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嘆きのさくら
今年のさくらの開花は早い。
だが、あやかし荘のさくらの木は、未だにつぼみはかたいままだった。
「あのさくら、全然咲かなさそうよね? どうしてなのかしら」
いつものごとく掃除をしていた因幡恵美は、たまたま隣にいたあやかし荘の住人である朝野時人に向かって訊ねた。
「そういえば……でも、あのさくら、ヘンなんです」
「ヘン、って?」
「夜中になると、枝が風に揺れて音を立てるんですけど、それがまるで泣いてるみたいに聞こえて……」
「それは……なんだか、気味が悪いわ」
「でしょう? それで、僕もよく眠れなくって」
時人が肩を落とした。
「やっぱり、誰かに調査してもらった方がいいのかしら。さくらが咲かないと、寂しいもんね」
ほうきを動かす手を止めて、恵美はつぶやいた。
すると時人が同意するようにうなずく。
「そうですよ、なんだかさくらが咲かないと春って感じもしないしで!」
「じゃあ、誰かにお願いしてみようか?」
恵美はそう言って、時人に微笑みかけたのだった。
*
「さくらが咲かない、ねぇ……案外、寿命なんじゃねぇの?」
節くれだってごつごつとした枝ぶりを眺めながら、草摩色はつぶやいた。
「そ、そんなぁ! だって、それならつぼみがいっぱいついたままなのはおかしいですし…あと、夜中の音はどう説明したらいいのかっ」
と、その隣で今にも泣き出しそうな顔で、時人が言った。
あーはいはい、と色はそれを受け流し、ぼんやりと桜のつぼみを眺めながら考える。
まあ、確かに、寿命にしてはちょっと妙ではある。
寿命であるのなら少なくともつぼみをつけたまま、こんな時期まで咲かないでいるのもおかしいだろう。音は聞き間違えではないかと片付けることはできても、つぼみのほうはそうもいかない。
「どうするかな」
誰に言うでもなく、色は言った。
能力を使えば、理由を知ることは造作もないだろう。
色には過去を見通す力がある。
けれども、それを使うには体力を消耗するし、特に現状、気味が悪い以上のことがないのだから、そこまでするのもどうかとも思う。
「なんかさ、心当たりとかは? こう、近くに同じような桜がある〜とかさ、なんか前まであったものがなくなった〜とか」
「うーん、そういうのは特にないんですよね。だから、余計に不安で……」
と、そんなふうにしょんぼりとされると、色も困ってしまう。
まるで自分がいじめてでもいるみたいではないか。ほとんど年は変わらないはずなのに、その外見のせいで、余計にそう見えてしまう。
色は視線をそらし、顔を上げた。
やはり、どう見ても普通のさくらだ。
ごつごつとした枝ぶりも、その先にぽつぽつとつく小さなつぼみも――どこも、おかしいところはない。
だがふと、つぼみのうちのひとつが、なにかぽこっとしているように見えて、色は目をしばたたかせた。
「なんだろうな、あれ」
と、指してみる。
めがねをかけているのにあまり目がよくないらしく、時人は目をぱちくりとさせてつま先立ちする。
「なんでしょう……よく見えないや」
そして、目をこすりこすり言う。
「んー、よし、上ってみるか」
色は腕まくりをすると、さくらの幹に飛びついた。
古い木なので安定しないだろうかと思いきや、意外としっかりとしている。
ところどころにある古い枝のあとや、穴などに足をかけながらのぼっていく。
さすがに枝の先の方は、行こうとすると大きくしなった。
だが、まだ大丈夫だろうと踏んで、色はそのまま先ほど見えた、ぽっこりとしたつぼみの元へと進んでいく。
やっとのことでたどりついてみると、そこには、なにかのサナギのようなものがくっついていた。
と、いっても、ただのサナギとは違う。
普通のサナギにくらべると、ずいぶんと小さい。
さくらのつぼみの陰に、隠れてしまいそうな小ささだ。
見ていると、その背が割れた。
「ん!?」
そして、ぺりぺりとその中から出てきたのは、しわくちゃの、まるで蝶のような羽――けれども、その体は蝶のそれではなく、まるで人のような……肌色の、身体。
それはサナギから抜け出ると、ぱっと、羽を広げた。
しわくちゃだった羽はそれだけでまっすぐに伸びる。まるで揚羽蝶のような、鮮やかな色の羽。
「妖精……か?」
色はつぶやいた。
妖精はその声に振り向くと、小さく笑んだ。
そしてきゅるきゅると小さな、高い声で何かを言うと、羽をぱさりと広げて空へと舞い上がった。
「おー……」
その姿を目で追いかけながら、色はつぶやいた。
あれは、なんだったのだろう。妖精、ではあるんだろうけれど。
「あ、見て、見てください!」
ぼんやりしていると、下で時人が何か叫んでいるのが聞こえた。
見ると、あわてた様子で手を振っている。
なんだろうか、と思いつつ顔を上げると、まるで早送りのように、つぼみがゆるみ、淡いピンク色の花が開いていくのが見えた。
「ああ……あのサナギが羽化するの、待ってたのか……」
あえて能力など使わなくとも、その気持ちはわかった。
なかなか、いいヤツじゃないか、お前。
色はニヤリとしながら、幹をつついた。
「なあ、みんな呼んで来いよ。花見しようぜ花見! ぱーっとさ!」
そして、下に向かって叫ぶ。
こんなに綺麗に、見ごろのさくらがあるのだから、これはもう花見をするしかないではないか。
時人があわててあやかし荘の中へと走っていく。
その後姿を眺めながら色は、さくらの幹によりかかった。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【 2675 / 草摩・色 / 男 / 15 / 中学生 】
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