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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


     桜のアリバイ

 花見も終わったある日、またいつもの静けさを取り戻した人気のない広場で、一本ぽつりと立った桜の樹は見る者がなくても、変わらず健気に花を咲かせている。そんな一本桜の下へ少女がふらりとやってきたのは、おそらく偶然か、必然と呼ばれるものの入り込む余地がない気まぐれの類であったに違いない。古風なセーラー服が良く似合う、清楚な印象の少女だった。
 彼女の名は海原(うなばら)みなも。武蔵野近郊の公立学校に通う中学一年生で、日々様々な経験を得るため様々なバイトに励んでいるが、今日は予定がないのか、学校からの帰り道らしく教科書の詰まった鞄を提げたままで、ひょっこりと広場の方へ顔をのぞかせた。
 そこに、先客の姿を認める――冴えない容姿の中年男が桜の樹の下に立っており、その傍らにはどこか不機嫌そうな少女の姿があった。一本桜の化身・桜華(おうか)であるが、彼女が何らかの感情をその面に浮かべているのは珍しい。
 何かあったのだろうかと考えていると、突然、みなもの視線に気づいたのか男は彼女の方を振り向き、初対面にもかかわらず馴れ馴れしい態度で「よう。」と手を挙げた。これに対してみなもは、
 「あ、はじめまして。」
 と丁寧に挨拶を返し、春の風に吹かれて花びらを散らす桜の樹の方へ歩み寄る。
 「あの、何かあったんですか? 失礼ですけど、あなたは?」
 どことなく男に胡散臭いものを感じてみなもが尋ねると、彼は気を悪くした様子もなく軽い口調でこう答えた。
 「おれは雨達圭司(うだつけいじ)という、オカルト専門の探偵さ。殺人事件の調査に来たんだ。」

     †††††

 自称探偵――雨達の言う殺人というのはみなもの記憶にも新しい、一人の男が道端で何者かに襲われ、失血死したという事件のことだった。偶然犯行現場に居合わせた者の話では被害者の傍に少年がいたらしく、警察はその少年を容疑者として追っているはずだが、未だ逮捕の知らせは聞いていない。捜査は難航しているようだった。
 「だが、警察が信用しなかった手がかりがある。それがおれに依頼を寄越した、被害者の友人だっていう画家の話だ。そいつは、被害者の男が死ぬ直前に自分に電話をかけてきたと言った。ひどく苦しそうにしているからどうしたのかと電話口で訊いたら『一本桜に……』と答えたそうだ。画家はその言葉から、一本桜の化身が男を殺したと思っているらしい。一本桜の下には年若い幽霊が現れるから目撃証言とも一致するってな。だが、警察はその話を無視したんで、おれに調査依頼が回ってきたってわけだ。正直、おれもこの目で幽霊を見るまではあまり信じちゃいなかったがね。」
 雨達はそう言って苦笑いを浮かべた。
 桜華も、もう一人いる桜佳(おうか)という存在も同じ桜の化身で、人間ではない。だからこそ何百年と生きる樹木の精霊に人を殺す動機があるとは、考えにくいことである。警察同様こちらの調査も難航を極めているようだ。
 だから初対面の人間にこんなにぺらぺらと事件のことを話すのだろうか、とみなもは考える。雨達と名乗った自称探偵のこの男が彼女に何らかの手がかりか、あるいは協力を求めているのは明らかだ。
 「わたしには実体がないし、実体のある桜佳はこの広場から出られない。たとえ出られたとしても『あれ』が人間を殺す理由はない――殺さずとも人はわたしたちより先に逝くからだ。」
 そう呟く桜華に、みなもは視線を向ける。桜の化身の表情はどこか暗く、まるで春霞がかかったかのようにぼんやりとして――儚く見えた。
 これに意を決したようにみなもは一つ頷き、
 「あたしは本職ではないのでどこまで力になれるか判りませんけど、詳しいお話を聞かせてもらえませんか?」
 と申し出る。
 「桜佳さんの無実くらいは証明できるかもしれません。とにかく、そもそも殺人と限定された根拠は何だったのか、事件が起こった詳細な場所と時間、この公園との位置的時間的関係と、血痕の状況と発見場所を教えてもらえませんか?」
 このみなもの問いに雨達は感心したようにほう、と声をあげた。そして、「お前さん、おれよりもいいところに目をつけるな。」と唸る。
 かくして、冴えない容姿の自称探偵と、その男よりよほど優れた分析力を持ち合わせた小さな探偵は、桜の樹の下に並んで座り、情報の整理を始めることとなった。

 「根拠は――いや、根拠となり得る事実は、死んだ男は全身に無数の傷を負っていたが、どんなに調べても凶器が断定できなかったという点だ。何しろ傷跡が異常だったと――まあ、これはおれの昔馴染みの警察関係者から教えてもらった話で、おれが直接見たわけじゃないがな。とにかく、自殺であんなことはできまいというのが警察の見解さ。それで現場を調査したが、そんな傷を負いそうな物は何一つ見つからなかった、もちろん凶器もだ。ということは、残るは犯人が凶器となった物を持って立ち去ったという可能性だけ。したがって、事故でも自殺でもなく、殺人ってことさ。事件があったのはこの公園から一キロほど離れた住宅街の一角で、警察に通報された時刻は午前二時二十六分。どうやら死んだ男は帰宅途中だったらしく、血痕は通りに花びらでも散らしたように一面に渡っていたという話だ。第一発見者は倒れている男の傍で少年の姿を見たと証言したらしいが、その時にはすでに男は電話をかけた後だったようだな。通話履歴は午前二時二十分からで、その電話は持ち主の手で切られることはなかった。目撃者の出現で姿を消したという少年に襲われたらしい場所から、ろくに移動することもなく電話をかけて事切れた……ってとこだろう。」
 「……おかしいですね。彼はどうして画家さんに電話したんでしょう? 普通なら警察なり救急車に掛けるかと……短縮でも入っていたなら別ですけど。」
 唇に指を当てて呟いたみなもに、雨達も頷いた――そう、画家の電話番号は短縮には設定されていなかったのだ。
 「それに画家さんはなぜ、桜華さんたちを知っていたんでしょうか。一本桜の化身さんたちのことを知っている人は決して多くないのに。」
 そう言ったみなもの、「画家が彼らのことを知った経緯と、死んだ男がそれを知っていたかどうかが判れば何か手がかりが掴めるかもしれない」という意見で、二人の探偵は画家と連絡を取ってみることにした。
 だが、その前に日が暮れる。桜佳が現れる時間になるので、彼らは容疑をかけられているもう一人の桜の化身からも話を聞こうと、太陽の退場を待った。

 「その日はもちろん、わたしはこの広場にいたよ。そして他の日にここを離れたことがあるのかと問われれば、否と答えよう。ただしそれを証明してくれる存在は、夜の空を支配する月だけだ。」
 黄昏の中現れた桜佳は、二人の人間の話を聞いてそう答えた。
 「アリバイはないってことですね……。」
 「それじゃ、この男に見覚えはないか?」
 困ったように呟いたみなもの隣で、雨達がポケットから事件のことを書いた新聞記事の切り抜きを取り出す。それを見て桜佳は子供のような顔で驚きの表情を作った。
 「見覚えがあるも何も、あなたたちが言った、事件のあったその日の深夜だ。二時頃彼はここへやってきたよ。『わたしたち』――桜の根元に何か隠したようだった。わたしの姿を見つけて逃げるように去っていったけど、彼が桜に向かって言った祈りの言葉をわたしは聞いたし、覚えている――『どうかこれがせめてもの償いとなるように』と、彼は確かにそう言ったよ。」
 それを聞いたみなもと雨達がすぐさま一本桜の根元を調べると、隆起した根と地面とのわずかな隙間からビニル袋に入れられた封筒が見つかった。みなもはそれを手に取り、表を返す。差出人は死んだ男、宛名は女の名前だったが、横から覗き込んでいた雨達にはそれが誰であるかすぐに判った。
 「おれの依頼人……あの画家だ。」
 その呟きにみなもは、え、と声をあげる。
 「それじゃあ、もしかして、死んだ男の人が画家さんに電話をして伝えたかったのは、この手紙の在り処……?」

 みなもと雨達が件の画家のアトリエに到着する頃には辺りはすっかり夜の闇に沈んでいたが、急に訪ねていってもまだ眉をひそめられるくらいの時間帯である。まして、事件に関することで話があると言われれば依頼人である画家が扉を開けることを渋るはずもなく、二人は間もなく絵がたくさん置かれた部屋へと通された。
 そこでみなもは先ほど桜の下で見つけた封筒を画家に差し出す。
 「あなたの亡くなられたご友人が、あなたに宛てた手紙です。それが償いになるようにと、言っていたそうです。」
 そう言われ、画家は不思議そうな顔で封筒を受け取った。そんな彼女に雨達が尋ねる。
 「訊きたいんだが、お前さんはどうやって一本桜のことを知ったんだ?」
 「学生の頃、部活の帰りに偶然見つけたんです。そこで幽霊を見ました。怖くてすぐに逃げ出したんですが、あとから人の約束や願い事を見守ってくれる二人の幽霊が出る一本桜という樹があるという話を聞いて、あれがそうだったのかと思いました。死んだ友人にその話をしたら、いつか二人で幽霊の正体を確かめに行こうと言っていましたけど……それが何か?」
 画家はそう言って手紙を開く。彼女が文面に目を通すのを待ってみなもは、「それを一本桜の下で見つけたんです。」と答えた。
 「きっとあなたのご友人は、一本桜に襲われたと言いたかったわけじゃなくて、その手紙が一本桜の下にあると、伝えたかったんだと思います。書いてある内容がどういったものかまでは、判りませんけど……。」
 「告白です。」
 みなもの言葉に画家は簡潔にそう答えた。
 「罪の告白ですわ。彼、わたしの絵を売ってくれていたんですけど、わたしに払ってくれた額の倍の値で実際は売っていたようです。これにはその謝罪と、着服したお金の振り込み先が書いてあります。そして、自分は他の街へ行くつもりだと――これはもう叶いませんけど。」
 封筒からプラスティック製の銀行のカードを取り出した彼女はそこで一つため息をつき、別に良かったのに、と呟いた。
 「わたしは絵を描いていれば幸せでした。それで生きていくだけのお金が手に入れば充分。だから、彼がしていることには薄々気づきながらも、何も言わなかったのに。」
 「……良心が咎めたんでしょうね。」
 みなもの言葉に画家は、「彼は悪人にはなれない人でしたから。」と答えた。そして、諦めたようにも満足したようにも見える表情でこう続ける。
 「彼が電話してきたのがこの手紙のためなら、桜の幽霊は彼の死には関係なかったんですね。……確かに彼らには殺人をする理由はなさそう。動機があるとしたら、むしろわたし自身かしら。」
 画家は苦渋のにじむ声でそう言ったが、みなもはそれをほとんど聞いていなかった――というのも、ある可能性に気づいたからである。彼女はふいに手を打ち、「それです!」と叫んだ。
 「いえ、正確にはあなた自身ではなく、あなたが描いた絵です。あなたが心を傾けて描いたものを、別の誰かがずるく生きていくために利用するのが許せなかったんじゃないでしょうか。だから彼に復讐したのかも。」
 みなもはそう言って部屋のいたるところに置かれた絵を手で指し示した。
 「だって、見てください。ここにある絵には全部心があります。あたしは絵に関しては素人ですけど、それは判ります。心をこめて作られた物には、心が宿るんですよ。」
 「……だがそうなると――警察は一生犯人を捕まえられないな。」
 みなもの言葉を受け、雨達は困ったように言いながら、しかし、満ち足りたような笑みを浮かべた。

 雨達に付き添われ、みなもは自宅までの暗い夜の道を歩いている。少しうつむき加減で一歩先を行く彼女に、雨達は声をかけた。
 「せっかくお前さんのおかげで犯人が判ったってのに、元気がないじゃないか?」
 この問いにみなもはしばらくの沈黙のあと、振り返らずに答えた。
 「あたし、本当は彼が自殺したんじゃないかとも思ったんです。警察の人たちにはわからなかった方法で。でもそれだと……なんだか画家さんが気の毒で。だけど、自分の絵がお友達を殺したかもっていうのも、やっぱり悲しいですよね。」
 すると雨達は訳知り顔で、こう言った。
 「お前さんは優しい人間だな。」
 「そ、それより! 画家さんって、女性だったんですね。お友達というから、男の人だと思ってました。」
 茶化されたように思い、話をそらそうとそんなことを言ったみなもに雨達は、からかうような笑みを見せて問いかける。
 「男女の間に友情を築くのは難しいと思うかい?」
 しかし、これにはみなもは答えなかった。よく判らなかったからかもしれないし、言いたくなかっただけかもしれない。ただ、
 「おれとお前さんはすでに友情を築いたと思ってるがね。」
 という雨達の言葉に微笑んだだけである。

 結局、警察は犯人を見つけ出すことはできず、この事件は新しい事件や話題に呑まれ忘れられた。
 だが、ごく一部の人間は知っている。もっとも真実に近いだろう事件の裏側を。
 しかし、その限られた人間のうちでどれほどの者がこの事実を知っているだろうか。ある画家の絵が一枚、そのアトリエから消えていたこと。そして、それが昔、画家が見た幽霊を描いたものであったことを――。


     了





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【1252 / 海原・みなも (うなばら・みなも) / 女性 / 13歳 / 中学生】

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■         ライター通信          ■
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海原みなも様、はじめまして。
この度は殺人事件の調査にご協力いただき、まことにありがとうございます。
海原みなも様の素晴らしく的確な、鋭い着眼点によって状況整理が速やかに進み、無事解決となりました。
……とはいうものの、読み物としても楽しめるようにとあえて伏せていた情報もあり、また東京怪談ということで人間以外の犯人を設定したこともあって、世間の目から見れば解決したと認識されない事件になってしまいました。
そのあたりは、ずるかったかもしれません。
しかしながら、こちらといたしましては間違いなく、見事な解決になったと認識しております。
本当に海原みなも様の分析力、発想力、推理力が素晴らしく、感動いたしました。
大変頼りになる方にお会いできて、雨達も幸せ者でございます。
奴一人では、何一つ話が進まなかったに違いありません。
また、可憐なお人柄で物語に華を添えていただけたことも大変嬉しく思います。
雨達は海原みなも様のことを大層気に入ったようなので、またお会いできる機会がありましたら、泣いて喜ぶことと思います。
その時はどうぞよろしくお願いいたします。
それでは最後に、制作秘話を一つ。

 ――封筒を横から覗き込んでいた雨達にはそれが誰であるかすぐに判った……はずだが。
 ――「ええと……あれだ、あの人……えーと、名前はよく知ってるんだけどなぁ。」
 ――やっぱりこの人に協力するのはやめようか、と少女が思ったかどうかは、判らない。

ありがとうございました。