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<東京怪談ノベル(シングル)>


□ 愛しき人に捧げる千の言葉 □



 窓から覗く緑が青々としているのを見て、夏も近いのだとアドニス・キャロルは実感する。
 過ぎ去る季節が早いと感じるのは、愛しい人のお陰だと今この場所に居ない恋人を思い、自然と微笑を浮かべた。
 一人で長い刻を過ごしていた間は、一夜一夜が長いと感じたが、今は共に刻を過ごす人が傍にいてくれるから、早いと感じるのかも知れなかった。
 愛しい人が緑の手を持つからか、緩やかな時間を過ごしている時、自然と緑に目が行ってしまう。
 室内へ目を向ければ、愛しい人が居た椅子やベッド共に傾けたグラスをたどって、その場所に居ない愛しい人を思い出して、寂しさを感じるのだ。
 携帯電話で直ぐに声を聞く事が出来るのだから、寂しいと思えば電話をかければ良いとは思うのだが、もし、仕事や用事などで取り込んでいたらどうしようと……、つい考えてしまう。
 携帯電話に自分の携帯電話番号を登録してプレゼントとしてアドニスに渡す位なのだから、いつでも電話をかけてきても良いという事なのだが、なかなかかけられないのだった。
 アドニスはベッドから降り、窓辺へと近づく。
 左手を翳して、光を遮る。
 一瞬、薬指に填められた指輪が光を受け、輝いた。

「指輪を贈ったら、俺と同じように指に填めてくれるだろうか……」

 目を細めて、シルバーリングを見つめる。
 愛しい人から贈られたその指輪は、リングの内側にエメラルドが填められ、表面は両サイドにラインが入ったシンプルなデザインの物だ。
 ごく普通のプレゼントと同じように渡されたそれは、愛しい人のちょっと意地っ張りな気持ちもあって、リングの本当の意味をアドニスは伝えられては居なかった。
 それでも、贈られた事が嬉しくて、肌身離さず身に付けていた。
 今までこんなにも相手を強く愛したのは初めてで、出会う出来事全てが愛おしく、離れている時、愛しい人と一緒に居る人に微かな嫉妬さえ覚える。
 こんな気持ちになっている事を愛しい人は知ってか知らずか、いつも悶々と思考している時に、柔らかな声で電話をかけてくるのだ。
 生きてきた中で、関係だけを持つ相手なら沢山居たが、愛しい人を思う気持ちと同じ様な事は無かった。
 人であった頃、淡い初恋のような気持ちを抱いた事はあったが。


 久々に昼の空の下、買い物に出かけようと、ジャケットを手にするとアドニスはどのような指輪を贈ろうかと考えながら、歩き始める。
 装飾的な物よりもシンプルな物が彼には似合いそうだと思う。
 贈られた指輪もそうであったし、出来るだけ同じ様なデザインで揃えたかった。
 同じ様に揃えれば、プロミスリングのように見えないだろうかと。
 足を運んだのは、使わなくなった宝石や装飾品を引き取って貰っているアンティークショップだった。
 主に扱っているのがアンティークジュエリーであったが、現代的なデザインの物も取りそろえていた。
 からんと、ベルの音を響かせドアを開けて中へと入る。
 いつもなら、並べられた商品を眺めることなく店主がいる奥のテーブルへと向かうのだが、今日は違う。
 店主もそんなアドニスの様子に気付いたのか、静かに見守っている。
 店主にとっては自慢の子供達である商品を見て貰えるのは嬉しい事だった。
 綺麗に並べられた宝石の一つ一つに物語があり、新しい、未だ一度も主を迎えた事のない宝石達も店主の手を離れ、物語を紡いでいくのだ。
 静かに時間が流れ、歴史を感じさせる柱時計がボーン、と音を鳴らす。
 店内を一周して見て回った後、アドニスは天鵞絨のトレイに並べられた裸石を眺め、自身が填めている指輪と見比べ、内側に填めるのにちょうど良さそうな大きさなのに笑みを浮かべた。
「お決まりですか」
「ああ」
 にこやかに話しかけてきた店主にアドニスは、裸石をガラスケースから出して見せて貰う。
 小さいながらも上質なブルームーンストーンだ。
「デザインはどのようにしましょう」
「これと同じデザインで、内側にブルームーンストーンを填めてほしい」
 指から抜き取った指輪をアドニスは天鵞絨のトレイの上に置く。
「お揃いになさるのですね」
 店主は指輪を手に取り、デザインを眺める。
「少しの間お借りしても構いませんか。お時間は取らせません」
 アドニスがお茶をしている間に、デザインを描き起こすのだという。
「ああ、それは構わない」
 日頃、身に付けているだけあって、もし預かられていれば、何か物足りない落ち着かない気分になったと思う。
 そんな気持ちに気付いたのか、店主は少しの時間で大丈夫だと言ってくれた。
 シンプルなデザインであったのが幸いだったのかも知れない。
「アドニス様とお取引をさせて頂くようになって、指輪をお作りするのは初めてで御座いますね」
 そういえばそうだったかと、アドニスは思い起こす。
 指輪のサイズなどを答えながら、店主はおや、と少し表情を変えたが、何事もなかったように話を続ける。
「指輪は手軽に贈る事の出来るファッションリングなども御座いますが、私どもが扱っております商品は少々手軽に……と言う訳には参りませんので」
「誰かの為に贈る、というプロセスに至るまでなかなか決心が付かなくて、随分と迷ってしまったよ」
「大切な方なのですね」
「え……。あ、あぁ、それはもう」
 一瞬、戸惑うが、やがて満ち足りた表情を浮かべる。
 指輪を頼んでいる相手に、気持ちを隠す必要がないと判断したのだ。
「ラッピングは石に合わせた色で宜しいでしょうか」
 同じ色で、と返答する。
「何日位で出来上がる?」
 デッサンを終えた店主は、筆記用具を片付けながら言う。
「そうですねぇ……、幸いシンプルなデザインですので、3日ほど頂ければ」
 3日か……、その間に何と言って渡そうかと考えなければならなかった。
「3日後にまた来よう」
 アドニスは、カップに残ったコーヒーを飲み干すと立ち上がり、店主に見送られて店を出た。


 ―――そして、3日後。
 完成までの3日間の間に、一度会う時間が取れて、アドニスが住まう廃教会へとやってきた愛しい人と一緒に夜を共に過ごしたのだが、指輪の事については触れずにいた。
 何と言って渡そう。
 一人で居る間、ほとんどその事で時間を過ごしていた。
 アンティークショップへとゆっくりと歩きながら、溜息をつく。
 嬉しい気持ちと、伝えたい気持ちを言葉として思い浮かばないまま、ドアを開けた。
「出来上がりをご確認下さい」
 そう言って店主は、完成した指輪を差し出した。
 アドニスは自分が填めている指輪と見比べ、満足そうに頷く。
「ありがとうございます。それでは少々お待ち下さい」
 アドニスの表情に店主も嬉しそうに微笑み、ラッピングをする為に別室に姿を消すが、数分で戻ってきた店主は紙バッグをそっと差し出した。
「今度はお二人ご一緒にどうぞ」
「聞いてみよう」


 店を出たアドニスは、携帯電話をポケットから取りだし、電話をかける。
 コール音が数回鳴った後。
「今、大丈夫かな」
 アドニスは優しい笑みを浮かべ、聞いたのだった。



Ende