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ティーピクニックに行きましょう
東京にも春の足音が次第に近づき、街中では桜の蕾が少しずつほころび始める。
そんな片隅にある店『蒼月亭』でも、話題は季節についての話題が多かった。出会いや別れ、そして生まれ変わる季節。
カウンターの中で煙草を吸うナイトホークが、ぼーっと店の外を見る。
「あー、花見行きてぇ」
「行きましょうよ。皆さんで集まってティーピクニックなんかしたら、きっと楽しいですよ」
ナイトホークに向かって明るく言ったのは、従業員の立花 香里亜(たちばな・かりあ)だ。
香里亜は前からティーピクニックをやりたいと言ってはいたのだが、毎日が忙しく過ぎていくうちに、いつの間にか冬が来てしまっていて、折角暖かくなったのだから楽しくゆっくりやりたいらしい。
「楽しいのはいいけど、変な場所で花見するとうるせぇだろ。それにティーピクニックなんて優雅な感じにならなそうだし、暇になったときには桜散ってそうだし」
確かに今は桜も咲き始めだが、行事を行う日に満開だとは限らない。でも春だから外に行きたいという気持ちは分かる。北海道生まれの香里亜は特に、そう思っているようだ。
すると香里亜は、聞かれるのを待ってましたというように人差し指を立てる。
「それがですね。お花見がしたいって話をしてら、ここの常連の太蘭(たいらん)さんが、人に邪魔されない穴場を知ってるそうなんですよ。ナイトホークさんもお店に引きこもってないで、たまには太陽と仲良くしましょうー」
太蘭とは、この店の常連の刀匠の名だ。普段から作務衣でここにコーヒーを飲みに来たりするのだが、太蘭が案内というなら多分大丈夫だろう。
煙草をくわえたまま、しばし考え……。
「……酒ありだよな?」
「お酒もお茶も何でもありで。皆さんにお弁当とか用意してもらえば、色々食べられていいですよ。ティーフードもいいですけど、おにぎりとかも捨てがたいですし」
ニコニコと香里亜が笑う。
たまには外で飲んだりするのも良いだろう。難しいカクテルは無理だが、桜を見ながらワインやシャンパン、日本酒などはおつなものだ。
「じぁあ、香里亜と太蘭に任せるから計画立てとけ」
さて、お茶もお酒も何でもありの、自称『ティーピクニック』
いったいどんな面子が集まるのやら……。
「太蘭さんの穴場かぁ……くつろげそうよね」
蒼月亭でその話を聞いたシュライン・エマは、早速草間興信所に戻り草間 武彦(くさま・たけひこ)にその話をしていた。
桜には少し時期が遅いかも知れないが、遅咲きの八重桜が綺麗だろう。それに武彦が行くかどうかも気になる。
「武彦さんはどうするの?」
「シュラインが行くなら俺も行くかな……何持っていくか悩む所だけどな」
ティーピクニックとはいうものの、面子によっては酒盛りになるだろう。武彦はスポーツ新聞を片手に煙草を吸いながらシュラインに笑いかける。
「分かったわ。じゃあ私は何を持っていこうかしら……」
こういう集まりは楽しい。大勢で一緒に何かを食べたり、話したり。そこには手作りの料理もつきものだ。嬉しそうに鼻歌を歌いながら、シュラインは早速何を持っていこうか考え始めた。
「変わったモノがいいかなぁ……でも口当たりがいいもの。アボカドのお豆腐なんかいいかしら」
事務机に置いてあるパソコンの上に文字が躍る。
これなら生クリーム入ってるからデザートっぽくもあり、わさび醤油で食べてもお酒の邪魔にならないし、ディップがわりにクラッカーに乗せることも出来る。きっと皆にも喜んでもらえるに違いない。
「持ち寄りは一品って話だけど、丁度熟成したいちご酒も持っていってみようかしら」
ティーピクニックだからお酒は程々が良いかもとも思うが、日差しに透ける赤い色はきっと桜にも映えるだろう。癇が出来るのならアルコールを飛ばして、未成年の香里亜達にも勧められる……と思うが、火を入れることで味が変わってしまったらどうしようか。
「ねえ、武彦さん」
「どうした?」
シュラインはくるりと振り返り、新聞を畳んでいる武彦を見る。
「まだティーピクニックに持って行く物が決まってないなら、お願いがあるんだけど……」
そっと立ち上がり、小さな声で頼み事。
武彦はそれを聞き、少し考えて煙草を消しながらふっと笑う。
「分かった。持って行くものに悩んでたけど、シュラインの案に乗るか」
「ありがとう、武彦さん」
いちご酒を持っていくのなら、それを使ったソースも作っていこう。武彦にクリームチーズやシェーブルチーズ(山羊乳で作ったチーズ)を持ってきてもらえば、持ち寄る品にも悩むことはないし、フルーツソースでデザートっぽくもいける。
「楽しみだわ。携帯灰皿も忘れず持っていかなきゃね」
これである程度の準備は大丈夫だろう。あとは当日いい天気で、楽しく桜を見たりお茶やお酒を楽しんだり出来れば。
「ここ、どこよ」
蒼月亭の前で待ち合わせをし、太蘭に連れられてきた場所に到着したナイトホークが言ったのは、まずそれだった。
晩春に咲く八重桜や、枝垂れ桜、それに普賢象などの桜が満開な場所。だが、東京のありとあらゆる場所を知っているはずのナイトホークが知らない場所。
見た感じ水辺があったりして井の頭公園によく似ている。しかしそこには花見客どころか人が全くいなかった。
香里亜が満開の桜に目を細める。
「うわー、満開。流石太蘭さんの知ってる穴場ですね」
「ああ。ここならのんびりと花見が出来るだろう。家の子猫達もつれてきたから、遊ばせるのにも丁度いい」
「お前等、ちょっとは何か言え。ボケ倒すな」
まあ太蘭の知っている穴場なので、普通の所ではないと思っていたが、静かに花が見られるのならそれはそれでいいのだろう。今から人が多い所に連れて行かれても困る。
「じゃ、敷物とか敷いちゃおー。僕ね、手羽先のバジル焼き作って持ってきたのー」
そう言いながら桜から少し離れた場所に、篁 雅隆(たかむら・まさたか)がござを敷いた。それをデュナスが手伝う。
「ドクターもお料理作ってきたんですね。でも、どうして桜から少し離れた場所なんですか?」
「それはねー、木の真下だと根っこに悪いから。あっ、シュラインさんのワンピース可愛いねー」
雅隆の衣装は、イギリス紳士風のトップハットに三つ揃いのスーツだ。持ってきた『アボカド豆腐』を出しながら、シュラインはにこっと頬笑む。
「ありがとう、今日おろしたてのワンピースなの。ドクターとデュナスもイギリス紳士みたいよ」
「なんちゃって紳士だけど、ティーピクニックだから。デュナス君も僕に合わせてラウンジスーツ♪」
「ドクターに合わされました。シュラインさんも素敵ですよ」
今日のシュラインはふわっとしたパステルグリーンのワンピースに、桜色のボレロ。敷物の用意が出来たら持ってきた料理などを出し、ティーピクニックの始まりだ。武彦はシュラインに持参してきたチーズを手渡す。
するとそれにヴィルアが目を向けた。
「『ブリア・サヴァラン』に『シャブルー』とは、なかなかチーズのセンスが良いですね、草間サン。両方ともデザートとしてもつまみとしても良いチーズです」
ブリア・サヴァランは美食家の名を取った爽やかなフレッシュチーズで、シャブルーは癖のないシェーブルチーズ(山羊乳のチーズ)だ。そう褒めると、武彦は煙草をくわえ、ライターを探そうとポケットの中を探る。
「ああ、シュラインがいちご酒のソースにって教えてくれたのに乗った……っと、ライターどこ入れたっけ?」
「火なら私が貸しますよ」
ヴィルアは指の先に魔術で火を灯し、武彦の煙草に火を付けてやる。
翠はその様子を見ながら、湯を沸かす用意をしている太蘭の方を見た。前もってここで花見をする気だったのか、地面には野点用の炉が切ってある。
「手伝いを出しましょうか。太蘭殿、桜の花びらを一枚拝借してもよろしいですか?」
「ああ。今日は好きに使ってくれ」
満開の菊桜から一枚花びらを借り、翠は呪を唱えた。すると薄紅色の着物を着た桜の式が現れる。
「これをナイトホークに持って行ってください。手作りの桜酒です、良かったらどうぞ……と」
式が桜酒を持っていくと、そこでは野外用のテーブルを用意しながら紳一郎がナイトホークに挨拶をしていた。挨拶ならもっと落ち着いた頃の方が良いのかも知れないが、タイミングが合うときにやっておかなければ挨拶をしそこねる。
いつものスーツではなく淡い水色のシャツに薄手の上着とパンツという、ラフな格好の紳一郎はナイトホークに丁寧に頭を下げた。
「初めまして。静の後見人の文月 紳一郎です。うちの静が色々世話になっているようで」
それを聞いたナイトホークが、くわえ煙草でにこっと笑う。
「あ、マスターのナイトホークです。こちらこそ時々手伝ってもらったりしてるから、お世話になっちっゃて」
「あの子はああ見えて寂しがり屋だから、これからも出来れば良くしてやってくれ……私じゃあんまり構ってやれない時があって」
弁護士の紳一郎が纏まった休みを取るのは難しい。こうやって大勢で出かけたりする知り合いがいることを紳一郎は本当に感謝していたのだが、それを隣で聞いていた静は、赤面しながら慌ててそれを否定する。
「文月さん!だ、だ、誰が寂しがり屋ですかっ!」
「静、何慌ててる?本当の事だろう?」
結構マイペースな所がある紳一郎は、静がどうして慌てているのかが分からない。その横ではナイトホークが苦笑している。
「本当の事って……それでも……」
図星を指されるとやっぱり狼狽してしまう。そんな静にナイトホークが笑ってテーブルを指さした。
「まあいいじゃん。静、持ってきた物ここに並べて」
「あ、私もおいなりさん作ってきたので、皆さんたくさん食べてくださいね」
「わたくしもおにぎりを作ってまいりましたの」
テーブルに置いた香里亜の重箱の横に、亜真知も同じように重箱を置いた。西洋アンティークの人形のような魅月姫と、桜柄の着物を着た日本人形のような亜真知は対照的なイメージだ。そこに真帆もたくさんのおかずを詰めた重箱を置く。
「おかずは私が作りました。菜の花の芥子和えとか、桜エビのだし巻き卵とか色々あるのでどうぞ」
そして持ってきた桜餅を……すると真帆と亜真知の目が合う。どうやら桜餅が重なってしまったらしい。
「亜真知さんとまた重なっちゃいましたね。七夕の時も水羊羹が一緒でしたし」
そう言いながら悪戯っぽく笑う真帆に、亜真知もにっこりと頬笑む。
「真帆様とは気が合うようですわ。わたくしは関東風と関西風の両方を作ってきたのですが、香里亜様、北海道ではどちらの桜餅が主流ですの?」
「北海道では関西風ですね。でも、関東風も楽しみです」
二人が作った手作りの桜餅はきっと美味しいだろう。そう思いながらお湯を沸かそうとしている香里亜の側に、魅月姫がそっと近寄る。
「香里亜……私が初めて作ったパウンドケーキなの。一本は皆で、もう一本は香里亜にプレゼントよ」
初めての手作りなので、少し恥ずかしい。すると香里亜はそれを受け取り、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。うわぁ……なんか嬉しい」
「初めてだから、美味しくないかも知れないけど」
「そんな事ないですよ。あとでゆっくり頂きますね」
その様子を見ながら、冥月は影から道具を出し点心を作り始めた。前もって用意していた焼売や焼き餃子などの鹹点心に、ごま団子や杏仁豆腐などの甜点心など、やはり蒸したて出来たてが一番美味い。
「ほら、ぐずぐずしていると点心が出来るぞ」
冥月が作った点心を、桜の式が次々とテーブルに出していく。色々な高級食材を使っているのだがそれは内緒だ。ただ一つだけ出さねばならない物がある。
「これが香里亜が苦手を克服した、熊の肉と掌の包子だ」
「はうっ!冥月さん。まだ熊持ってたんですか?」
その皿を見て香里亜が慌て、皆が一瞬沈黙した後で楽しく笑った。
今日は野外なのにたくさんの酒が並んでいた。
紳一郎が持ってきた『ビスキー・ナポレオン』に、魅月姫が持ってきたオーストリアの『グリューナーフェルトリナー』という、フルーティーな白ワイン。ヴィルアは『1946年のシャトー・ラトゥール』をデキャンタに移していて、翠は自家製の『桜酒』。それに亜真知の持ってきた『越の誉』の純米大吟醸と、シュラインの作った『いちご酒』。
「ナイトホークさん、私達も少しお裾分け欲しいです」
その酒を見て香里亜がそーっとグラスを差し出した。
普段ナイトホークは未成年にアルコールを飲ませないのだが、これだけあれば少しぐらい味見させても良いだろう。少し溜息をつきながら、ナイトホークはいちご酒を香里亜、静、真帆の未成年組のグラスに少し注ぐ。
「水とかペリエで割って飲めよ……って、お前等人の話聞け」
「わーい、いただきまーす」
三人は仲良くお裾分けされたお酒を口にした。いちご酒はほのかに甘く、なんだか大人の仲間入り気分だ。足下には太蘭の連れてきた子猫が五匹丸まっている。
「静君は、お酒平気ですか?」
サンドイッチをつまみ、足下に来た三毛の子猫を二匹撫でながら真帆が聞く。静はペリエをいちご酒に注ぎながら、膝に白黒の子猫の蘭契(らんけい)を乗せ、嬉しそうに頷いた。
「実は結構……普段は飲みませんけど」
「私も実は、お菓子作りとかでこっそり」
未成年組三人は、見た目の幼さに反して結構皆いけるようだ。酔い潰れるほどは飲まないし、それ以前に皆に止められるだろう。
「三人とも今日だけだからな。文月さん、悪いな……普段店では絶対飲ませないんだけど、今日は大目に見てやって」
ナイトホークがそう言いながら、紳一郎のグラスにシャトー・ラトゥールを注ぐ。本来であれば弁護士として注意する所なのだが、静も何だか楽しそうなので良いだろう。あの喜びようだと、普段飲ませていないのは本当らしい。
「まあ今日だけは大目に見よう。影でこっそりやられるぐらいなら、目の前で悪さをされる方が良い」
「大丈夫ですよ、文月サン。こういう時は、大人の余裕で大目に見ていれば曲がって育ちません……まあ、あの三人は曲がらなそうですが」
ヴィルアと紳一郎、ナイトホークは喫煙者なので、やはり灰皿がある所に集まってしまう。武彦も割合近くで煙草を吸っている。
「あ、冥月さん。中国茶入れさせていただきます」
少しお酒を飲んだ香里亜が、緊張しながら冥月に青茶を入れた。今日の茶葉は『凍頂烏龍(ドンディンウーロン)』だ。香里亜の作ったいなり寿司を食べお茶を飲み、冥月は少し厳しく指導する。
「まだ茶会を開く腕ではないな。匂いをきちんと引き出せなければ楽しみが半減だ」
「はい、精進します」
香里亜は紅茶やコーヒーほど、中国茶にはまだ慣れていない。出来れば汲みたての水で、香りを引き出すように。それを指導していると、武彦が笑いながら手を振った。
「冥月、いつも酒組なのに今日は茶か?」
「何を言う。私は茶の方が好きだぞ」
「嘘つくな。飲みに来りゃいいだろ、女の子の前だからって格好付けるな、男前ー」
……どうしても、一言言わないと気が済まないのか。
冥月は影から酒の樽を何個か出し、それを武彦に向かって勢いよく転がした。
「うわっ!」
一個目が見事に武彦にぶつかる。他の数個は太蘭と翠がスッと受け止めた。
「冥月殿が出してくれたのはいいが、流石にこれは飲みきれないだろう」
「そうですねぇ。シェリー樽ですか……ナイトホーク、持って帰ると良いですよ」
煙草を吸わない方は、割合静かに酒を楽しんでいた。それにナイトホークが困ったように声を上げる。
「置く場所ねぇよ。誰か預かって」
「返すって選択肢はないんですねぇ」
そう言いながら翠はデュナスのグラスに桜酒を注ぐ。
「あ、翠さん。私はそれぐらいで」
「デュナス殿はもう少し弾けるぐらい飲みなさい。そう思いませんか、太蘭殿」
「そうだな。デュナスは飲みが足りない」
どうやら翠と太蘭は底なしという所と、猫好きな所で気が合っているようだ。式の七夜が太蘭の膝でくつろいでいる。何となく困りつつも、デュナスは桜の香りがする酒を飲んだ。
「これでも結構飲んでいると思うんですけど、太蘭さんや翠さんほどは無理です」
流石にこの二人のペースに着いていくと、あっという間に酔い潰れるだろう。そう思うほど二人はすいすいと酒を飲み、料理を味わっている。するとその隣で雅隆が羨ましそうな声を上げた。
「いいなーお酒飲めると。僕飲むと寝ちゃうから、何か寂しい」
「ドクター、桜茶は如何ですか?これならお酒が飲めなくても楽しめますわ」
亜真知は桜の花片の塩漬けを浮かせたお茶を、雅隆に差し出した。野点用の茶道具もあるようだし、後で薄茶を点てるのもいいかも知れない。
にこっと頬笑む亜真知に、雅隆もにぱっと笑い返す。
「ありがとー。亜真知ちゃんはお酒飲まないの?」
「わたくしはドクターにお付き合いしますわ。バレンタインの時のお詫びだと思ってくださいませ」
バレンタインに蒼月亭でパーティーをしたとき、亜真知の作った洋酒入りチョコを食べて雅隆が寝てしまったので、今日は飲まない人間が一人ぐらいいてもいいだろう。すると雅隆が嬉しそうに笑い、桜餅を皿に乗せる。
「亜真知ちゃんお抹茶点てれる?だったら後でお抹茶も一服お願いしていい?」
「はい。薄茶をお点てしますわね」
その近くではシュラインが微笑みながら皆を見ていた。やはりこういう集まりは楽しい。そう思っていると魅月姫がアボカド豆腐を食べながら、ワインを口にする。
「これ、美味しいわ。ワインに良く合うわね」
「ありがとう。真帆ちゃんや亜真知ちゃんが作ったお弁当も美味しいわ……」
「そうね。静の持ってきたフルーツサンドも甘さが丁度いいし、美味しいわ」
そんな事を話していると、香里亜がワインの瓶を持ってやってきた。魅月姫がグラスを差し出すと、香里亜はにこっと笑い小さな声で魅月姫に話しかけてくる。
「魅月姫さんの作ったケーキ、美味しかったですよ」
そう言って指を指した場所には、パウンドケーキが切っておいてあった。シュラインもそれに手を伸ばし一口。
「あら、本当だわ。美味しい」
「嬉しいわ」
やっぱり自分が作った物を褒めてもらうのは嬉しい。魅月姫は少し俯き、香里亜の作ったいなり寿司を箸で取る。
「香里亜のお弁当も美味しいわ。後ではちみつのタルトも切り分けてね」
酒や食事が進み、皆まったりとした雰囲気になっていた。おのおの酔い覚ましに桜を見に行ったり、楽しく話して笑ったりしている。
「ねえ、ここの桜も何か謂われがあったりするのかしら」
桜が好きなシュラインは、太蘭にここの桜の話を聞いた。太蘭が連れてきた子猫たちは、今はナイトホーク達の膝でのんびり眠っている。
「謂われはよく分からないが、桜の種類なら……晩春の桜だから八重や菊桜が多いな。そこに咲いている『泰山府君(たいざんふくん)』は、桜が散らないようにと泰山府君を祭った所から名が付けられているそうだが」
「そうなのね。ちょっと失礼して……」
それを聞き、そっと桜に近づく。そして幹に耳を当てる。
聞こえるのは幹が水を吸い上げる微かな音。それは自分の体の中を流れる血の音のようでもあり、聞いていてとても心地よい。
太蘭はまたござに座り、子猫又の村雨(むらさめ)を膝に乗せ、日本酒を付けた指を舐めさせた。そうしていると、紳一郎が近くに寄ってきて太蘭にも挨拶をする。
「太蘭さん、ご挨拶が遅れました。静の後見人の文月 紳一郎です。いつも静がお世話になってます」
そう言っている紳一郎の膝にも、茶白の子猫の神領(しんりょう)が乗っていた。太蘭は静の方を少し見ると、ふっと笑い紳一郎に挨拶を返す。
「静殿の後見人か。あの白黒の子猫の蘭契が、静殿によく懐いているんだ。この前掃除を手伝ってもらったときは、仲良く縁側で寝ていた」
「た、太蘭さん?そんな事、文月さんに言わないでください」
確かに一緒に寝てしまったことはある。それは紳一郎に内緒にしていたのだが、こんな所でばらされるとは思っていなかった。慌てて立ち上がろうとすると、静の膝にいる蘭契がニャーと鳴く。
「そうなのか?静」
「いや、その……はい。一緒に寝てました」
ある意味、それだけ無防備になれる場所があって良かった。太蘭が悪い人間でないというのは分かるし、猫が懐いているというのも本当なのだろう。紳一郎は自分の膝にいる神領の頭を撫でた後で、静の頭も撫でる。
「あまり迷惑を掛けないようにな」
「だ、大丈夫です。太蘭さんの家って、何か落ち着くんです……」
その横で真帆は三毛の子猫、千代鶴(ちよつる)を膝に乗せ、ナイトホークに自分が持ってきた桜茶を入れていた。今日はお酒も飲ませてもらったし、お礼を言った方が良いだろう。ナイトホークは膝に猫を乗せながら、デュナスが持ってきた牡丹餅を食べている。
「今日はありがとうございました。お酒も美味しかったです」
いちご酒だけじゃなく、高いワインも味見させてもらってしまった。真帆の言葉にナイトホークがくすっと笑う。
「本当は飲ませてもいいんだけど、店ではちゃんとしとかないとな。でも、内緒だぞ」
「はい、黙ってますね」
「でも、真帆結構飲めるんだな。大人になったら楽しみだ」
ナイトホークの言う通り、真帆はアルコールに強い方だ。大人になったら楽しみと言われ、思わずにこっと笑ってしまう。
「二十歳になったらお祝いにご馳走してくださいね」
「そうだな。何かカクテルでも作るよ」
そんな会話を聞きながら、亜真知は空いた皿などを翠と桜の式と一緒に片づけている。皆散らかす方ではないので片づけるのは楽だが、何となく手が動いてしまうのだ。
「亜真知殿は、先ほど茶を点ててましたね」
「ええ、ドクターがお酒を飲めませんので。翠様にも一服お点ていたしましょうか?」
「そうですね。桜の下での野点というのもなかなかですので、お願いしましょうか」
酒を飲むのも良いが、炉も切ってあるし茶を飲むのも悪くない。亜真知が炉の側に座り、茶の用意をし始める。
「略式ですが、翠様に一服」
「形式張らずに行きましょう。桜の下ですからね」
そこにヴィルアのヴァイオリンが鳴り響いた。ヴィルアが演奏をし始めるときは、大抵気分の良いときだ。軽快で心地よい音楽が桜の園に溶けていく。
「今日は良い気分です。ヴァイオリンの調子も良い」
その演奏を聴きながら、魅月姫は桜酒を飲んでいた。
今日は良いことがたくさんあった。楽しく皆で桜を見ただけではなく、美味しい料理とお酒を味わい、初めて作ったパウンドケーキを香里亜に喜んでもらえた。
「素敵な一日だわ」
ひらひらと桜が散り始める。その花弁が魅月姫の持っていたグラスに落ちた。
桜の香り、桜の花。そして楽しいひととき。魅月姫の口から歌が自然に流れ出た。ヴィルアの演奏に合わせた美しい旋律。それに皆が耳を傾ける。
それを武彦と雅隆の声が遮った。少し離れた場所で桜を見ている冥月を二人が呼ぶ。
「冥月!お前もこっち来いよ。飲め」
「冥月さーん。僕飲まないけどこっちおいでよぅ」
折角良い気分だったのに、何か削がれてしまった。その賑やかな二人を無視し、冥月は溜息をついた。その横では香里亜がちょこんと座っている。
「あいつらの楽しみ方は間違ってる。桜は静かに眺め、風流にだな……」
そう言ったときだった。香里亜がにこっと笑い、耳元でこっそりこんな事を言う。
「それは彼氏さんと一緒の楽しみ方ですか?」
「なっ……」
つい顔が赤くなった。言葉に詰まった冥月は、香里亜の頭をぐりぐりとする。ここでごまかしてもごまかしきれないだろう。なので苛めつつ冥月はそれを認めた。
「最近妙に鋭いな……」
「はうう、冥月さん痛いですー」
ぴょんと立ち上がり、香里亜は足取りも軽く走っていく。やはり最近香里亜には色々悟られることが多くなった。そのうち亡き恋人のことについても話すときが来るのだろうが、それまでは、こうしてからかわれるのも悪くない。何故か悪く感じない。
走っていった香里亜は、桜を見上げているデュナスの後ろにそっと近づいていく。
「デューナースさん」
「うわっ!あ、香里亜さん……」
ぼーっとしていたのでびっくりしてしまった。デュナスは香里亜に頬笑むと、また桜を見上げる。
「ごめんなさい。一緒に桜を見に行く約束をしていたのに、行けませんでしたね」
「今一緒に見てるから、それでいいんですよ」
ふと見下ろすと、香里亜がデュナスを見上げて笑っていた。その微笑みにデュナスは思わず赤くなる。
「そうだ、デュナスさんに桜の和歌教えてあげようと思って、覚えてきたんです……『世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし』って在原 業平(ありわらのなりひら)の歌なんです」
それは古今集や伊勢物語にも載っている、古い和歌だ。
世の中に桜というものがなかったなら、桜がいつ咲くかいつ散るかと思い続けて悩むこともなく、のどかでいられるのになあ……という意味の歌。
それを聞き、デュナスは桜を見上げた。
桜が咲いたり散ったりするのを思い悩む春。だけど毎年春は来て、その度に美しい桜は咲き、新しい発見がある。
「素敵な歌ですね」
来年も桜に思い悩んだり出来るだろうか。
そして、その時にまた良い友人と一緒にいられるだろうか。
風が吹き、桜が舞い散る。それがまるで雪のように、皆の下に降り注いでいた。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒
6392/デュナス・ベルファー/男性/24歳/探偵兼研究所事務
6118/陸玖・翠/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師
6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋
6112/文月・紳一郎/男性/39歳/弁護士
5566/菊坂・静/男性/15歳/高校生、「気狂い屋」
6458/樋口・真帆/女性/17歳/高校生/見習い魔女
4682/黒榊・魅月姫/女性/999歳/吸血鬼(真祖)/深淵の魔女
1593 /榊船・亜真知/女性/999歳/超高位次元知的生命体・・・神さま!?
◆ライター通信◆
蒼月亭春のイベント『ティーピクニック』にご参加いただきありがとうございます、水月小織です。
今回もオープニング個別で書かせていただきました。ティーピクニックというか、完全に花見になってますが、皆さんが楽しそうなのでそれはそれでいいかなという感じです。
皆さんが桜の下で楽しく、そして温かく過ごしていただければと思っています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またこのような機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
参加された皆様に、精一杯の感謝を。
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