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<夜歩く>
いつもの日常だった。
暇で暇で、草間はテレビを点けっぱなしでスポーツ新聞を読み、零は事務所の掃除をしている。零がいつも掃除をして綺麗に保っているのでそんなに掃除するほど散らかってはいないのだが、零は掃除が好きらしいので、好きにさせておいている。汚い部屋よりも整理整頓されていて綺麗な部屋の方が好ましいのは当然だ。
テレビはワイドショーを放映している。最近はすっかり物騒になってしまい、凶悪殺人事件が何件も報道されている。
夕方や深夜の報道番組ではないから、随分と扇情的な内容になっている。
新聞からひょいと顔を出すと、レポーターが案内しているのはテレビは比較的近くにある公園だった。
「あの公園で殺人があったって噂、本当だったんだなぁ」
ぼぅ、とした頭でそんな事を呟く。零には日ごろから気をつけるようにと言ってあるが、夜で歩く心配はないので、まあ大丈夫だろう。
不謹慎ながら、今一番盛り上がっている殺人事件は、誰が言い出したのかは不明だが、2ヶ月前に端を発した“ナイトウォーカー”と名付けられた事件だ。
ただ単に遺体発見が全て夜、という意外に目立った特長がないため、夢遊症者−ナイトウォーカーと渾名されている。
レポーターはわざとらしい喋り方で付近の説明をし、合間合間に遺体の第一発見者だとか、近所の住民だとか、そんな人物のコメントを紹介している。
ガランガラン、と事務所の扉が大きな音を立てて開いた。最近呼び鈴ともう一つ、扉に鈴をつけた。それは零が粗大ごみ置き場から拾ってきたもので、とても気に入っていたようだったから、置き場所もなかったので事務所の扉に設置したのだ。特に目立った効果はない。良くも悪くも。
「すいません、あの、素行調査をお願いしたいんですけど」
入ってきたのは三十前後の男性だった。特筆するべき所がない、極一般的な善良な市民だ。
草間は勢いよくソファから立ち上がり、男を迎えにいった。新聞は零に預け、すぐにお茶の準備を言いつけた。
素行調査なんて聞こえのいいものではないが、探偵としての基本業務だ。金にもならない厄介ごとや、胡散臭いオカルト絡みの事件よりも余程いい。オカルト関係でも金が入る時は入るのだが、やはりそれは抜きにした方が草間はありがたかった。
「さ、どうぞどうぞ」
古ぼけたソファの、それでもまだマシなつくりの方へと彼を進める。この年頃の男性の素行調査は十中八九、恋人か妻に関するものだ。
「あ、僕は江藤といいます。それで、その・・・・・・調査してもらいたい相手というのがですね・・・・・・」
「奥様ですか?それとも、恋人?」
「い、いや、違うんです!・・・・・・その、僕、自身なんです」
「えぇ?!」
江藤の依頼は、こういうものだった。
ここ2ヶ月、寝ている間に徘徊している気分がする、と。
きっかけは2ヶ月前の深夜、友人達との飲み会の帰り、公園で鈍い頭痛を覚えて以来だそうだ。それ以来どうも熟睡しているのかいないのか、眠っても全く疲れが取れず、そして夢見が悪い。
「それなら、うちよりも医者に行って看て貰ったほうがいいんじゃないですか?」
「駄目なんです、医者になんていけないんです!」
わっ、と江藤を頭を抱えて嗚咽し始めた。草間は驚いたが、取り合えず江藤が落ち着くのを待った。
「2ヶ月前のあの日、公園で目が覚めると、目、目の前に、し、しし死体があったんです!」
「なんだって!?」
「思わずその場は逃げました。でも・・・・・・ワケが判らなかった!テレビで見たけどその被害者は刺されて死んだって。勿論僕は刃物なんて勿論持ち歩いていないんです!でも僕の夢見が悪い晩に限って事件が起きるし、テレビや新聞の報道を見返すと、2ヶ月前の事件がナイトウォーカー事件の発端だったみたいだし、被害者の死因はまちまちだし!い、一度なんて・・・・・・一度なんて・・・・・・」
江藤はガクガクと震えている。手には白いハンカチが握られているが、びっしょりとかいている汗を拭おうともしない。
「朝起きたら僕の手は、血まみれだった!布団も、手の周りが真っ赤で・・・・・・!こんな事警察に言ったら僕が容疑者になってしまう!ただでさえ、上着を忘れてきたって言うのに!」
「上着?」
「酔って暑くなっていたからだろうけど、目が覚めて、死体を見つけて逃げ出して・・・・・・部屋に戻った時に気が付いたんです。上着がないって。居酒屋を出たときは間違いなくあったから、あの場所に忘れてきたんだろう、と・・・・・・すぐに取りに帰るのは怖かったから、次の日の昼に取りにいったんです。でも・・・・・・」
「見つからなかった、と」
「ええ。それに遺体は発見されていて警察が捜査を始めていましたから。でも、ずっと捜査の様子を見ていたんですけど、僕の上着が押収された様子もないし、報道もされいないんです。なんていうか、もう頭がこんがらがってしまって、自分が気が付かないうちに殺人事件の犯人になっているかと思うと怖くて・・・・・・」
再び江藤は頭を抱える。こころなしか涙ぐんでいるようだ。
折角来たまともそうな依頼だが、なんだか微妙にオカルトがらみのにおいがしたが、それでも依頼には変わりはない。
「お願いします、取り合えず一週間様子を見て下さい!」
そんな化粧品のお試しセットの宣伝じゃあるまいし、とひっそり草間は思ったが、口には出さなかった。
シュライン・エマは、草間と江藤に新しいコーヒーを入れ、珍しく自分で書類に書き込みをしている草間をじっと見た。数少ないまとも・・・だと思われる依頼に多少なりとも意気高揚しているようだ。
(うーん・・・怪奇系なのかしら、やっぱり)
草間の様子と江藤本人を前にしている事もあり、声に出しては言えないが、やはりというか、何ともそんな予感がして、こっそりと嘆息した。
「江藤さん、いくつかお聞きしたい事があるのですけど」
「は、はい。なんでしょうか」
草間が書類を書いている間、シュラインは聞き込みを始めた。草間はメモ等は取らないし頭は悪くはないのに肝心な事を忘れていたりするから、彼女が代わりを務めてメモを取る事は間々ある。
江藤がはじめに話していた内容から幾つか、重要そうな物を書き出しておいていた。
「頭痛がしたという事ですけど、殴られた感じでしたか?」
「いいえ。なんていうか・・・二日酔いみたいな感じでした。お恥ずかしい話し、どうも公園で眠っていたらしくて・・・。目が覚めた時に」
頭痛がした、という。
「それから数日後に、その、し、した、死体を・・・」
ずーん、という効果音まではっきり聞えてきそうなほどの落ち込みようだ。
「その、見つけるまでの数日間は、殆ど寝付けなくて。でも夢は見たんです。後味が悪いというか、夢見が悪い・・・」
夢は一般的に浅い眠りに陥るレム睡眠中に見るとされ、深い眠りを指すノンレム睡眠中は見ないとされている。にも拘らずに、熟睡できていないと言う江藤が夢を見るという事が、シュラインは気になった。メモ帳に赤いペンで線を引く。
次の質問に移ろうと、口を開いた瞬間、大きな鈴の音がして、同時に鈴の音のような可愛らしい声が興信所に響く。同じ鈴でも大変な違いだ。
「やっほ〜!草間ぁ、ヒマしてる!?」
肩ほどまでの銀色の髪をした愛らしい少女−海原・みあおだった。突然の乱入にシュラインは苦笑した。しかし不思議と腹は立たない。興信所ではいつもの事だ。
「こんにちは、みあおちゃん」
「あ、シュラインもこんにちはっ!・・・あれ、珍しく依頼人?」
突然の小学生の乱入に江藤は些か面食らっているようだ。それでも一応頭を下げて挨拶をしている所を見ると、営業職にでも就いているのかもしれない、とシュラインはふと思った。
「ね、ね。どんな依頼なの?みおあもきょ〜りょくするっ!」
好奇心の塊になっている今のみあおに、危ないから、なんて言ったって聞きはしないだろうし、危ない場面になったら自分や草間が守ってあげればいい。
「はいはい、その前にまず手を洗ってね。話しはそれからよ。・・・江藤さん、あの子は当興信所の臨時調査員、の様なものですので。ご安心下さい」
シュラインの言葉に、みあおは元気良く返事をして手洗い場へ、江藤は呆気に取られてみあおの背中と一礼して台所へと行くシュラインの背中を交互に見つめていた。
「ほほぉ、なるほどね〜」
シュラインの淹れた程よく冷えた麦茶を飲み、追加されたお茶請けのクッキーをぽりぽりと食べながらみあおは大人しくあらすじを聞いていた。
「江藤の言うことがほんとなら、しんしんしょ〜とか言うので無罪になるから大丈夫だよっ」
にかっと笑うみあおに圧倒されたのか、江藤は驚いた様子だ。
「シンシンショー?」
「心神耗弱の事でしょう?」
「うん、そう。それそれ」
心神耗弱という言葉に、江藤は頭を抱えた。確かにあまり気持ちのいい語感ではない。例え無罪になったとしても後の人生に多大な影響を及ぼすのだし、第一本当に犯人ではなかったとしたら、何の意味もない。有罪と同じだ。
「でも被害者家族に刺されるかもしれないけど」
「あああっ」
笑顔のままのみあおが、床に倒れこんだ江藤の顔を覗きこむ。彼女の場合は何も考えずに笑っているというよりも、“そうなった時の事”を想像してワクワクしているのかもしれない、そんな笑い方だ。
「ねぇねぇ、そんな事よりもさ、江藤が通った公園と、草間の知ってる噂の公園って同じ場所?」
「あ?ああ、同じだよ」
「で、で、その噂ってどんな噂なの?」
ワクワクした様子のみあおに、草間は少し記憶を辿って説明をした。
まず、その公園はこの興信所から歩いて30分もかからない距離にある、大きめの公園の事だ。はじめの事件が起きたのは2ヶ月ほど前。早朝に犬の散歩で訪れていた男性がうつ伏せになっている男性を発見、救急車を呼んだが既に死後数時間が経っていた。死因は出血多量によるショック死。被害者は都内に住む商社マン。着衣に乱れはなく、争った形跡もないので、当初は顔見知りによる犯行かと思われていたが、数日後に第二の被害者が同じ公園で発見された。被害者は女性で都内にある大学病院の心療内科に勤める看護婦で、勤め帰りを狙われたようだった。手口や死因は両者とも共通で、暴行された形跡等も見つからなかった。同一犯ではないかと思われ、それによって顔見知りの犯行説は取り下げられた。しかしそうなると何故抵抗等、した形跡が全く残っていない点が疑問視されていた。それが解決しないまま、1ヶ月ほどの間を開けて、第三の犯行がまた行われた。被害者は男子大学生。第二の被害者の勤める大学に通う大学生で、当初関係があるものかと思われたが、文学部の学生で病院には行った事が無いとカルテや友人たちの証言で明らかになった。そして一ヶ月。反抗もなかったが手がかりも掴めず、今日に至っている。
「というわけだな」
「なぁんだ、テレビとかでやってたまんまじゃん」
「悪かったな!」
「それで江藤さん、血まみれ事件はどの事件だったんですか?」
「二番目に報道されてた事件です」
ふむふむとシュラインはまたメモを取る。
「それで血痕は?布団と手以外にも付いていましたか?例えば・・・・・・服や靴、お風呂場や窓やドア。部屋には血痕とか落ちていました?」
明晰且つハキハキと質問を続けていくシュラインに、江藤は少したじろぎつつも何処となく頬を染めていた。
「えぇと・・・・・・確か布団と手と・・・・・・あとはドアノブです。もう拭いてしまいましたけど」
「なるほど」
またシュラインはメモを取る。
(それだけなら、むしろ殺人犯に同調してしまっている様にも受け取れるわね)
しかし意識のシンクロだけなら自分が犯人かもしれない、という錯覚に陥る事もあるだろうが、それでは手や布団に付いていたという血痕の説明が付かない。意識の同調だけではそんな物は付かないだろう。
「ねぇねぇ、張り込みしようよ!」
物凄くウキウキした笑顔にキラキラとした大きな瞳でみあおはシュラインを見上げた。
「張り込み・・・・・・」
その言葉の響きは些か不真面目な印象があったが、効果は高いような気もする。
「そうね。それが一番かも」
そう言ってシュラインは席を立ち、どこかへと電話をかけた。
時刻は9時。より正確に喩えるならば21時。
シュラインとみあおは江藤のマンションの前に居た。そのマンションは別段高級そうでもなく、かと言って安っぽいわけでもない。概観は新しそうな様子で、20代・30代の独身者には丁度良さそうなマンションだった。現に江藤が言うには単身者が多いらしい。
「で、みあおちゃん。何持ってるいの?」
「へへへ〜。やっぱり張り込みにはあんぱんと牛乳だよねっ」
シュラインの分もあるよ、とコンビニの袋を覗かせる。
「そういえばさ、気になってたんだけどね。江藤の上着って今何処にあるんだろ?」
もっさもっさとアンパンを食べた1口食べた後、ごくりと飲み込んでから小首を傾げてみあおが言った。食べながら喋らないのは躾の良さの賜物だろうか。
「不思議じゃない?けーせつも見つけてないんでしょ?」
「そうよね。実は現場で落としていなくて、ただ段にどこかに忘れてきたという可能性も否めないけれど。なんだかそんな様子でもないし」
大人と子供は顔を合わせてため息をつき、ぱくりとあんぱんを頬張った。
二人は江藤を待っていた。張り込みをする為である。成人男性の部屋に魅力的な美人と愛らしい少女が上がりこむのもアレだが、男手である草間は公園を見回りに行っている。不審者が居ないか確かめる為だ。が、三十路前後の男が一人でブラブラ歩いていたら、かなり怪しいだろうが、それこそシュライン闇青が歩いていた方が万が一の時危ない。
「小袖の手」
「え?」
「それと同じかなぁって。話を聞いた時に思ったの。被害者かな?詳しくはわかんないけど」
「なるほどね・・・・・・」
小袖の手。シュラインは記憶を辿る。確か、文字通り小袖が独りでに歩くという話しではなかったか。勿論ただ歩くだけではないのだが。
それこそ偶然現場に居合わせた江藤が落とした上着に取り憑いたという所だろう。
「被害者だとしたら、犯人だと思しき相手を襲っていた可能性もあるわね。目的は復讐」
「憑いてる霊気とかみれば、判るかもねっ」
相変わらずの楽しそうな笑顔に、シュラインは真面目な顔で応えた。
現場からこのマンションまで、そう離れてはいない。興信所からもここは比較的近い。草間の興信所を選んだのも、それが一番の理由だろう。勿論“怪奇探偵”という名前の賜物でもあろうが・・・・・・。
それを思うと、シュラインはしょっぱい気持ちになった。
「シュラインはなに持ってきたの?」
横に置いてある、一泊旅行に適していそうなボストンバッグだった。勿論シュラインのものだが、みあおは中身を知らない様だ。
「これ?ふふ、後でのお楽しみよ」
誤魔化したシュラインに、みあおは少し不満そうに頬を膨らませた。家族から持たされている携帯電話をぱかっと開けて、みあおは時刻を確認する。無機質な数字が21時7分を表示している。
「江藤、遅ーいっ!」
「そうよねぇ、9時には戻れるという事だったのだけど」
シュラインは自分のほっそりとした白い手首に巻きついた、シンプルだが上品なデザインの腕時計を確認する。
「また事件起こしてなきゃいいけどね〜」
「ちょっと、みあおちゃんたら・・・・・・」
頭を抱えたが、その可能性は0では無さそうな所がまた、頭が痛くなるところだ。事件が起きてしまえば、江藤の無実を証明できる可能性はまた少なくなるし、自分達も警察に任意で引っ張られるかもしれない。草間にいたっては任意同行では済ませられなくなるだろう。
シュラインはそんな事を考えていたが、みあおは全く別の事を考えていた。
興信所では、「しんしんょ〜とかで無罪になるから」とか言ったが、それよりも殺人鬼の霊が憑いている方が面白い。そんな期待でちょっぴりワクワクしているのだ。興信所で言わなかったのはタイミングが無かっただけで、江藤や自分の対面を慮った訳ではない。みあおはそんな小物ではないだろう。
「すいません、遅くなりました!」
顔を上げると、江藤が息をせき切らせていた。どうやら走ってきたらしい。一日着ていたと思われる背広は、パリっとしているという程ではないが、無駄な皺は見当たらない。
「遅ーい!なにしてたのっ!?」
「す、すいません、急な仕事が入ってしまったもので」
2周り近く年下に見えるみあおにも丁寧な言葉で話している。みあおの迫力に飲まれたのかもしれない。
「ではさっそくで申し訳ありませんけど、案内して頂けますか?」
「はい、こっちですので」
シュラインが足元のバッグを持とうとしたら、江藤がその前に持っていた。
中に入ると、一応エレベータがあった。外観では大体3階建てくらいに見えたが、そのくらいでもあるとは、便利というか贅沢というか。大荷物がある時は便利だが。
江藤の部屋は3階の様だ。みあおは今はあんぱんを食べていない。牛乳はまだ飲み終わっていないので、こぼれないように気を使っている。
ピコンとかピタンとか、独特の少し喩え難い音を出してエレベータは止まった。スムーズに開く扉から、シュラインとみあおが先に出て、江藤を待った。
「こっちです」
示す方向は角部屋のようだ。意外とマンションは広く、一つの階に10部屋近くありそうだ。
角部屋の一つ手前から、男性が一人出てきて、江藤に声をかけた。
「こんばんわ。・・・・・・こんばんわ」
はじめは江藤に、続いて後ろに居たシュラインとみあおに訝しげに挨拶をした。そりゃそうだろう。
江藤は独身だし、みあおはともかく、シュラインは恋人という雰囲気ではないというのはすぐ判る。親戚にも見えない。彼が不審がるのも無理は無いだろう。
みあおはシュラインの後ろから、じっと彼を見ている。
あえて何かごまかしをするよりも、何も言わない方がいい。何か少し話をしているのを、大人しく待った。
隣人も江藤と同じ年の頃に見えた。彼もスーツを着ていたが、ネクタイは締めていない。かばんを持っているが、今時分に出掛けるのだろうか?
「それじゃあ、失礼します」
全員に頭を下げて、隣人はエレベータのボタンを押した。まだ階下には一体無かったようで、扉はすぐに開き、そのまま乗り込んで行った。
「あ、あの人、吉原さんです。大学の助手の先生なんですよ。心理学らしくて」
「ふーん」
みあおは全く興味がなさそうだ。江藤は鍵を丁寧に開けながら吉原の話を続けた。
「眠れなかった時は少し相談もしたんですけどね、親切でしたよ。彼の大学の付属病院にも付き添ってくれましたしね」
「そうなんですか?」
「ええ。でもやっぱり、理由は言えないですからね」
ちょっと申し訳ないですけど、と呟いた。
室内は存外片付いていた。片付いているというより、部屋は寝起きするもの、というタイプだろうか。散らかす暇がないのだろう。
「ここに置きますね」
ボストンバッグを、小さなテーブルの横に置く。それに今まで部屋の様子を観察していたみあおが食いついた。
「ね、ね。なにが入ってるの?」
「急だったから、あまり大した物は借りられなかったのだけど・・・・・・」
ごさっと出てきたのは、監視カメラが2つ3つ。結構な多きさになる。
それと、小さなボタンの様なものと、携帯ゲームらしきもの。後みあおの手の平より少し小さいサイズの機械的な箱が5〜6個。バラバラと、そしてガラガラと出てきた。
「なにこれ?」
「監視カメラと、盗聴器と発信機。これならもし私達が眠っている間に何かあってもなにがあったか判るでしょう?」
「ほぉ〜!かっこいいねぇ〜」
興味津々な様で、みあおと江藤はそれらの道具を手に取る。入手先は、まあ探偵事務所であるのだからそれなりの伝はあるのだ。怪奇探偵・草間興信所と侮る無かれ。
ひとしきり機器の見学を終え、説明書を片手にシュラインの指示の元、設置が始められた。というより、江藤が自分で設置した。みあおは手伝おうにも背が足りない。
30分後に設置終了。
発信機は隠す必要は無いので、寝る際はパジャマに、仕事の際はベルトに付けるという事に落ち着いた。「ぱんつに付ければ?」との意見もあったが、取り外して再利用した時のキモチを考え、却下された。
パジャマに着替えるため、江藤は風呂に入り、今はタオルで頭を乾かしている。発信機はパジャマの襟首の内側に取り付けた。某怪盗三世と同じ場所である。
そして取りあえず今晩は、江藤はソファで寝る事になった。明日は休みを取ったようで、多少寝不足でも構わない、との事だ。昼寝も出来る。今までの事件は昼間には起きていなかったし、日中の公園は、親子連れや犬の散歩、ジョギングをしている人等、人気が無くなる事はほぼ無い。遵って犯行が行われることは無い、と見当を付けた。
シュラインとみあおはそのまま居間で過ごす事になる。電気をつけたままでも眠れるようなので、監視の意味もあり、女性二人が夜歩くのは危ないから、という事もあった。
時刻は夜11時になっている。みあおが舟をこぎ始めた。江藤も種類の違う錠剤を3つ服用し、「お先に失礼します」と言ってソファに潜り込んだ直後、寝息が聞え始めた。
テーブルに突っ伏してしまったみあおに借りておいたブランケットをかけてあげてから、シュラインはインスタントコーヒーを魔法瓶から取り出した。
翌午前7時。
青く澄んだ空から明るい陽光が差し込んできている。みあおは少し前に起き出して、今は洗面台を拝借して歯を磨いている。水音が大きくなったので、顔を洗っているようだ。シュライン自身はもう少し前に洗顔をして化粧をし直したので、台所を借りて朝食の支度をしている。
「結局、何事も無かったねー」
つまらないの、と言外に付け加えられているみあおの呟きは、しかしぐっすりと眠っている江藤には届かないようだ。
「そうね。無ければ無いでいいのだけど、この場合は少し困るわね」
炊き上がった白米と油揚げと豆腐の味噌汁、形が美しい卵焼き。これに鯵の開きでもあれば昔懐かしい日本の朝の食卓と言った所だ。生憎、江藤家の冷蔵庫には無かった。
皿を並べつつ、昨夜の内に台所を借りる旨を言っておいてよかった、とシュラインは思った。
江藤はまた眠っている。心療内科に行って以来、睡眠導入剤のおかげが夢も見ないで眠れる、吉原のおかげだ、と嬉しそうに言っていた。どんな理由にしろ、ゆっくりと眠れるのはいい事だ。
「いただきまーす」
きちんと正座し、手を合わせて元気よく挨拶してから、みあおは朝食に手を付けた。
「あ、たまご焼きおいしいー」
「それね、実は・・・・・・」
エマ流卵焼きは大変好評のようで、みあおはおかわりをしていた。
江藤家にて監視していたのは、結局その日だけにしておいた。毎日入り浸るわけにも行かず(シュラインは興信所の雑務が、みあおにいたっては学校があるからだ)、盗聴器や発信機、監視カメラによる居場所・行動確認で済ませていた。
そんな中で、再び事件は起きた。警察が巡回をやめた二日後だった。
そして江藤が興信所に駆け込んできたのも、同じ日だった。
「たっ、たた、探偵さん、あの、あああの、朝起きたらこれ!これがっ!!」
ガクガクと震えている手で、かばんから何かを取り出そうとしているのだが、あまりに震えが酷くて容易に取り出せない。仕方なく、草間が代わりに取り出した。
新しくは無いタオルに包まれた何かである。江藤を見ると頷いたので草間は面倒くさそうに開けた。
血まみれの包丁が一本転がり出た。
「!!!」
草間が声も立てずに叫ぶ。いや、声を出していないのだから叫ぶという例えはおかしいのだが、とにかく気持ち的には絶叫したい気分だった。
「こっ、ここここここれぇ!あんたどうしたんだよ!!」
「知りませんよ、僕が知りたいですよ!!」
わっ、と泣き出す江藤に、草間は頭を抱えた。そんな時に、ガランガランと大きな音を立てて扉が開いた。ビクッとして二人が振り向き、咄嗟に床に落ちた包丁の前に立つ。
「・・・・・・なんだお前かよ・・・・・・」
みあおだった。
彼女は“お前”呼ばわりされてそうとうご立腹したようで、一瞬にして目が据わった。
「なによ〜、すっごい失礼!」
「いや実はさ・・・・・・」
安心したのか、脱力した草間は包丁の件をみあおに伝えた。
「別にそんなの、監視カメラ仕掛けてたんだから江藤がやったか、誰かが置いたかなんてすぐ判るじゃん」
しーーーーーん。
興信所が静まり返る。
どうやら二人とも、その事には気付かなかったようだ。みあおが鼻で笑った。しかし二人とも反論は出来なかった。アホな大人たちである。
ビデオを回収しに行こうとしたら、シュラインが出勤してきた。結局全員で江藤家に取りに行き、また興信所に戻ってきた。それは江藤の希望だった。家では見たくないらしい。
そして、ビデオを早速回す。
電気は消されているが、ちゃんと暗所でも撮影できるカメラなので、緑がかってはいるがはっきりと江藤が眠っている姿が映し出されている。
興信所の居間で、4人がお茶を飲みながらじっと見ていたが、またしてもみあおが、「早送りすればいいのに」と呟いたので、リモコンの一番近くに居た草間が早送りのボタンを押した。まだドキドキしているらしい。
朝のビル街の喧騒に紛れて、キュルキュルとテープ早送りされる音がかすかに響く。
「あ、誰か入ってきた!」
指でさしてみあおが古いソファから立ち上がる。草間が少しだけ巻き戻し、再生に切り替える。
すると。
後姿だが男だとはっきりと判った。ウィンドブレーカーぽい材質に見受けられる上着を着ていた。背中には結う目鵜スポーツメーカーのロゴが描かれている。
屈んだ。
江藤の手を取っているのが見受けられる。恐らく指紋をつけているのだろう。暫く−ビデオの再生時間を見ると12秒、そうしていたが、満足したようで立ち上がり、ビデオの方に向き直る。めいめい、どきりとしたが、ビデオに気付いていたのなら今こうしてみている事は無いのだ。
振り向いた顔に、シュラインとみあおは見覚えがあった。
上着の下にスーツを着ているが、ネクタイは締めていない。かばんを脇に抱えている。
「よ、吉原さん・・・・・・?」
絞り出したような声で、江藤が呟いた。
「あ、ほんとだ!江藤のお隣さん!」
みあおも同調する。
「なんで、そんな・・・・・・」
愕然としているようだ。先ほどとは違う理由でがくがくと震えている。全面的に信頼していたであろう隣人が、何故か血まみれの包丁を自分の部屋に置いていった。しかも指紋まで付着させて。
「本人に聞いてみれば?」
「おいおい、何言ってんだよ。そんな事・・・・・・」
「でも理由はたださないと。警察にも言わないといけないし」
「そりゃそうだがな」
兵は拙速を尊ぶ、と昔の人が言ったという事で、シュラインと草間が吉原の自宅へと赴いた。簡単な理由をつけたが、多少いぶかしまれたが彼は取りあえず付いて来た。
「江藤さん。これは・・・・・・一体どういう」
声をかけられた江藤は顔も上げられず、代わりにみあおが応える。
「あのね、見て欲しいのがあるの。一緒に見て、ね」
愛らしい女の子ににっこりと微笑まれ、少し戸惑いながらも着席した。そこには既にシュラインの淹れた麦茶が備えられていた。
そして、みあおが再生ボタンを押すと、すでに男の後姿が映っているシーンだった。
男が振り向く。興信所に招かれた男と同じ顔をしている。
「これなんだけどね」
ストップボタンを押したみあおが、吉原の顔を覗きこんで尋ねた。
しばし男は沈黙していた。それは随分長い時間のように感じられたが、実際は10秒にも満たないほどの時間だった。
「・・・・・・はっ。まさかそんなもの用意しているとはねぇ。こりゃ言い逃れも出来ないな」
「何故、こんな事を?殺人もあなたの犯行なんですか?」
詰問するシュラインを一瞥して、吉原は喋りだした。諦めたのだろう。それが顔にも出ている。
「当たり前だろ?一番初めの奴はな、うちに出入りしている製薬会社のMRだよ。教授に話しがあるって来たんだが、そのとき居なくてな。代わりに話を聞くって言ってやったのに、俺じゃ話にならんとか言いやがった。それも、学生が大勢居る前でだよ。俺に恥をかかせやがったんだ、当然だよ」
そんな理由で、とシュラインは問い詰めようとしたが、その前に吉原が口を開いた。自暴自棄になっているのかもしれない。
「看護婦はな、俺と別れようなんて言いやがった。挙句の果てには別の男までいたんだぜ?」
「−その新しい恋人は、もしかして」
「そうだよ。学生さ。しかもあの野郎、MRが来た時に、俺のこと鼻で笑いやがった!丁度良かったんだよ。当然の報いだ」
言って吉原は麦茶を飲んだ。話をして喉が渇いたらしい。しかもまだ続きそうなので、シュラインは敢えて口を挟まなかった。
「この人はな、MRを殺した時に近くに居たんだよ。思わず頭を殴っちまってさ。慌てたよ。でも利用させてもらった。この人、ベランダの鍵は掛けないって事は知ってたからさ。入り込んで、手に血痕つけて、布団の方は絵の具だよ。ドアノブのもな。あえと拭き取っといたけど。警察は全然犯人を挙げられていないみたいだし、あわよくばこの人が犯人になればいいやって思ってた」
「貴方・・・・・・」
シュラインの相貌が怒りをともす。
しかし。
「なぁんだ、つまんないの」
場にそぐわないほど、のんびりとした感想が響く。みあおだった。
「みあおの予想じゃ、江藤に殺人鬼とか、幽霊みたいのが取り憑いてて犯行に及んでた!っていうのを期待してたのに。こんなんじゃ期待はずれもいい所だよ、もう」
吉原は唖然としていた。
江藤は呆然としていた。
草間は苦笑して、シュラインも一瞬遅れて苦笑した。
みあおは、憤懣やる方なし、といった様子だ。
みあおとしては、誰が犯人であろうと、どんな思惑であろうと、そんな事はどうでも良かった。江藤や吉原がどんな人生を歩もうと何をしようと、みあおには関係なかったし、そして彼女の大切な人や関係者にも、それは適用されないから。
結果として、それ言葉は吉原にとっては何より手痛い一言になったようで、シュラインが警察に通報するのを目の当たりにしても抵抗一つしなかった。
1ヵ月後。
心の傷が少しずつ癒え始めている江藤から小包が届いた。どうも海外へ転勤するらしい。謝礼もきちんと支払われていたが、お礼に、と果物の詰め合わせが届けられた。
イチゴやマンゴーも複数入っていたので、海原家へと差し入れなくては、とシュラインがいそいそと選り分けていたら、タイミングよくみあおが顔を出した。
「こんにちはー! あれ?草間、居ないの?」
「ちょっとコンビにまで言っているの。それでね、みあおちゃん。江藤さんて覚えている?」
「知らなーい。誰?」
既に興味を無くしたらしい。興味の無いことや必要の無いことをいつまでも覚えていても大した意味は無いし、困ることも無いだろう。
シュラインは苦笑し、一瞬大事な用件を忘れそうになった。
「これね、頂き物なのだけど、お裾分け。ちょっと大きいけど持っていける?」
「勿論だよー!やった、みあお、いちごだぁい好き!」
とても嬉しそうに微笑むみあおを見て、シュラインも笑った。
吉原が逮捕されて、立件された事を伝えようかとも思ったが、みあおは興味がなさそうだったので、止めた。
みあおの天真爛漫な笑顔を曇らせたくなかったかもしれない、なんて思いながら、シュラインは彼女と自分のために、ミルクティを淹れる準備を始めた。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086 / シュライン・エマ / 女性 / 26歳 / 翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1415 / 海原・みあお / 女性 / 13歳 /小学生】
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■ ライター通信 ■
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いつもお世話になっております、そしてはじめまして。八雲 志信です。
今回はシリアスを目指したのですが、如何でしたでしょうか?
OPに盛り込めばよかった、と思っていた箇所も、プレイングで補足して頂けていたりとお二人には大変助けて頂きました。どうもありがとうございます(礼)。
誤字・脱字等ございましたら、どうぞ遠慮なく申し付けて下さいませ。
この度はご参加誠にありがとうございました。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです
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