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過去の労働の記憶は甘美なり
東京の片隅に、その興信所はある。
鉄筋コンクリートで出来た雑居ビルの一室。それがシュライン・エマが事務員を務めている「草間興信所」だ。
「で、どうして夜守(よるもり)さんは、いつもここに怪奇事件の相談を持ち込んでくるのか、小一時間ほど問いつめてもいいか?」
その事務所の応接スペースで草間 武彦(くさま・たけひこ)は、金髪銀眼の喪服の青年……夜守 鴉(よるもり・からす)を前に溜息をついていた。鴉はポケットから出した缶コーヒーを開けながら、お茶を出そうとしているシュラインに笑う。
「だって『死者からの依頼』を受けてくれる所なんて、ここぐらいしかないのよ。別に死者からだから依頼料はありませんって訳じゃないし、お得意様よ、俺」
その通りだ。
鴉は死者の声を聞くことが出来るという能力と、遺体を修復するエンバーミングの技術を持っている為、よくこうして死者からの依頼をここに持ち込んでくる。仕事は多いのに、何故か稼ぎが少ない草間興信所に、こうして仕事をちょくちょく持ってきてくれるのは帳簿を預かるシュラインとしてはありがたい。まあ、武彦は『怪奇探偵』と呼ばれるのを良しとしていないようだが。
「武彦さん、話を伺いましょ。電話とか止められちゃったら仕事減っちゃうわよ」
悲しいがそれが現実だ。武彦は吸っていた煙草を消すと、急に営業スマイルになって鴉に向き直る。
「親切丁寧、依頼迅速の草間興信所にようこそ。さあ、今日は何の相談です」
「今日も死者からの依頼なんだけど、今までとは違ってちょっと厄介かもしれない」
それは鴉が言うとおり、厄介なものだった。
少し前に亡くなったとある刀鍛冶が、生前半端なまま手放してしまった遺品。それを心配しその行方を捜して欲しい……という事だった。
「作成途中で手放すなんて珍しいわね」
刀は焼きを入れて、鍛冶押しと呼ばれる研ぎをしてから研ぎ師や鞘師の所へと回っていき、最後に銘を切ることで完成される。半端なまま何処かへ出回るということは、よほどのことがない限りないと言っても過言ではない。
シュラインがメモを取りながら言うと、鴉は缶コーヒーを飲んで溜息をつく。
「それがさ、制作途中で倒れちゃったって話なのよ。で、ばたばたしてるうちにどっか行っちゃった……って。しかも厄介なのはそれだけじゃないんだわ」
一番厄介なこと。
その鍛冶師は生涯最後の刀として、それにある細工をした。
刀の中に女性の精神を取り込み、中からは女性が打ち外からは男性が打つ。そうすることでより完全なものを作ろうとしていたのだ。
「……それって、中途半端な今のままだと、刀に女性の精神を取り込もうとするって事だよな」
「YES。だからとっとと探さないとヤバイって訳。完成させたら大丈夫らしいんだけど、未完成のままならどうなってるか分からないって」
武彦とシュラインが顔を見合わせる。これは確かに今まで鴉が持ち込んできた中では、最高に厄介なものだろう。
いったいどうやって探すべきか……。
シュラインがそう思っていると、ポケットに入れていた携帯電話が鳴り響く。
「……厄介な物を」
鴉が草間興信所に相談を持ち込むのと、時を同じくする頃……。
刀剣鍛冶師である太蘭(たいらん)の家には、桐箱に入れられ護符で封をされたある物が届けられていた。
とある刀鍛冶が生前打とうとしていた作りかけの刀。まだ刃が入れられていないうちから女性の精神を取り込もうとしたという物が、巡り巡って太蘭の所にやってきたのだ。太蘭の赤い瞳が、不機嫌そうに箱を見下ろす。
取り込んでいた精神は取りあえず解放され、今箱の中にあるのは『空っぽの刀』だ。しかし、完成させなければまた同じ事をする。事情を理解してくれて、協力してくれそうな女性に頼み、刀を打ち上げねばならないだろう。
「俺が連絡できそうな女性で、すぐ協力してくれそうなのは、シュライン殿か」
早くこれを何とかしなければ、おちおち猫と遊んでもいられない。
太蘭は小さく溜息をつきながら立ち上がり、電話のボタンを押した。
「まさか太蘭さんの所に刀が来てるとはね」
「世の中案外狭いもんだな」
そんな事を話しながら、シュラインと武彦は太蘭の家へと向かっていた。鴉は急な仕事が入ったということで、仕事場の方へ戻っている。葬祭関係の仕事はあらかじめ計画がある訳ではないので、それに関しては仕方ない。
「ごめんください」
カラカラと音を立てて玄関を開けると、既に刀を打つための作業着に着替え、頭に手ぬぐいを巻いた太蘭がすぐに出てきた。
「すまないな、シュライン殿、草間殿。ひとまず上がって打ち合わせをしよう」
「ええ。早く完成させないと、大変そうだものね」
行方を捜索する前に、刀のある場所が分かったのは良かった。それに太蘭の所にあるのなら、人を取り込んだあげくに破壊されるということもないだろう。
居間に通されると、テーブルの上に護符が貼られた桐箱が置いてある。それがあるからなのか、いつもなら太蘭の後を着いて歩いてくる猫たちも、今日は縁側の方で心配そうに居間を見ている。
「この中に刀が入っているのね」
「ああ。刀鍛冶の世界は狭いから、妖刀の類はよく俺の所に来るんだ。それで、その鍛冶師はどうしろと言っていたんだ?」
それにシュラインは、鴉から聞いた事を太蘭に説明した。
中と外から同じタイミングで刀を打つ…外にいる太蘭が物理的に刀を打つのは当たり前として、中に取り込まれた方は外の音に合わせて、同じように音を出さなければならない。中がどのようになっているかも分からないので、シュラインは自分の耳で聞いた太蘭が打つ音を模して、中から同じ声を出す気でいた。
「外と中から……って言っていたから、多分それで良いんじゃないかしら。中に炉があるとは思えないし、女性の刀鍛冶は多分ほとんどいないと思うから」
シュラインがそう言うと、太蘭が箱に何か考えるような視線を送る。
「……流石に中に炉を作るのは無理だな。おそらくシュライン殿が考えていることで間違いはないだろう。しかし、何を考えてこれを作ろうとしたのか謎だが」
全くその通りだ。
仕上げの時に誰かに頼む気だったのか、それとも何か別のことを考えていたのか。鴉がいればそれを聞けたのだろうが、まあ聞いたところで本人が死んでしまっている以上どうしようもない。
二人の話を聞いている武彦は、出された灰皿を手元に引き寄せながら煙草に火を付ける。
「で、シュラインを放っておくのも心配だから、俺も来てるんだけど一緒に鍛冶場とかに入ってもいいのか?」
「中で煙草を吸わないなら大丈夫だ。タタラ以外に火の気を置きたくないから、それだけ我慢してもらえれば」
シュラインが武彦を連れてきたのは鴉との連絡や、精神が抜けている間開いている体を守ってもらうためだ。武彦自身も、その間に変な物に取り憑かれるのを心配し、シュラインの頼みを快く聞いてくれた。
「禁煙か……でも、物騒な物をそのままにしておくのも嫌だし、少しぐらい我慢するか」
「なら早速始めよう。タタラに火を入れるのにも時間がかかるしな」
鍛冶場の中へシュラインは初めて入ったが、外とは違う静寂な雰囲気だった。神棚に酒と塩を供え、手を叩き祈る。
音を出して鍛えなければならないというのであれば、おそらく刀自体はかなり未完成で、「火づくり」の行程で刀の原型を作らねばならないだろうと、太蘭が火をおこしながら言う。
「その刀匠が何を考えていたのかは知らんが、刃文を決める『土置き』から最後の『焼き入れ』には槌は使わないからな。準備はいいか?」
シュラインの体を寝かせられるよう、ござの上にはタオルケットが敷いてある。そこに足を伸ばし、シュラインは小さく頷いた。
「武彦さん、体をよろしくね」
「ああ。無事に済むことを祈ってるよ」
ビリッと太蘭が護符を剥がす。そして箱を開けた瞬間、シュラインの視界がすうっと暗転した。
カン……!カン……!
何処か遠くで音がする。
シュラインが気付いたとき、辺りはほのかに赤い光に包まれていた。
「ここが刀の中なのかしら……」
今響いているのは太蘭が刀を打ち出す音なのだろう。外にある自分の体を通し、それがシュラインの精神にも聞こえてくる。
「これが打ち出しの音なのね」
外から刀を作るために打つ甲高い響き。それを聞きながらシュラインは外にいる太蘭が打つ響きに合わせ、同じように音を出した。
カン……!カン……!
「………!」
外でその様子を見ていた武彦が、重なる音を聞き顔を上げる。
刀の中にいるシュラインが気が付いたのだろう。さっきまで一つの音だった響きが、二つに重なり響き渡る。
「頑張れよ、シュライン……」
刀のような形をしていた鉄の塊が、タタラに入れられ打ち出されていく事にだんだんと日本刀の形になっていく。音を外すといけないので、武彦は太蘭がタタラに刀を入れそうになると、小さな声でシュラインにそれを教えた。
「声止めろ……振り上げたらまた言うから」
煙草を吸いたいと思う気持ちも忘れていた。
「ありがとう、武彦さん」
外から武彦がタイミングを教えてくれるおかげで、外が見えなくてもシュラインに不安はなかった。
火作りをする太蘭と、中から同じように打つシュライン。そして、それを教えてくれる武彦。
一人ではなく、三人の調和が一本の刀を作り出す。
もしかしたら、これを作ろうとしていた鍛冶師も、中と外からの和で一本の刀を作りたかったのかも知れない。決して女性の精神を取り込む妖刀を作ろうとしていた訳ではなく、人の調和を刀という形に残したかっただけで。
「きっと、それが心残りだったのね……」
鎬(しのぎ)が立つ。
だんだんと刃の形が作られる。
その間、シュラインは中から刀を打ち続けた。時々音がずれることはあったが、それもまた響きとして調和は保っていて。
どれぐらい時間が経っていたのか。
ずっと刀しか見ていなかった太蘭が、チラと顔を上げ武彦を見た。それに目が合い、武彦は小さく頷く。
「シュライン、もう少しだ」
刀としての形は出来上がった。あと土置きや焼き入れは槌を使わない。太蘭が大きく槌を振り上げる。
カン……!
大きく音が重なった瞬間、シュラインの目に見えたのは、心配そうに見つめている武彦の顔だった。
「武彦さん、ただいま」
「うん、こっちは終わった。夜守さん、仕事の方は?」
廊下に出て鴉と連絡を取っている武彦を見て、シュラインは猫を撫でながら太蘭から出された麦茶を飲んでいた。
「もうこれで、あの刀が女性を取り込むことはないのよね?」
「そうだな。中と外から打ち出されたから、あれ以上やる意味がない。シュライン殿達に協力してもらえてありがたかった、礼を言う」
「いいのよ、こっちに持ち込まれたついでだったんだし。あ、そういえばこの前冬夜(とうや)さんにお会いしたわ……兄弟だったのね」
少し前、別の仕事で一緒になった冬夜が、太蘭と兄弟だということを初めて知った。それを聞いた太蘭は、麦茶を一口飲み目を細め笑う。
「ああ。俺は楽隠居暮らしだが、冬夜は仕事好きみたいでな」
「刀を持っていたけれど、あれは太蘭さんが打った物なのよね?」
冬夜と一緒にした仕事で、シュラインは冬夜が短刀を使い技を使ったところを見たのだが、その時に太蘭が冬夜の兄だと言うことを聞いたのだ。
「そうだ。だがあいつは注文がうるさいから、作るのにも苦労する……長いと隠し持てないとか、鐔は邪魔だからいらんとか。結局戯れで打った『天狼(てんろう)』を持って行ったが」
「シリウスの中国名ね。何だか冬夜さんっぽい感じがするわ」
あの青い目に合った銘だ。それに少し笑っていると、電話が終わった武彦がシュラインの隣に座り、ポケットから煙草を出す。
「あの鍛冶師、成仏したって。『打ってくれてありがとう。刀は渡すから好きに銘を切っていい』って伝言。シュライン、なんか良い案あるか?」
「えっ?急にそんな事聞くの?」
心を残さず成仏してくれたのはありがたいが、刀の銘を考えろと言われても困ってしまう。シュラインが戸惑っていると、太蘭が二人を見てクスクスと笑う。
「銘か……三人で協力したから『和音(かずね)』にでもしようか。重なり合う音は聞いていて小気味よかったからな」
「素敵な銘だわ」
一人では決して打てなかった刀。美しい調和の音。
「鞘や拵(こしらえ)が出来たら、シュライン殿達には連絡しよう。二人には是非、出来上がりを見てもらわねば」
「楽しみだわ。ね、武彦さん」
「そうだな」
全て出来上がった時に、今度はどんな音が重なっているかが楽しみだ。
シュラインは武彦を見て、柔らかく笑った。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
0086/シュライン・エマ/女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
太蘭からの危険な仕事ですが、事件の関わりは鴉から……と、少し変わった感じのプレイングから、話を書かせていただきました。こういう繋がりがある仕事もありです。
外と中から刀を打つとのことで、それに草間氏も合わさって刀を作らせていただきました。完成までにはまだ行程があるのですが、音高く打ち上げて刀の形を作るまでは皆の力でやってます。きっといい刀が出来るに違いありません。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。
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