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【江戸艇】きつね小僧誕生秘話
■Opening■
時間と空間の狭間をうつろう謎の時空艇−江戸。
彼らの行く先はわからない。
彼らの目的もわからない。
彼らの存在理由どころか存在価値さえわからない。
だが、彼らは時間を越え、空間をも越え放浪する。
■Welcome to Edo■
突然座っていた椅子がなくなって慎霰は派手にもんどり打った。
「痛ェ……」
尻をさすりながら起き上がる。
アスファルトで舗装されていない広小路。暮れ六つの鐘に人々が足早に通りを過ぎていく。和服を尻っ端折って月代に髷を結った男ども、日本髪にかんざし刺した女ども。
慎霰は何とも複雑そうに空を仰いだ。
東京ではなかなかお目にかかれない広い空。春霞に月が昇る。
どうやらまた来てしまったらしい。夢か現か、現か夢か。謎だらけの江戸の町。
前回は寝ているときだったが、今回は間違いなく目を開けているときだった。あの後、もう一度来てみたいと自分でいろいろ試してみたが全く来られる気配がなかったのに。呼ばれるときは何とも唐突で気まぐれである。
でも、ここに来た、或いは呼ばれた、という事は、もしかしたらあの角屋の娘がまた自分を必要としているのかもしれない。ちゃんと改心しているかどうかも確認しとかないとな、とばかりに慎霰はそちらへと歩き出した。
日本橋大通。白壁土蔵の並ぶその道は、昼間ほどの賑わいもない。町木戸が閉まる前に帰ろうと誰もが足を速めて往来を過ぎていくだけだ。
腹の虫が鳴るのに、慎霰は自分が夕食を食べようとしていたところだった事を思い出した。
「角屋でご馳走になるかなァ」
きっと前回の件があるから大層なもてなしをしてくれるに違いない。してくれなきゃさせればいい、などと勝手な事を考えて笑みを零す。
既に閉じた角屋の木戸を叩くと番頭らしい男が顔をだし、今日はもう終わりだよ、と答えた。
「いや、店には用はねェんだ」
と、慎霰が笑顔を返すと、番頭は怪訝そうに慎霰を見やった。しげしげと足元から頭のてっぺんまでを不審そうな視線で睨みつけてくる。どうやらこの男は前回慎霰が天狗として訪れた時、その場にいなかった者らしい。いや、それ以前にあの騒動の後、大半が店をやめてしまったのかもしれない。あんな事があったのだ。無理もない話しである。とすると、この男は新しく雇われた者なのか。話しが長くなりそうで、慎霰は角屋の主人に用があるとだけ言った。
番頭らしい男は、今は出かけていると答えた。どうやら近くの茶店に会合だかなんだかに行ってるようなのだが、その辺は詳しく教えてくれるつもりはないらしい。完全に怪しい人扱いされている。ここは妖術でも使って誤魔化すか、なんて思っていると、店の奥からあの女の子が顔を出した。
「あ、天狗のお兄ちゃん! こんばんは。どうしたの?」
角屋の娘だった。今日はピンク地の可愛らしい着物を着ている。そういえばこの子の名前を聞いてなかったな、なんて思いながら慎霰は笑みを返した。
「こんばんは。や、ちょっと気になってね。もう、おとっつぁんは大丈夫かい?」
「うん! お兄ちゃんの言われた通り、すず頑張ってるよ」
娘は元気よく満面の笑顔で応えた。
どうやらすずというらしい。『今度は君が』と言った慎霰の言葉を実践しているようだ。
「…………」
主人がいたら贅沢な飯を食べさせてもらうつもりだったが、娘にたかるのは何だか気が引けて、慎霰は視線を彷徨わせた。
すると、それまで渋い顔をしていた番頭らしい男が相好を崩して言った。
「お嬢の顔見知りでしたか」
どうやらすずの笑顔で不審の念は拭われたらしい。
「ああ」
頷いた慎霰に彼はあっという間に手の平を返した。
「旦那様なら、両国柳橋の万屋に行ってます。もう半時もすれば帰ってくると思いますので、中で待ってはいかがでしょう?」
「わーい。お兄ちゃん遊ぼう」
すずが慎霰の手を掴んで奥へと引っ張った。是非にと言われたら、しょうがねェなァ、と返すほかあるまい。慎霰には断る理由がないのだ。
「ああ、じゃぁ、お邪魔させてもらうかな」
そうして慎霰は女の子に手を引かれるまま、角屋の奥へと通された。
番頭らしい男はどうやら本当に番頭さんだったらしい。
彼に案内されて客間らしい部屋に通された。それは十二畳ほどの広さのある、庭に面したししおどしの音が聞こえてくる風流な部屋であった。さすがに御用商人の座を狙っていただけあって、屋敷も広ければ豪商の風格もある。しかし、そういえば何の店であるのか慎霰は知らない。角屋という名前から材木問屋あたりを想像してみる。
主人が帰ってくるまで待つ間、お茶とお茶菓子が出されたが、時も時だけに食事を用意しましょうかと尋ねられ、慎霰はやっぱり二つ返事で頷いた。とはいえ主人が帰ってきたら酒宴になるかもしれないので、とりあえずは軽くという事になる。
しかしこのままだと町木戸も閉まってしまうだろうから、泊まっていってはどうかと勧められた。最初は主人を脅して、なんて考えていただけに内心ではラッキーと思いつつも、慎霰は何だかおかしな気分だった。主人や娘の顔見知りというだけなのである。
酒宴までの腹の足しの軽食が用意された頃、彼が来た事を誰かが主人に伝えに出たのか、半時ほどと言っていた主人が慌てた顔で帰ってきた。
「こんなあばら家までご足労いただくとは」
などと、何故か主人はやたら諂う。前回、慎霰のおかげで御用商人の座を逃した事など全く忘れたような顔付きで、愛想笑いに揉み手をしていた。
そして慎霰の食事に気付いて言ったものだった。
「おい、なんだこれは! もっときちんとした料理を用意しろ」
素早く料理を取り替えさせる。
ちなみに慎霰の前に並んでいたのは江戸前寿司だった。江戸の前にあるのは東京湾。そこで獲れた新鮮な魚を使った、ちょっと東京では食べられないような美味しい魚たちの江戸前寿司。それでもかなり満足していた慎霰である。
回らない寿司屋のカウンターでお好み寿司を食べているような贅沢気分だったのだ。だが、それをさっさとさげて、主人は新しい夕食を用意させた。何だか大いに裏がありそうだったが、慎霰はホクホク顔で高級料理を待つことにした。
一時間後。
背と腹がくっつきそうになった頃、やっと料理が運ばれてきた。そして慎霰はがっかりした。
これはやっぱり後から知った事だが、江戸前寿司は東京でこそ、豪勢な料理であったが、江戸では別段贅沢品ではなかったのだ。酢飯に刺身をのせるだけ、というお手軽簡単料理はこの時代のいわばファーストフード。東京で言えばハンバーガーと同じレベルだったのである。お客にハンバーガーとは失礼な。いや、番頭さんは待つ間の小腹の足しにと用意してくれていただけである。
代わりに出されたのは京懐石に近いものだった。それは美味しくないわけではないし、高級料理である事も確かだったのだが、海老しんじょうはともかくとして、春野菜の煮付けだの、白和えだの、西京焼きだのよりは江戸前寿司の方が良かった慎霰なのである。万屋で食べてきたという主人が、目の前で江戸前寿司を食べているのに、自分だけ押し寿司は、何のいじめかと小一時間問いただしたい気分だった。
次は、豪勢な料理とか高級な料理とか言わずに江戸前寿司を所望しよう。そしてお好みで好きなネタを握ってもらうのだ、と心にかたく決意した慎霰である。と、それはさておき。
「それでここへはどういった御用で」
主人が慎霰の杯に酒を注ぎ足しながら尋ねた。
「ああ、腹が減ったから立ち寄っただけだ」
慎霰は答えて杯の酒をぐいっと飲み干した。東京と違ってここは未成年者の飲酒にうるさく言う奴はいない。大っぴらに飲める酒に、ついつい手が進む。
「……そ、それは良かった」
主人はそう言って更に酒を注いだ。よほど前回の一件が懲りているのだろう。
「どうぞたっぷり食べて行って下さい。今日はお泊りになるんでしょ?」
「ああ」
慎霰はほろ酔い気分で頷いた。
今日の寝床が決まっているわけでもないし、これから宿屋を探すのも大変なのだ。
「我々は、何日でもお泊りいただいて構いません」
主人が愛想よく言った。むしろ、何日も泊まって行って欲しそうな口ぶりだった。やっぱりなんだか裏があるように見えなくもない。とはいえ何があろうが彼らには自分に何ら手出しなど出来ないのである。なんといっても。
「オレ様は大天狗様だからな」
だいぶ酒がまわってきているようだ。
「お兄ちゃん、泊まって行くの。すずと一緒に寝てくれる?」
隣に座っていたすずが慎霰の着物の袖を引っ張っておずとずと尋ねた。
「ん?」
「ああ、それはいい。では、すずの部屋に床を用意させましょう」
主人がさっさと決めてしまう。
「…………」
ほろ酔い顔で慎霰はすずを見下ろした。
嫁入り前の娘さんと同じ部屋、とはいえ相手はまだ幼女。その幼女の期待に満ちた目を見ていると、段々酔いがさめていくような錯覚に襲われた。
いくら頑張っても、とても断りきれそうにない気がする。大天狗様も女子どもには弱いのだ。断って泣き出されでもしたら、どうしていいかわからなくなるのである。
そんなこんなで、結局慎霰はすずの部屋に泊まる事になった。それでも、一緒にお風呂に入りたいと言い出したすずのお願いは頑張って断ったのである。
寝る間際までお手玉の相手をさせられ、こりゃ態のいい子守だな、と慎霰は辟易しながら布団についた。
そういえばすずの母はどうしたのだろう、なとど思いながら眠りにつく。
今日は昼間学校でサッカーをして走り回ったから疲れた体はすぐに慎霰を眠りの中へと誘った。夕食に飲んだ多少の酒もきいているだろう。
その夜。
彼は悲鳴と共に目を覚ました。
すぐ近くで怒号と刃鳴りが聞こえてくる。
「ねずみ小僧だ!!」
という誰かの声と共に、襖が開かれた。
慎霰は血の匂いに咄嗟にすずの体を抱き上げていた。
刀を持った盗賊が空になった布団を踏み荒らしていく。慎霰はすずの口元を片手でおさえならが、天井に張り付いていた。
「…………」
頬かむりにねずみの面。
そいつは部屋を出て行くと奥の襖を開けて隣の部屋に移った。
「三人……いるのか?」
今、自分たちの部屋に入ってきたのは一人だが、殺気は三つあった。
更に奥の部屋へと消えたねずみの面の男に、慎霰が降り立つと、襖のところに血まみれになった番頭が倒れていた。
「だ…旦那さま……お嬢さま……」
「ああ、すずは大丈夫だ。しゃーねェからあいつも助けてやる」
そう言って慎霰はすずを押入れに隠すと主人の部屋へ急いだ。
主人が慎霰にいつまでも泊まって行くよう勧めたり、すずの部屋に彼を泊まらせたのは、恐らくこれのためだったのだろう、とぼんやり考える。
ねずみ小僧。慎霰の偏った知識では、義賊である。殺しはせず、金持ちだけを襲い、盗んだ金は貧しい人々に振りまいていた。それがねずみ小僧。
なのに、これでは強盗殺人集団である。
「ひぃ〜〜〜!!」
主人の悲鳴に慎霰はその部屋へ飛び込んだ。
袈裟斬りにされた主人が血まみれで倒れている。その傍らに三人の、ねずみの面をかぶった男たち。
「ちっ」
舌打ちして慎霰は挑みかかった。
おちゃらけ妖術を使う心理的余裕はなくて、腕をふるってかまいたちを走らせる。
一人のねずみの面が二つに割れた。
慎霰が変な術を使うと見たのか、それとも面が割れたからなのか、三人は一瞬視線を合わせて頷きあうと一斉に障子戸を蹴破って廊下から庭へと飛び出した。
「待て!」
慎霰が追いかける。
まるで軽業師のように、軽々と塀から屋根へあがった三人に、慎霰は地面を蹴って背中の天狗の羽を開いた。
三人の内、面を失った一人が振り返る。口に筒のようなものを咥えていた。
吹き矢。
そう思った瞬間、首筋に小さな痛みが走った。それは軽い痛みでしかなかったが、突然慎霰の視界はぐにゃりと歪んだ。吹き矢の針には毒が塗ってあったのだ。
狭窄する世界はやがてブラックアウトした。
◆
包丁がまな板を叩く小気味良い音と、空腹を刺激する味噌汁の香に目を覚ました。焦点を結ばない視界に、ぼんやりと知らない天井がある。
首を横に向けた。
土間で、やっぱり見覚えのない男が野菜の炊き出しをしていた。その男が髷を結い、継ぎ接ぎだらけの着物を尻っ端折っているのに、慎霰は思い出した。
ここは、似非江戸の町。自分はねずみの面を被った三人組の男たちを追っている途中、意識を手放したのだ。
土間と部屋には障子戸一つない。六畳一間の貧乏長屋。そこで慎霰は申し訳程度に綿の入ったせんべいぶとんの上に寝かされていた。鈍痛の残る腕を見やると手ぬぐいが包帯のように巻きつけられている。あの後、彼が自分を助けてくれたのだろうか。
慎霰はゆっくりと上体を起こした。
その気配に気付いたのか、炊き出しをしていた男が振り返る。
「やっと目を覚ましたな」
優男風の男は目を細めて嬉しそう、というよりは安堵したように言った。
「あの……」
「ちょっと待ってな。今、飯が出来るから。二日も寝込んでたんだ、腹も減ってるだろ」
木で出来たおたまのようなものを振り回して男が言った。
「え……?」
今まで自覚はなかったが、言われて腹の虫が鳴く。男は笑って慎霰に背を向けると炊き出しの続きに戻ってしまった。
「二日……眠ってたのか」
慎霰は自分の手の平を見下ろしながら呟いた。
あまり実感はない。とりあえず前に来た時、東京での時間は一分も進んでいないようだったから、ここでどれだけ時間を過ごしても、現実世界に大した影響はないだろうが。
腕に巻いてある手ぬぐいを取った。
傷は殆ど治りかけている。天狗の治癒力は健在のようだ。なのにまだ、頭が重い。あの毒がまだ体内に残っているのだろうか。天狗の治癒力をもってしても、なかなか回復出来ないのだとしたら、致死性の毒だったのかもしれない。
そういえば―――。
「角屋の主人は一命を取りとめたそうだよ」
聞こうと思った慎霰に、先読みしていたかのように男がぽつりと言った。
「…………」
「奴らに押し入られて死人が出なかったのは今回が初めてだな」
男の言葉に慎霰はホッと胸を撫で下ろした。その話しが本当なら番頭も助かったのだろう。自分はそれなりに役に立ったのだ。
それからふと気付いたように男を振り返る。
「ああ、挨拶が遅れて悪かったな。俺は柊ってんだ。あの騒ぎの中、お前さんが角屋の傍で倒れてるのを見つけた」
それで彼は角屋の話を持ち出したのか。
慎霰は相好を緩める。
「俺は慎霰だ」
「慎霰……か。宜しくな」
柊のお粥は菜っ葉が入っているだけのシンプルなものだったが、美味しかった。しじみの入った味噌汁も旨くて、慎霰は思わず何杯もお替りしてしまった。
途中、同じ長屋に住む子どもが彼を呼びに来た。
一人残された慎霰は、味噌汁を飲み干すと手持ち無沙汰になって、何となくその部屋を眺め回した。
どうやら柊は根付職人らしい。ねずみが二匹遊んでる根付をしげしげと見つめた。今にも動き出しそうだ。動物の根付が多いだろうか。他にも完成品はないものかと、慎霰は勝手に部屋を歩き回り始めた。
「俺のキーホルダーとか、作ってくれないかなァ」
などと独りごちながら、そこにあった長持ちを開ける。
その手が止まった。
大きく目を見開いて、慎霰は暫くそれを見下ろしていたが、やがて確認するように取り上げて、慎霰は反射的に木戸の方を振り返っていた。
先刻、柊は同じ長屋の子どもに呼ばれてその木戸を出ていった。
おとうの具合が悪いと不安そうに訴える子どもの頭を元気付けるように撫でて、それから着物の袖に入った自分の財布を子どもの手に持たせると「薬、買ってこられるかい?」と優しく尋ねた。子どもが首を横に振ると、彼は慎霰を申し訳なさそうに振り返ったから、「行ってやれよ」と慎霰は促した。子どもの顔が少しだけ安堵のそれに染まる。柊は「悪いな。ちょっと出てくる」と言って、その子どもの手を引いて木戸を出て行ったのだ。
慎霰は立ち上がると三和土の隅に置かれた自分の草履を履いて外へ出た。
心の中にはもやもやとしたものがあるのに、空はムカつくくらい晴れている。
まっすぐ、あの子どもの家へ向かった。場所は聞いていたわけではなかったがわかる。だてに天狗はしていない。
子どもの家。木戸の隙間を覗くと、中は絵に描いたような貧乏長屋の風景が広がっていた。一人の初老くらいの男が布団の上で上体を起こしてしきりに咳をしている。柊が、その背をさすりながら介抱してやっていた。
煎じた薬だろうか、子どもがお椀を差し出しているのが見える。
柊は優しそうな顔でそれを受け取っている。
「何でだよ……」
慎霰は無意識に呟いていた。
一つだけ疑問が浮かびあがった。
何故彼は、慎霰が角屋の関係者だと知りながら、慎霰を自分の家に連れ帰り手当てまでしたのだろう。さっさと角屋に預けてしまえば、自分の分の食事も、そんな手間もかからなくて済んだのに。
何か角屋に連れて行けない理由があったのか。
慎霰は、長持ちの中に入っていて、思わず掴んできてしまったそのねずみの面を握り締めながら、奥歯を噛み締め歩き出したのだった。
◆
昼時の鐘が鳴る。
その寺の境内にある一本の大きなクスノキの枝に腰掛けて待っていると、程なくして柊が現れた。
少し驚いた。来ないかもしれないと思っていたのだ。『ねずみの面は預かった』あの書置きを見て一人でやってきたのか。その度胸に敬意を表して慎霰は笑顔で声をかけた。
「やァ」
「見たのか……」
「たまたま偶然な」
よく考えてみたら慎霰自身、勝手に長持ちを開けたりしていたのだ。あまり威張れた立場ではない。
「で、俺が大天狗様だと知ってて、自宅に連れ帰ったのか?」
尋ねた慎霰に柊は答えなかった。
それは無言の肯定なのか。ただ、大天狗様と言ってみせた慎霰に、それを信じて畏れる素振りも、信じないでバカにする素振りも見せなかった。
ただ、柊の手が動いた。
投げられたのが短刀だと気付いて慎霰は舌打ちしながら広げた両手を前へ振るった。
突風が短刀を地面に叩き落とす。
慎霰は枝を蹴った。
懐から取り出した一本の手ぬぐいが意志を持ったように柊の腕を絡めとる。ねずみの面で視界を塞ぐと、慎霰は地面に降りたち彼の足を払った。
柊がバランスを崩してもんどりうつ。
「もっと色っぽく転んでみせれば?」
なんていたずらっぽい笑みを浮かべて慎霰が彼に向けて一歩踏み出した時、小さな影が二人の間に割って入った。
「柊兄ちゃんをいじめるな!」
両手を精一杯広げて、柊を背中に庇いながら立っていたのは、さっき、おとうの具合が悪いと今にも泣きそうな顔をしてやってきた子どもだった。
「平太」
目は見えていないはずだが、その声で察したのだろう柊が子どもを呼ぶ。
慎霰は、子どもの足がわずかに震えているのに気付いて視線をそらせた。何だか弱い者いじめをしている気分になって術をといてやる。
「何で、お前……」
平太を背中から抱きしめて柊が言った。
「だって……兄ちゃん……」
平太が柊に抱き付いた。
「…………」
慎霰は所在なげに踵を返した。
「悪かった。試すようなマネをして……」
「……試す?」
足を止めて振り返る。
「ああ、大天狗様の力とやらを確認しておきたかったんだ」
柊が言った。
「……おまえ、あのねずみ小僧じゃないのか」
「俺がねずみ小僧だよ」
「俺が知ってるねずみ小曽ってのはなぁ……」
「殺しはやらねぇ」
「じゃぁ、なんで!?」
思わず慎霰は声をはりあげていた。番頭が斬られ、角屋が斬られたのをこの目で見たのだ。だけどその一方で貧しい長屋の者達を助ける優しい顔も見た。どっちが、本当の彼なのか。
「ねずみ小僧は徒党を組まない」
「!?」
「先代からこの名を頂いて、一度も破った事はない」
「……そういう事なんだな」
慎霰は確認するように言った。
それで漸く全てが繋がった。
要するにこういう事だったのだ。
ねずみ小僧は徒党を組まない。つまりあの三人組はねずみ小僧を騙るニセモノというわけだ。
だが、その女・子どもにも容赦をしない残忍なやり口に、『ねずみ小僧』を名乗らせたくなくて、奴らを止めようと試みた柊は、逆に返り討ちにされてしまった。それでも諦めなかった彼は、奴らを何とか止めようとずっと監視していたのである。
そこへ、黒い翼を持った慎霰が降って来た、というわけだ。
すぐに黒い翼は消えてしまったが、こいつは天狗だ、と思ったらしい。角屋には天狗が住まう、とは少し前から噂になっていたのだ。彼がもし、本当に噂の大天狗様なら、奴らを止めるために力を貸して貰いたい。そう思って、自分の長屋へ運び込み、手当てをしたのである。
しかし慎霰には、奴らにあっさり倒されたという前科があった。倒された、というには多少の語弊があるかもしれないが、不用意に追いかけて奴らの毒牙にかかったのだ。
だから柊は慎霰の実力を確認しておきたかったのである。そのために、いきなり短刀を投げつけてみせたのだ。そして慎霰の使う妖術を、彼は身を持って体感したのだった。
「それならそうと先に言えよな」
慎霰がふくれっ面をしてみせると、柊は困ったように頭を掻いた。
「いや、まさか面が見つかるとは思ってなくて」
「…………」
結局、全部自分のせいなのかと脱力した気分でいると、柊は慎霰の手をとった。
「頼む。力を貸して欲しい」
そう請われて慎霰には断る理由がない。相手は盗人とはいえ義賊である。それに奴らには個人的な借りもあるのだ。十倍くらいにして返してやらねば気がすまない。
慎霰は二つ返事で頷いた。
時に人は形から入るものである。
というわけで慎霰は、さっそく完璧な盗人装束と、厳選盗人七つ道具を買出しに出かけた。
その日の夕暮れ。
柊の家で二人は一枚の図面と睨めっこをしていた。
その図面は次に奴らが狙うと思われる庄屋の家と蔵の見取り図であった。
奴らを陥れるための策を互いに確認する。
「―――で、どうだ?」
「おう。任せとけ」
慎霰はドンと胸を叩いて応えた。
そして、昼間買い揃えたグッズを装着する。
「……その面は、なんだ?」
慎霰の顔をマジマジと見ながら柊が尋ねた。
慎霰は得意げな笑顔で答える。
「ふっふっふっ。よくぞ聞いてくれました。狐の面だぜ」
「…………」
「だって、ねずみ小僧は徒党を組まないんだろ?」
「…………」
こうしてこの日、きつね小僧が誕生したのだった。
■完■
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【1928/天波・慎霰/男/15/天狗・高校生】
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■ ライター通信 ■
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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