん。四角い枠の向こうに見える梅の木を、じっと見てるの」
「四角い枠?」
「……窓のことじゃないか?」
 珈琲を飲みながらポツリと呟かれた草間の言葉に、納得したようにシュラインが頷く。
「となると、室内から梅の木を見ていたってことになるわね。……ね、ちょっと足を見せてくれる?」
「うん……?」
 了解をとり、シュラインはひょいと少女の細い足を持ち上げる。何故か少女は裸足で、その足の裏には治りかけた傷と小さな切り傷、土が少しだけついていた。それを見てシュラインは何かを考えるように黙り込む。
 ひょいとシュラインの隣から顔を出した草間も、少女の足を見て同様に黙り込んでしまった。
「小さな傷がついてるな……コンクリートで擦ったにしちゃ、おかしくないか?シュライン」
「えぇ……変だわ。それに、大きな方の傷はもうほとんど完治してる……」
 擦り傷ではなく、切り傷。それも、傷には少し土が入ってしまっていて。コンクリートの上を歩いただけでは絶対に出来ないような傷だと、一目見ただけで断言できる。
「この傷の事、何か覚えてないか?」
「何でもいいの。思い出せない?」
「きず……?」
 シュラインと草間の二人に顔を覗きこまれ、少女はきょとんと二人を見つめた。どうやら、自分の足に傷跡があると言うことに気づいていなかったらしい。
「……痛くないの?足」
「ん……ちょっと、変な感じ」
「ま、とりあえず消毒だな。零、頼む!」
 草間に呼ばれた零が、救急箱を持って少女に近づく。消毒液の匂いが苦手なのか、逃げ腰になっている少女を上手く宥めつつ零は傷口についた土を丁寧にとり始めた。
「痛かったら言ってくださいね?」
「ん」
 少女は手当てされていく自分の足を不思議そうに見つめている。どうやら、痛みはないらしい。
「どう思う?シュライン」
 そんな二人の姿を眺めながら、草間が疲れを滲ませた声色でポツリと小さく呟いた。お手上げ、と言いたげなその声色にふっと優しい笑みが浮かぶのを自覚しながら、シュラインは草間と視線を合わせる。
「そうね……まだ情報が少なくてなんとも言えないわ。ただ、梅の木はそんなに事務所から遠くない所にあると思うの」
「何故だ?」
「あの子の足で移動できる範囲がそんなに広いと思う?しかもあの子、裸足なのよ」
 ”なるほど”と草間が頷くが、何かが引っ掛かっている気がしてシュラインは頭の中で情報をもう一度整理し始めた。見落としがないか、情報を整理しつつ考える。何かを見落としている気がしてならなかった。
「ねぇ、武彦さん。あの子、手ぶらでここに来たの?」
「あぁ。……ん?いや、そう言えばチリチリ鈴みたいな音がしてたような……」
 顔を見合わせたシュラインと草間が同時に少女へと視線を移す。丁度手当てが終わったらしく、少女は足に巻かれた包帯を煩わしそうに触っていて。
「ね、ちょっと立ってみてくれる?」
「たつ……?うん!」
 シュラインが声をかけると、少女は嬉しそうに頷いてぴょんとソファを飛び降りた。と同時、辺りに響いたのは”チリン”と言う鈴の音色。
「ポケットの中に入ってないか?」
「ぽけ、っと?」
「ちょっとごめんなさいね」
 ポケットが何か分からないらしい少女に一言断りをいれ、シュラインがワンピースのポケットの中にそっと手をいれて何か細長いものを引っ張り出した。
「武彦さん、これって……」
「どうみても首輪だな。しかも、鈴がついてる……」
 少女のポケットから出てきたのは、小型犬や猫に付けるような鈴つきの首輪。それも、使い古してあってお世辞にも綺麗とは言えず、金具も壊れてしまっている。
「どういうことなのかしら……」
「もしかしたら、だが。正体は人間ではなく小動物だってことか……?」
「……その可能性も十分あるわね。貴女、この鈴に見覚えない?」
 シュラインに首輪を手渡された少女は暫し唖然としたように首輪を見つめたまま固まり、そして−。
「っ……!」
 大切なものを扱うようにそっと、酷く優しい動きで首輪をその胸へと抱き寄せた。
「どうしたんだ?」
「ん……コレが何か、は分からない。でも、大事……。それだけ、分かる」
 ぎゅうっと首輪を抱きしめる少女を見つめる事暫し。それ以上のことは分からないと確信したシュラインは分かった事をメモした紙をカバンにしまい込み、いそいそと出掛ける準備を始めた。
「武彦さん、事務所周辺に梅の木があるところ知らない?」
「いくつか知ってる」
「そう……探偵は足で稼がないと、よね!聞き込みしに行きましょう、武彦さん。まずはこの子に靴を用意しないと……」
「私の靴じゃだめでしょうか?」
 タイミング良く現れた零の靴を少女にはかせてみると、意外にもあつらえた様にピッタリで。靴の感覚が面白いのか不思議そうにぴょんぴょんと飛び跳ねつつも、少女は嬉しそうに零に向かって微笑んだ。
「ありがとう、これで準備OKね。零ちゃん、留守番お願いできる?」
「はい、任せてください!」
 そうして少女の手を引いて草間を促し、シュラインは颯爽と聞き込みに出掛けたのである。外はまだ少し肌寒かったが、天候が良いせいかコートを着込まなければならないほどではなかった。
「で、どうするつもりだ?シュライン。」
 手を引かれてパタパタと足音をたてながら嬉しそうにシュラインの後ろを歩いている少女を見つつ、草間がどこか面倒そうな声色でシュラインに尋ねる。
「そうね……事務所を中心に聞き込みを始めましょう。この子が歩いて事務所に来たなら、誰かに目撃されているはずだわ」
「だな。それと、梅のある場所の確認もだ」
 こうして、少女の記憶を探すための調査が始まった。



◇◆◇◆◇



「はぁ……もう随分と歩いたぞ?」
「そうね。おかしいわ……」
 調査を始めて、約一時間。少女を目撃した人間は見つからず、見つけた梅の木は悉く少女の記憶と違っていた。歩き回って疲れたのか、少女はへたり込んでしまっている。
「事務所を中心として、半径500mは大体歩いて回ったわよね。となると、もっと遠いって事なのかしら」
「いや、シュラインの予想と同じく俺も梅の木が事務所から遠いところにあるとは思わん。あの細い足で歩ける範囲はこの程度だろう。やはり、何かを見落としているって事か……?」
 梅の木の場所と聞き込みをした場所を記してある地図を覗き込みながら、二人はじっと考え込む。けれども、どれだけ考えても何も浮かんではくれなくて。
「あぁもう!どうして何も分からないのよ」
 少しずつ募る、小さな苛立ち。ため息をつくシュラインを尻目に、じっと地図を見つめていた草間がポツリと小さく呟いた。どこか、唖然としたような驚いたような声色で。
「……なぁ、シュライン。”梅の木”は本当に正しいのか?」
「え……どういう事?武彦さん」
 煙草に火をつけつつ、草間がシュラインと正面から視線を合わせて口を開いた。
「彼女の正体が小動物だったとする。小動物に、梅と桜の区別がつくと思うか?」
「!」
「もし、彼女が言っているのは梅の木じゃなく桜の木だったら?時期は早いが、狂い咲きって事もありえる」
 ”十分ありえる事だ”と考え、シュラインは瞬時に事務所周辺にある桜の位置を記憶の底から呼び覚ます。そして、記憶している桜の位置を地図へと書き込んだ。
「武彦さん!ビンゴかもしれないわ!」
 書き込まれた桜の位置は既に調べた梅の位置と全く重なっておらず、梅の木がなかったが故に聞き込みに行かなかった場所にもある。
「この方角には行ってないな。……聞き込み」
「行きましょう、武彦さん。……あ、彼女疲れているみたいだからおんぶお願いしても良い?」
「…………分かった」
 優しい笑みと共に首をかしげて頼まれたシュラインの願いを断れるはずもなく、草間は少女を背負って歩き出した。何か思い出した事はないだろうか、とシュラインは草間の背に揺られている少女に声をかける。
「ね、貴女が覚えている木は花を咲かせているときだけ?」
「ん……何もないところに、綺麗な花が咲いて……葉っぱが出てくると、花は散っちゃう。覚えてる木のようす、それだけ」
 季節にすると、冬の終わりから春にかけて、だろうか。となると、随分と短い間の記憶しかない事になる。
「他には何か覚えてない?」
「ん……四角い窓の向こうに見えるの、木の一部だけ。結構近くにあった、と思う」
「……建物の庭にでも生えているのかしら?」
 少女に色々な話を聞きながら歩く事暫し。桜の木の近くに来た三人は、道の掃除をしていたおばさんに声をかけられ驚いたように振り返った。
「あら、探してた人が見つかったのね!裸足で歩いてたし、心配してたのよ」
「「!」」
 優しげな顔をしたおばさんは、草間に背負われている少女の頭をくしゃくしゃと撫でて満足そうな笑みを浮かべている。突然の出来事に驚いていたシュラインは、ハッと我に返ったようにおばさんへと声をかけた。
「あの、この子を見かけたんですか?」
「えぇ、見たわよ!寒い中裸足で歩いててねぇ……声かけたんだけど、急いでたみたいで走って行っちゃったのよ」
「この辺りに桜の木があったと思うんだが……」
「桜……?あぁ、動物病院の庭に生えてるやつね!今年はどうしてか狂い咲きしちゃったのよ。貴方達もそれを見に来たの?」
 やっと手に入れた確かな情報に、シュラインと草間は嬉しそうに顔を見合わせる。後はその動物病院に行って確認をとるだけ。
「その動物病院の場所を教えてもらっても?」
「その角を左に曲がってすぐよ」
「ありがとうございます!」
 おばさんにお礼を言って二人は教えられた方向へと歩き出す。見た事のある光景なのか、少女は忙しなくキョロキョロと辺りを見回していた。
「ここね。……確かに大きな桜の木だわ。ね、この木に見覚えはある?」
「……うん。わたし、ここにいたんだ……」
「ビンゴ、だな」
 草間の背を下り、少女が桜の木に向かってふらふらと歩き出す。それと同時に、少女の姿も少しずつ光に包まれていって−。
「ちょっ……!」
 道路と病院の敷地を区切る塀のすぐ傍まで行く頃には、本来の姿へと変わっていた。小さな、子猫の姿へと……。
「子猫だったのね」
『思い、だした。わたし、この病院に足を怪我してにゅういん、して……。梅の花、咲く頃迎えに来るって言ったご主人を、ずっと待ってたんだ……』
 ポトリと地面に落ちた零の靴と、ふわふわと浮かぶ小さな子猫。聞こえないはずの声は、頭の中に響いていて。何とも不思議な光景に、シュラインは何も言えずただ草間に寄り添って黙っていた。
「魂だけ体から抜け出してきたんだろう?そろそろ帰らないと、お前の主人も心配するぞ」
『うん……ありがとう。しゅらいん、一生懸命わたしの事考えてくれて、嬉しかった』
 ふわふわと浮かぶ子猫の姿が、ゆっくりと薄くなっていく。
「きっと、迎えに来てくれるわ。心配しなくても大丈夫よ」
『うん!』
 嬉しそうな声と共に、子猫は跡形もなく消え去った。残ったのは、ゆっくりと散る桜の花びらと零の靴、そしてシュラインと草間の二人だけ。そっと零の靴を拾い上げて、シュラインは不安そうに呟いた。
「ちゃんと体に帰れたのかしら……」
「大丈夫だろう。……俺達も帰るぞ、シュライン」
 くいっと腕を引かれて、シュラインは驚いたように草間を見上げる。けれども、その表情はすぐに嬉しそうな笑みに変わって。
「そうね、零ちゃんが待ってるわ」
 こうしてまた一つ、草間興信所に持ち込まれた事件が解決したのである。

fin


  + 登場人物(この物語に登場した人物の一覧)+
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員


   +   ライター通信   +

初めまして、シュラインさま。ライターの真神ルナと申します。
この度は「銘記忘却」に参加してくださり、誠にありがとうございます!
見た瞬間思わず「おぉ!!」と感動してしまう程プレイングがすばらしく、プレイングに負けないように!と精一杯書かせていただきました。少しでもシュラインさまの魅力や個性をを表現できていればと思います^^
そして、少しでも楽しんでいただけたならそれほど嬉しい事はありません!
リテイクや感想等、何かありましたら遠慮なくお寄せくださいませ^^
それでは失礼致します。

またどこかでお会いできる事を願って―。


真神ルナ 拝