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WD攻防戦2007・補遺
●メールで連絡
「ん……これで送信、と」
最後に1回携帯電話のボタンを押し、シュライン・エマは液晶画面に目をやった。そこにはもう『送信しました』の文字が表示されていた。
送信相手は草間武彦――改めて言うまでもなく、草間興信所の所長である。その草間に対してシュラインが送ったメールの内容は、処理してほしい書類についてが1つ。先程事務所に顔を出してきたのだが、残念ながら草間も草間零も姿がなかったからだ。あいにく2人とも、出かけてしまっていたらしい。
そして2つ目は、つい最近調査を請け負った依頼者からのお礼のケーキのこと。ちょうどシュラインが事務所に居た時に、お礼にと依頼者が持ってきてくれたのだ。それが冷蔵庫に入っていることも伝えていた。
で、最後……先月のホワイトデーのお返しとしてもらったガーネットの指輪のことも、シュラインは尋ねていた。あの後で思い出したのだ。確か2年前の同じホワイトデー時期に、草間が指輪を用意していたことを。残念ながらその時は、クイズに正解出来なかったということでお預けになっていたのだが……。
問題は、その用意していた指輪をどうしたのかということだ。ひょっとして、今年もらった指輪がそうなのではないか? そう思って、シュラインは確認しようとしていたのである。
(武彦さんのことだから、用事を済ましている間に返事が戻ってくるでしょ)
シュラインは携帯電話を仕舞うと、急ぎの用事を済ませるべく足を早めたのだった。
●ガーネットの指輪
「ふう……一仕事終えた後のジュースは美味しいわね」
シュラインは公園のベンチに腰掛け、ペットボトルのジュースを飲んでいた。急ぎだった用事も無事に済ませ、一休みすべく近くの公園に立ち寄っていたのである。
喉を少し潤してから、シュラインは携帯電話を確認した。思った通り、シュラインが用事を済ませている間に草間からの返信が届いていた。さっそくメールを開くシュライン。
「あ。やっぱりあの時の……」
草間からのメールの最初に書いてあったのはあの指輪のこと。やはり2年前に用意してあった物だったようだ。
(今は武彦さん、事務所に帰ってるのね)
指輪の件の後には、ケーキや書類のことについても触れてあった。さっそくもう、1つケーキを食べたらしい。この後で出かけることもなく、真面目に書類の処理をしてくれるとのことだから喜ばしいことである。
シュラインは携帯電話をベンチの上に置くと、今度は鞄から小さな箱を取り出した――あのガーネットの指輪が入った箱だ。
静かに箱を開けると、もちろん中にはガーネットの指輪が入っている。シュラインはそれをじーっと見つめた。
(出所が分かったのはいいけれど。……どうしましょ、これ)
思案顔のシュラインが溜息を吐く。草間がプレゼントしてくれたのはもちろん嬉しい。そっと仕舞っておくのももったいないような気もするけれど、常時身に付けておくタイプの物かと言われるとどうだろうかという感じもある。それに今の所、着けてゆく場所もお誘いもなさそうだ。草間からそんな素振りも感じられない。
「いっそこう、革の紐かシルバーのチェーンか何か通して……」
少し変な方向に思考が向かってしまうシュライン。ひっそり首からかけて、胸元辺りに隠しておこうかなどと考えているらしい。まあ、それはそれで面白いのだが。
「……そこまでゆくと『指輪』じゃないわよねえ」
妙な方向に向かっていた思考に歯止めをかけ、シュラインはペットボトルに手を伸ばした。
●ふと浮かぶ疑問
こくこくと、またジュースで喉を潤したシュライン。多少頭も冷えたような気がした。
と、その時だった。不意にシュラインの脳裏に、嬉しそうな顔して箱根細工を抱えた零の姿が浮かんだのは。
「そういえば零ちゃん、何か入れるような物決まったのかしら?」
先月のホワイトデー、ガーネットの指輪の箱はその箱根細工の中に入っていた。そしてガーネットの指輪はシュラインに、箱根細工は零の手に各々渡ったのだけれども……。
(……装飾品の類、持ってたかしら?)
シュラインは零の格好や持っている衣装などを思い出し始めた。零は普段から質素な格好である。何かアクセサリーをつけていた記憶も……考えてみればあまりなかったような。
「そもそも零ちゃんてば、おねだりすることもあんまりないものね……」
去年の春、一緒に服を買いに行った時の零の喜び振りがシュラインの脳裏に思い出された。そういえばあの時も、積極的に自分から何が欲しいとは言っていなかったはずだ。
「仕方ないわね」
シュラインは再び携帯電話を手に取ると、すぐにメールを打ち始めた。送信相手はまたしても草間、内容はそれとなく興味のある物を零に聞けないかというものだった。
(零ちゃんも事務所にそろそろ戻ってるかもしれないし)
打ち終わると、即座にメール送信。返事は数分もしないうちに届いた。
「え、もう?」
メール着信音を耳にして、目を丸くしたシュライン。ちょうど零が事務所に戻っていたからなのかもしれないが、さっきのメールからすれば非常に早い返事であった。
「零ちゃんは何て答えたのかしら」
少し楽しみにしながら、シュラインは草間からの返事を開く。次の瞬間、シュラインの目は点になってしまっていた。
「……はい?」
そこにはこう書かれていたのだ。『部屋の隅の埃を掃除する奴が欲しいらしい。テレビで掃除の達人だかが使ってたそうなんだが……お前は知ってるのか?』と。
「えーとー……」
シュラインは頭を抱えてしまった。
「確かに零ちゃんなら興味のある物なんでしょうけど……そうなんでしょうけどー……」
想定した範囲の答えからやけに逸脱した答えが返ってくると、妙に疲れが襲ってきてしまうのは何故なんだろう。
(……あの2人はそういうこと考えたことなさそうな気もしたのよ……)
でもまさかとは思った。しかしそのまさかだった訳で。いやはや、何ともはや。
「しょうがないわ。私が何か見繕ってあげましょ、うん」
気を取り直したシュラインは、そう決心した。何か可愛らしいアクセサリーの1つや2つ買って、事務所へと戻ろうと。
シュラインは指輪の箱と携帯電話を各々仕舞い、ペットボトルに残っていたジュースを飲み干すとベンチから立ち上がった。たった今生まれた新たな用事、アクセサリーの買い物のために――。
【了】
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