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<東京怪談ノベル(シングル)>


ピッグ・ダイエット 〜In the case of Minamo〜


 ──ダイエット、とあの人は言っていたのに。

 いつも通りの通学路を這い蹲らねばならないのは、羞恥と屈辱にしかならない。
 豚のように、犬のように、下から見上げれば、失笑する同級生達の顔が見える。
 いつもは同じ目線で挨拶を交わす級友達に、私は嗤われているのだ。

「うぅ、暑い‥‥」

 呻いてしまうのは、このトンでもスーツを着ているからだ。とある服飾研究所の、サウナスーツの試作品。
 厚みとその拘束力ゆえに両手両足をつく破目になり、デザインの豚そのものだ。
 ピンク色のこの肉の下には、下着すらつけていない私の体がじわりと濡れ始めている。
 脱ぎたい、という欲求が何度湧き起り、耐え抜いたか。

 ──あと、二十時間以上‥‥?

 二十四時間着用を義務づけられているこのサウナスーツは、ご丁寧にダイエットを中断出来ないようチャックもボタンも何もない。まさに、意思の弱い人向け。

 ──で、でも、これ‥‥これって‥‥

 ずぅっと気になっていた。
 スーツ内の蒸気を循環させる事で汗を流させるこのスーツ、排出された汗はどうなるのだろうか‥‥?


●派遣
「‥‥えっ。こ、これですか?」
 海の宝石のような瞳をパチパチと瞬かせ、海原・みなもは震える指を『それ』に向けた。相手は満面の笑顔だ。
「そう。これ、デザインが豚でしょう? イコール自分、だと考えたら‥‥ふふふふふ、相当怖いわよね」
 ──それは怖過ぎる。
 怪しく笑う女は最先端サウナスーツの研究家らしい。
 何でも試着してくれる人物が欲しいとの事で、みなもが登録している派遣会社から昨夜のうちに連絡がきた次第だ。
 ダイエット。
 それは女の子である以上関心がないわけがなく、最先端の試着品が試せて痩せて、かつ報酬が貰えるなら最高ではないだろうか?
 そう思い、心弾ませ訪れたのだ、が。
「スーツ内に高温多湿の蒸気を循環させて、動くミニサウナルームのようにしたの。着ているだけで汗をかいて痩せられるわ」
「はぁ‥‥」
 何だろうか、この不安感は。
 いま一つ納得がいかない心持で試着室に入り、でっぷりと丸い──豚着ぐるみを着る。顔だけ日頃の自分なだけに、かなりマヌケだ。
「こ、これ本当に裸で大丈夫なんですか‥‥? と、途中で脱げたりとか」
「ああ、大丈夫よ」
 試着室から出てきたみなもを待ち構えていた女は、みなもの背後にまわり、
 ジュウゥゥゥッ。
 何か肉が焼けるような音が、した、よう、な‥‥。
 よしっと。そう呟いてみなもの視界に入った女は、大きなアイロンのような機械を持っていた。
「これ、自分じゃ絶対脱げないから」
 そう、不気味な笑顔を浮かべて。

●通学
「うぅ‥‥はあぁ」
 学校があったから、早朝に研究所に寄った私はうっかり豚スーツのまま登校する破目になっている。
「あ、暑い‥‥」
 人魚姿の時ですらここまで陸地がキツイと思った事はない。何しろ、ただ立てないだけじゃない、重いのだ。
 ぱっつんぱっつんの短い足(しかも蹄)。
 普段の自分の何倍ものあるウエスト。
 胸周りはデカメロンもびっくりだ。
「うう‥‥あああっ」
 生来の真面目な性格が災いして、いつも通り登校していたみなもに周囲の視線は集まっている。
 いつもはニコヤカに学生達を見守る親父も、親同士で会話を楽しんでいるおばさん達も、眠そうに目を擦る子供達も。
 皆、みなもの醜い姿に着目していた。
 ──ああ‥‥みんな、あたしの噂をしているの?
 分からない。こそこそと話している事は分かっても、同じ目線ではないからだ。でも、時々指をさしていたり笑っているのが分かる。
 スーツから出ている顔面が火を噴きそうだ。あの女が言うには、豚の姿を見せて羞恥をかきたてるのも、ダイエットの為と言うが‥‥。
 ──ああ、こんな状態で今日一日を過ごすの?
 眩暈を覚えるみなもだったが。
 このサウナスーツは『あくまでもみなもが着用第一人目』であるという事を、完全に失念していたのである‥‥。

●校内
 ──あ、暑い‥‥。
 サウナスーツ、と言うらしいが、脱ぎ着出来ない分、サウナルームより辛いものだ。
 無意識に溢れ出そうになる汗を抑制し、スーツ内を少しでも快適なものにしようとする。──これはサウナスーツなのだが。
 しかしクラクラする頭では思い至らず、自分で出来るだけ水分をコントロールしながら人の目に耐えた。
「海原さぁん、『それ』でご飯食べれんのぉ?」
 くすくすと意地悪げな同級生の言葉が突き刺さる。
 何故なら、自分の口元と鼻部分に、豚の鼻を模したマウスを取り付けられているのだから。
「あ‥‥あの、今日はお昼ご飯抜くか、らあああっ」
 いくら抑制しているとはいえ、口の中の乾きまでは誤魔化せない。餓えを感知したのか、小さな電子音が鳴って口に取り付けていたものから飲み物が溢れ出た。
「ごくごくっ‥‥ごほっ! げほぉっ!」
 会話の最中であれど問答無用らしい。
 飲食出来ない代わりに栄養ドリンクがセッティングされているから無問題と言われたが、その大半は口の端から零れ出てしまった。鼻にも入ってしまったような気がする。
「ケホッ‥‥」
「あ〜ああ、海原さんキッタナー」
「あはははは!」
 いつもは綺麗然としたみなもの無様さがおかしいのか、大して仲良くもない級友が、頭上で嘲笑っている‥‥。

 「くっさー」「キッタネー」などと罵声を浴びせられる中、みなもは自分が本気で豚になったような気がしていた。誰もスーツを着る前のみなもとして扱ってはくれないのだ。
 日直として這いずっている腕に代わり口で日誌を咥えて行くと、
「ああ、海原さん、机の上に置いておいて。‥‥ああごめんなさい、貴女今日は豚なんだったわね」
 ──これが教職者の言う事だろうか?
 ずきりと痛む胸を押さえ──る事も出来ず、ただ俯くみなもを教師が口の端を上げて嗤っている。

「今日だけ、の、我慢、だか、ら‥‥っ」
 汗を制御としているとはいえ、顔だけは真っ赤に火照っている。暑くて暑くて堪らないのは変わりないのだ。
 教員室を出たみなもは、何時間もの羞恥のせいか、周りから豚と見られるのも仕方ないと思うようになっていた。
 豚ちゃんバイバーイ、などという貶める言葉をかけられても反応出来ず、ずりずりと教室まで這いずっていく。
「それにしてもさー、今日の海原一体何なわけ?」
 ぴたり、と扉に手がかかったまま止まった。
 ──あたし‥‥?
 それは、クラスメイトの男の声だった。
「何あの肉だるま。ありえなくね?」
 ──肉だるま‥‥。
 自分でも、そう思ってはいたけれど。
 異性に言われてしまうのは、些かキツイものがある。
「あー、あそこまで太られたら食欲も失せるってな。いつもの胸やお尻だったら触りたいけどさー」
「うおっ! オニーサマ大人発言〜!」
「バァ〜カ!」
 あはははは、と笑う男達に。扉を開けようとしていた腕が、下がっていく。
「‥‥‥‥」
 きゅ、と蹄を床につく。全く嬉しくなどない言葉達。今日はそればかりだ。
 ──帰ろう。もう授業は終わったんだし。
 猥談に突入していくクラスメイト達の前にこの格好で出るのは怖かった。

●衆人環視の中の豚
 ──また‥‥みんな、あたしを見てる。
 帰宅途中のサラリーマンやOLも加わり、一層不審げな視線が増えている。中には、興味深げな視線もあって‥‥どんな意味で興味を持っているのか、ひじょおおおに、怖い。
「やだ‥‥恥ずかしー‥‥」
 女の声が聞こえた。
 ──あたしだって、そう思うけど‥‥。
 太った人の気持ちは、こういうものなのだろうか? 人にすら見てもらえないのだろうか?
 限界を感じ、朝に寄った研究所に戻る事にする。自分ではこのスーツを脱げないから、脱がせてもらわねばならない。レポートもこれで十分書ける筈だ。
「え、やだ、何あの子っ」
 人通りのすっかり多くなった改札を通り、精一杯の早さで通り過ぎる。これを、脱げば。脱いで、しまえば。
 もう、この視線から開放されるのだから────‥‥

 あたしは、邪魔だと押され罵られながら懸命に人の隙間を掻い潜って行く。階段は、さすがに辛かったけれど。
「ああ、あと、あと、三段だけっ‥‥」
 何十段と上り続けたあたしは、蹄を伸ばす。
 一段‥‥二段‥‥そして、三段目に手を伸ばす‥‥!
 はあはあと荒い息の中、前が翳って顔を上げた。
 首が曲がりきらず、行く先を阻んだ人の口だけかろうじて見えた。
 嗤っている、かお。
「‥‥え?」
 ゆっくりとそのひとの足が上がる。
 靴の裏が見えるのはどうしてだろう?
 この人は、どこにその足を下ろすのだろう?
 全てが、スローモーションに感じた。
「あ──あああああああああああああっっ!!!!!!」
 気付いた時には、階段を転がり落ちていた。
 忙しそうな人々は、一番下まで落ちたそのピンク色の物体を睨みつけながら素通りしていく。
「────ぅ、ぁ」
 情けなくひっくり返った私の視界に、馬鹿にしたような視線、興味の全くなさそうな横顔、愉しげに足先をぶつけていく面が入れ代わり立ち代わり、入っては消えていく。
 しっとりと濡れた感触が、コメカミを伝う。

 ──おかしいなぁ。水分はコントロール、してるんだけど。

 涙を流しながら、あたしは誰かが起こしてくれるのを待っていた。