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桜ノ夜ノ夢
『どうして‥‥こんな悲しい、夢、が』
──うあああああああっ!!
──ああ、ああ、ああああーーーーっっ!!!
堪らない、と初音は耳を覆った。
絶望に満ちたその声。気が狂ったように叫ぶ少女が着ているのは、セーラー服だ。
桜の木の下、泣き叫ぶ少女の傍らに、血塗れの凶器と切断されたばかりの首が転がっていた。
──解放、されると思った、のにっ‥‥!!
息が出来ない、と。哀れな少女は夢の中で狂い続ける。
夢を集めるしか出来ない初音は、ぼろぼろと涙を零しながら掠れた声を上げた。
『誰か、お願い‥‥! 彼女に本当の解放をっ‥‥!!』
このままでは、狂ってしまう。彼女も。この桜の夢の世界も。
●深沢・美香
「綺麗‥‥」
ふわふわとした眠りの最中、誰かに呼ばれた気がして目を開けると、そこは一面桃色の世界だった。
ひらひらり、と目の前に薄紅色の桜が散っている。
下を見ると、東京では珍しいかもしれないぐらいのむき出しの地面。見上げると、自分よりずっと大きな桜の木が聳え立つばかり。ここはどこなのだろうか?
時間の流れも無さそうなそこに、ウサギの耳を揺らした深沢・美香は、困ったように佇む。
────ぅ、ああああ‥‥っ────
「? 誰か、いるんですか?」
ぴく、と反応する動きにつられるように、耳が上下に揺れる。
「‥‥あ」
きょろきょろと左右を見渡していると、一際大きな木の下で、蹲るセーラー服を見つけた。思わず、駆け出す。
今日の営業はもう既に終えている筈なのに、お店とちっとも変らない衣装に身を包んでいるのか分からなかったが、このままでは前へも後ろへも進まない気がした。
「あ、あの、すみませ」
ん、と。訊ね終える前に美香の瞳は、少女の傍らに落ちた『それ』を捕らえていた。
──包丁、と。
それはまるで、美容室で見かけるような。
──だらりと舌の飛び出た、生首。
●桜の影
怖くない、と言ったらそれは確実に嘘になる。
現実では見た事もない『それ』は一度眼球に映るとなかなか消えてくれないほど恐ろしいものだったが、多分無関係ではないだろう少女の呻き声を聞いた途端、彼女が可哀相に思えたのだ。
────いやいやいやいやいや、あ、ああっ、うう、う────
地面に這い蹲るセーラー服の少女はまだあどけない子供の筈で、それなのにその呻き声は苦痛一色に彩られていたから。
同情? 違う、自分もそうやってアパートの硬いベッドに蹲り、苦しみにもがいた事があるからだ。
私はその哀しみ、苦しみを、知っている‥‥。
「あ、あの、大丈夫、ですか?」
何て陳腐な言葉なんだろう。自分の語彙力に唇を噛み、その背に掌を乗せる。薄い背中に、震え続けている体に、涙が零れそうになった。
──この世にはどうしてこんなに苦しい事があるんでしょうか?
今日も訪れたソープの常連客に投げつけられた言葉に、傷ついた事。好きでもない男に体を嘗め回される事。全部全部、思い出した。
──この少女が抱える苦しみは何だろうか? 分かりたい、貴女は一人じゃないよと伝えたい──‥‥
誰かも知らない、ひょっとしたら人を殺めたかもしれない少女に、美香は安らぎを与えたい、と本気でそう思った。
「大丈夫、もう貴女を傷つける人はここには居ません、だからどうか」
顔を上げて。
触れていると事情は分からないのに少女の苦しみが伝わってくるようで、自分のものではない筈の嵐のような哀しみが自分の中に駆け抜ける。
腕を差し入れて抱き起こし、顔を覗き込む。
────う、ああ、あ、あ、ごめ、なさ、かあ、さ────
美香に支えられているとも気付いていないのか、光を完全に失った瞳が濡れ続ける。
「お母様? 貴女は何か後悔しているの‥‥?」
これほどまでに混乱し、震え詫びる理由を知りたかった。
「教えて下さい‥‥私も、貴女と同じ、お母様には申し訳ないと──思っているから」
くしゃりと美香の顔が歪んだ。
脳裏に甦る、品格という言葉そのものだった母の眼差しを思い出して。それはピアノの腕が上達しないと叱られた時の瞳そのままだったから‥‥。
胸が、痛い。
────ごめん、なさい、ごめん、なさい‥‥っ!────
ぼろぼろと泣き続ける少女にとっての母親と、自分にとっての母親もきっと大きさは同じ。
許して欲しい、愛して欲しい、受け容れて、ありのままの自分を見て。
きっと貴女に嫌われると、否定されると、純潔を奪われた時以上に私は絶望を味わうだろうから。
「‥‥っ!」
漏れ出でる嗚咽に、自分も感情のコントロールを奪われ始めたのを知る。口元を押さえた指は、白く冷たくなっている。
「お、母さ、ま」
いっそこの絆を絶ててしまえたら、どんなにか。
私の今のこの姿を見て幻滅されるより、記憶全て奪えてしまえたら。
その考えは何度も浮かんだが、それでもあの狭いアパートで絶望に飲み込まれそうになった時、助けを求めて呟いたのは、お母様だったから。
カクカクと壊れた人形のように、少女は生首を見た。その光を宿さない瞳で。
────せめ、ないで。おこらない、で。おかあさんおかあさんおかあさん────
罪悪感に打ちのめされる少女の声と共に、誰かの想いが胸に迫る。
●悪い夢
『やめてお母さん、どうしてこんな事するのっ!?』
少女が髪を振り乱し、制服のまま棚のガラスを自らの頭で割ってしまった女に責める言葉を投げかける。
『うふ、あは、あ、は、ははあっ‥‥!』
『お、かあ、さん』
冷たくなった指先は意味もなく頬にある。目の前の光景に震えが止まらない。これは本当に母だろうか? 母の姿をした別人ではないのか?
『あは、はああああっ!!』
ガッ!
一瞬、何をされたのか全く分からなかった。気付けば頭に衝撃が走り、床に手をついている。
額から流れてくる生暖かい液体を感じながら、ただ呆然とこちらを見下ろしている女を見上げた。いつも後ろにひっ詰めていた髪をボサボサにし、充血した目で見下ろす女を──
『‥‥かあ、さ』
走馬灯というものだろうか。綺麗に整頓されていた頃の家が、家族で談笑していた頃の一時が、私に微笑みかける母の顔が、脳裏に過ぎった。目の前の母は、電気スタンドを持って狂った嗤いを浮かべているというのに。
『や、め、てぇええええ──!!!』
少女の甲高い絶叫の声に脳内が攪拌され、意識を失いそうになるのを堪える。震えるその腕は、自分ではない誰かが咄嗟に掴んだ包丁の感触がまだ生々しく残っていた。
──今のは、この少女の。
悪い夢、としか言いようのない、少女を蝕み続けているリアル。
「泣かない、で」
自分も母親の事を思い出した為だろうか、それとも少女に共感してしまったから?
ひくつく喉で、言い募り、大丈夫だと言うように抱きしめた。例え人一人殺したのだとしても、彼女が罪悪感に苛まれ続けるのは何かが間違っている。
「生きる事を諦めないで、自ら命を絶ってしまわないで‥‥っ」
私に絶望から救ってくれた人がいたように。貴女にも訪れる筈なのだから。
「いつか、分かってくれるか、ら。お母様もきっと分かってくれる、からっ‥‥!」
願わずに、いられない事だから。
「いつか救われるから‥‥!!」
少女の顔が、狂い掛けていたバランスを取り戻していく。涙でぼやけた美香の前で、助けを求めるような悲痛な表情が現れる。
────ごめんなさい────
ざああああっ。
桜の木が風に煽られ、長いポニーテールをまき上げ、薄紅の花と共に視界を覆った。
「‥‥っ!」
きゅ、と目を閉じている間に、両腕にあった柔らかな体が消え去る。再度目を開けた時には、もう先ほどの少女はいなくなっていた。
「あ‥‥え?」
きょろきょろと来たばかりの時のように周囲を見回したが、白昼夢だったのだと言わんばかりに普通の桜並木の中に私はいた。
「‥‥‥‥夢?」
黒い絶望色に桜を染めかけていた一つの夢を、初音が抱きしめているとは知らないで。
──お母様。
エナメルの衣装を纏った胸の中、呟く私は。
地面に置き去りにされた血塗れの凶器と、動かない生首に気付く事はなく──‥‥
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6855 / 深沢・美香 / 女性 / 20 / ソープ嬢
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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深沢・美香さま、ご依頼ありがとうございました!
こちらの都合で納品が遅れに遅れて申し訳ありませんでした。櫻の夜の夢は如何だったでしょうか?
いつもご依頼ありがとうございます。今回は珍しくダークでしたが、ど、どうだったでしょうか?
人を殺めてしまっていた少女にあたたかな対応、ありがとうございました。
ただ説得するのでも慰めるのでも、彼女には通じなかっただろうと思います。
美香さまがその絶望を知り、本当の意味で共感して下さったからこそ。
初音に代わり、お礼申し上げます。
今後もOMCにて頑張って参りますので、ご縁がありましたら、またぜひよろしくお願いしますね。
ご依頼ありがとうございました。
OMCライター・べるがーより
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