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<東京怪談ノベル(シングル)>


未熟な旅は終わらない

 長いこと立ち止まっていた所から、一歩進むには勇気がいる。
 それでも前に進んでいかなければならない。いつまでも立ち止まり、座り込んでいる訳にはいかない。
 携帯電話を持ちながら、黒 冥月(へい・みんゆぇ)はゆっくりと発信ボタンを押した。
「………」
 耳に聞こえるのは呼び出し音。一回……二回。
 冥月が電話をかけた相手は、刀剣鍛冶師である太蘭(たいらん)の家だった。
「もしもし」
 三回ほどコール音が鳴ったところで、太蘭が電話に出た。冥月が話し出すまでの沈黙に、足下にでもいるのか、受話器越しに猫の鳴き声が聞こえる。
「もしもし、黒 冥月だが……」
「冥月殿か、どうかしたか?」
「実は、太蘭翁に頼みがあるんだ」
 それは冥月が前々から考えていたことだった。
 以前太蘭に頼まれて仕事をしたときに、太蘭が『神殺しの刀』を作るために刀を打っていることを知った。そしてその後、亡き彼の愛刀でもあり、昔太蘭が打ったという『不断桜』を研ぎ直してもらった。
 神斬りの刀を作って、太蘭が何をしようとしているのかは冥月は分からない。聞いたとしても答えてはくれないだろう。だがそれが出来たときには、使う人間が必要だ。
 その時の為に昔を思い出し稽古をしたのだが、どうしても違和感があった。その為客観的な指導が欲しくなり、太蘭に尋ねることにしたのだ。
「……私の剣術を見てもらえないだろうか」
 静かに冥月がそう言うと、太蘭は一瞬沈黙した後こう返してきた。
「俺の剣術は流派がある訳ではないが、それでもいいのか?」
 何処かに入門して剣術が習いたい訳ではない。流派がないのは自分も同じだ。
「ああ、太蘭翁に指導してもらいたいんだ。一人ではどこが悪いか分からなくて……刀は不断桜を持って行くから」
 一度太蘭から刀を借りて仕事をしたことがあるが、剣術の練習のためには貸してくれないだろう。彼の形見であるが、冥月はそれを使っている。
「決意は固いようだな。なら、明日にでも来るといい」

 次の日、冥月が通されたのは、太蘭の家の中にある道場だった。
 そこは太蘭が飼っている猫たちも入らないようで、凛とした緊張感が漂っている。綺麗に磨かれた木の床の上には、試し切り用の藁束が何本も置いてあった。
「済まない、無理を言ってしまって」
 鞘袋に入ったままの不断桜を手に持ちながら冥月がそう言うと、いつものように作務衣姿の太蘭が目を細め振り返る。
「いや、人に稽古を付けるのは久しぶりだ、特に剣術はな。冥月殿が刀を振るうところは一度見ているが、今回は稽古なので口を出そうか」
 どうやらこの様子だと、前回の仕事の時にも何か言いたいことがあったらしい。
 少し緊張しながら冥月は刀を腰に下げ、抜刀の構えに入る。すると太蘭が眉間に皺を寄せた。
「……構えに力が入りすぎだな」
 そこから既に駄目なのか。
 思わず戸惑う冥月に、太蘭は肩や腕の位置を直しながら、静かに厳しく言葉を続ける。
「その構えでも百体は容易く切り落とせるだろうが、千本斬りになると刀の方が持たなくなる。刀を長持ちさせたいなら、まず構えから直すことだ……一度刀を置き、これを使え」
 そう言って渡されたのは木刀だった。だが重さは刀とほとんど変わらない。
「ずいぶん重い木刀だな」
「刀の稽古で使わせていたもので、中に鋼を入れてある。刃のない刀という手もあるが、構えの練習ならこれで充分だ」
 冥月が思っていたよりも、太蘭の指導は厳しそうだ。しばらく時間を掛けて構えにやっと頷かれたと思えば、今度は別の所に駄目出しをされる。
「振り下ろしたときに、手癖で振り下ろしているだろう。影とは違うのだから、その感覚で刀を使うな」
「はい」
 やはり影とは使い勝手が違う。影を操ることなら、誰にも負けはしないと冥月は思っているが、刀使いには思っていたよりも癖が付いてしまっているらしい。他にも長距離で刀を振り下ろし、藁束を斬った後を見せられ刃筋が通っていない事を実際に見せられ、太蘭に黙って首を横に振られた。
「どうも力が抜けきってないな」
 五本横に並べた藁束は、四本目で微妙に刃筋がずれていた。大きく目立つほどではないが、完全な一直線ではない。
 太蘭は冥月を少し下がらせ、隅に置いてあった刀を手に取った。
「これは銘を切ってない刀だ。冥月殿が使っている不断桜より、出来としては悪い」
 太蘭はそれを腰に下げると、スッとそれを引き抜く。
 ……動きに全く無駄がない。まるで水から手を抜くように、静かで凛とした抜刀。
 次の瞬間、振り上げられた刀が、冥月が切った藁束の下に入り込んだ。完全に一直線になった藁束を前に、太蘭は刀を納める。
「無銘でも刃筋を通すことはいくらでも出来る。不断桜なら、腕がなくとも切ることは可能だ……『夢ノ間』ぐらいの異名がつく程度には」
 『夢ノ間』とは刀の斬れ味を示す異名だ。
 現実を感じる間もなく斬られてしまう事から、その名が付く物がある。銘を切るということは、太蘭にはそれだけ自信があるのだ。
「………」
 刀に関して、ここまで言われるとは思わなかった。きつく言われるならまだしも、冷静に淡々と事実を述べられ、冥月は軽くへこみながらも、何故か口元には微笑みが浮かんでいる。
 そういえば、亡き彼も厳しかった。
 普段は優しく、自分のことを心配してくれていたのに、稽古になると別人のように厳しく冥月にあたった。だがただ叱る訳ではなく、どうしたら良くなるか説明を交えながら、それが出来るまで何時間も付ききりで教えてくれて……。
 それは懐かしく、楽しい思い出。そして切なく、悲しい思い出。
 ぽろりと一粒涙を落とし、冥月はくすっと笑った。
「どうした?」
「いや、すまない……少し昔を思い出してしまっただけだ」
「そうか。稽古を続けるか?それとも今日はこれぐらいにするか?」
「大丈夫だ、続けてくれ」
 ここで稽古をやめる訳にはいかない。自分の感傷で、立ち止まってしまっているうちは、いつまで経っても前に進めない。
 稽古を再開すると、太蘭は更に容赦なく冥月に指摘をする。
「影を使うときの癖が出ているな。微妙に芯がずれている」
「手の内を決めてから刃筋を通そうとするな。斬る瞬間に決めなければ、人ならともかく人外の物には手を読まれる」
 亡き彼は日本刀を軽々と使いこなしていた。七尺ほどの大太刀も、元は二本だった不断桜も、彼の手にあれば無敵を誇るほどだった。
 だが太蘭にかかれば、彼でも素人扱いかもしれない。今まで言われたことのないような指摘や、的確な指示に冥月は心の中で苦笑した。

「今日はこれぐらいにしておこう」
 結局、今日は一度も太蘭に良いと言われるところがなかった。その事に更にへこみつつ、冥月は一礼をする。
「……ありがとうございました」
「久々だというのならこんなものだろう。最初から己の手足のように扱える者はいない」
 それを聞き、冥月は正座をしたまま太蘭を見る。
 太蘭に見てもらう前から、不断桜で稽古はしてきた。だが、どうしても違和感がある。それは不断桜が彼の物であることや、握りに問題があるのかも知れない。
「太蘭翁……私に刀を打ってもらえないか?」
「どういう事だ?」
「私には、この刀が手に合っていないような気がするんだ。だから……」
 目の前に座っている太蘭の目が、急に冷たさを帯びる。
「断る」
 きっぱりとした一言。それは冥月に言葉を出す隙を与えなかった。
「冥月殿はその不断桜が手に合っていないと言うが、俺が『神斬りの刀』を打つときは、誰かに合わせて作る訳じゃない。それが合わないというのなら、別の誰かに頼むだけだ……冥月殿が考えて、答えが分かったらまた来るといい」
 確かにその通りだ。
 刀は誰かのために打つものではない。特に太蘭なら自分が作りたいと思った物を、自分が気の向くままに作るだろう。『神斬りの刀』が出来たときには、冥月はそれを振るうために協力する気でいるが、その時に合わないから使えないとは言えない。
「今日は帰って休め。時間はたくさんあるからな」
 そう言った太蘭の言葉に、冥月は黙って頷くことしかできなかった。

 今は亡き彼の形見。
 誰かに合わせて作る訳ではない刀。
 はらはらと桜の花びらが舞い落ちる……不断桜が、謎を投げかける。
「力を抜けば自然に使えるようになる……それは、お前の刀だ」
 桜の森で聞いた言葉。
 彼が遺したもの、それと一緒に生きていかなければならない現実。
「それが合わないというのなら、別の誰かに頼むだけだ……」
 彼はどうだったのだろう。自分に合った刀を手に入れたのか、それとも誰のために打たれたものでもない刀を、自分の物にしていったのか。
「これは、私の刀?私の物にしてしまってもいいの、ねぇ……」
 刀の鞘と胸元に光るロケットを握りしめ、冥月はこの世にいない彼に問いかける……。

 数日後。冥月は、もう一度太蘭の所に不断桜を持ってやってきた。
 玄関先に出てきた太蘭に、冥月は頭を下げる。
「この前は済まない。刀を打って欲しいと言った、あの戯言は忘れてくれ」
「それがいい。俺に刀を打ってくれなどというと、何年先になるか分からんからな。現に今でも何十年も待たせている相手がいるぐらいだ……玄関先もなんだから、上がって茶でも飲んでいくか?」
 その誘いに冥月は首を横に振った。
 詫びを言うだけなら電話でも出来る。それに不断桜を持ってきた理由もある。
「いや、もう一度剣術を見てもらえないだろうか」
「容赦しないが、それでもいいか?」
「ああ。この間よりは物に出来ていると思う」
 太蘭が無言で道場に行く後を、冥月も黙ってついていく。道場は冥月がくるのを待っていたかのように床が磨かれ、藁束もちゃんと置いてあった。
 鞘袋から刀を出し、それを腰に下げる。
 前に何度も注意された事を思い出し、冥月は抜刀の構えを取った。
「………」
 見ているのは目の前にある藁束だけ。ここで太蘭に目を向けでもしたら「よそ見をするな」と言われるだろう。
 大きく深呼吸をする。
 一度そっと目を閉じる。
 次の瞬間、風を切るように冥月は刀を抜いていた。

「今日はまあまあだった。冥月殿もどうやら答えが分かったようだな」
 たくさんの藁束を切り落とした後、太蘭は少しだけ微笑みながら目を細めた。今日も何度もあちこち直されたが、前よりは良かったらしい。冥月は鞘に収めた不断桜を目の前に置き、少しだけ目を伏せる。
「これは、もう私の刀だ」
 それが冥月の出した『答え』……それに更に言葉を続ける。
「けれど、恐らく私はこれを私の物にはしたくなかったんだ。彼……友人の『形見』として持っていたかったんだと思う」
 彼が遺したもの。
 最初に感じていた違和感は「彼の刀を借りている」と思っていたことなのだろう。形見だからずっと大事にしておきたい。自分が使うものではない。
 そう思っていたからこそ心の何処かで怯え、力が入っていたのだろう。
 冥月は顔を上げ、太蘭を見ながら寂しそうに頬笑む。
「弱いな、私は」
「遺されてしまったなら仕方ないだろう。その重みを受け止めるには時間がかかる……俺のように無駄に長生きしているならともかくな」
 無駄に長生きと言われ、冥月は笑った。見かけ通りの歳ではないと思っていたが、太蘭はどうやらかなり長生きしているらしい。
 笑いながら溜息をつくと、何故か胸が詰まるような気持ちになる。
「だが刀にも『今』にも、心と体を合わせていかなければな……」
 刀が鞘に合うように。
 彼のいない現実を受け止められるように。
 過去を振り返ってばかりいても、彼は戻ってこないし、それを良しとしないだろう。冥月が生きているのは『現在』で、そしてそれを積み重ねて未来へと歩いていく。それは自分が死ぬまで終わらない旅だ。
 はらはら……と、桜の花びらが散るように、冥月の目から涙がこぼれた。
 彼の代わりに刀を抱きしめ、すがりつくようにすすり泣く。正座していた足は自然に崩れ、横座りになっている。
 彼と一緒にいたときも、こうだった。
 彼の前でだけ、冥月は女性らしく生きられた。
 完全に受け入れるには、まだ時間がかかるかも知れない。時々寂しくなって、つい闇の中を振り返るかも知れない。
「でも、私は生きていく……貴方のぶんまで」
 流れる涙を拭いもせず、冥月はしばらく涙を流し続けていた。

 玄関先で太蘭に見送られながら、冥月はこう言った。
「また剣術を見てもらえるか?」
 不断桜を自分のものにしたが、まだまだ稽古は必要だろう。影を操るときの癖は抜けないし、彼と比べても自分はまだまだだ。
 太蘭は猫を抱き上げながら、優しく笑う。
「俺で良ければいくらでも教えよう」
 ならば良かった。
 それに……太蘭に稽古を付けてもらえれば、もし自分が彼の元に行ったときに彼に剣術を教えられる事が出来るかも知れない。
 その時が来るまで、まだまだ冥月の未熟な旅は続く。

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
太蘭の家に「不断桜」を持って行って、剣術を見てもらいつつ…というプレイングから、このような話を書かせていただきました。へこむほど厳しくとのことでしたが、太蘭はかなり淡々と事実だけを静かに述べるキャラなので、厳しいという感じとは少し違うかも知れません。
これが冥月さんの確実な一歩になっていただければ嬉しいです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。