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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


忘却の君

 ふと、誰かの視線を感じて振り返る。だがそこには誰もいない。
 喫茶店に入って二人分の注文してしまう。テーブルに置かれたお冷はひとつだけなのに。

 常に自分のそばに誰かがいる。俺を見ている。
 だがそれは決して不快なものではなく、恐怖もない。ただ切なさだけが募る。
 知っているはずなのに思い出せない。誰なのかわかっているはずなのに、思い出すことができない。
 なぜ自分がそんな考えを抱くのかさえわからず、日々悶々とした思いを抱くのにも疲れ果てた。



「ここなら俺の探している相手を見つけてくれる。そうなんだろう?」
 文字通りなにかに憑かれたかのような男の虚ろな眼差しに、草間は言葉を濁していた。
 答えを与えることはたやすい。彼の望むままに『そうだ』と口にすることも、草間の心情そのままに『そうとは限らない』と伝えることも、どちらでも可能であっただろう。しかしながら草間はあえてその選択を依頼人へと委ねていた。
 こちらが決定権を得てはいけない。そんな危うさが男にはあったのだ。
「俺はあいつの名前を呼んでやらなくちゃならない。だからこそあいつは俺をここに導いてくれたんだ………」
 ぶつぶつと独り言を続ける男、津田陽一に、草間は本気で病院へ行くことをすすめようかと考えた。しかしながら同じように話を聞きながらも、シュラインの判断は違ったらしい。
「その、誰かの視線を感じるようになったのはいつごろからなのかしら?」
 女性特有の物柔らかな声音に津田はふと目を細めた。『いつから…』そう繰り返し、一分近くも押し黙ってからようやく答えを口にする。
「一週間ぐらい前からだと思う……たぶん」
「ご家族に相談はされました?」
「いや、俺は一人暮らしだから………両親は田舎で暮らしている」
「ご兄弟はいらっしゃらない?」
「いない」
「失礼ですけど、病気や怪我で移植手術をされたことはありません?」
 考える間もなく、津田は首を横に振った。
 誰かの視線を感じ続けて一週間。顔色は悪く憔悴しきっているが、最初の問い以外答えは明確だ。これは病院にかかるようなものではない。シュラインはそう考えた。草間がそっと耳打ちしてくる。
「なあ、移植手術が今回の件となんの関係があるんだ?」
「武彦さん聞いたことない? 移植手術後に、元の持主の感覚とかを覚えることがあるって話。もし手術の経験があるとしたらそれじゃないかと思ったんだけど、それなら依頼人が真っ先に疑うわよね」
 ならば原因はなんであろうか。津田は思い出すことができない、イコール忘れていると考えているようだが、意外と事実は別のところにあるのかもしれない。つまり津田は忘れているのではなく、彼の知らないところで起こったなんらかの事柄が影響を及ぼしている。そう考えることもできるということだ。
 たとえば親族、たとえば親しい友人などが津田の知らないところで亡くなり、その事実を知ってもらいたくてコンタクトをとっている。そういった可能性も十分に考えられるはず。
 ともなれば両親にも話を聞く必要があるだろう。が、まずは依頼人が持ちうる情報から現状を確認するのが先決だ。
「一度お宅にお邪魔させてもらっていいかしら。アルバムとか卒業名簿とか、そのあたりからなにかわかるかもしれないわ」
 シュラインの申し出を津田は快諾した。ではさっそくと席を立つのに、なぜか草間までついてくる。
「武彦さんは津田さんのご両親からお話を………」
「いや俺もいく。零、留守を頼んだぞ」
 いつになく強引な草間をシュラインは不思議に思った。思ったが、結局はそのまま押し切られてしまったのだけれども。





 津田の住居はよくある古びたアパートの一室であった。
 昼間だというのに人気がないのは、みな外出しているためであろうか。どこかひっそりとした雰囲気の中、津田は特に気負うこともなく二階の角部屋へと向かう。
「入ってくれ。ちょっと散らかっているが……」
 そういうわりには意外に片付いている。加えて男の一人暮らしにしては彩りのある部屋に、シュラインは首をかしげた。

 なにかしら、この感じ。

 六畳と四畳のふた間に小さな台所。ユニットではなく浴室とトイレが別になっているのは今時珍しいかもしれない。だがシュラインがおかしいと感じたのはそんなことに対してではなかった。
 草間が浴室のドアを見つめている。
「アルバムっていっても、こっちに来てからの写真しかないんだよな」
 ぶつぶつと呟きながら、津田は本棚から何冊ものアルバムを無造作に取り出していた。きちんと日付ごとにまとめられ簡単なメモまでつけられたそれは、ひと目で誰とどこで写したかがわかるようになっている。
 どの写真にも必ず彼が写っていた。
 彼らが写っていた。
 コップに入った二本の歯ブラシのように身を寄せ合い、洗いオケの中にある夫婦茶碗のように仲睦まじく、食器棚のマグカップに描かれた男女のような幸せそうな笑みを浮かべて。
 そうしてシュラインはようやく気がつく。ここで暮らしていたのは津田だけではないと。目を凝らしてみれば奥の部屋には鏡台と化粧品らしいものさえある。
 なぜか鳥肌が立った。
「あの、津田さん」
「ああ、これが一番古い写真かな。北海道に行ったときのだ」
「……誰かとご一緒に?」
「いいや、一人だけど」
 当たり前のように告げる津田が指し示した写真には、やはり彼らが写っている。
 シュラインは思わず目を伏せた。
「武彦さん……」
 無意識に名を読んだその人が浴室のドアを開けたのは、なにを察してのことだったのだろうか。
 すえた臭いが鼻をつく。
 津田は動かない。気付いていない。いや、きっと気が付きたくなかったのだ。
 浴室のドアの隙間から見える白い手は。白すぎる女性の手は。
「シュライン、警察に連絡だ」
 抑揚のない草間の声に、シュラインはただ従うほかなかった。





 好きよ

 ううん、愛しているわ

 ねえ、だからお願い思い出して

 あたしの名前を呼んで――――――――――。





「おそらくは事故死だろうってことだ」
 警察署からの帰り道、すっかり日が落ちてしまった街中で草間は煙草に火をつける。条例によって路上喫煙が禁止されてから久しいが、シュラインは注意する気にもなれなかった。手渡された缶コーヒーを黙って呑む。
「外傷もなければ肺に水も入っていない。おそらく入浴中になんらかの発作を起こして………」
 それに津田は気がつかなかった。気がついたときには遅すぎたのだろう。
 愛する女性の死を目の当たりにして彼は嘆き悲しみ、そして彼女に関する全てを忘れてしまう。彼女の死体も写真さえも見えなくなってしまったのだ。
 それでもなお、草間の元を訪れたのは。
「耐え切れなかったんだろうな」
 それは何に対しての言葉なのであろうか。津田の悲しみか、それともそのことによって記憶を失ってしまったことか。
 どちらにしろ、それは同情に値することではないとシュラインは思った。
 一番辛かったのはきっと、津田に忘れられてしまった彼女に他ならないのだから。
「どんなに悲しくても、辛くても、自分のことは忘れてほしくないはずよ。私だって………」
 みなまで告げず、シュラインはコーヒーを飲み干した。
 わかっている。これはエゴだ。
 どんな理由があろうとも、生きているものより死んだものを優先させるわけにはいかない。津田が彼女の記憶を抱いたままでは生きていけないというのならば、それを責めるわけにはいかないのだ。
 やりきれないことだけれども。
「俺は、忘れんよ」
 思わずシュラインは顔を上げた。いつの間にか草間が見つめてきている。
「俺は忘れない。忘れたくないから、できるだけお前を守りたいと思う」
「………津田さんのアパートまで一緒に来たのはそのせい?」
「べつになにか確証があったわけじゃないがな。一人で行かせるのは心配だったんだ」
 心配だった。
 そっけなくはあったが、温かみのある言葉だ。
「なら、私も心配してあげる。歩き煙草はよくないわよ。公共にも、健康にもね」
 草間の手から煙草を奪い、シュラインは彼のためにと所持している携帯灰皿へとそれを押し込んでしまう。
 大事な嗜好品を取られたにもかかわらず、草間はなぜか微笑んでいた。





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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/PC名/性別/年齢/職業】

【0086/シュライン・エマ/女/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

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■        ライター通信        ■
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 ライターのカプランです。
 シュライン様、二度目のご参加ありがとうございます。
 男の探している相手は既に死んでいる。
 そしてその事実を男は知っていたが忘れしまっている。
 この二点は最初から決めていたためこのような形になりましたが、いかがでしたでしょうか。
 少しでもお気に召していただければ幸いです。
 また機会がございましたら、よろしくお願いいたします。