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不思議の国のウラ・フレンツヒェン
暖かくなりだした心地良い初春のある日――ウラ・フレンツヒェンは、黒いゴシック調のスーツを綺麗に着こなした細身の青年、ウルリヒ・フレンツヒェンと共に東京の街を散策していて、突如、奇妙な生物に遭遇した。それは黒いサングラスとスーツを身に着け、こともあろうに二本足で立って歩くウサギである。
「かわいい!」
と、ウラは見るなり歓喜の声をあげた。隣でウルリヒが『理解できない』というような顔をしているが、そんなことなどお構いなしである。人間の言葉を話すのだろうか、それなら声をかけてみようかと彼女が考えていると、驚いたことに、ウサギの方から近づいてきてこう口を切った。
「今何時だ?」
ウサギが人の言葉を話したこともさることながらその尊大な口調は、人にものを尋ねる態度とは到底思えず、もはや無礼を通り越して驚きですらある。
だからだろうか。ウラとウルリヒは呆気にとられたように顔を見合わせ、視線を交わすと、反射的と言っても良い仕草でそれぞれのポケットから全く同じゴシック調の懐中時計を取り出した。
――その瞬間。
ウサギは恐るべき速さと業で二人の時計を同時にその手から奪うと、
「何てこった、もうこんな時間だ! こうしちゃおれん、行かなくちゃ!」
芝居がかった口調で叫んだかと思うと、二つのそっくり同じ時計を持ったまま一目散に駆け出したのである。その速さといったら、まさに電光石火のごとく、であった。
二人はしばし呆然と、その去り行くウサギの後ろ姿を見つめていたが、やがて我に返ったウラはおもむろに「ぶっ殺す。」と呟き、
「てめ、誰の時計を持ち逃げしてんだコラ!!」
可憐な乙女の愛らしい風貌も消し飛ぶような迫力と殺気あふれる声で、語気も荒く怒鳴った。そして、
「おまえ、何をぼさっとしているの! 追いかけて締め上げるわよ!」
かわいい、と言ったその口で男前なせりふを吐いてウルリヒを睨むと、ウサギの後を追って駆け出したのだった。
†††††
つい先ほどまで疑問もなく歩いていた街が、あたかも砂糖が液体の中で形を崩すようにその様相を変えていく。建物だったものはおもちゃの山と化し、地面はいつの間にやら赤い絨毯、頭上に広がる空は紅茶の入ったティーカップを底から見上げたように赤く、絶えず波打っていた。
「おえ……吐きそうだわ。」
「上ばかり見ていると転ぶぞ。」
変わりゆく街の様子に気づき空を見上げたものの、不快感を覚えて視線を前へと戻し唸ったウラに、彼女の後ろを走っていたウルリヒがにべもなくそう言った――丁度その時、ウラは何かにつまずいてつんのめった。あわや絨毯にスライディングするところを、腕を引かれて何とか踏みとどまる。
「言っているそばから転ぶとは、律儀だな。」
呆れているのか怒っているのか、どちらともつかない淡々とした口調で助け起こしてくれたウルリヒに、しかし、その言葉が気に食わず、ウラは癇癪をおこして「何よ!?」と叫んだ。
「五月蝿い。なんでも喚きたてなきゃ気がすまないのか?」
と、それでもウルリヒは冷ややかである。彼はどんどん遠ざかるウサギの後ろ姿を見やり、呟いた。
「それより、このままでは逃げられる気がするが?」
「ウサギは巣穴に逃げるのが習性なのよ。追い込んでやるわ。キヒッ。」
復讐心を燃やし、冷淡なウルリヒに対する怒りも忘れてウラは喉がひきつるような独特の笑い声をあげた。そして、おもむろに絨毯の上に転がっていたおもちゃ――先ほど彼女がけつまずいた物だ――を拾い上げ、ウルリヒが怪訝そうに見守る中、彼女はレースのついたスカートを翻して、
「乙女をなめんじゃないわよ!!」
と叫んで手の中の物を力いっぱい、ウサギに向かって投げつけた。それはあやまたず、ウサギの脳天に直撃する。
「やったわ! クヒッ。」
かわいらしく歓声をあげ、ウラは早速そこらじゅうに散らかっているおもちゃを手当たりしだいに投げ始めた。それはまさに雨のごとく、ウサギの頭上に降り注ぐ。
これにはウルリヒも感心したのか、
「雷も落としてやろうか?」
と申し出て、長い指を文字でも書くように素早く躍らせた。ぱちぱちと空気の帯電する音が鼓膜をくすぐる。
彼はそれを天に差し伸べ、指を鳴らす――それが合図であったかのように、不安定に揺らいでいた空に暗黒の雷雲が立ちこめ、それは瞬く間に強い風と本物の雨を伴う大嵐となった。
おもちゃの爆撃にあっていたウサギが、雷鳴の音を聞いてびくりと顔を上げるのが見える。そこへ容赦なく、ウルリヒは腕を振り下ろした。
空が裂け、雷が走る。青白く輝く一閃の光がウサギの傍へ真っ直ぐに落ちた。爆音が響き、煙が上がる。
「あたしの時計!」
ウルリヒの術はすごいがあんな雷が直撃すれば時計が壊れてしまう、と、ウラは慌てて握っていたおもちゃを投げ出し、ウサギの下へと駆け寄った。
憎らしいこそ泥は、ウルリヒの素晴らしい制御力で雷の直撃はまぬがれ、黒こげにこそなっていなかったが、耳の先の毛が少し縮れており、崩れたおもちゃの山の下でぶるぶると震えていた。だがその手には未だしっかりと、時計は握られたままである。
「この時計は雷雲を呼ぶのだ。おまえにこの時計を持ってくるよう言った奴のところへ運んでみろ、黒焦げになる運命だぞ。」
ウラと一緒にやってきたウルリヒがゆっくりと歩み寄りながら、過ぎし冬のように冷えた声でウサギに言う。ウラもその隣に並び、
「そんなことになったら大変でしょう?」
と、腰に手を当て、諭すように言葉を続けた。
「それにおまえの子供が泣いていたわよ、パパ人参のために悪いことしないでって! ……おまえも芝居にのりなさいよ。クヒッ。」
最後のせりふは小声で、ウルリヒを肘でつつきながら言う。
しかし、彼はまったく乗り気ではなさそうだった。ウラは内心舌打ちをし、使えない奴め、と呟く。
ウサギは何度も時計と二人の顔を見比べ、躊躇していたが、やがてよろよろと起き上がり、肩を震わせると、
「おれはまだ独身だ!」
叫ぶが早いか、まさに脱兎のごとく駆け出し、すっかり崩れたおもちゃの山の陰に隠れるようにして建っていた小さな時計台――とはいえ、そこに時刻を示す針はついていない――に飛び込んだ。ばたん、と音を立てて扉が閉まる。
慌てて二人がそれに走り寄り、木製の取っ手を引いて開けるとそこには、建物の中とは到底思えない風景が広がっていた。巨大なガラスの迷路である。
「待ちなさいよ!」
この期に及んでまだ逃げるとは思ってもみなかったウラは、すっかり頭にきて怒鳴ると、ためらうことなく扉をくぐった。ウルリヒもそのあとに続いたようである――と、その次の瞬間、世界は袋を裏返しにしたかのように、一変した。
時計台の中にあったもの――迷路が目の前に広がり、先ほど駆け抜けてきた街の景色が背後の時計台の中におさまったのである。
だがそれもすぐに掻き消え、代わりに闇の帳が視界に落ちた。
「何よこれ、真っ暗じゃない。」
ウラは不満そうに声をあげ、先ほどウルリヒがしたのと同じように、しかし、それよりも短く、意識を集中して宙に指を踊らせる。一瞬の瞬きのあと、ウラの術は完成し、周囲が青白く輝いた。魔術によって生まれた雷光がガラスでできた迷路の壁に反射して、星のように瞬く。その光のフラッシュの中にウラは思いがけない物を見つけた。
――あれは、お菓子の家?
そう、眼前に待ち構えている迷路の入り口から視線をはずすと、向こうの方におとぎ話に出てきそうなお菓子でできた小さな家がぽつんと立っていたのである。
ウラにはウサギが迷路に入ったのか、はたまたあのお菓子の家の方へ行ったのかは判らなかったが、彼女は迷わず迷路に背を向け走り出した。もはや彼女の頭の中にはウサギの存在など消え失せており、お菓子の家への興味でいっぱいである。一緒に闇に飛び込んだウルリヒのことさえ忘れてしまったのか、彼女は一度も振り返ることなく、そちらの方へと駆けていった。
そのこぢんまりとした家は、壁は頑丈なチョコレートで扉は軽いウェハース、屋根はビスケットでできており、それを大小様々な金平糖が彩りを添えていて、突き出た煙突は薄く延ばしたキャンディの筒だった。
甘い香りに誘われるようにウラは扉を押し開け、中へと入っていく。一歩踏み出した床は、柔らかい生クリームだ。
お菓子の家の内部はその小さな外観にそぐわぬ広さで、家具もすべてお菓子でできている。味見をしてみよう、とウラが傍の机に近づくと、突然、
「人間は食べない方がいいと思うよ。」
という声が下の方から聞こえた。見下ろすと机の下の椅子にシマウマのような見事な縞柄のネコが一匹、ちょこんと座っている。
「ここはお茶会が大好きなウサギたちのお菓子の貯蔵庫。奴らはおれ様から隠れていつまでも、時間も忘れて遊んでいたいから、ここに特別なお菓子を蓄えているのさ。」
と、ネコは牙をむき出すように笑って言った。
「あたしが食べたらどうなるの?」
ウラが訊くと、ネコは「ウサギたちと一緒さ、時間なんて気にしなくなる。」と尻尾を振りながら答える。
「でも、人間には時間は大事なものだろう?」
縞ネコの問いに、ウラは一瞬の間きょとんとしていたが、やがて、
「きっとそうね。」
と言って、クヒッといつもの笑い声をあげた。
「おまえ、ウサギの居場所を知っている?」
「どのウサギのことかは知らないが、ウサギなら迷路の先にたくさんいるよ。」
ネコはそう言ってくるりと宙返りをすると、生クリームの床に華麗に着地する。
「迷路を抜けるのは骨が折れるが、ここからならお茶会の会場まで真っ直ぐだ。何しろ奴らはこの道を使って、ここへお菓子を取りにくるからな。おれ様はそれを待ち伏せているってわけさ。時々逃げられるけどね。」
言いながら縞柄のネコは白い床についている取っ手を引き、地下への入り口をウラに見せた。
「奴らも大変さ。この滑り台をいちいち登ってくるんだから。」
ウラは悲鳴をあげながら、くねくねと曲がりくねった暗い道を滑り降りる。このままではひきつけを起こすのではないかと心配になり始めた頃、突然目の前がぱっと明るくなり、彼女は開けた場所へと転がり出た。尻もちをついて顔をしかめると、
「どうやら役者はそろったみたいだな。」
という聞き慣れたクールな声が耳に届く。顔を上げると、傍にウルリヒが立っていた。
「おまえたち……!」
そして、怒ったように唸るあの泥棒ウサギと、長いテーブルを囲んでいるサングラスこそかけていないが彼とよく似たたくさんのウサギたちも。
「おまえ、どこに行っていたのよ?」
ウラはスカートについたほこりを払いながら、ウルリヒに声をかけた。
「ウサギを追って迷路を抜けてきた。そいういうおまえこそ、急にどこへ行ったんだ?」
そう問われて、まさかお菓子の家に目がくらんだとは言えず、彼女は意味ありげに目配せしたあとくるりと踵を返し、話をそらすかのように声高くウサギ達に向かってこう言った。
「けちなウサギたちがこんなところでお茶会? でも、それもこれでおしまいよ。」
「人間が何を言う、ここは永遠の世界だ。時間に縛られて生きている人間には、このお茶会に参加する資格はない!」
突然の闖入者の突然の宣告に腹を立てたのか、テーブルを囲んでいたウサギの一匹が怒鳴り返す。が、ウラはあっさりとその言葉を一蹴した。
「資格なんてなくて結構。終わらないお茶会なんて、ナンセンスだわ。」
そう言いつつも、テーブルの上のお菓子につい目がいってしまうのは乙女の性である。
「おい、何でおまえはこんな連中をここまで連れてきたんだ?」
「勝手に来たんだ、おれは役目を果たしただけで、連れてきたわけじゃない!」
仲間からの非難の声にサングラスのウサギは必死に弁明の言葉を口にした。ウラはそれにすかさず口を挟む。
「そう、あたし達は魔法の時計を取り返しに来ただけよ。」
「魔法の時計?」
「そう。一つは雷雲を呼ぶ時計、そしてもう一つにも魔法がかかっているのよ。」
サングラスのウサギは、確かに時計を持って走り出したわが身を、突然の雷が襲ったことを思い出し、青ざめた。
「あたしがある言葉を言えば、どんな世界も崩れおちるの。」
「ま、待ってくれ!」
その直後、雷鳴が轟いた。ウラの背後で精神を集中し、術を構築していたウルリヒがとびきりの雷雲を呼んだのだ。
ウラはキヒッと特有の笑い声をあげたあと、高らかに叫ぶ。
「お茶会はお開き!」
その言葉と共に、世界は雷光と、雷鳴にかき消された。
ウラは閉じていた黒曜石のような深く黒い大きな瞳を開き、目の前にあるガラスに視線を向けた。そこには、黒いゴシックスーツを着た細身の青年が背筋を伸ばして冷ややかな――しかし、どこか思いやりのある色をその黒真珠のような瞳に浮かべてじっと立っている。
よく見るとこの二人は少女と青年という違いこそあれ、まとっている雰囲気がとてもよく似ていた。同じ黒い瞳に黒い髪、ゴシック調のドレスとスーツ。少女は咲き誇る花のように愛らしく、青年は磨き上げた水晶のように美しいが、もしここに他の人間がいたなら、ともすると二人の間にあるガラスが、鏡であるかのように錯覚したことだろう――否、それはもしかしたら、本当に鏡だったのかもしれない。だがそうだとしても、大した違いはなかっただろう――鏡でさえ映す物をそのまま再現できるわけではない、すべて逆さまに映るのだから。
「おまえも見たんでしょう――最後のあたしの『嘘』は、なかなかのものだったじゃない? それともあれは、夢だったと思う? あの物語みたいに。」
ウラは手の中の時計を一瞥したあと、ガラスの向こうの青年も同じ物を手にしているのを見てクヒッと声をあげて笑い、昔読んだ物語の題を呟いた。
「不思議の国の……。」
了
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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
【3427 / ウラ・フレンツヒェン / 女性 / 14歳 / 魔術師見習にして助手】
【0147 / ウルリヒ・フレンツヒェン / 男性 / 18歳 / 魔術師】
ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ウラ・フレンツヒェン様、はじめまして。
この度はウルリヒ・フレンツヒェン様と共に嘘と虚構の世界に挑んで下さり、まことにありがとうございます。
とてもかわいらしいお人柄と大変楽しいプレイングで、実に楽しく書かせていただきました。
可憐な乙女の面影はいずこ、と思わずにはおれない覇気のあるせりふに惚れ惚れといたしました。
口調には気をつけたつもりでありますが、もしイメージを崩してしまっていたら申し訳ありません。
(あのようなやくざなウサギを「かわいい」とは思ってらっしゃらないだろうなと思いながらも、そう書いてしまったわたしを許してください。)
ウルリヒ・フレンツヒェン様への言葉が、きつくなりすぎていなければ良いのですが……。
何はともあれ、可憐で美麗なお二人を書かせていただく機会に恵まれ、大変幸せでございました。
楽しくかわいいプレイングをありがとうございました。
少しでも気に入っていただける部分があれば幸いです。
同じ怪奇の東京に身をおく者同士、またお会いできれば良いなと図々しく考えております。
その時はよろしくお願いいたします。
それでは最後に、制作秘話を一つ。
――ネコはくるりと宙返りをすると、生クリームの床に華麗に着地する。
――はずが、足を滑らせて転んでしまった。笑っては悪いとは思うものの……。
――「笑うな! ちくしょうクリームだらけだ……誰だ、こんな非常識な家を建てた奴は!」
ありがとうございました。
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