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<東京怪談・PCゲームノベル>


とまるべき宿をば月にあくがれて 四


 畳の上にきちんと膝を揃えて座り、壁掛けの時計に目を向ける。とはいえ、帰宅を済ませてからというものの何度こうやって確認したか、もはや回数など定かではない。現に、先ほど確認した時からまだ五分も経ってはいなかった。
 が、啓斗はその五分という時間の長さに小さく苛立ち、門限を破った娘を待ち構える頑固親父よろしくといった風体で腕を組み、眼前の襖を力一杯にねめつけていた。
 ――もっとも、実際のところ時計が示している時刻はさほどたるものでもない。十八時を未だ回ってもおらず、健全たる今日日の学生であれば、部活のひとつもこなせばその程度の時間にはなるだろうと思われるような時刻なのだ。
 むろん、啓斗もそれをよく理解している。だからそれをとやかく言うつもりも毛頭ない。
 しかし、今日ばかりはそれも例外となっている。
 それは啓斗の、思いつきと言って過言ではない、――あるいは身勝手な事由によるものなのだが。

 啓斗はひとしきり襖と時計とをむっつりと睨みつけ、唐突に腰を持ち上げながらテーブルに目を向けた。
 テーブルの上には知人から譲り受けた焼肉店の割り引き券がある。改装記念、全品三十パーセント引きという謳い文句は実に魅力的だ。
 つまり、啓斗は久々に夕食を外で摂ろうと思い立っていたのだ。日頃は節約を美とする地味な食生活を送っているのだから、それは実に珍しい、奮発した思いつきだと言って間違いではないだろう。
 しかし、共に卓を囲む相手が不在なのでは、せっかくの思いつきもふいになってしまう。それでじりじりと相手の帰宅を待ち侘びていたのだが、ついに待つばかりでいる自分に痺れを切らしてしまった。
 外界には初夏を思わせる緑の景色が広がってあり、それを覆う空には夕暮れの残照が漂っていた。
 空の端が薄い橙色へ染まりつつあるのを目にとめて、啓斗は小さな息を吐いた。
 ――迎えに出るわけではない。ただ、なんとはなしに外に出てみたく思いついただけなのだ。が、もしかしたら自分でも気付かぬ部分で、あるいは道の向こうに求める人影が現れたりはしないだろうかと、わずかな期待を持ちえているのかもしれない。
 ともかくも外に出て、啓斗は庭先をぶらぶらと歩き回る。
 少しばかり蕾を柔らかくしつつある紫陽花の藍と、立葵の花も蕾を膨らませていた。
 松葉菊が鮮やかに花開き夕風に静かに揺れている。
 さほどに手入れの届いてはいない庭ではあるが、それはそれで趣のある風景を作り出していて、啓斗は思わず頬にわずかな笑みを浮かべた。
 しかし、紫陽花の花に触れてみようかと思い立って指先を伸ばしたのと同時に、紫陽花の葉を何かが小さく弾いた。
 それは瞬く間にひたひたと地を叩く雨粒へと変じ、見る間にその粒も大きなものへと変わっていった。
 啓斗はしばし頭上を恨めしげに仰いでみたが、すぐに踵を返して家の中へと戻る事にした。
 珍しい思いつきなど試みようとするものではない。
「……それほど珍しい事だろうか」
 小さく呟く啓斗に応えるものであったのか、玄関のガラス戸を叩く雨脚は一層強くなっていった。
 啓斗は少しむっとして、そのまま雨合羽を引っ掴んで頭からすっぽりとまといつける。
 ――確かに、自分としても珍しく奮発しようとしているのだろうと思う。いくら割り引き券があるとはいえ、手近な定食屋で食事を摂るのとはまるでわけが違うのだから。
「でも俺だってそこまでケチじゃないんだからな」
 誰にともなく言い放ち、コンビニで買った白い合羽姿で再び雨に煙る外界へと踏み出す。
 アスファルトに広がっていく雨染みを見据え、紫陽花が雨に打たれているのに視線を向ける。
 仰ぐ空には薄い雨雲が広がってこそいるものの、端の方には晴天の面影は未だ色濃く残されていた。
「夕立だよな……」
 どうせすぐに止むのだろう。そう落としながら庭を過ぎて公道へと抜ける。
 当て所もなくふらふらと雨の中を歩き、時折道の向こうに視線を投げて、そこに捜す相手が現れやしないかと気を配りながら、けれども腹の底でもやもやとわだかまる小さな怒りに、啓斗はふと歩みの向きを変えた。
 とはいえ、自宅の周辺はどの小路であっても馴染みの深いものばかりだ。多少無茶をして気の向くままに角を折れ曲がってみたところで、それがどこへ通じているものかなど、一見すればすぐにも知れる。
 叩きつけるように降りしきる雨の中、勢いに任せてふたつ三つと角を折れ曲がる。
 そうしている内に視界はどんどん薄暗さを増していき、しまいにはすっかりと夜のそれへと変わっていった。
 雨は唐突に止み、風は雨の名残りを漂わせながら啓斗の頬を撫ぜていく。
 はたりと歩みを止めた啓斗は、しばし周りの景色を一望した後に肩を小さく上下させた。

 馴染み深い場所は一変した風景へと変じていたのだ。すぐにそれと気付かずにいたのは、たぶん、夕立を落としていた雨雲のせいなのだろう。夕立を降らせる雨雲は昼の明るい陽射しを一切に遮って薄い闇の中へと景色を沈める。そのせいなのだと思っていたのだ。
 ――あるいは、随分ぼんやりとしていたのかもしれない。
 考えながら移ろわせていた視線を前方の一箇所へと注ぐ。
 
 そこは四つ辻の薄闇の中だった。
 視線を向けた先には一軒の小さな屋根が見える。――四つ辻にただ一軒きりの茶屋のものだ。
 角を折れ曲がる内に、知らぬ間にあらぬ角までをも曲がってしまったらしい。
 ともかくもと思い立ち、啓斗はそのままぶらぶらと足を進めて茶屋に向かう。
 茶屋の中からはぼうやりとした薄明かりが洩れ出ている。近寄るごとに茶屋に満ちる賑わいの声までもが耳を撫で、啓斗はふとその喧騒の中に捨て置く事の出来ない声があるのを聞きとめた。
 笑いさざめく妖怪達の声に、織り交ざるようにして何事かを告げるその声。その主の顔を浮かべたのと同時、啓斗の足は知らず小走り気味に駆け出していた。
 薄闇に覆われた視界の中、四つ辻の大路の両脇にもまた紫陽花の花が咲き始めているのが見えた。

 建て付けの悪い引き戸を開くと、中には酒に酔い上機嫌の妖怪達の面々と、その中にいつもと同じくのんびりと微笑む侘助の姿とが見えた。
 だが、その中には今しがた耳にとめたはずの声の主の姿は見当たらない。
 合羽姿のまま、啓斗は軒先に立ち尽くして茶屋の中を検めてみた。が、やはりどこにもその顔はなかった。
「啓斗クン」
 佇んだままの啓斗を気遣ってか、侘助がちょいちょいと手招きをする。
「そんなとこに突っ立ってないで、こっちへいらしたらどうです」
 言って安穏と微笑む侘助の横に、薄いモヤのようなものがあるのが見えた。それはなにか、その一部分だけを意図的に覆い隠そうとでもしているかのような、そんな風にも見える。
 しかも、そのモヤの向こうで、何者かがひらひらと手を振ったようにも思える。
「侘助、ここに」
 たった今まであいつがいただろう。
 そう言いかけた啓斗の言を、侘助がふと目をしばたかせながら遮った。
「啓斗クン、……綿帽子」
「――は?」
 訝りながら首を傾げる。そしてふと合羽を着たままであったのを思い出し、慌てて帽子を手で払った。
「いや、その合羽、白いやつじゃないですか」
 侘助が告げたのにうなずきを返す。
「いや、なんだか角隠しみたいじゃないですか、それって。サイズが少し大きいんですかね」
「角隠しって……白無垢の?」
「そう、それです。ちょうど花嫁の話をしてたんですよ。狐のね」
「狐の花嫁?」
 訊ね返した啓斗に、侘助はやんわりと笑いながら目を細ませる。
「狐の嫁入りですよ。――花嫁道中なのに雨が降ったら綿帽子が濡れてしまうんじゃないかって」
「綿帽子が……」
 応えつつ、啓斗はふかぶかと息を吐き出した。
「……たった今までいたんですね」
 呟いた啓斗に、侘助は困ったように頭をかいた。
「俺が余計な気をまわしてしまいまして、ちょうど見事にすれちがいに」
「……そうか」
 返し、テーブルの上に目を向ける。
 湯気のたった湯呑の中、まだ淹れたばかりだろうと思しき茶の湯が波をうっていた。
「啓斗クンもお茶飲んでいきますか?」
 侘助が問う。が、啓斗はかぶりを振って踵を返した。
「いや、今日はもう戻ります。――夕飯にしないと」
 どうせここで腹ごなしでもしていったに違いない。思いつつ小さな礼を見せる。
 侘助は「そうですか」とうなずいて、次いで静かに片手を持ち上げた。
「それでは、その戸板と啓斗クンたちのお家を繋ぎましょう。――たぶん先に戻れるはずですよ」
 にこにこと微笑みながら返した侘助に、啓斗は目を細ませながらうなずく。
「そういえば、ここの紫陽花も見事ですね」
「紫陽花? ああ、もうそんな時期ですからね。現世ではもうじき梅雨時で――ああ、さっきもそんな話をしたんですよ」
 言って笑う侘助に、啓斗は再び丁寧な会釈をみせた。
 
 引き戸に手をかけ、すらりと開く。
 眼前に広がったのは四つ辻の薄闇ではなく、自宅の玄関内の風景だった。
 たった今あとにしたばかりの自宅。玄関のガラス戸の向こうはもう明るくなっている。
 夕立はもう止んだのだろう。

 啓斗は合羽を着込んだままで廊下の上に腰を据え、今にも開かれるであろうガラス戸をきつくねめつけた。
 ポケットには焼肉店の割り引き券がおさめられている。今日の夕食は豪勢だ。
「……タン塩は俺ひとりだけの分を注文しよう」
 独りごちた次の瞬間、ガラス戸の向こうにゆらりと人影が揺れた。
 啓斗はふかぶかと息を吐き出した後、やはり腕組みをした姿勢でその人影の主を迎え入れたのだった。  






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    登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  
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【0554 / 守崎・啓斗 / 男性 / 17歳 / 高校生(忍)】



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          ライター通信          
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お世話様です。
先にお届けしましたゲームノベルとの連結ノベル、とでもいいましょうか。構成的には随分と絡ませてはみたのですが、いかがなものでしょうか。

啓斗様には、なんだか頑固親父な感じのノベルとなってしまいました。
子供の帰宅をはらはらしながら待ち侘びているパパ、みたいな。
それにしても、白い雨合羽を白無垢に見立てるっていうのはおもしろい案だと思います。なるほど、たしかにそう見えなくもないですもんね。
毎回たのしいプレイングをありがとうございますv

それでは、今ノベルが少しでもお気に召していただけていますように。
またご縁をいただけますようにと祈りつつ〜。