コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


オス! 影中道場その四

 ある日ある時、いつもの影の中にある道場内。
 いつもと同じように、冥月の前に小太郎が座っていた。
 と言っても、一目して道場内の様子がいつもどおりでない事に気付く。
「今日はサンドバッグを使った訓練からはじめる」
 冥月の言ったとおり、道場の中には幾つかサンドバッグがぶら下がっていた。
 重さは小太郎の事を考えて多少軽めに設定してある。
「これを使って何をするんだ? ただ無心に叩け、とか?」
「そんな事してても、いずれ飽きるだろう。単調な作業なんてお前には出来ないだろうしな」
「……っう、悔しいが何も反論できそうにない……」
 自分自身のこれまでを振り返って、単調作業が長く持った事は一度としてない小太郎は、黙って説明の続きを聞く事にした。
「まぁ、これを叩く事には変わりはない。ただ、叩き方に注意しろ、という事だ」
「叩き方? ……っつーと、相手に効率よくダメージを与える殴り方、って事か?」
「ほぅ、お前にしては察しが良いな。そうだ。まずは私がやるのを見ておけ」
 そう言って冥月はサンドバッグに向き直り、その砂袋目掛けて拳を叩き込む。
 重々しい音が聞こえたかと思うと、サンドバッグは衝撃によって軽々と宙に浮かぶ。それを吊るしている鎖がたわむどころか、サンドバッグが吹っ飛びそうになるのを、悲鳴をあげて繋ぎとめているようだった。
 冥月は自然の理に従って戻ってくるサンドバッグを軽々受け止め、小太郎に向き直る。
「上半身だけの力ならこんなものだ。だが――」
 今度はしっかりと構えを取り、サンドバッグに向かう。
 しっかりと踏み込み、しっかりと力をため、身体をやわらかく運動させて、拳を放つ。
 多少強めの発頸。当然というべきか、それにサンドバッグは耐えられなかった様だ。
 冥月の腕はサンドバッグを突き破っていた。革でできた外側が破け、中身の砂が零れ落ちている。
「全身の筋肉をバネのように使えば、こんな風にも出来る。どっちが強いかはわかるな?」
 腕を引き抜き、多少乱れた髪を払いながら涼しげに言う冥月に、小太郎は黙って頷いた。

***********************************

 砂が外に出てしまったサンドバッグを片付けた後、冥月は小太郎に向かって言う。
「お前は常々、何も考えずガムシャラに敵へ突っ込んでいく。戦い方も身体の動かし方も知らない証拠だな。格下相手ならばそれでも構わんだろうが、格上挑戦となるとそうは行かない。それにそんな事では体力も続かないだろう」
 無駄な身体の動きは当然疲れを誘う。そして疲れは危機を生むだろう。
 とすれば、戦闘中にどれだけスタミナを保たせるかが重要だ。かなり初歩的なことだが。
「今まではそれでもどうにかなってきたが、これからはどうかわからん。危機的状況に陥った際にも、頸を覚えていればそれなりの体格差、人数の劣勢にも対応できるはずだ」
「なるほど、そりゃ便利だ」
「便利かもしれんが、これを無意識の内にやるようになるには長く修練を積まねばならん。戦闘では必ず頸を意識して動けよ。いつかはクセになり、意識せずとも身体が覚えるだろう」
「オス!」
 答えて立ち上がった小太郎に、冥月はまずは踏み込みから、と打ち込みの際の身体の動かし方を教え始めた。

***********************************

 教えられた事を頭の中で反芻しながら、小太郎は黙々とサンドバッグを殴る。
 拙い頸ではあるが、元々それなりに運動神経が良いためか、それなりに形にはなっている。
 と言ってもなんとも中途半端な感じなので、これはこれで危ないような気もするが、この調子で訓練をつめば近々、型が身につくだろう。
 身体のバネを使い始めているため、パンチ力も増してきている。元々ガムシャラに打ってもそれなりの重さを持っていた小太郎の拳だ。これから鍛えればまだまだ伸びるだろう。
「よーし、その辺で一旦やめろ」
「お、オス」
 冥月の言葉に反応し、小太郎は拳を止めた。
 戻ってきたサンドバッグを慌てて止め、冥月の手招きに従って小太郎は彼女の傍に寄った。
「頸の訓練は、今日はこの辺で切り上げだ。次は相手の急所を教える」
「きゅ、急所……。それはつまり、『ひでぶ!』とか『あべし!』とか、だよな?」
「かなり誤解があるな。あんな風に頭がはじけ飛んだりはしない。というか、まず秘孔ではない」
 間違いにつき、ゲンコツ一発。
「私が言う急所というのはそんな非現実的なものでなく、もっとちゃんとした、そうだな……空手や何かで伝えられているものだ」
「空手……。なんたら神拳じゃないんだな」
「違うといってるだろう。聞いた事無いか? 人体の急所は身体の中心線の近くに多い、とか」
「ああ、鳩尾、とか?」
「まぁ、その辺が有名どころだな。他にも……」
 小太郎の身体を眺め、足下に視線を落とす。
 釣られて小太郎も視線を落とした。
「足の甲。そして足の小指の近くだな。それに膝の外側、後は内腿だな」
 冥月は小太郎の足を軽く蹴りながら急所の説明をする。
「もっと上に行くと金的、ヘソの下、鳩尾、鎖骨、喉仏の下」
 今度はトントンと拳を当てて説明。流石に金的には手は当てなかったが。
「あと顎先、口の下のくぼみ、鼻の下、こめかみ、眉間、目玉、頭頂……これぐらいか」
 最後は親指を当てて教える。顎先を指された時、多少小太郎がドキッとしたのは秘密だ。
 それを誤魔化すためか、小太郎は慌てて言葉を継ぐ。
「で、でもさ、この中に致命傷になったりするのもあるんだろ? 俺、そういうのはあんまり……」
「まぁ、眉間や目をつけば致命傷になったりするが、例えばそうだな……ちょっと腕を出せ」
 多少疑問符を浮かべた小太郎だが、黙って従い左腕を出す。
 右腕を出さないのは多少の警戒だろうか。それは別に構わず、冥月は彼の肘を叩いて見せた。
 そうすると俄かに小太郎の左腕が痺れた。良く椅子の背もたれに肘をぶつけてビリビリ来るあの感じを若干強くしたような感じだ。
「うぉ、何だこれ!」
「後は、こことかな」
 今度は小太郎の顎を叩く。多少強めに。
 そうすると小太郎はとても自然に、まるで自分から座るようにしりもちをついた。
「あ……あれ」
「どうだ、ちょっと気分悪いだろ?」
「あ、うん。ちょっとって言うか、結構キモチワルイ……」
「軽い脳震盪だ。少し休めば何とかなるだろう。……これが急所の狙い方だ。相手を殺さずとも戦闘不能にはできるだろう」
「……た、確かに」
 小太郎は運動によるものでない汗を浮かべて頷く。どうやら相当気分悪いらしい。
「む、少し強く叩きすぎたか」
「う……やべぇ……吐きそう」
「ここではやめろよ? 洗面所は向こうだ」
「とは言われても……歩くどころか立てねぇ」
 冥月の予想の遥か上を行く気分の悪さなのだろう。随分と力加減を間違ってしまったようだ。
 冥月はため息をついて小太郎を持ち上げる。
「仕方ない。連れて行ってやろう」
「そ、それはありがたいけど……この体勢はなんか違う気がする」
 冥月が小太郎を持ちやすいように持ったところ、その姿はお姫様抱っこ。
 吐きそうな人間の腹を圧迫してはダメだろうと選んだ体勢だが、どうやら小太郎は不満があるようだ。
「これって男女逆じゃね?」
「……お前は何処か堅苦しい所があるな。もっと自由な発想で生きろ。男女関係だって慣習に縛られる必要は無い。お前だって女性に守られたり、女性に背負われたりすると良い。支えあうってのはそういうことだ」
「……ぬぅ。そんなモンだろうか?」
「そういうものだよ。さぁ、洗面所まで我慢しろよ」
「う……マジで嘔吐する五秒前……」
「気合で五分に引き伸ばせ」

 そんな無茶な注文に小太郎は何とか応えて、事無きを得ましたとさ。