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<東京怪談ノベル(シングル)>


Paraiso

「ありがとうございました、またのお越しをお待ちしてます」
 週末の夜なのに、朝から降り続く雨のせいか、蒼月亭の中は静かな空気が漂っている。
 カクテルでも飲もうと思い、黒 冥月(へい・みんゆぇ)も少し前にやってきて、ライチリキュールを使った『チャイナブルー』を飲んでいたのだが、気が付くと店の中には自分とマスターのナイトホークしかいなくなっていた。
「………」
 今までいた客達が帰ると、店の中は急に静かになる。さっきまでは話し声が満ちていたのに、今はジャズのレコードと店内にあるアンティークの掛け時計の秒針の音が、沈黙に重なる。その静寂に冥月は身を委ね、ナイトホークはくわえ煙草でカウンターに残ったグラスを片づけていた。
 ここで二人きりになるのは珍しい。
 そもそも冥月は、この時間に蒼月亭に来ることが少ない。今日ここに来ようと思ったのは、カクテルが飲みたかっただけではない。だがこんな日は、沈黙が少しだけ重い。
「雨、止まねぇな」
 ぼそっとナイトホークがそんな事を言った。
 確かに今日は四月にしては少し肌寒く、朝から雨は降ったり止んだりだ。まだ雨は降り続いているのか、しとしとと雨音が聞こえた。
「そうだな、この様子だと明け方まで降るかもしれん」
 違う、そんな事が話したい訳じゃない。
 気まずい合間を繋ぐような、天気の話題をとぎれがちに続けても仕方がない。目の前のチャイナブルーを一口飲み、息をついて冥月はカウンターに肘を突く。
「……この前は、悪い事をしたな」
 薄暗い照明の下で、ふっと笑う声がする。それを聞いたナイトホークは、冷蔵庫から酒を出し、それをシューターグラスに注いだ。
「俺、何かされたっけ?」
「阿呆。お前じゃない、あの子を泣かせた事だ」
 冥月は去年からこの店で働いている少女に「弟子にしてください」と頼まれ、稽古を付けていた。それは彼女の「自分の身は自分で守りたい」という希望からだったのだが、武術の経験がないなりに、冥月から見てもよく頑張っているとは思う。
 だが先日、彼女と一緒にやってきたナイトホークの戦い方を見た時に、冥月はその無謀さに呆れと怒りを感じ、彼女の前で思い切り痛めつけてしまったのだ。
 無論彼女は泣いた。
 しかしそれは、いつもと違う冥月の殺気や、ナイトホークの狂気に怯えたというのではなく、自分の弱さが不甲斐ないというような泣き方だった。
『私……自分で、自分を守れるぐらい強くなりますから』
 大きな瞳からぽろぽろと涙を流しながらも、はっきりと言ったその言葉。ナイトホークを叩きのめした事に関して心は痛まないが、彼女が言ったその言葉が冥月の胸に微かな痛みを残す。
 しばらく何かを考えるようにすると、ナイトホークは煙草の煙を吐きながらこう言った。
「……ああ、アレか。それは俺じゃなくて、あいつに言ってやって」
 思っていたよりも、ナイトホークはそれをさらりと流した。冥月は不死であるナイトホークを殺さずに遠慮なく痛めつけ、冷たい言葉も投げかけた。
 それはつい最近のことなのに、まるで何年も前の思い出話のようだ。
「何か作ろうか?」
 カウンターの上にある、チャイナブルーのグラスは空になっていた。それをカウンターの奥に押しやり、冥月はナイトホークが持っているシューターグラスを指さす。
「その酒は何だ?」
「これ?『イエーガーマイスター』っていうドイツの薬草リキュール。トマトジュースと合わせると『ブラッディイエーガー(血塗れの狩人)』ってカクテルになるけど」
「じゃあ、そのカクテルをくれ」
「かしこまりました」
 吸っていた煙草を消し、ナイトホークは手を洗う。目の前で手際よくカクテルが出来上がる様子を見ていると、あの時銃剣を構えて真っ直ぐ突撃してきた奴と、同じ人物には思えない。
 思えばこの店には前から来ているが、お互いのことを話したことはなかった。
 力、過去、何故東京に住んでいるのか……全く知らないままでも、生きて行くには不都合はないだろう。だが、これから「彼女」を介して生きていくのなら、少しはナイトホークについても知っていた方がいいのだろうか。
「お待たせいたしました、ブラッディイエーガーです」
「………」
 悩んでいても仕方がない。
 黙って一口カクテルを飲んだあと、冥月はグラスについていた櫛形のレモンを搾ってこう切り出した。
「お前のは我流の様だが、基本は軍隊式か?まるでバーサーカーだ」
 シルバーのシガレットケースが照明の下で光る。そこから一本煙草を出しマッチで火を付け、ナイトホークが息をつく。
「多分ね。俺、一定期間から前の記憶がないんだ。覚えてる限りだと、大正時代からこのまんま。でもって厄介なことに、自分の力で敵わないと思うと、キレて戦闘人格に入る」
 理由は全く分からない。
 だが、多分記憶をなくしている間に、何かあったのではないかという気はする。戦う前に自分に「冷静に、冷静に」と言い聞かせても、キレてしまえば後は自分で制御出来ないのだ。
 それを聞き、冥月はふっと息をつく。
「なるほどな……普通は訓練しても、殺し合う恐怖は消えない。だが恐怖なく捨身で戦う兵がいれば強力だし、敵へ与える効果も絶大だろうな」
「そうかも知れないけど、ただ恐怖をなくすだけなら『突撃錠』で充分な気がするな。全員が不死ならともかくも」
 突撃錠とは、いわゆる覚醒剤だ。戦中は普通に軍の物資として配布され、戦後もある時期までは薬局で売っていたらしい。そんな言葉がさらっと出てくる辺り、大正時代から生きているというのも、本当なのだろう。
「戦力が劣る日本軍の研究成果と考えれば、殺気への反応も判るが、それだけではないかもな」
「その辺は俺にも分からん。まあ先は長いからぼちぼち探って行くさ」
 ナイトホークが旧陸軍の研究所に関して調べていることは、冥月も知っている。今まで何故そんなものを調べているか謎だったのだが、ナイトホークがその研究や実験をされた当人だとするのなら糸が繋がる。
「まぁそれはいい、問題はお前の認識だ」
 最低限のことが分かれば、冥月はそれで良かった。
 わざわざ過去まで追いかける気はないし、ナイトホークが自分で探っているというのなら、放っておけばいいだろう。ここで生きていく人間は、多かれ少なかれ何かを抱えている。いちいちそれに構っているほど、お人好しでもなければ暇でもない。
 冥月は少し厳しい表情でナイトホークを見た。するとその視線に困ったように、ナイトホークがイエーガーマイスターを飲む。
「俺の認識ね……それはあいつに関してのことか?」
「分かってるなら素直に話せ。また痛い目に遭いたいか?」
「そこまでマゾくないな」
 冥月にとって大事な事。それは『彼女』の事。
 彼女が守られたいと思ってないのは知っている。だからこそ冥月の元での厳しい修行に耐え、頑張って着いてこようとしているのだろう。もしかしたら自分だけではなく、ナイトホークや他の皆を守りたいと思っているのかも知れない。
 冥月は言葉を続ける。
「その体質も、厄介な条件付けも、強弱も過去も彼女の気持さえ関係ない。重要なのはお前が彼女を守りたいか否か、それだけだ」
 あの時ナイトホークは彼女にこう言った。
『俺に守られたくて東京に来たわけ?』
 その時は思わず胸ぐらを掴み上げ壁に叩きつけてしまったが、それもただ激情に任せてではなかった。
 自分は大切な人を守れなかった。
 胸元に付けているロケットが重く感じる。そこに入っているのは、亡き恋人の写真。
 あの時側にいたのなら、彼を死なせることはなかった。常に一緒にいたら、彼を守ってあげられた……その後悔を持っている冥月は、だからこそナイトホークの言葉に腹が立ったのだ。
 不死であれば、彼女を守れるはずだ。
 なのに何故その努力をしないのか。その為の体質の活かし方もある筈なのに……。
「………」
 レコードはいつの間にか止まっていた。秒針の音が響く中、ナイトホークは煙草を吸い、溜息と一緒に煙を吐く。
「どうでも良かったら、東京になんか呼ばないさ」
 本当は、守りたいと思っている。自分の力に怯え、それでも笑おうとしている彼女を。
 だが素直にそう言えない。自分の身も上手く守れないのに、そんな事が言えるほど自分は立派じゃない。
 こういう時、ナイトホークは自分の性格が嫌になる。結局自分はいい格好がしたいだけではないのだろうか、と。
「これでも最近は、何とかキレないように裏でやってるよ。いつになるか分からんけど」
 溜息混じりに笑うその声が、諦観を含んでいるように冥月は感じた。何だかそれが気に障り、冥月はつい刺々しい言葉を投げかける。
「人の理から外れた存在でありながら、柵切捨てる勇気もなく街に縋り付いてる身で、偉そうに諦観気取るな」
 ……沈黙。
 煙草をくわえたまま、ナイトホークの動きが止まる。
「すまん、言い過ぎた。私も同じなのにな……」
「気にしてないよ。いつか闇から出られるんじゃないかと思いながら、どっかで諦めてるのは当たってる。そう言える冥月が羨ましい」
「いや、私は老いて死ぬためだけに生きてるんだ、毎日を生きる理由作りに、彼女を利用してる私に言えた義理じゃない」
 多分、自分達はどこか似ているのだろう。
 お互い大きな物を失っている。大切な人。過去の記憶。その喪失感を抱えたまま東京で生きている。
 冥月が後を追わないのは、彼の墓を守るためだ。きっと彼は自殺することも、何もせずに過ごすことも赦してはくれないだろう。だが墓を守るためだけに生きて行くには、冥月に残された時間は多すぎる。
 だから生きていく理由に、彼女を利用しているのかも知れない。彼女が安心して東京で過ごせるように鍛え、守り、時には平凡な日々を過ごす。それが、喪失感に押し潰されそうになっていた冥月に出来た、生きる理由。
「………」
 彼女を失ったら、自分はもう一度立ち上がることが出来るのだろうか。
 もしかしたら、冥月がナイトホークに厳しいことを言ってしまうのも、その漠然とした不安からなのかも知れない。
 ナイトホークが持っていたグラスを空け、瓶を手に取った。
「生きる理由は誰にだって必要だろ。俺だってこの店がなかったら、ただ息してるだけかも知れない。今だから話せるけど、俺ずっと死にたがりだったし」
 研究所から逃げ出した頃、ナイトホークは首を吊り、刃物を刺し、何度も死のうとしていた。いつからそう思わなくなったのだろうか……思い出すと、急に自分の青さが恥ずかしくなり、思わず苦笑する。
「つか、冥月も若いのに老いて死ぬだけとか言うなよ。いくつだよ」
「……二十歳だ」
「じゃあ、老いを感じるにはまだまだ先だ。無理に大人にならなきゃならん理由もあったんだろうけどって、俺みたいに、いつまでも精神年齢変わらんのもアレだけどな」
「お前は少し年相応になれ。守る事を考えてないと、いざという時守れんぞ……私の様にな」
 その言葉でナイトホークは、何故冥月が、彼女を守ることに関してあんなに自分に憤っていた理由を悟った。
 いざという時に守れない……。
 きっと冥月は誰かを守れなかったのだ。そしてそれを今でも悔いている。
 ならばあの時の無茶な戦い方に怒るのも無理はない。攻撃は最大の防御とはいえ、我を失ってまで突っ込むのは愚作の極みだし、彼女を守るどころの話ではない。
「……肝に銘じとくよ」
 それだけ言うと、ナイトホークはシェーカーを用意し始める。
 冥月に何があったのかを聞く気はない。それを聞いたとしても過去は変えられない。
 「東京」に住み、この店に来る者達は色々な何かを抱えている。時にはその傷の痛みを分かち合い癒やすこともあれば、傷を舐め合ったり塩を塗り込んだりすることもある。
 今大事なのは、彼女を「守る」というお互いの決意だけだ。
 ジンとアプリコットブランデー、オレンジジュースを入れたシェーカーを振り、オレンジ色の液体がカクテルグラスに満たされる。
「これ、俺の奢り。『パラダイス』ってカクテル……生きてく理由とか色々だけど、お互い行けるとこまで生きようぜ」
 冥月の前にカクテルグラスが出された。ナイトホークは少し笑い、言葉を続ける。
「さっき冥月が飲んでたチャイナブルーに使った、ライチリキュールの名前も『パライソ』だよ。まあ、東京はどうしようもない天国だけどな」
「仮初めの天国でもいいさ」
 本当の天国に彼女を連れて行かれないように、ここでそれを飲み干してしまうのも良いだろう。
 少なくとも冥月にとって、ナイトホークに彼女を守る気があるということと、自分の条件付けに対して、どうにかする気があるのが分かっただけでも身にはなった。ならば後はそれを実行するだけだ。
 天国の名が付けられた甘いカクテルを、冥月は一気に飲み干し、ナイトホークがコーヒーミルを用意し始める。
「コーヒーでも入れようか?」
「ああ……」
 豆を挽く音が響き渡ると共に、香ばしい香りが漂ってくる。
 ずっと降り続いていた雨は、いつの間にか止んでいた。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
以前のゲームノベルから続く話と言うことで、二人で静かに話を……という感じに書かせていただきました。今回はお互い頑固というか、心を明かしてくれない感じで久々に苦労しました。
お互いが持っている喪失感や、諦観、そして守りたいという静かな決意が表れてると良いなと思っています。
研究所については次のゲームノベルに続く話なので、冥月さんは知っていることになっています。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。