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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて 弐



「それに触れてはだめですよ」
 
 何ら前触れもなく声をかけられて、北斗はぴくりと腕を震わせる。
 気配をすら感じさせず、いつの間に、あるいはいつからそこに立っていたものか。――北斗の後ろには、既に馴染みを得た壮年の男、侘助の姿があった。
「侘助」
 ふと安堵の息を落とし、北斗は肩を竦めて頬を緩めた。
「触っちゃダメ? これに?」
 言って軽く指差したそこには一本の白木蓮の木が伸びている。

 四つ辻の、茶屋のある場所からは幾分か離れた路地の影。数度目の訪問となった四つ辻の散策をのんびりと楽しんでいた北斗が白木蓮の木を見つけたのは、本当に小さな偶然のなせる結果だったのだろう。
 そも、四つ辻にはその名の現す通り、四つの路地のみが存在しているのだろうと思っていた。が、夜目に馴染んだ視界をもって注意深く薄闇を覗けば、果たしてその大路の脇に伸びる小路のあるのが知れたのだ。
 大路を往行する妖怪共の姿のひとつですらもない、細い、そうしてどこかうら寂しいような、ひんやりとした夜風の流れている小路だった。
 その小路の奥からゆるゆると細く花の気配が流れてきているのを鼻先で感じ取り、北斗は数度ばかり目をしばたかせた。
 なにしろ、道幅は実に狭い。人一人ようやく進む事が出来るであろうほどの、本当に細い小路なのだ。よもやその奥に花が揺らいでいるなどとは、およそ考えにも及ばないような空間だ。
 しかし、北斗の足は、気がつけばその小路の上を歩んでいた。
 考えてみれば、路の両脇にはそれを圧迫するだけの建物があるわけでもなく、むろん、壁が続いているわけでもない。改めて確めてみれば、それは別段大路と変わらぬものであるようにも思える。だが、北斗が歩んでいるそれは確かに手狭な小路だった。
 しいて例えるならば、小路の両脇を狭めているのは四つ辻を満たしている夜気なのだろう。しっとりとした露の気配を含んだ濃密な夜の空気が、その路を大路から引き離して隠しているのだ。
 左右に延々と続く不可視の壁を横目に見ながらしばらく足を進ませる。と、眼前に唐突に広がったのはやわらかな緑に覆われた、ひっそりと隠された箱庭のような空間だった。
 北斗の、膝の下ほどにまで伸びたやわらかな草の波。
 薄闇の中、照らす光源をひとつですらも持たずに、しかしその箱庭はどこかぼうやりとした光をもって夜気の忍び入るのを遮っているようにも見える。
 そうして、その空間の真ん中にひっそりと伸びていたのが白木蓮の木だった。
 乳白色の花びらは、夜気に曝されつつも、その色を侵される事なく、その色艶を明示してみせている。
 風を受けてさわりと震える花の姿を目に捉え、知らず、その花に触れてみようと思い立って片腕をゆるりと持ち上げた、――侘助の声が北斗の動きを押し留めたのは、まさにその刹那の出来事だった。

「なんで触っちゃだめなんだ?」
 伸ばした腕を落とし、踵を返して侘助の顔に目を向ける。
 伺い見る侘助の顔は、しかし、北斗が知る侘助のそれとはわずかばかり異なる、草木の全てがひっそりと眠りに落ちた後の夜の闇、それを彷彿とさせるような気配を漂わせていた。
 侘助の面持ちを窺い、そこに常とは異なる影のあるのを感じ取る。北斗は、しかし、それには気がついていない素振りを見せた。
「これ、白木蓮っつったっけ。確かそんな名前の花だよね」
 訊ねながらじわりと歩みを進める。
 侘助の顔は、薄暗い夜の中に沈みゆくような表情を浮かべている。
「ええ。白木蓮ですよ」
 応えた壮年の声音は、やはり常とは違う、密やかな夜の風の音に似ていた。
「なんで触っちゃだめなわけ?」
 じわりと歩みを寄せて、侘助の顔を覗きこむようにしてから再び同じ事を訊く。
 侘助は北斗の顔を一瞥して、それから白木蓮の木に目を向けた。
「……触れてはだめだというわけではないんです。でも、たぶん、あまり触れないほうがいい」
「どういう意味? よくわかんないんだけど」
 首を傾げながら白木蓮の方を振り向く。
 白々とした花を咲かせたそれは、時折思い出したように流れていく夜風に吹かれて音もなく静かに揺れている。
 その花の中のひとつが、北斗の視界の中ではたりと落ちた。
「そうですね」
 言って、侘助がかさりと草を踏む。次いで北斗の立ち位置を越えて木の傍まで歩み寄り、落ちたばかりの花のかけらを指先で拾い上げた。
「あれ? 触んないほうがいいんだろ? 侘助はOKなわけ?」
 北斗もまた木の傍へと足を寄せ、侘助の隣に立って落ちた花をしげしげと見る。
 そして、ふと、北斗は首を傾げた。
「あれ? ……なあ、侘助。……これって」
 続く言葉を静かに飲みこむ。
 侘助の手の中にあった花は、よくよくと見てみれば、破損し小さなものとなった骨のようにも見えたのだ。
 薄く加工された、白々とした骨。加工したのが人や妖怪であるのか、あるいは風雨などによるものであるのかは知れない。が、それは確かに何かの骨だ。
 口を閉ざして侘助の顔を見る。
「そうですよ、北斗クン。これは骨です。――人間の」
 侘助は、北斗の顔を見る事もなくうなずいた。
 その目がひっそりと笑みの形を浮かべているのが知れる。
 北斗は侘助の横顔を見つめながら問い掛けた。
「これ全部?」
 木には白木蓮の白い花が咲き並んでいる。その数は多くはないが、決して少ないわけでもない。
「でも、落ちてないのはやっぱり普通に花の形をしてるよね」
 言いながら視線を侘助から白木蓮へとちらりと移す。
 北斗の言を受けて小さく笑った後に、侘助はようやく顔を北斗へと向けた。
「人の遺した記憶というものは、果たして花のようなものであるとは思えませんか」
「記憶?」
「ええ。――過ぎた記憶を懐かしむのも憐れむのも、いずれにせよそれは花のようなものなのではないかと、俺なんかは思うのですよ」
「花」
 北斗が一言を応えると、侘助はやんわりとうなずいて「そう、花です」と言って笑った。
「大輪の花を綻ばせるものはどうしても人の心を惹くでしょう。けれどもその花の陰には、決して目立つ事のない、けれども確かに花を咲かせたものもある。――人の記憶というものも、あるいはそのようなものであると思えます」
「ふぅん」
 軽い返事を口にして、北斗は再び木を仰ぐ。
「四つ辻には、北斗クン達以外にも、案外と多くの人間がふらりと迷いこんでくるものです」
「へえ、そうなんだ」
 目をしばたかせながら侘助の顔を見た北斗にうなずいて、侘助は拾い上げた花の残骸をゆっくりと持ち上げ、自分の額にあてた。
「小さな子供もいますし、逆に年寄りも迷い込んできます。もちろん北斗クンのような若い方も見えますし。……時々に結びついた偶然のなせる縁というものなのでしょうね」
「で、そういう連中も、やっぱり侘助んとこで飯食ったりしてくわけ」
「まあ、そういう方もいますね。中には腰を抜かしてしまう方もいますし。それもまあ、まちまちですね」
「ふうん。……ま、そりゃそうだよな」
 かくりと首を傾げた北斗を見据える侘助の眼差しがやわらかな色を浮かべる。――いつもと同じ笑みだ。
「この花は、四つ辻に足を踏み入れた事のある人間の命を映しているものなんですよ」
「……?」
「花が落ちるのは、その花の主が息絶えた、その証なんです」
「つまり、あの世に行っちゃったっていうわけか?」
「ええ」
 穏やかに頬を緩めながらうなずくと、侘助は手にしていた花を再び夜風にさらす。
 花は――白々とした骨は夜風にあおられて草の中に落ちていった。
「花に触れれば、その主の記憶を垣間見る事が出来る。……けれど、それは無粋なもんでしょう」
「そうだな」
 返し、小さく息を吐く。
 ――だから触れてはだめだと言ったのか。そう思いながら目を細ませて。
「じゃあ、俺の記憶もこうやってここに咲くのかな」
 訊ねた言葉には、しかし、侘助は緩やかに微笑むばかりだ。
「さあ、茶屋に戻りましょう。……カステラを仕込んでいるところですよ」
 言って先んじて歩む。
 北斗は侘助の歩みを見守って、それからふと肩越しに白木蓮の木を振り返る。
 白々とした花々は、夜気の中にあってただ静かに揺れているばかり。
 見つめている矢先、もうひとつ花が落ちていったのを目に留めて、北斗はやんわりとうなずいた。
「そうだな。俺、腹減っちゃったよ」






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0568 / 守崎・北斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】



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          ライター通信          
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お世話様です。いつもご発注ありがとうございます。

今回は白木蓮を題材に、一切をお任せくださるという旨でのご指示でしたので、お言葉に甘えさせていただきました。
少しばかり狙ってはみたのですが、思惑通り、いつもと違った空気を創りだせていればと思います。

白木蓮の花言葉を使おうかとか、当初はあれこれと考えてみたのですけれども。
うーん。四つ辻のもつ側面というか、そういったものもお楽しみいただけていればなーと。

少しでもお気に召していただければと思います。