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増幅、幸福、穏やかな午後。
魔法薬屋に並ぶ数々の薬は、液体に魔法の効力を封じたものだ。シリューナ・リュクティアが作っているものなのだが、かすり傷程度のものならば瞬時に直す事ができるという治療薬は、リピーターが後を絶たないくらいに人気がある。また、呪術を封じ込めた呪薬類も扱っており、それらもその手の筋に人気がある。
魔法を取り扱う店だからこそ、魔法に関わるものも自然と集まってくる。魔法の力が封じ込められている道具は、体が石になったり金になったりするものから、一瞬で場所の移動が出来るものなど、種類も様々だ。
「うわ、綺麗」
シリューナの店に来ていたファルス・ティレイラは、シリューナの持ってきた魔法具の一つを見、声を上げた。
「勿論、これはただ綺麗なだけじゃない」
ティレイラはそう言いながら魔法具を手にする。それは、箱だった。きらきらと光る石をふんだんにちりばめた外装が、まず目に入る。これは先祖代々伝わっている宝石箱だ、と言われても納得するほど、美しく趣があった。
「これに、どんな力があるんですか?」
ティレイラは、つんつんと箱を指先で突っつく。目は既に興味で満ちている。早く効果を教えてくれと、顔中で訴えているのだ。
シリューナは「せっかちだな」と言って笑い、箱をぱかっと開く。外装に負けてはいない内装で、ベルベットを思わせる肌触りのよさそうな布が張っていた。蓋の内側には外装にあるものよりも幾分か小さな落ち着いた色の宝石がはめ込まれている。
「中も綺麗ですね、お姉さま」
ほう、とティレイラが息を漏らす。シリューナは「そうね」と頷いた後、手に炎を生じさせる。ライターくらいの、小さな炎だ。
「お姉さま、燃やしちゃうんですか?」
慌ててティレイラが尋ねると、シリューナはくすくすと笑いながら首を横に振る。
「よく見ていろ」
シリューナはそういうと、そっと炎を箱の中に入れる。何が起こるのだろう、と目がきらきらしているティレイラを横目に、シリューナは箱の蓋をぱたんと閉める。
「お姉さま、そんな事をしたら炎が消えちゃうんじゃないですか?」
「ティレ、開けてみろ」
意味深に笑いながら言うシリューナに、ティレイラは小首を傾げながら箱の蓋を開ける。途端、ぼわっ、という音と共に巨大な炎が一瞬吐き出された。
「きゃっ」
突然の炎にティレイラは反射的に目を閉じる。そうして、恐る恐る目を再び開けるが、既に炎は綺麗になくなっていた。たった、一瞬の出来事だったのだ。
「お姉さま、何ですか? これ」
軽い興奮を覚えながら、ティレイラが尋ねる。シリューナはそれには答えず、魔法薬を手にする。
「次は、これで試してみるか」
シリューナはそう言い、魔法薬を少しだけ箱の中に入れて、蓋を閉める。わくわくしながら見つめるティレイラに「さあ」と箱を開けるよう促す。
今度こそ目を閉じないように、とティレイラは慎重に箱を開ける。すると、ふわっとした風が一瞬流れた。
身体が軽くなるような、気持ちの良い風だ。
「それは、治癒効果のある魔法薬を入れたからだ」
「あんなに少ししか入れていないのに、全身が軽くなっちゃったみたいです」
ティレイラは感心しながら、自らの体を見る。痛いところも辛いところも、どこにもない。全身が綺麗さっぱりリフレッシュされたようだ。
「箱の効果、分かるか?」
「問題ですか?」
「ああ、問題だ。今までの事を思い返したら、簡単に答えが出るだろう?」
シリューナの言葉に、ティレイラは「ええと」と呟きながら思い返す。
小さな炎を入れると、巨大な炎が一瞬だけ現れた。
治癒効果のある魔法薬をちょっとだけ入れたら、全身を軽くする気持ちの良い風が流れた。
これら二つの出来事に共通する項目とは、唯一つだけ。
「効力が、増幅されてる……?」
尋ねるような言い方だったが、シリューナは満足したように微笑みながら頷く。
「その通り。これは、魔法の効力を増幅し、放出させる箱だ」
「凄いですっ!」
ティレイラはそういうと、箱を手にしながらまじまじと見つめる。目がきらきらと輝き、好奇心でいっぱいになっている事が傍から見ても分かる。
「さて、お茶にでもするか」
興味いっぱいのティレイラに、わざとシリューナはお茶に誘う。
「今からお茶、ですか?」
「ああ。ティレはお茶が嫌いか?」
「違いますっ! お茶もお菓子も大好きです」
「なら、どうしてお茶に怪訝そうなんだ?」
意地悪っぽくシリューナが言うと、ティレイラはぶんぶんと頭を振ってから、シリューナに向き直る。
「お姉さま、試してもいいですか?」
「何を?」
「だから、箱ですっ。この箱で、色々試してみてもいいですか?」
ティレイラは目をきらきらさせながら、箱を手にしたままシリューナに尋ねてきた。シリューナはくすくすと笑いながら「ああ」と頷く。その途端、ティレイラの目が寄り一層輝く。
「ありがとうございますっ!」
大きく頭を下げ、ティレイラは箱と向き直る。
「魔法の効力を増幅するんですよね。だったら……」
「試すのなら、これらを使ってみるといい」
シリューナはそう言い、箱の隣に魔法薬がたくさん入った籠を差し出す。ティレイラは「ありがとうございます」と礼を言ってから、ふと気付く。
「お姉さま、私が箱を試したいって言うの、分かっていてお茶なんて言いましたね?」
「ティレは分かりやすいからな」
「お姉さまっ!」
抗議の声を上げるティレイラに、シリューナは「いいじゃないか」と言って笑う。
「別に私が、ティレの好奇心を萎えさせるような事をしたわけじゃないし、最終的にはこうして実験に協力するのだから」
「そ、それはそうですけど」
むう、と膨れるティレイラに、シリューナはくすりと笑ってからそっと頬に触れる。
「好奇心旺盛なのはいい事だ、ティレ。その気持ちを、大事に」
「はあい」
いいように誤魔化されてしまった。ティレイラは「まいっか」と気持ちを持ち直し、魔法薬を一つ一つ確認していく。
氷、水、風、雷といった、自然現象の魔法薬から、幻や模造品を生み出すものまでし種々様々だ。
「まずは、これにしてみよっと」
ティレイラはそういうと、氷のラベルが張られた魔法薬を少量はこの中に入れ、蓋を閉める。そうして再び蓋を開けると、ばきんっ、と一瞬自らの体が氷となる。
「……う、前のこと、思い出しちゃった」
あっという間に戻った自らの体にほっとしながら、ティレイラは呟く。いつぞやにされた氷像の時の事を、思い出してしまったらしい。幸いにしてシリューナはお茶を入れにいっていた為、この場にはいなかった。
「もし、お姉さまがいたら間違いなく大喜びされるわ」
うう、とティレイラは思い返す。嬉しそうに、氷となった自分を見つめるシリューナ。そっと冷たい頬に触れ、可愛いと何度も繰り返しながら眺めるシリューナ。嬉しいような、ちょっとだけ切ないような。
「気を取り直して、次!」
ティレイラは、ぶんぶんと頭を振って思い出を追い出し、次の魔法薬に手を伸ばす。次に手にしたのは、幻を生み出す魔法薬。それを少量だけ箱の中にいれ、蓋をパタンと閉める。
「気に入ったようだな」
お茶セットをお盆に載せたシリューナが戻ってきた。ティレイラの分も用意してあるが、当分は紅茶を飲まないだろうと思ったのだろう、ティカップは裏返されている。
「はい、お姉さま」
ティレイラはにっこりと笑って答える。氷像の思い出を差し引いても、箱が面白い事には変わりない。
「次は何を入れたんだ?」
「幻です」
ティレイラは答え、蓋を開ける。すると、ぶわっと煙が噴き出して辺りを包み、巨大なティポットを生じさせる。
「ティポット?」
不思議そうに呟くティレイラをよそに、巨大ティポットは傾く。そして、注ぎ口からじょじょじょーと熱い紅茶をこぼす。思わずティレイラは「熱っ」と言いながら身を屈めた。
だがそれは、一瞬の事だった。気付けば巨大ティポットは何処にもなく、熱い紅茶まみれになったはずのティレイラ自身も、服の端一つぬれてはいなかった。
「さすが、幻」
ティレイラは呟き、にこーっと笑う。熱い感覚も、注がれている感覚も、全てあった。あったにも拘らず、何事もなかったように元通りだ。
「次は光にしようかな」
うきうきしながら魔法薬を選ぶティレイラを見ながら、シリューナはそっと微笑みながら紅茶を口にする。
好奇心旺盛なティレイラの事だから、きっと夢中になるだろう事は容易に予想がついていた。今、予想通りに進んでいるのだとわかっているのだが、それでも目の前で繰り広げられるティレイラの行動は、自然と笑みが浮かんでくるほど微笑ましい。
(出してきて良かった)
シリューナは思う。不意に思いついて出してきただけの箱ではあったが、こうしてティレイラが楽しそうにしている様を見られるのならばそのかいがあったと。
ティレイラは光の魔法薬をいれ、蓋を開けて辺りを光らせる。まばゆい光に、思わずティレイラは「きゃっ」と声を上げながら喜んでいる。
シリューナは「そうだ」と小さく呟き、ティカップを置いて箱に近づく。
「どうされたんですか? お姉さま」
「これも試してみろ」
シリューナはそう言い、魔法薬をティレイラに手渡す。何も書いていない、きらきらと輝いている魔法薬だ。ティレイラは「はいっ」と元気良く返事をし、箱の中に少量入れてから蓋を閉めた。
「お姉さま、一体何の魔法薬なんですか?」
「それは開けてからのお楽しみだ」
「うわあ、楽しみ」
何を入れたのだろう、とどきどきしながらティレイラは蓋を開ける。すると、金色の光がティレイラを包み込んだかと思うと、一瞬だけ彼女を金色の像にしてしまった。
「やっぱりいいな」
シリューナがにっこりと笑いながら金の像となったティレイラを見つめると、ふ、とあっという間にティレイラの姿が元の通りになった。
「また金の像になっちゃったじゃないですかっ」
膨れながらティレイラが言うと、シリューナは「そうだな」と言って頷く。
「稀なる体験が再び出来てよかったな」
「うー……いいような、悪いような」
複雑そうなティレイラに、シリューナはくすくすと笑みをこぼす。
「一息ついて、お茶でも飲むか?」
シリューナが誘うと、ティレイラは箱とティポットを見比べてから「はい」と頷いた。
「お茶の後、次は雷を試しちゃいますっ!」
ぐっと拳を握り締めて力強く言うティレイラに、思わずシリューナは笑う。
素晴らしいほどの好奇心だな、と心の中で呟きながら。
<楽しくも優しい時間の中・了>
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