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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


算数な午後


 藤井・葛(ふじい かずら)は、スーパーの中でくらりと軽い眩暈を感じた。
(これはないだろう)
 目の前には、にこにこと満面の笑みでスナック菓子を差し出す藤井・蘭(ふじい らん)がいる。差し出したスナック菓子には「350円」という値札がついている。
「蘭、お菓子は100円までって言わなかったか?」
「言ってたのー」
「それで、蘭はお菓子売り場からこれを取ってきたんだな?」
「そうなのー」
 にこにこと笑う顔には、邪気がない。つまりは、真剣にこれが100円で買えると思って持ってきたのだ。
「……蘭、ならそれはいくらって書いてあるんだ?」
 値札を指差しながら、葛は尋ねる。すると、蘭はじっと値札を見てからにっこりと答える。
「さんごーぜろ」
「そのまま読んだな」
 ため息が漏れる。数字が読めるだけでもまだいいのかもしれない。
「残念だが、100円ではないからな。一旦返そう」
「ほえ?」
 不思議そうな蘭をつれて、お菓子売り場に行く。一旦350円のスナック菓子を返し、再びお菓子売り場を見渡す。
「さあ、蘭。100円以内のものをもう一度選んでみるんだ」
「えー」
 蘭は小首を傾げつつ、お菓子たちを一望する。そうして、とととと、と小走りで一つのお菓子を持ってくる。
「これなの!」
「蘭……」
 思わず葛はがっくりする。値札には、500円と表示がしてある。
「これ、すごいの。にゃんじろーがついてるの!」
 箱の大部分は、蘭お気に入りのアニメのぬいぐるみが入っている。葛の掌程度の小さなぬいぐるみに、付け足しのようなラムネ菓子。
「蘭、これはいくらだ?」
 目の前が真っ暗になりそうなのをぐっと我慢し、葛は尋ねる。蘭は「ええと」と呟いた後、にっこりと答える。
「ごーぜろぜろなのー」
 真っ暗になりそうな目の前が光り輝いているかのように、いい笑顔だった。


 家に帰り、葛が選んだチョコレート菓子を開けようとする蘭の目の前に、ぽん、と本とノートが置かれた。表紙には「たのしいさんすう」と書いてある。
「これ、何なのー?」
 きょとん、と蘭は小首をかしげる。
「蘭、今日分かった事があるんだ」
 葛はあえて蘭の質問には答えず、口を開いた。蘭は「そうなの?」と不思議そうに尋ねてくる。
「蘭は算数が出来ないだろう?」
「さんすう?」
「そう、算数。足し算とか、引き算とか」
 葛が言うと、蘭は「できないの」と言って、ちょっとだけしょんぼりする。葛は「大丈夫だ」と言いながら、そっと蘭の頭を撫でる。
「できない事は、出来るようになればいい」
「なるの?」
「なる。その為に努力すれば、何とでもなる」
「努力なのー」
「そうそう。しっかり頑張ったら、ご褒美まであるという特典付だ」
 ご褒美、と聞いて、蘭の目がきらきらと輝いた。
「持ち主さん、僕、やるのー!」
「よし、頑張ろう」
「はいなのー」
 蘭のやる気に微笑みつつ、葛は「たのしいさんすう」のドリルを開く。そこには、ずらっとカラフルな絵と共に数が並んでいた。
「蘭は、数は数えられるんだよな?」
「大丈夫なのー」
 蘭はそういうと、いーち、にーと数え始めた。葛は「そうか」と答え、数を数える蘭の頭をくしゃりと撫でる。
「蘭はどこまで数えられるんだ?」
「100なのー。100まで、ばっちりなの。前に大きなお風呂に行った時も数えたの」
「それは凄いな」
「持ち主さんにも、数えるところを見せるのー」
 再び、いーち、にーと数え始めた蘭に、葛は慌てて「今度な」と言って止めた。今から算数の勉強をするというのに、100まで数えていては中々始まらない。
「じゃあ、まずはそれらがいくつあるか書いていってみような」
「はいなの」
 葛はそう言い、ページを指差す。蘭は葛の指先を見つめ、りんごやみかんの数を数え、解答欄に書き込む。
「できたのー」
「どれどれ」
 ぽん、と赤ペンのキャップをあけ、葛は蘭の解答をチェックする。数を数えるのはばっちりだと言っていた通り、全問正解である。
「満点だ。凄いぞ、蘭」
「わーいなのー」
 きゃっきゃっとはしゃぐ蘭を見つつ、葛はそのページに花丸を付ける。良く出来ました、という言葉付だ。
「じゃあ、次だな。次は……早速足し算か」
「たしざん?」
 きょとん、とする蘭の目の前に、十の字と数字の羅列が飛び込んでくる。最初はりんごの絵付で、次に数字だけが並んでいる。
「りんごが1つと、3つなのー」
「そうだな。これで、1タス3は、って読むんだ」
「1たす3はー」
「いくつか、分かるか?」
 葛の問に、蘭はりんごの数を数える。
「4つなのー」
「そうだな。じゃあ、1つと3つを足してみようか」
 葛の言葉に、蘭は指を1、2と折ってみる。そして、満面の笑みで「4つなのー」と答える。
「そう。1と3を足すと、4になるんだ」
「凄いのー」
 ほう、と感心する蘭に、葛はくすくすと笑う。何でも新鮮で、学ぶ事に興味を持っているようだ。
「なら、1つと2つを足したらいくつになるか分かるか?」
 ドリルに載っていない問題を尋ねる。蘭は「ほえ?」と言い、再び指を1、2と折り始める。そうして、恐る恐る葛を見る。
「3、なの?」
「正解」
 きゃっきゃっと蘭が嬉しそうに笑う。葛は「じゃあ」と言って次の問題を出す。
「2と2を足すと?」
「ええと、ええと……4、なの?」
「そうそう。大正解」
 嬉しそうに笑う蘭に「これなら大丈夫かな?」と呟き、ドリルを指差す。
「それじゃあ、蘭。この問題をやってみようか」
「はい、なのー」
 葛に言われ、蘭は元気良く答える。指で数えながら計算し、鉛筆を手にして答えを書いていく。最初はいちいち机の上に鉛筆を置いていたが、だんだん鉛筆を置くのが面倒になり、耳に挟む。
「ええと、1と4だから……」
 真剣に悩んでいる蘭を見、葛はくすりと笑いながら蘭がといているドリル以外のテキストをぱらぱらとめくる。葛には簡単に解くことができる問題なのだが、蘭にはまだ指折り数えて計算しなければ解くことができない。
 同じ問題だというのに、目線が違うだけでこんなにも思いが異なっているのが、妙におかしい。
「1と5は、ええと」
 5という数字の登場に、蘭はついに両手を使い始める。指を折るのも片手で行い、両手を使って足していく。
「頑張れ、蘭」
 葛はそっと言い、テーブルの下に用意している「ご褒美」をちらりと見る。蘭の大好きなお菓子の一つである、プリンだ。とろっと甘いプリンは、頑張った蘭へのご褒美として相応しい。
(なんだか、懐かしいな)
 葛は可愛らしい絵と、容易な問題の並ぶテキストを見る。かつてはこれが難しいと思っていたのだろうか。今の蘭のように、指折り数えながら考えていたのだろうか。
 今は、鉛筆を渡されたらすぐに答えを書いていける。指など折らなくてもいい。ただ上から順番に答えを書き込んでいくだけだ。
 1+1=2、だなんて、写真を撮る時くらいしか出てこない計算式だ。
(もう、覚えてないな。悩んでいたのかな?)
 数の羅列を見て、指を折って。悩みながら、考えながら答えを解いていく。今となっては何て事も無い計算式も、一つ一つを考えて答えを出していたのか。
 その時のことはもう思い出せないから、どうだったのかは分からない。
(きっと、同じだったんだろうな)
 真剣な眼差しで鉛筆を握り締める蘭を見、葛は思う。自分もかつては同じように、今となっては簡単と思える問題に悩んできたのだ。今のように反射的に答えるのではなく、一つ一つをゆっくりと考えて答えを出してきた。
(いつか、同じように思う日が来るのかもしれないな)
 もしも今、ひどく悩んでしまう問題が出てきたとしても、いつしか「こんな簡単な事も悩んでいたのか」と思える日が来るだろう。後になってみればなんでもない出来事達を、今は真剣に取り組んでしまっているだけなのだ。
(なんだか、面白いな)
 うーんうーんと悩みながらも答えを出していく蘭も、いつかは簡単だと笑いながら問題の答えを解いていくのだ。いくつもの問題に悩み、考え、真剣に取り組みながら解決に導いていく。そうして将来は「こんな問題も必死だった」と笑いながら懐かしむ。
「持ち主さん、できたのー!」
 蘭の声に葛ははっとする。「どれどれ」と言いながら、赤ペンのキャップを取った。
「これは正解、これも正解、これは……」
 きゅっきゅっという音と共に、丸が付けられていく。が、途中で「おっと」と言いながら手を止めた。
「蘭、4+3は?」
「え?」
「6になってるけど」
「ええ?」
 葛に言われ、蘭は慌てて「ええと、4に3を」と言いながら指を折る。右手に4、左手に3を作る。それらを目で追いながら「1、2……」と数えていく。
「あ、7なの!」
「そう、正解」
 葛はにっこりと笑いながら答え、蘭が「6」と書いた隣に「7」と書き直してから三角をつけてやる。
 最終的には、10問中8問正解と言う素晴らしい結果であった。
「良く頑張ったな、蘭」
「結構楽しかったのー」
 嬉しそうに蘭が答える。葛は「そうか」と答え、花丸を付けてやった。花丸を見て、蘭は「えへへ」と誇らしそうな、または照れたような笑みを浮かべた。
「頑張った蘭に、ご褒美だぞ」
 葛はそう言い、蘭の前にプリンを置いてやる。振動でぷる、とプリンの黄色い部分がゆれる。
「プリンなのー」
 蘭の目はきらきらと輝きながら、プリンに釘付けになる。手をぱんと合わせ、笑顔のまま「いただきます」と言った。
「持ち主さん、僕もうちょっと頑張るのー」
 スプーンを手にしながら、蘭が言う。葛は「うん」と頷き、自分に持ってきたジュースのストローを口にする。半分溶けてしまった氷の所為で、アイスティが薄まってしまっている。
「また花丸貰うのー」
 決意を口にし、蘭はぐっとスプーンを握り締めた。
「蘭のその気持ちに、花丸をあげるぞ」
「わあい、なのー」
 嬉しそうに蘭は言い、再びプリンを口にした。
「甘いのー」
 葛は「良かった」と言った後に、算数前に蘭が開けようとしていたチョコレート菓子の袋を見つけ、そっと蘭の視界に入らないところに追いやった。
 とりあえず、今はプリンと算数にだけ蘭に考えてもらっておこう、と考えながら。


<耳に挟んだままの鉛筆に笑みをこぼし・了>