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燈無蕎麦 或いは鬼鮫ラーメン
●店主の幽霊
それは、濡れたような音を纏わせながら、ぷつぷつと呟いた。
「‥‥相棒だったんです」
それは、さほど広くない一人住まいのアパートの一室、苦しげな最後の動きをそのままに止めながら、確かに死んでいた。
しかし、声は聞こえる。
「あいつ、まだ毎日、仕事に出ています。置いていってしまった。あいつには、わからなかったんだ。私が‥‥死‥‥」
「ね? 聞こえるでしょ? 気味が悪くて‥‥」
このアパートの大家だという老人は、困った表情を浮かべて怪奇探偵、草間武彦を見た。
草間にも声が聞こえる。そして、床に倒れ伏す、割烹着姿の男の影を見たような気もした。
「また、こんな事件かよ」
嫌々といった表情の草間に、大家は封筒を差し出して懇願する様に言う。
「何とかしてくださいよ。このままじゃ、新しい入居者も入れられない。ね、ここはどうか一つ」
大家の声の向こう、部屋の中から声は続いていた。
「あいつが‥‥新しい‥‥主人に‥‥‥‥でなきゃ、自分が‥‥あいつと一緒に‥‥‥‥」
「あいつって誰だよ」
草間は苦々しく呟く。しかし、部屋の中の声は、その質問には答えず、同じ様な言葉を繰り返すだけだった。
「料金受け取ったんだもの、頑張りましょ」
シュライン・エマはそう言って、草間の肩を叩いた。
そして、シュラインの言葉を継ぐように、ササキビ・クミノが草間の背に向けて声を投げつけた。
「この仕事、私達に押しつけたいのだろうが、そうはいかないぞ。解決無しには手を引けっこない。運命とまでは言わないが、身に染みている事だろう。変に楽をしようとすれば、その分何か不都合が起こるものだ」
「‥‥お見通しかよ。帰りそびれたな」
呟く草間は、仕方なしといった様子で大家の手から封筒を受け取った。そしてそれを、そのまま上着のポケットに入れようとする‥‥が、一瞬早く、シュラインがその封筒を取り上げる。
草間は不満そうにシュラインを一瞥したが、シュラインはそれがまるで当然の事であるとでも言うかのように堂々と封筒を自分のバッグにしまった。
草間は小さく溜め息をついて肩を落とす。
そんな草間に、ササキビは冷たく言った
「信用がないのは、日頃の行いの結果だぞ」
「うるさい。そんな事よりも、仕事だ仕事」
歳柄もなく、ふてくされた様なことを言って草間は、改めて大家の方に目を向ける。
「で‥‥この部屋の主について、もう少し詳しく話してくれませんか?」
「え? あ‥‥はい」
大家は、突然話を振られて少し慌てた様子だったが、すぐに部屋の住人について語り始めた。
老齢の男。独り身だった。彼はこの部屋にずっと住んでいた‥‥そして、部屋の中で倒れたのだという。
不幸中の幸いと言うべきか、日頃から親しい近所付き合いが有った為、その死は数日で明るみになった。
身寄りがなかったので、残していた貯金と近所の者が出し合ったお金で葬儀を出したという。
大家も、心の底から死を悲しみながら、惜しみなく葬儀に協力した一人だった。
恨まれるとは思いもしなかったし、元より人を恨むような人だとも思えなかった。
しかし、彼が死んだ部屋では、彼の声が聞こえるのだ。
「ま、恨み辛みだけが化けて出る理由じゃないからな」
草間はそう言って、大家の誤解を指摘する。
大家は、この部屋の主が何か恨みがあって出てきたのではと思っていた‥‥まあ、テレビの怪奇特集くらいでしか幽霊を知らないなら、そんな誤解はあってもしょうがない。
「声を聞くに、“相棒”を心配しての事らしいな」
ササキビが、声に耳を傾けながら言う。声は同じ事しか言わず、繰り返し相棒の事を心配している。
シュラインは大家に聞いた。
「相棒と呼んでた人に何か心当たりはありませんか?」
「相棒‥‥相棒、相棒‥‥‥‥いえ、そんな人はいなかったはずです。親しく付き合ってた人は多くいるはずですが‥‥ああ、でも、何処かで相棒とかそんな事を言っていたのを聞いたような‥‥‥‥」
大家はじっと考え込む。しかし、記憶の奥に沈んだ思い出はなかなか思い出せない。
シュラインはしばらく待ってから、答はすぐには出そうにないと判断して、別の質問をぶつけた。
「この部屋の方、お仕事は何をしてたんですか?」
「ラーメン屋さんでした。ああ、と言っても、店じゃなくて、屋台を引いてたんです。リヤカーにつんだ、古い屋台なんですが‥‥居心地が良くてね。たまに食べに出かけた事を思い出しますよ」
「ラーメン屋さん‥‥」
微かに記憶に引っかかる所があって、シュラインが考え込む様子で眉を寄せる。
と、その時、大家が突然、声を上げた。
「そうだ! 思い出した! ラーメン、食べてる時でしたよ。親父さん、この店が相棒だって。何十年もずっと一緒にやってきたんだって、凄く楽しそうに思い出話してて‥‥ああ、でも‥‥‥‥」
「どうしたんです?」
大家の声が、暗く沈んだ物になっていくのを聞いて、草間が聞く。大家は、沈鬱な表情で答えた。
「屋台がね。無くなってしまったんですよ。葬式が終わって、初七日が過ぎた頃だったか‥‥気付いたら、無くなっていたんですよ‥‥それが、無念で成仏できないんですかねぇ。だとしたら、悪い事をしました。もっと早い内に管理していれば‥‥」
「今は、屋台は無いんですね?」
シュラインは、悔やむ大家に問う。
大家が頷くのを待って、シュラインは部屋の中に向けて声をかけた。
「相棒って屋台の事?」
だが、声は答えない。
「違うのかしら?」
「いや、それほど強い霊じゃないからだろう。そもそも、人の声を聞けないのかもな。霊媒がいれば話もできたろうが、その辺、俺達は知識のある素人だからな」
返事がないことに迷ったシュラインに草間は言った。
幽霊といっても、強いのから弱いのまで色々ある。ここにいるのは、弱いほうの幽霊で、しかも執着に囚われて他が見えていない‥‥つまり、自分の死すらも見えていないタイプだ。
こういった幽霊と話をするには、霊能力が必要になる。
「それより、何か心当たりでもあるのか?」
「ええ‥‥知らない? 店主のいないラーメン屋台の噂。私も、つい最近、聞いたんだけど‥‥気になってて」
「‥‥繋がるな」
シュラインの言葉を受け、ササキビが呟くように言って草間を見る。草間は、腕組みして少し考えてから頷いた。
「つまり、勝手に彷徨いているのか。主人が死んだ事に気付かず、いつも通りに仕事に行くつもりで」
「怪奇探偵の仕事だ。単に盗まれたと見るべきじゃないだろうな」
うっすらと皮肉めいたササキビの一言に、草間は嫌な顔をする。しかし、言い返すべき言葉が見つからないのか、反論は無かった。
シュラインは、一瞬だけフォローしようかとも考えたが、何を言ってもフォローにはなりそうになかったので止める。迂闊な事を言って、へそを曲げられても困るし。
「ともかく‥‥麗香さんの編集部か、雫ちゃんのサイトに行けば、それなりに情報は拾えると思うの。まずは、その噂の屋台に行ってみましょう?」
「そうだな‥‥情報収集は任せた」
草間はそう答えてから、大家に言った。
「だいたい、事態は飲み込めました。悪霊って訳じゃありませんから、しばらくは放っておいても大丈夫です。後は、成仏できるよう、こちらで全力をつくします」
●鬼鮫ラーメン
電車が轟音を吐き散らしながら頭上を駆け抜けていく線路下をくぐる小道。昼でも暗く、夜ともなれば一切の光の入らない筈のそこに、小さな明かりが灯っていた。
歩み寄れば、リヤカーを改造した小さな屋台が一つ。
味も素っ気もなく「ラーメン」とだけ書かれた暖簾の下には、薄汚れた丸椅子が幾つか。
暖簾の向こうからは、名も知らぬ演歌歌手の歌が、ノイズ混じりに流れている。
「一つ」
暖簾をくぐって、ヤクザじみた空気を背負った男‥‥鬼鮫は言った。
しかし、そこに店主の姿はなく、スープ鍋と麺を茹でる鍋の二つがクツクツと音を立てて居るのみ。
鬼鮫はスゥッと目を細め、呟いた。
「燈無蕎麦とは、古風な奴が出やがったな」
斬っても良いが、灯りを消すと祟るという。
無駄に祟られるのも馬鹿らしい。それに、ラーメンドンブリを刻んだ所で、面白いとも思えなかった。
鬼鮫は少し考えて、腹の鳴る音に思考を中断させる。
「勝手にやらせて貰うか」
化け物は気にくわないが、店の雰囲気は嫌いじゃない。
鬼鮫は屋台の裏に回り、勝手に麺を茹で始める。妙に手際よく準備を進め、一杯勝手に仕上げるとその場で啜り始めた。
と‥‥そこで、誰かが暖簾をくぐる。
鬼鮫は、ちょうど食い終わったラーメンドンブリを、汚れた食器を突っ込むバケツに放り込み、その誰かに向かって言った。
「禁煙席しか開いてねぇぜ。嫌なら帰りな」
「‥‥帰ろう」
暖簾をくぐりかけた草間は、迷うことなく即答する。
「最近は、何処へ行っても禁煙禁煙だ。嫌煙主義者どもはその内、国中を禁煙にして、喫煙者をまとめて海にでも放り出すんだろうぜ」
「けっ‥‥馬鹿野郎。そんな事したら、喫煙者共のニコチン臭ぇ死体で海が汚れちまわぁ。てめぇらは、どぶの中でも這いずってろ」
草間の憎まれ口に、まるでネタあわせをしていたかのように鬼鮫は言い返す。
草間と鬼鮫、二人の間にギスギスした空気が満ちた。
流石にそれを放って置くわけにも行かず、シュラインは草間の服の裾を引いて宥めるように言う。
「後で暖簾外で吸えば良いじゃない」
「ホタル族かよ」
嫌そうな表情を浮かべる草間。ササキビは彼を捨て置いて、暖簾の向こうの鬼鮫に問う。
「タバコ談義はさておいて、珍しい顔じゃないか。いつから、ラーメン屋に転職した?」
鬼鮫は、IO2のエージェントだ。ここで屋台を引いている理由はない。
「殺しが過ぎてクビになったか‥‥それとも、この怪異に引き込まれたか?」
重ねて問われ、鬼鮫は少し考え込む素振りを見せた後、ニヤと笑ってササキビに答える。
「引き込まれたようだな。とは言え、こいつの力じゃない。なに、ちょっとした気まぐれだ」
「‥‥要するに、ラーメン屋をやってみたかった?」
ササキビも、その答が正しいような気がした。
鬼鮫は性格に問題はあれど、腕利きのエージェントだ。それを引き込めるほど、この怪異は強くない。
ならばと、次はシュラインが鬼鮫に質問をする。
「もしかして屋台の新しい主人て鬼鮫さん?」
「今夜限りだ」
はっきりと首を横に振る鬼鮫。だが、その答は、今夜だけはラーメン屋の主をやっても良いと言うように取れた。
シュラインはそう判断して、屋台の前に並んだ椅子の一つに座る。
「折角だから一杯頂きたいのだけど‥‥駄目かしら? 武彦さんも、ササキビさんも、ほら、夕飯済ませられるし」
鬼鮫に言いながら、草間とササキビを誘うシュライン。
草間は、煙草が吸えないことに不満げな顔をしながらも椅子に座った。
一方ササキビは、シュラインの誘いには乗らず、屋台の裏側‥‥鬼鮫の傍らに立った。
「私は手伝いをしよう。良いか?」
「ドンブリ、洗っておけ。終わったら、チャーシューを切れ」
ぶっきらぼうにササキビへ言って鬼鮫は、麺を二つ用意すると鍋に放り込んだ。
ササキビはその横で、素直にドンブリを洗い始める。
水はポリタンクに汲み置きがあった。
「水をジャブジャブ使うなよ? 汲みに行かなきゃならねぇからな」
「わかってる」
素っ気なく言葉を交わしあいながら、二人は手を止めない。
ややあって、鬼鮫は新しいドンブリを二つ並べ、麺を茹でる鍋からお湯をすくい、ドンブリにさして温める。そして、すぐにお湯を鍋に戻すと次にスープを入れた。
返す手で、鍋から麺をすくい上げ、手際よく湯キリしてドンブリに放り込む。
チャーシュー二枚と刻みネギ、焼き海苔と麩、シナチクに彩りの茹でホウレンソウをドンブリに放り込み、それをシュラインと草間の前に置いた。
それで何も言わない。お愛想は別料金だとでも言いたげに。
そんな鬼鮫の無愛想さに理解を示すかのように、草間も無言でドンブリを手元に寄せ、黙って麺を啜り込む。
シュラインもまたその場の空気に飲まれて、「いただきます」の一言も無しにラーメンを口にした。
「美味しい。鬼鮫さん、お上手なんですね?」
ラーメンは驚いたことにプロ並みの出来映えだった。
それを素直に褒めたシュラインに、鬼鮫は不機嫌そうに言葉を返す。
「うるさい。黙って食え」
「え? 私はただ‥‥」
「シュライン、そんな事を言う奴があるか。黙ってろ」
シュラインは、鬼鮫と草間から、何故かは全く理解できないが怒られた。
反論したかったが、どうやって反論するかもわからなかったので、シュラインは仕方なしに黙り込む。
ただただラーメンを啜る音二つ。ラジオから流れ出る演歌を邪魔しつつ響く。
と、草間が呟くように言った。
「冷やで一杯」
「ん」
鬼鮫は、屋台の中から一升瓶を引っぱり出し、コップについで草間の前に置く。そして、ついでとばかりにもう一つコップを出し、それにも酒を注ぐと、自分で一口飲みこんだ。
それから、チャーシューの中から形が崩れたようなのや端の方で見栄えの悪いのを小皿に取り、ネギを乗せて草間の前に置く。
草間は、冷や酒を軽く一口飲み、ネギチャーシューを箸でとって口に放り込む。そして、飲み下すやまた酒を一口。
「良い酒だな」
「ああ」
鬼鮫と草間、二人で酒をあおる。
「悪くない店だ」
「‥‥ちげぇねぇ」
小さく笑いあう。そして鬼鮫は、空になった草間のコップに酒を注ぎ、自分のコップにも酒を満たした。
「あの、私にもいただけますか?」
シュラインは、何とはなしに羨ましくなり、箸を止めて鬼鮫に頼んでみた。
鬼鮫はジロリとシュラインを一瞥した後、新しいコップを出して酒を注ぐ。それから、小皿にシナチクを取り、ネギを乗せて、ラー油を垂らしてからシュラインの前に置いた。
「いただきます」
シュラインはそう言ってから、酒を一口飲む。
いわゆる安酒であった。正直、あまり美味しいとは思えない。もっと美味しい酒を飲んだ事は幾らでもある。
ツマミのシナチクも、しょっぱからい。
しかし今は、美味そうに安酒を飲む、草間と鬼鮫が羨ましく思えた。
「こんな盛り上がり方をされると居場所がないな」
ササキビが、屋台の中で塊のチャーシューを切りながらシュラインに言った。
そして、端切れのチャーシューを集めてそれを賽の目に切る。勝手に茶碗を出して、炊飯器に保温されていた飯を少な目に盛った。その上に海苔を刻んで乗せて、賽の目に切ったチャーシューを乗せて、チャーシューのタレを少しかける。
「でも流儀はわかった。勝手に楽しませて貰えばいい」
暇なので、勝手に御飯にする。ササキビは、適当に作ったチャーシュー丼を食べ始めた。
「ササキビさん、鬼鮫さんと武彦さんの事わかるの?」
シュラインは少し驚いてササキビを見る。
シュラインは、この二人が何故に楽しそうなのかが良くわからない。傍目には、物凄く殺伐とした空気の中にいるような気がするのだけれど。
そんなシュラインの疑問に答えるというわけではなく、ササキビはとりあえずの考えを述べる。
「草間や鬼鮫のような古くさい男達は、こんな空気を吸ってるだけで楽しいのだろう。ひょっとすると、死んだ店主も、古くさい男だったのかもな」
まあ、古くさい男でもなければ、こんな屋台を一生引いて暮らして良しとは思わないだろう。
これは、非常に重要な事だとササキビは考えた。
で、考えながらチャーシュー丼を一口。元店主のチャーシューの漬けダレは、なかなか良い。
一方、シュラインは、ササキビの言葉を、そんなものかと考えながら聞いていた。
言ってしまえば、何かと言うところの、“男の世界”なんて奴なんだろう。
「武彦さんがそれで楽しいなら、それで良いけど‥‥」
シュラインは呟くように言ってから、残りのラーメンに取りかかった。
ふと見れば、草間の方はいつの間にやらドンブリの中から麺が消えてしまっている。そして、今まさにドンブリを持ち上げようとしていた。
「武彦さん、スープまで飲んだら体に悪いわよ?」
塩分や脂肪の取り過ぎとか、まあ体に良いと言うことはない。だからシュラインは先に注意したのだが、草間は意図的にかそれを無視した。
スープを一口飲んだ後、草間は一言、鬼鮫に告げる。
「あとめし」
「あとめし? そいつは、しらねぇな」
「ん? ああ、そうか。裏に入れて貰うぞ」
草間の注文に、鬼鮫は肩をすくめる。それに答えて草間は、あたかも当たり前の事のように立ち上がり、屋台の裏に回った。
チャーシューの端切れを出して賽の目に切る。シナチクも出して、これも短く切る。茶碗に御飯を盛って、切ったチャーシューとシナチク、あと多めにネギを盛って、それを持って自分の席に戻った。
それから、今作ってきた“あとめし”を、ドンブリの中に放り込む。
「なるほど、美味そうだな」
「ああ」
感心したような鬼鮫に答えながら、草間はスープと一緒に飯と細かく切られた具を掻き込む。口一杯に詰め込んで、もぐもぐやって、ぐいぐい呑み込むのが良い。
空のドンブリを置き、小皿に残っていたチャーシューを口に詰め込み、コップ酒で流し込んで草間は言った。
「ごっそさん」
すかさず、ササキビは茶碗を置いて、草間のドンブリと茶碗、ツマミを入れていた小皿を取り、洗い物バケツに入れる。
残された草間のコップには、鬼鮫が新しく酒を注いでいた。とは言え、ゆっくり注ぐので、あまり量は入っていない。
鬼鮫の目は、シュラインのラーメンの残り量と、ササキビの茶碗の中の残りに向けられていた。
シュラインとササキビが食べ終わるまで、草間と飲む気でいるのだろう。草間もそのつもりなのは、簡単に見て取れた。
「ゆっくり食べたい」
ササキビが言う。
「そうか」
鬼鮫は頷き、草間のコップいっぱいに酒を入れる。
そして、草間はラジオの演歌に耳を傾けながら、静かにコップを傾ける。鬼鮫も同様に酒をやっていた。
ふ‥‥と、草間が口を開く。
「鬼鮫。転職して、ラーメン屋になったらどうだ?」
「悪くねぇ。化け物を皆殺しにしたらな」
即答。それで、何がおかしいのか草間と鬼鮫は笑い合った。何処か陰りのある表情で。
そんな二人を横目で見ながら、シュラインはラーメンを食べ終えた。
出されたツマミと酒もいただいてから、「御馳走様」と一言。鬼鮫と草間の話に割り込むのに気がひけたので、誰にともなく‥‥いや、屋台そのものに向かって言うつもりで言葉にする。
それからシュラインは、自分のドンブリと小皿、コップを持って席を立ち、屋台の裏に回った。
「片づけ、手伝うわね」
「いや、狭くてかえって邪魔になる。置いていってくれ」
手伝おうという申し出をササキビは断った。
まあ、狭いというのも本当なのだが、一人分のどんぶりを洗う作業を代わって貰うのも、かえって面倒に思えたのだ。それに、他にも理由が‥‥
「そう‥‥悪いわね。じゃあ、お願いします」
答えてシュラインは、洗い物バケツにドンブリや小皿をそっと入れた。
それで手持ちぶさたになったので、シュラインは改めて屋台を見てみる。
ごく普通の屋台にしか見えない。
話の流れからするに何かしらの妖物で有ることには間違いなく、それは鬼鮫も認めているらしいのだが‥‥かといって、何かしてくるわけでもないので判断に困る。
「‥‥相棒?」
シュラインは、幽霊の声音を真似てみた。
何か反応があるかと思ったが何もない。
「ああ、そういうもんじゃないから諦めろ」
声を投げたのは鬼鮫だった。
「こいつは物だ。人との付き合い方が、人とは違う」
「話したり聞いたりじゃないって事?」
シュラインは言葉のエキスパートであるが故に、それ以外の方法と言われてもピンとは来ない。
しかし考えてみれば、物は語る口も聞く耳も持たないのが普通だ。
だが、主人と何らかの交流があったことは確かだろう。
では、どうしたのか? 少し考えると、その答が見えてきた。
「使ってあげる事?」
使う人、使われる物、そこにあるコミニュケーション。
「それが正解のようだな」
屋台の裏から、濡れた手を拭いながらササキビが立ち上がる。
「この屋台、なかなか気持ち良く働けた」
この屋台、非常に使い易く、そして使えば使うほどに仕事が楽に楽しくなってくる。
これがこの屋台の魔力だとしたら、ササキビもまた魅入られたという事になるのだろうが‥‥これは魔力がどうのという領分ではなく、むしろ屋台との交流があっての事なのだろうと読めた。
「元の店主が、死ぬまで愛用し、そして死んだ後も心配するはずだ。この屋台は、本当に良い奴だよ」
ササキビ自身にすら、この屋台を引いて暮らすことも悪くないと思わせるほどに‥‥それは、有り得ないことなのかもしれないが。
「そう‥‥どうも私は、少し考え方を間違っていたみたいね」
シュラインはササキビの言葉に納得し、小さく溜め息をついた。
慣れのせいかも知れないが、妖物を人と同じコミュニケーションを取れる物として行動してしまっていたわけで‥‥まあ、実際、友人知人の中にもそういった物がいるのだから、それは仕方ないのかも知れないが。
「でも‥‥それなら、どうしたら良いのかしら? 屋台で、店主の霊を迎えに行ってあげたかったけど」
「いや、この屋台はまだ働きたがっている。新しい店主を見つけてやるのが良いと思う。元の店主は、屋台が落ち着いたら成仏するのではないかな?」
ササキビは、霊の言葉を思い返す。「新しい‥‥主人に」霊はそう言っていた筈だ。
「営業許可等そのままだろう、まずその後片付けをする必要がある。後はネット等で志願者を募る、霊感持ちより理解と度胸と腕のある人間がよい‥‥」
そこまで言って、ササキビは迷った。
新しい店主を見つけるのは良い。だが、見つかるまでの間はどうするか? 誰かが屋台を引かないと、この屋台はいつまでも、さまよい歩くだろう。
「‥‥当面の間で良い。この屋台を引いてみないか?」
ササキビが聞いたのは鬼鮫だった。予想通りに顔をしかめる鬼鮫に、ササキビは更に押し込んでいく。
「確か‥‥IO2の任務は、妖物の保護も含まれる筈だ。そうだろう?」
「‥‥俺は殺すのが専門だ」
と、言って‥‥鬼鮫はニィと笑みを作る。
「だが、まあ良いだろう。ここは、俺が預かって置いてやる。次の店主が決まるまでだ」
意外と言えば意外な台詞だった。それを受けて、草間がからかうように口を開く。
「今夜だけと言ってたろうにどうした? 堅気の真似がしたくなったか?」
「かもな。気まぐれだ‥‥笑わねぇでくれよ。無宿渡り烏が、軒に止まったくらいに思いねぇ。なぁに、いずれは飛び立つ‥‥そういうものさ」
鬼鮫は皮肉げに笑っていた。納得したかのように、草間は頷く。
「‥‥ま、こっちはそれをどうこう言いはしない。屋台の方は任せた。他の始末は、こっちでやっておく」
そう言って草間は席を立つ。と‥‥その前に回り込み、ササキビが手を揃えて差し出した。
「まった。食った分は入庫しろ」
「なるほど、道理だ。よこせよ」
鬼鮫の声が追い打ちをかけ、草間は苦々しい表情を浮かべる。
「鬼鮫。お前は払わない気か? さっきから、飲み食いしてただろうに」
「馬鹿を言うんじゃねぇ。今は俺が店主だぜ? 俺の金を、俺に払う道理はねぇな」
一瞬の睨み合い。その後に、草間は財布を出し、千円札3枚ばかりを出した後、鬼鮫に差し出す。
が‥‥、すぐにそれを引っ込め、ササキビに渡した。
「こいつは、前の店主に支払う。仏花代にでもするさ」
「‥‥煙草のみは、根性が曲がってていけねぇ。二度と来るんじゃねぇぞ。煙草臭くて、飯が不味くなる」
二人が会うと、憎まれ口で始まって憎まれ口で終わるのかと‥‥一人離れて、自分も財布を取り出しながら、シュラインは呆れて溜め息をついた。
「‥‥それなのに、どうして楽しそうなのかしら?」
●成仏
墓の上に、それなりに豪華な花が置かれていた。あの夜のラーメン代が化けた代物だ。
僧侶の読経の声に乗り、線香の香りが漂ってくる。
49日が過ぎ、墓への納骨をしたその日に、報告が出来たのは良かったと言うべきなのだろう。
墓から少し離れた所で、手持ちぶさたに煙草を吹かしていた草間に、シュラインは静かに歩み寄った。
「声、しなくなってたわ」
「そうか‥‥仮の跡継ぎがあんな男でも、安心してくれたのか。有り難い話だな」
シュラインは一応、屋台に新しい主人が出来た事を、元店主の部屋で報告してきた。
しかし、行った時には既に声は聞こえなくなっていた‥‥何某かの繋がりで、新しい主人が出来たことを知って、既に成仏していたのかも知れない。
「何もしなくても、解決していたのかも。鬼鮫さんは、私達に関係なく、屋台の所にいたんだし」
「いや、そうでもないさ。客は必要だった。鬼鮫の奴、ああ言ってるが楽しかったんだろう。だから、屋台を引き受けた」
「私達がいたから‥‥そうかもしれないわね」
シュラインはそう言いながらも、どうも鬼鮫と草間の間にある共通認識‥‥ラーメン屋台の美学みたいなものにはついていけない自分を感じていた。
かけそばネギ抜きとか、大盛りねぎだくギョクとか、そういった訳の分からない話についてである。
まあ、草間や鬼鮫らしいといえばそこまでだが。
「でも、楽しいからって通い詰めることはないと思うわ。ラーメンなんて毎日食べていたら、塩分と油の取りすぎで体を壊すわよ?」
この所、草間が夕食を食べず、夜毎にいなくなると零に言われた事を思い出してシュラインは草間に言った。
行ったって口喧嘩くらいしかしていないはずなのに‥‥何故か、鬼鮫のラーメン屋台に足繁く通っているのだ。
草間は、シュラインの注意が聞こえなかった振りをして、すまして煙草を吹かしている。
「本当、何が楽しいの?」
どうにも草間と鬼鮫の関係が、シュラインには良くわからなかった。
●跡継ぎ問題
「どうだ? 見つかったか?」
「いや‥‥まだだ」
気付けば、これが挨拶になっていた。
鬼鮫の屋台、準備中のそこに歩み寄り、ササキビは首を横に振る。
「最近の屋台は、車を改造したのが当たり前みたいでな‥‥今時、手押しの屋台を欲しがる奴は少ない。少ない中から、これはと思った奴を調べてみたが‥‥なかなか、条件に合うのはいないようだ。難しいな」
「そうか‥‥おう、台を拭いておけ」
勝手知ったとばかりに、屋台の前に椅子を並べ始めたササキビに、鬼鮫は布巾を投げ渡す。
鬼鮫は屋台の中で仕込みの仕上げ。
ああ、私も取り込まれたなと考えながら、ササキビはそれを不快に感じることもなく、素直に屋台のテーブル部分を拭きだした。
最初はちょっとの手伝いのつもりだったが、いつの間にか鬼鮫と二人で屋台を引いている。
「‥‥いつまで続けるのだろうな」
呟くように言ったササキビに、鬼鮫が答える。
「跡継ぎが見つかるまでだ」
ラーメンスープの香りが、あたりに静かに香った。
「では‥‥早く見つけよう」
ササキビは丁寧に拭き掃除を終わらせ、次に箸立てに割り箸をぎゅうぎゅう詰めにする作業に移った。
「ああ、早くしろよ」
鬼鮫は、スープの具合を味見して確かめ、納得がいったのか僅かに頷く。
「出来るだけ、早くだ」
「わかっている」
言いながら二人は、屋台の開店準備に忙しい。
後継者探しは、また今夜も沙汰止みになりそうだった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
1166/ササキビ・クミノ/女性/13歳/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
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