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【赤い絵本】蠢動
【Opening】
東京の片隅にある雑居ビル。その中に事務所を構える草間興信所。その事務所で暇そうにソファーに寝そべりながら、タバコを吹かしていると、珍しく事務所のドアが開いた。
突然の来客にこの事務所の所長草間武彦は慌てて上体を起こすと、タバコを灰皿でもみ消した。
若い白衣の男が、事務所内を見て、それから手に持っている名刺らしいカードと、ドアに書かれた文字を何度も確認していた。
「ああ、ここが草間興信所だよ」
武彦は教えてやった。ドアに書かれた表札は、『間』の字が1つ欠けているのだ。
良かった、と小さく呟いて白衣の男は入ってきた。
「出来れば仕事を頼みたい。急ぎの仕事だ。ちょっと危険が伴うかもしれないが、その分依頼料ははずませてもらう」
武彦がソファーに勧めるよりも先に、男はそう切り出した。引き受けて貰えないようなら、依頼内容は話さないといった口ぶりに、武彦は困ったように頭を掻く。
いずれ、ここへ持ち込んでくるような仕事なのだ。
さて、どうしたものかと首を傾げていると、妹の草間零がお盆にお茶をのせて奥から顔を出した。
「どうぞ」
お客様をソファーへと促すように、湯飲みをテーブルに置く。男は零から武彦へと視線を移した。
「……聞きましょう」
半ば観念したように武彦は彼を促したのだった。
◆
彼の依頼は概ねこのようなものだった。
「『赤い絵本』と呼ばれる絵本を見つけ出し、回収してきて欲しい」
『赤い絵本』の特徴は、A5版の本より一回り大きく、マット加工された肌触りの良いハードカバーの表紙に、白金の箔押しで『赤い絵本』とだけ書かれているということだった。
そして本を開くと、人の血を啜りだす。
そこまで聞いて、武彦は思わず腰を浮かしかけた。
だが、彼の話しはまだ終わっていない。
男は一枚の紙を取り出しテーブルの上に置いた。
そこには時間と簡単な場所が5つ並んでいる。
『 6時 霞ヶ関 8時 古川橋 10時 汐留
12時 六本木 14時 芝浦 』
「今日、たった1日で血を吸われた人たちの、時間と場所です」
「え?」
「全員、極度の貧血状態で救急に運ばれ輸血や増血剤の投与で、何とか一命は取りとめましたが」
死者が出ていない事や、外傷が全くない事から事件としては扱われず、原因不明の貧血として処理された事で、同じような貧血が各地で起こっていた事に誰も気づかなかったらしい。テレビのニュースにも出なかった。
「…………」
しかし、これが『赤い絵本』と関係している確証はあるのか。
武彦は男の顔を測るように見た。
それに気付いたのか、気付いていないのか。
「恐らく次は4時」
男が言った。2時間おきに吸血が行われている。
武彦は壁掛け時計を見やった。既に3時を回っている。
まだ死人が出ていないとはいえ、次も助かる保証はない。それが『赤い絵本』とは関係なかったとしても。
「わかりました」
武彦は答えた。この仕事を請ける請けないはともかくとして、聞いてしまった以上はほっておく事も憚られた。何より他のアテを捜すほどの時間もないだろう。
「1つ聞いてもいいですか?」
「はい」
「あなたは絵本を手に入れて、どうする気なんですか?」
尋ねた武彦に男はわずかに首を傾げて答えた。
「赤い絵本は別名を『生命の絵本』といって、本来は人を生かすためにある。植物人間や、脳死が確定した人を蘇らせる事が出来る、私が知る限り、唯一の方法……」
「…………」
「助けたい奴がいるんです」
【起承転結の起】 本はただ物語をつむぎ続ける
■15301■
携帯電話を机の上に投げ出して、ソファーに深々と座りなおす。妹の零が淹れてくれた、ぬるくなった茶を一啜りして、武彦は軽く目を閉じると、ぼんやり依頼人の事を考えていた。白衣は医者か研究員か。どちらにせよ、仕事着のまま慌ててここに駆けつけたといったところか。
そんな思考を遮るように事務所の扉が開いた。
開けたのは、中学生にあがるかあがらないかくらいの美少女。黒く長い髪をツインテールにリボンで結い上げている。
「さすがに早いね」
目を開けて武彦が感服したようにそう言うと、ササキビ・クミノは目を細めて所内を見回した。
「いつもいる事務員さんは?」
「今、夕食の買出しに出ててね。何か、牛ミンチが特売だとかで隣街まで歩いて買出しに出ちゃってるんだ」
うちはそんなに貧乏だったのか、などととぼけてみせて、彼はさりげなく手を伸ばした。その手が向かいのソファーを指している。
促されるままにクミノがソファーに腰を下ろすと、すぐに戻ってくるよ、と彼は笑った。
「情報はこちらでも」
クミノは短くそう言って、視線を扉へと移した。
「ああ」
概要は既に携帯電話で話している。そこから更にここに来るまでの間に情報を集めてくれたのだろう。答えながら、武彦も扉を振り返った。
その扉が開く。
「早かったな」
武彦が声をかけた。
「依頼があったって本当なの?!」
入ってきたのは、この草間興信所で事務員を務めるシュライン・エマ。それと、もう1人―――。
「あれ?」
「そこで会ったものですから」
銀髪の髪にステッキをついた紳士が軽く会釈する。セレスティ・カーニンガムだった。
「車で送ってもらったの」
シュラインは、ソファーに座るクミノにこんにちは、と声をかけ、零に買い物袋を手渡すと武彦の隣に腰をおろした。セレスティがその向かいに腰をおろす。何か言いかけようとした武彦をセレスティは柔らかい笑みで遮った。
「事情は彼女から伺っています」
「そういえば依頼人は?」
シュラインが事務所の中を見回しながら尋ねた。よもやクミノが依頼人という事もあるまい。
「前金だけ置いて帰った」
答えた武彦に本当は、帰してしまったことについて問い質したいところだったが、シュラインが咄嗟におうむがえしていたのは別の単語の方だった。
「前金!?」
「ああ」
武彦が分厚い封筒を机の上に置く。
「……ど…どうしよう。こ…こんな……」
シュラインは珍しくうろたえてそれを両手で取り上げた。福沢諭吉の描かれた紙束が、厚さにして1cm。
「これで、全員?」
札束に感動のためか気を失いそうになっているシュラインの代わりに、クミノが尋ねた。
「いや、もう1人声をかけてる」
そこへ三度扉が開いた。
「すみません。遅くなって」
やってきたのは、ふくろうを2匹連れた青年だった。由緒正しき財閥の御曹司にして、陰陽師。宮小路皇騎が少しだけ息をきらして立っていた。
◆
テーブルに都内の地図が広げられた。
「一番最初が朝の6時。霞ヶ関……」
その辺りをシュラインが指差す。
「内閣府のすぐ近くだったようです」
皇騎はそう言って赤のマジックでその辺りに丸印をつけた。ここに来るまでの間に宮小路の調査部を使って裏づけをとっていたのである。
「次が8時の古川橋……汐留は、汐留JCTの傍みたいですね。それから、東京ミッドタウンのこの辺りと、芝浦も芝浦JCT付近……そして次があるとすれば16時……」
皇騎はチラリと視線を馳せた。そこに丸い壁掛け時計がある。長い針が7を指していた。
「地図現場の順序をなぞると、これって星の形じゃないかしら、武彦さん。五芒星なら次は霞ヶ関?」
「……恐らく」
シュラインの言にクミノが頷いた。
「しかし、今からだとギリギリですよ」
皇騎が言うのにシュラインが立ち上がる。
「急ぎましょう」
「車を出します」
セレスティも立ち上がり外へと歩き出した。
「半自律式移動監視装置をそちらへ巡回させていきます」
クミノが続く。
「私はバイクで移動します。これを皆さんに。それから車ならこれを持っていってください」
そう言って皇騎は通信用のイヤホンマイクと、B5サイズくらいの小型のタッチディスプレイを取り出した。
「バイクなの?」
クミノが尋ねる。
「はい。その方が機動性がいいので」
この時間はまだラッシュには少し早いが、渋滞すれば車はどうしても機動力が落ちる。
「なら、行きたい場所があるんだけど」
クミノが言った。そちらにバイクを回して欲しい、そんな口ぶりだった。
「え?」
皇騎は少し面食らったようにクミノを見返した。現時点でギリギリなら、少しでも渋滞すればアウト。ならバイクの方が間に合う確率は高いはずである。
「ササキビさん?」
シュラインも怪訝そうにクミノの顔を覗き込んだ。
「依頼人に確認したい事があります」
クミノが言った。
「依頼人?」
シュラインは一瞬不可解そうに眉を顰めたが、何かに気付いたのか、ハッとしたようにクミノを見返した。
「わかったわ、緑の栞ね」
「緑の栞?」
皇騎が首を傾げる。
「…………」
クミノはその問いには何も答えなかったが、シュラインは1人得心のいった顔で皇騎を促した。
「そっちはじゃ、お願いするわ」
そしてセレスティと武彦が乗り込む車へ走った。
「私たちはとにかく霞ヶ関へ急ぎましょう」
シュラインが車に乗り込むと同時、ドアが閉まるのも待たずにセレスティが運転手を急かし車が走りだす。
セレスティのリムジンの後部座席で、ふと、武彦が思い出したように尋ねた。
「そういえば、緑の栞って?」
「赤い絵本を制御するためのアイテム……なんだけど、武彦さん、依頼人から聞いてないの?」
「聞いてない」
答えた武彦にシュラインが考え込む。
「…………」
代わりにセレスティが武彦の疑問に答えた。
「赤い絵本は開くと血を啜る吸血本と化します。開いた本を閉じさせるには、2つの方法があって、満腹にする事と、本に栞を挟む事なんです」
「なるほどな。って、どうしてシュラインはそんな事知ってるんだ」
「前に少し関わった事があったのよ。その緑の栞の持ち主に」
赤い絵本とは別に、青い絵本というのもがある。それを追っていた時に、青い絵本に緑の栞を使おうとした人物に出会ったのだ。
「…………」
皇騎に渡されたタッチディスプレイの接続を終えたセレスティが、そういえばと首を傾げてシュラインを振り返った。
「緑の栞とは、そんなにたくさんあるものなのでしょうか」
「え?」
「緑の栞は“彼”が持っていました。その“彼”が別の誰かにそれを譲るとは考えられません。しかし、蘇生には栞が不可欠だと私も思います。ならば依頼人は“彼”という事になるのではないか、と」
「……まさか」
「だとするなら、依頼人が草間に緑の栞の事を話していないのには、少し納得が出来ます。ここにはシュラインさん、あなたがいますから。時間があまりない状況だったわけですし」
話す時間を惜しんだ。話さなくても彼に緑の栞の情報は伝わるはずだと考えたのかもしれない。
「でも、彼が依頼人だとするなら、依頼してきた理由がわからないわ。彼なら自分で回収出来るはずだもの」
1人では難しいと判断したのだとしても、彼が草間に依頼を出すとは思えなかった。彼ならもっと別の人間を動かせるはずだ。あの時のように。
「……つまり、依頼人は彼ではない。依頼人は栞を―――持っていないのでしょうか。それとも栞の存在自体を知らない」
セレスティが考え深げに顎を指の背でなぞる。
「そういえば、依頼人はシュラインの名刺を持ってたな」
「え? 私の? それって依頼人は私の知っている人物だってこと? ……ササキビさんはそれを確認しに行ったのね」
緑の栞の件だけでなく。
【起承転結の承】 霞ヶ関の出会いともう1つの邂逅
■1600■
「大体なんなんだよ。警察の仕事なら、他にも捜査員がいるんじゃないのか?」
内閣府に続く閑散とした通りを歩きながら、桐月アサトは悪態を吐いた。
「手柄を独り占めするためよ」
神宮寺夕日はきっぱりと言い切る。
「おぉーい。警察そんなんでいいのか? あれって一応組織だろ?」
「うっさいわね。細かい男はもてないわよ」
「うぐっ……かわいくねぇ……」
痛いところをつかれてアサトが黙り込む。
「かわいくなくて結構」
夕日は口を尖らせ背を向けた。
「…………」
彼女の後ろをアサトは黙々とついて歩く。そして突然足を止めた夕日の背にアサトはもう少しでぶつかりかけた。
「あら?」
「どうした?」
「人が倒れてる」
「は?」
夕日が指差す方に黒髪のスーツ姿の女が倒れていた。その傍らに金髪の女が立っている。
「ちょっとそこの、あなた……」
夕日が声をかけると、立っていた金髪の女が夕日を振り返った。その手には赤い本のようなものを携えている。
「!?」
それに気付いて夕日が駆け寄った。
だが刹那、彼女の姿は風に消えた。
「ちょっ?! どこに行ったのよ!!」
夕日が声を張り上げるが返事は勿論ない。
「おい!」
夕日の背にアサトの声が届く。自分を呼んでいるのかと思って振り返った夕日だったがそうではなかったらしい。アサトはそこに倒れていた女性を抱き起こし、しきりに声をかけていた。
「大丈夫、あなた」
夕日も声をかける。
「ダメだ。意識がない。顔が蒼いな。貧血か」
「もしかして、さっきの?」
そこへ声が聞き知った声が届いた。
「夕日ちゃん!?」
振り返る。
「シュラインさん」
黒塗りのリムジンの窓からシュライン・エマが顔を出していた。停まった車から降りてくる。その後ろに武彦と、このリムジンの持ち主であるセレスティ・カーニンガムが続いた。
「もしかして、あなたたちも絵本を追って?」
「あ、はい。あなたたちもって、シュラインさんたちもですか?」
夕日は、シュラインと武彦を順に見やる。
「えぇ」
「それより、こっち」
アサトが2人の会話に割り込んだ。救急車の手配のが先だろといった風情だ。
「私が看ましょう」
セレスティが女の傍らに膝をついて、その額に手を伸ばした。彼の水を操る力は液体全てに作用する。
「えれぇべっぴんさんだな、こりゃ」
女性をセレスティに預けたアサトがセレスティの顔をまじまじと見ながら言った。
「これは、どうも」
セレスティが愛想笑いを返す。
「彼は?」
シュラインがアサトを指して夕日に尋ねた。
「便利屋さん」
「なんでも屋だ」
アサトが訂正する。
「へぇ、便利屋さんなんだ」
「だから、おまえさんも人の話を聞けよな」
「似たようなものじゃない」
シュラインが肩を竦めて言った。
そうではない、とアサトが息を吸い込んだとき。
「気がつかれましたか」
とセレスティが言った。
皆がそちらを振り返る。
「あ…はい……」
女が答えた。
■1615■
「これで五芒星は完成したって事かしら」
倒れていた女性を念のためと救急車に預けると、シュラインと夕日は現状を整理するように今までのお互いの情報を持ち寄った。
「五芒星って悪魔信仰にも使われる事がありますよね」
夕日が、もしかしたらとシュラインを見る。
「でも、それなら始点は南に置くと思うのよ。だから悪魔崇拝者ではないと思うわ」
「そっか……」
「次は、どこかしら。円状に進むとするなら……」
「時計回りなら汐留JCTでしょうか」
セレスティが言った。
「うーん……」
考え込む一同をよそに、自分はまるで無関係な顔をして、面倒くさそうにアサトが後頭部で手を組む。
「しかし赤い絵本の持ち主は一体何を考えてるんだろうな。もしかして、蘇らせたい奴でもいるのかねぇ?」
その胸倉をシュラインが掴みあげた。
「!? ……今、何て言った!?」
「え? だから、絵本に血を吸わせて、何考えてるのか、と」
アサトが答えた。
「その後!」
シュラインは怖い顔でアサトを睨みつける。
「えぇっと……蘇らせたい奴でもいるのか、と」
「それだわ!」
「どれだよ」
アサトが辺りを振り返る。しかしそんなアサトはほっぽって、シュラインは思考を巡らせた。
「どうして気付かなかったのかしら。考えてみれば絵本は無差別に血を吸ってるわけじゃない。この五芒星は偶然だとでもいうの? 違う。そこには何かの意志が働いている」
ぶつぶつと呟くシュラインに夕日が声をかけた。
「シュラインさん?」
「そうよ。絵本を閉じるには2つの方法がある。栞のない状態で絵本を使おうとしたら血を吸わせていくしかない―――これってもしかして、緑の栞なしで誰かを蘇生させようとしてるんじゃないかしら」
シュラインの言にアサトを覗いた一同が目を見開いた。
「!?」
シュラインは何かを考え込むように暫く視線をどこかへ馳せていたが、やがて1つの結論に辿りついたのか、ぼんやりと呟いた。
「だとするなら、まさか―――私たちは囮?」
■16201■
「1つ不可解な事がある」
バイクを止め、東京タワーの下へと歩き出しながらクミノがぽつりと言った。
「不可解?」
皇騎が首を傾げる。
「どうして依頼人は、今、こんな依頼を草間に持ち込んだのかしら」
クミノの誰にともない問いに皇騎は眉を顰める。
「それは、どういう?」
意味かと、先を促した。
「赤い絵本の回収が目的だったなら、それを欲した時点で持ち込めばいい。捜して欲しい、と。手がかりを自ら掴んで、敢えて今、持ち込んだ理由はなに?」
尋ねたクミノに皇騎が答えた。
「自分では回収出来ないと判断した」
だが、そう答えてから皇騎が違和感を覚えた。それはうまく言葉にはならず、ただ漠然とした違和感だった。そんな理由ではない。
「霞ヶ関には、ギリギリ。恐らく、間に合わない。そんな時間を狙って彼が訪れた理由を考えてみたんだけど」
5つの貧血に気付いて赤い絵本の存在を思い出したとしても、そもそも5つの事件にもなっていないような事柄全てに気付き、1つに結びつける事が出来るだろうか。そうだ。ずっと以前から捜していて、それらしい情報を集めていたと考える方がしっくりくる。
「…………」
「私は緑の栞の持ち主を知っている。もし依頼人がその人物でなかったとしたら、依頼人はどうやって助けたい人間を蘇生させる気なのかしら」
「え……それは……?」
皇騎は考え込んだ。もし緑の栞を持っていなければ。それは現実にありえる事だった。しかも、緑の栞を持っている人物を彼女が知っているという事は、高確率で依頼人は持っていないのだろうとも思われた。
「だから私はこう仮定してみた。今、絵本を持っている人間は誰かを蘇生させようとしているんじゃないか、と。だとするなら、依頼人はその誰かと、自分の助けたい人間を入れ替えようとしているんじゃないかしら」
「!?」
「だとするなら、私たちは囮」
今、絵本を持っている人間の気を引くための。
■16202■
「ササキビさんたちに連絡取れる? 今、彼女たちは東京タワーだったわよね?」
シュラインが尋ねた。
「はい」
セレスティが答える。
「そういえば、なんで依頼人に会いに行くのに東京タワー……って、地図を見せて!」
何かに気付いたように言って、シュラインは車につまれた地図を引っ張り出すと、その場に広げた。東京タワーの位置を確認する。それから、今までの5箇所。
「東京タワー……って、五芒星の中心じゃない!」
「本当だ」
地図を覗きながら夕日もハッとしたように呟いた。
「急ぎましょう。きっと赤い絵本も今、そこへ向かっているはず」
確信したようにシュラインが言う。
「はい」
夕日が頷いた。
「えぇっと、俺は……」
アサトが後退る。危険な事は御免被りたいといった風情だが、それに気づいた風もなく、セレスティがアサトを促した。
「どうぞ。私の車に」
「え?」
「夕日さんも」
「ありがとう。ほら、便利屋さん行くわよ」
夕日がアサトの腕を掴んで車に乗り込む。
「だから、俺はなんでも屋だ!」
その後にシュラインが続いた。
「……五芒星が完成した今、次に赤い絵本が使われるのは、2時間後とは限らないかもしれないわ。急ぎましょう」
「…………」
セレスティと武彦が乗り込んで、車は走りだした。
セレスティがタッチディスプレイの回線を開くと、現在のクミノたちの状況を皇騎がデータで送ってくれていた。
それを目で追いながら、通信用のイヤホンマイクのボリュームをあげると、2人の会話、いや、2人と別の誰かの声が聞こえてきた。
■1625■
「教えてくれるかしら?」
クミノが、誰もいない辺りに向かって声をかけると、1人の白衣を着た男が柱の影から現れた。
「……当たらずとも、遠からずです」
「……そのようね」
クミノはやれやれと息を吐く。
「……あなたは」
皇騎は、背中で腕に取り付けられた通信機を操りながら尋ねた。
「ただの依頼人です」
男は少しおどけたように答える。そして続けた。
「力を貸してくれませんか?」
「勘違いしないで。あなたは私の依頼人ではない。あなたの依頼相手は草間であって、私は草間の要請で動いているに過ぎない。赤い絵本を回収する。それをどうするかは、草間次第だ」
淡々と答えたクミノに、男は残念そうに肩を竦めてみせた。
「そうですか」
「だけど、絵本の回収にあたり、今、絵本を持っている者の情報を握っているというなら、聞いておくわ」
そう言ったクミノに男は苦笑を滲ませる。
「……人の手に余る力は不幸を呼ぶと思わないかい?」
「同感ね」
「赤い絵本を破壊することには、僕も賛成だ」
「それは意外だったわ」
「だけど、それ以上に壊さなければならないものがある」
「まさか……」
「奴らは、その殺戮マシーンを再び蘇らせようとしている」
彼の言う殺戮マシーンとやらに心当たりがあるのか、クミノはわずかに目を伏せた。
皇騎は口を挟まず、2人のやりとりをただ聞いていた。
「…………」
「奴らはあれを、自分たちの手に負えると本気で思っているんだ」
奴らとは、今絵本を持っている者の事か。だとするなら、持っているのは1人ではないという事だろうか。或いは、バックに何らかの組織が絡んでいるのかもしれない。
「それが今、依頼を持ち込み、この場所を告げなかった理由かしら」
クミノが尋ねた。
「少しだけ迷って、持ち込むのが遅れただけさ」
男は肩を竦めてみせた。
「その迷いが吉と出るか、凶と出るか」
クミノはゆっくりと後ろを振り返った。
「…………」
「赤い絵本が到着すればわかるのかしら」
■1630■
「どういう事だ?」
クミノたちの会話を聞きながらアサトが首を傾げた。
「何が?」
シュラインが首を傾げる。
「今頃持ち込んだ、とか、何も言わなかった理由とか」
「たぶん、こういう事じゃないですか」
セレスティが答えた。
今、絵本を持っている人間には、蘇らせたい人間がいる。しかしその人間はかなりの危険人物。だからそれは阻止したい。そのために赤い絵本を回収する。しかし、眠ったままだと、いつまた別の方法を使って危険人物を蘇らせようとする人間が現れるかもしれない。だからそのその危険人物を確保したい。しかし、その人物の肉体がどこにあるのかわからない。
「ああ、絵本を使うときには、必然的にそれが姿を現すことになるのか」
「恐らくその瞬間を狙って、両方確保する、というのが第一希望なのではないかと思います」
しかし、この方法はあまりに危険すぎる。赤い絵本をたとえ回収できたとしても、どうやって蘇生させるのか知らなければ尚更だ。たとえば、触れるだけで力が発動してしまう、とか近づくだけで発動するとか。既に五芒星の結界は完成しているわけだから、その中心に蘇らせたい人物を置くだけで蘇生させられるかもしれない。だから―――。
「彼は途中で赤い絵本を確保する事を考えた。だが、これだと、危険人物は確保できない。その迷いが、彼の行動を遅らせたのではないでしょうか」
セレスティの説明に、ふむとアサトが頷く。
「迷ったというよりは、むしろ私たちに采配を任せたのかもしれないわね。次の場所を教えなかったのも、私たちが気づいたら、気づかなかったら、と」
シュラインが言った。
「他力本願な話しね」
夕日が呆れる。
「お前さんが言うなよ」
アサトが突っ込んだ。
「それとも、危険だったからかしら」
シュラインが言うのに、セレスティは頷いた。
「それはあるかもしれません。答えに辿り着けない人間は足手まといになるかもしれないと彼が考えたのなら」
「…………」
シュラインは不愉快そうに奥歯を噛んだ。ちょっと悔しい。今、自分が東京タワーにいない事が。
「とにかく赤い絵本を回収する。俺たちはそれでいいんじゃないか?」
武彦が言った。
「回収した絵本はどうするの?」
シュラインが尋ねる。
「依頼人が必要としていないのであれば、私が手元に保管させていただきますが」
セレスティが手を挙げた。先ほどのクミノと依頼人の会話から察するに、依頼人の真の目的は、危険人物の方にあるように思われたからだ。
「あの……私も欲しいんですけど」
夕日もおずおずと手を挙げる。
「そういえば、夕日ちゃんは何でだっけ?」
「あ……捜査に必要で……その……」
広義のですけど、夕日はと内心で付け加えた。
「捜査って、もしかして、アレ絡み?」
シュラインが尋ねる。アレ。依頼人の言う殺戮マシーンとやらに1つだけ心当たりがなくもない。赤い絵本、緑の栞、色の絵本、葵絵本。まるで連想ゲームのようにそこへ辿り着く。
「そんなような……」
夕日は視線を彷徨わせた。
「まぁ、守秘義務なんかもあるだろうから、あんまり詳しくは聞かないけど」
「すみません」
「どうする? 武彦さん」
「依頼人に確認してみてからだな。助けたい奴というのが本当にいないのか。で、警察に協力するのは国民の義務かな?」
「恐れ入ります」
「警察の手に渡る前に、読ませていただいてもいいですか?」
セレスティが尋ねた。
「え? でも、栞が……」
栞なく本を開けば、本は吸血に走ってしまう。
「輸血用バッグを用意します」
「あ……」
セレスティの言にシュラインがハッとしたようにセレスティの顔を見た。
「はい?」
「今、誰も栞を持っていないのよね?」
「そうなりますね」
「なら、病院に寄って行きましょう。幸い、東京タワーには2人がいるわ」
栞がなく、赤い絵本を止めるには大量の血液しかないだろう。
【起承転結の転】 持て余す力は不幸しか呼ばないのか
■1705■
藤田あやこがCASLL・TOに担がれるようにして、東京タワーにやってきたのは、少し陽の傾いた午後5時過ぎの事だった。
無理もない。海芝浦にいた彼らはケリーの並外れた嗅覚により、20km近く離れたこの地まで、横羽線から首都高1号線を走ってやってきたのである。全力疾走のケリーの前に、途中であやこがダウンしたとしてもそれは仕方なのない話しであった。それをCASLLがここまで担いできたのである。ちなみに、ケリーはここまで絵本ではなく、血の匂いに誘われてきただけであったが。―――閑話休題。
とにもかくにも、それまでぐったりしていたあやこは、何かの気配に気付いたようにCASLLの肩の上で顔をあげた。
「待って!」
あやこの制止にCASLLが足を止める。
「もう、大丈夫なんですか?」
CALLは心配げにあやこを降ろした。
「変だわ」
「はい?」
言われてCASLLは辺りを見回した。
ケリーが何かに向かってしきりに吼えている。
オフィスが多く普通なら仕事帰りでごった返しそうなこの場所で、だが通りには人はいない。片側2車線もある道路には車が1台も走らないのだ。
そして、その異様とも思える光景の中に、それは突然現れた。
「あら? おかしいわね。どうして人がいるのかしら」
ティンガローハットを被ったアメリカ西部の開拓時代を思わせるようなウェスタンスタイルの女が、ウェーブのかかった長い金髪をわずらわしげに肩の後ろにやって、妖艶な笑みを浮かべていた。CASLLの凶悪な顔に動じた風もない。
あやこは一瞬チラリと自分の胸を見やってから、ちっと舌打ちを1つ。
「女だったのか」
これではアレはあまり役に立つまい。
あやこは得物をポケットの中で握りこんだ。
「うるさい仔犬だね」
女が嗤う。ケリーは唸りながらゆっくり後退って、CASLLの後ろに隠れた。
「……あ…あの……」
CASLLがおろおろと女に声をかける。
「すみません!」
反射的にCASLLは頭を下げていた。
女は思わずキョトンとCASLLを見返す。
あやこが動いた。
手の中のP226が火を噴いた。
東京タワーの周辺を見張らせていた皇騎のふくろうが何かを知らせるように羽を鳴らした。
彼の連れているふくろうはただのふくろうではない。通常は夜行性であるふくろうが昼間から空を飛んでいるのだ。齢800を数える化けふくろうが昇華した、それは上位式神であった。
その羽鳴りに皇騎が振り返った。
それから傍らのクミノを見やる。クミノは何も言わずただ頷いた。
それから2人は依頼人を振り返った。
しかし既に、そこに依頼人の姿はなく、2人はふくろうが促す方へと走りだしたのだった。
■1710■
あやこの銃を軽々とかわして女は木の上に立った。
「何故、当たらない?」
あやこは口の中で呟く。弾が当たらないのだ。まるでこちらの動きを先読みされているかのようにかわされていく。
だが。
「何故、攻撃してこない?」
あやこは壁に背をつき空になった薬莢をパラパラと地面にばら撒いて、マガジンを装填しなおした。
突然、始まったあやこの銃撃戦にCASLLは木の影に隠れながら弱気な声を2人にかける。
「あのー……危ないですよ……。周りに迷惑ですよ……」
とはいえ、他に人通りがあるわけでもない。何だか自分でも説得力に欠けるような気がして、CASLLは控えめに付け加えてみた。
「め…迷惑でーす」
だが、きっ、とあやこに睨まれ口を噤む。
それからふと、CASLLはケリーがいなくなっているのに気がついた。
「あ……あれ?」
「クミノさん! あそこ!!」
走るあやこと、そしてティンガローハットの女を遠目に見つけて皇騎が指差した。
「赤い絵本……」
ティンガローハットの女が手に絵本を抱いているのが見える。
「行きましょう」
促す皇騎にクミノは眉を顰めた。
「おかしい」
「え?」
おかしいと思う点はいくつもあった。ティンガローハットの女が普通に絵本を携えていること。正確なまでのあやこの弾が、女に当たらない事。そして。
「人がいない」
クミノに言われて皇騎は辺りを見渡した。
「!?」
確かに人もいなければ車も走らない。唯一、木のかげに隠れるようにして1人の男がいるだけだ。
「結界か……さて、どちらの」
クミノが2人を見ながら呟いた。結界の中というものは、大抵張った者に優位に働くように出来ている。不用意に仕掛けても状況は悪化するだけだ。
しかし、この結界が、ティンガローハットの女の張ったものなら、いつの間に張ったものなのか。霞ヶ関からここまで、その動線上には監視装置を巡回させていた。その網の目をくぐり、更には皇騎のふくろうの目も掻い潜ったのである。
「瞬間移動能力者か……いや……」
「赤い絵本を持っている方のようです」
皇騎が一羽のふくろうを腕に止まらせながら言った。さて、どんな結界をどの範囲にまで張っているのか。
「?」
クミノの視線がふと別の方へ動いた。
「どうしました?」
「犬が……そうか」
クミノはどこからともなく銃を取り出すと犬が吼えている先を撃った。
あやこの追っていた、ティンガローハットの体が一瞬揺らぐ。
「なるほど。そういう仕掛けか」
皇騎もそれに気付いて走りだした。
あやこも気付いたのか。
2人はそれぞれに結界をはっているらしい呪具を壊した。
残りは―――。
その3人へどこからともなくナイフが飛んできた。ティンガローハットの女が投げたものだが、目の前の女の手元からは飛んでこなかった。
あやこはすんででかわし、皇騎は眼前でふくろうがナイフを叩き落とした。クミノにはナイフは届かない。
しかし、結界を作る呪具を全部壊さないと、結界は解けないという事か。呪具は後いくつあるのか。
「そこの犬!」
クミノが声を張り上げた。
凛と響く声音にケリーが一瞬気を付けをして走りだす。それにナイフが飛んだ。それはケリーを捕らえる寸前、別の何かによって弾き落とされた。
「私の足を舐めないでね」
夕日が銃を構えて立っていた。ヒールを履いての100m2秒フラットは伊達ではない。遥か遅れた場所でアサトが息を切らしながらこちらに向かって走っていた。夕日の耳には、皇騎のイヤホンマイクが取り付けられている。
クミノが振り返った。
「あの……これでいいですか」
CASLLがケリーと共に呪具を破壊していた。
それで結界がとけたのか女は実体を現した。あやこがずっと追っていたのは何ともリアルな幻影だったのだ。
「助かったわ」
あやこがクミノに近づいて声をかけた。
「助けた覚えはない」
クミノが素っ気無く答える。
「なら、礼は言わないわね」
あやこは地面を蹴った。
5人が女を取り囲む。
結界が崩れ、結界の外に出されていた人々が、首を傾げながら戻ってきた。
「こっちは俺がカバーするよ」
やっと追いついたアサトが息をきらしながらそう言って手を振るった。
彼は全ての攻撃を無効化できる防御壁を張る事が出来るのだ。ただし、こちらからも攻撃が出来なくなるため、一般人を守るぐらいにしか役に立たないのだが。
何をしたのかはクミノたちにはわからなかったが、いずれにせよ、カバーすると言ったのだから無関係の人々は彼に任せればいい。女に向き直る。
「あなたに逃げ場はないわ」
クミノは目の前の女に向かって手を広げた。手元が淡く光を放ち、そこに何かが形作られる。糸のようなものが現れた。
「さあ、絵本を渡しなさい」
あやこが銃を構える。
「さぁて、それはどうかしらね」
女が飛翔した。
「むっ。上に逃げるなんて」
東京タワーを見上げながら夕日が嫌な顔をする。高いところは苦手なのだ。
「和尚!!」
皇騎が片手を大きく振るった。一羽のふくろうが空高く舞いあがったかと思うと、その羽以上に大きな翼を広げて滑翔した。
「なっ!?」
ふくろうの攻撃にバランスを崩して落ちる女を、クミノの糸が、まるでハンモックか蜘蛛の巣のように広がり受け止め絡めとった。
「もう、逃げられない」
女の体をみのむしのように巻き取って東京タワーの鉄筋にぶら下げるとクミノが言った。
「くっ……」
女が低く呻く。
「絵本を渡しなさい」
だが、女の呻きは、次第に嘲笑へと変わった。
「くっくっくっ……」
「何が可笑しい?」
皇騎が一歩踏み出す。
「間もなく、あの方がお目覚めになられる」
「あの方?」
怪訝に首を傾げた皇騎に、ハッとしたように夕日が踏み出した。
「まさか?!」
あの方。殺戮マシーン。
「赤い絵本が!!」
あやこが上空を指差した。東京タワーの上空で、赤い絵本がページをめくっていた。
女が飛翔した時に投げ上げていたらしい。
最後のページが開かれる。
刹那―――。
何もなかった空中に何かがゆっくりと浮かび上がった。
「……空野……彼方!?」
その姿に夕日が目を見開いた。
「空野彼方?」
皇騎が首を傾げる。聞いたことがある。何年か前に、大洪水を起こした人物として話題になった事があった。それが、依頼人の言う殺戮マシーンなのか。
「まさか、本物!?」
「いや、あれは恐らく幻影」
例えば、魂のような。
「ここに肉体があったわけではないのね」
「だから見つけられなかったのか」
皇騎は何となく理解した。
「本体はどこに……」
幻影に何かが伸びる。
それを視界の片隅に入れてクミノが言った。
「……絵本の回収を」
「!?」
だが、突然、全員を極度の貧血が襲う。
ティンガローハットの女が突然燃え上がるように赤い何かを噴出した。
「まずい!! 絵本が力を使ったことで、絵本が飢餓状態に入ったんだ!」
だが、いや、やはりというべきか、女は人間ではなかった。もし女が人間であったなら、先の6回の吸血で一番に襲われることになったのは、彼女の自身だったはずである。だからこそ、彼女はその手に絵本を持っていられたのだ。女の姿が崩れ、代わりに小さな人形が糸から落ちた。
女から血を得られなかった絵本は更に血を求め暴走する。
「こ……このままじゃ、全員失血死する……」
クミノは、霞む視界の中、銃の照準を絵本に合わせた。他の面々は貧血に意識を手放しかけていたが、彼女の周囲にはられた障壁がかろうじて彼女の意識を保たせていた。
引鉄を引く。
それは確かに絵本を貫くはずだった。
だが、どういう仕組みか、それは跳弾とも違って、ただそのままクミノの元へ返ってきた。物理攻撃を完全遮断する彼女の障壁が彼女自身を守る。
だが―――。
「あそこ!!」
「ああ」
夕日とアサトを近くでおろし、病院をまわってきたセレスティのリムジンがそれに気付いて止まった。
シュラインと武彦が飛び降りる。
赤い絵本に近寄れば、こちらも血を吸われかねないが。
「あなたの欲しい血よ。いくらでも飲みなさい!!」
大量の輸血用バッグをシュラインと武彦が絵本に向かって投げつけた。
セレスティは血を操って全員の貧血をおさえにまわる。
赤い絵本はやがて満腹状態になったのか吸血が収まり、そこにばさりと閉じて落ちた。
【起承転結の結】 本はただ物語をつむぎ続けり
■1800■
「何とか間にあったみたいですね」
セレスティが、落ちた本を拾い上げた。
「良かったわ……ところで依頼人は?」
シュラインが尋ねる。
「空野彼方を追って行ったわ」
クミノが答えた。
「追って行ったって……依頼人って誰なの!?」
夕日がクミノに飛びついた。
空野彼方をこの手で捕まえるため、そこへ繋がる手がかりとして赤い絵本を捜していた彼女である。さっきのあれを依頼人とやらが追っていったのなら、依頼人から空野彼方に繋がる情報が得られるかもしれない。
「それは、あなたに赤い絵本を探すように頼んだ相手に聞いてみたら」
クミノが言った。
「え?」
「高野千尋なき今、動けるのは彼だけでしょ」
「え? なき今って、彼、死んだの!?」
夕日が目を見開く。そんな話しは聞いていない。
傍らでCASLLも目を見開いた。彼は高野千尋が負傷するあの場に居合わせたのである。あの時観察医は、死んだことにしといてくれと言ったのだ。それは死んでいないという事ではないのか。
「生きてるんじゃないですか?」
そこまで言ってから、CASLLは慌てて自分の口を両手で塞いだ。死んだことにしておかなければならないんだった、と。
クミノはそれをチラリと見て、ゆっくり息を吐き出した。
「助けたい人というのは高野の事かと思ったんだけど……あの出血で持ち直したみたいね」
クミノの呟きにシュラインが尋ねる。
「依頼人って、やっぱり監察医の彼なのね?」
「えぇ」
クミノは頷いた。
「ってか、あの男……。全部話してなかったのか……」
夕日は、目の前の男の首をねじ切るような目つきで、雑巾を絞るように両手を握り締めた。アサトは、そっと夕日から距離を置く。目測を誤って、うっかり自分の首を絞められたらたまったものではない。
「その本を恐らく依頼人は必要としていない。なら彼の言った通り壊した方がいい」
クミノが言った。
「しかし、これには血界鏡と呼ばれる力があります」
セレスティが本を軽く掲げて言う。
「血界鏡?」
「簡単に言えば、すべての攻撃をそのまま跳ね返してしまいます」
だから先ほどのクミノが撃った弾も、そのまま彼女に返ってきたのか。
「それを抑えられるのは栞だけ?」
誰にともなく投げられたシュラインの問いに、クミノが息を吐く。
「本を壊すには栞がいるという事ね」
「栞って?」
それまで蚊帳の外にいたあやこが怪訝そうに割って入った。
「ああ、それはね」
シュラインがかいつまんで話す。
緑の栞は赤い絵本を制御する為のアイテムである。
それから、赤い絵本を読みふけって複雑そうに顔を歪めるセレスティに気付いて声をかけた。
「どうしたの?」
「だからこの絵本は生命の絵本と呼ばれるのですね」
セレスティがしみじみとした口調で言った。
「え?」
「人が……生物が誕生する仮定を抽象的に描いているようです。でも…これでは卵が先か鶏が先かわからない」
「…………」
「最後のページにあるのは」
セレスティが最後のページを開いてみせる。
「生命の樹?」
シュラインが言った。それは、カバラの智慧に出てくる生命の樹を思わせた。しかし、セレスティは首を振る。
「似ていますが……この絵本は、まるで螺旋です」
「螺旋?」
「メビウスの環とでも呼ぶべきでしょうか」
「?」
セレスティの言わんとしている事をはかりかねて、シュラインは絵本を覗き込む。
「この絵本はそう。たとえば時間を巻き戻すような感じでしょうか。それゆえに人は結果として蘇る。やりなおしの絵本であり、繰り返しの絵本」
「…………」
「しかし―――」
―――蘇った人間は、やり直せるのか、それともまた、繰り返すだけなのか。
【Ending】
「結局絵本は、神宮寺さんに渡したの?」
応接セットのソファーに疲れたように座っている兄に、コーヒーを出しながら零が尋ねた。
「ああ、危険なものだが壊せないというなら、妥当だろ。捜査が終わったらセレスティのところで保管されることになっている」
武彦はソーサーごとそれを取り上げてコーヒーの香りを楽しむと、それを一口啜った。
「それで依頼人はどうしたの?」
零は武彦の隣に腰をおろし、興味顔で尋ねる。
「成功報酬を届けにきたよ。結局彼の主目的は、空野彼方だったんだろう」
「え? じゃぁ、そのお金は?」
「それは、シュラインに―――」
武彦は、その時の事をぼんやり思い出した。
『これは、武彦さんが無駄づかいしないように、私が預かっておきます』
「―――って……」
「それはそれは。お疲れさま、お兄ちゃん」
■END■
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【0086/シュライン・エマ/女/26/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】
【1883/セレスティ・カーニンガム/男性/725/財閥総帥・占い師・水霊使い】
【1166/ササキビ・クミノ/女/13/殺し屋じゃない、殺し屋では断じてない。】
【7061/藤田・あやこ/女/24/女子大生】
【3586/神宮寺・夕日/女/23/警視庁所属・警部補】
【6735/桐月・アサト/男/36/なんでも屋】
【3453/CASLL・TO/男/36/悪役俳優】
【0461/宮小路・皇騎/男/20/大学生(財閥御曹司・陰陽師)】
【NPC/高野・千尋/男/28/司法局特務執行部】
【NPC/瑞城・東亜/男/25/監察医】
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■ ライター通信 ■
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ありがとうございました、斎藤晃です。
楽しんでいただけていれば幸いです。
章番号の上4桁は時間です。
また、5桁目はシリアルナンバになっています。
章番号を参考に他の章を読んでみてもいいかもしれません。
いつもご参加ありがとうございます。
毎回愛想のないライター通信ですが。
今回は宗旨替えして少しだけコメントを載せてみます。(今回だけかも)
とても練られたプレイングに毎回ドキリとさせられています。
今回は、中心というキーワードがなかったので、少し後手気味な感じになりましたが、楽しんでいただけていれば幸いです。
またお会い出来る事を楽しみに。
ご意見、ご感想などあればお聞かせ下さい。
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