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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>





「藤の花っていいよね」
 招かれざる客が、それこそ毎日のようにやってくるのが草間興信所。否、毎日のように、ではなく。毎日何組も、が正解かもしれないが。
「でー、何だ」
 すっかりダラけきった態度の武彦は、自分のデスクよりも定位置になってしまっている応接スペースの椅子にふんぞり返って煙草を吹かす。
「や、藤の花の美しさを語りに」
「嘘をつけ、嘘を」
「え? 嘘ついていいの?」
 予想に違わぬ切り返しに、武彦のくわえた煙草から灰がポロリと落ちる。
「お前なぁ〜……」
「はははは、冗談冗談。あのね、うちにそれは見事な藤の木があるんだけどさ」
 武彦と対峙する黒尽くめの男は、どこか空惚けるように語りだした。もちろん、武彦の反応などお構いなしだ。
「今、ちょうど花をつけてて綺麗なんだよね。で、あまりに綺麗だから一枝手折って家の中に飾ろうと思ったんだけど」
 そこまで語って、男は思わせぶりに話を区切る。
「……そのまんま帰っていいぞ」
「やだなー、草間さんったらつれないお人」
 思わぬ武彦の反撃に、男はケタケタと笑いながら、途絶えた流れをゆっくりと再開した。
「なんでか分からないんだけど、どうしても枝を手折ることが出来ないんだよね。剪定バサミで切ったはずなのに、引き寄せようとしたら枝が繋がってる」
 曰く。
 藤の枝を手折りたいが、それがどうしても適わない――そういうことらしい。
「それならほっときゃいいじゃないか。藤が『お前になんぞ折られてたまるか』って抵抗してんだろ」
「そんな態度とられると、逆にムキになりたくなるのが人の世の常だよね」
 男――今回の依頼人、京師紫の弁に、武彦は煙草の煙を天井に向かって細く長く吐き出す。
「お前、それ悪趣味だろ」
「何とでも♪ というわけで、誰か僕に知恵を貸してくれる人はいないですかー?」
 やめとけやめとけ、そう武彦が手を振るのを横目に、紫は興信所内を物色しはじめるのだった。

 藤の花。
 フジのはな。
 ふじの、はな。


「んー、場所はこの辺」
 インターネットで呼び出した都内のど真ん中の地図の、それでもちょっと緑の多そうな雰囲気の地点を指差し、紫はシュラインと武彦を振り返ってニコリと笑った。
 どうやらそこが本日の目的地らしい。
「でも、やっぱり只者じゃないわよね。流石は京師さんちの藤」
 相当な根性の持ち主よね、そう一人ごちながらシュラインは「うーん」っと眉根を寄せる。
 依頼人が紫。
 かつての依頼を仲介する立場ではなく、紫本人そのものが依頼人。
「何か謂れのある藤なの?」
 そう問いかけながら、過去の出来事が色鮮やかに脳裏に蘇る。そう、つまりは。ただごとであるはずがない――否、手折れないというあたりで既に十分常軌は逸しているが。
「そだなぁ……特に謂れらしい謂れはなかったと思うよ。単に古くて大きいくらい」
 記憶を捻り出す様に、顎に手をあて小首を傾げる仕草をする紫。それさえもどことなく嘘っぽく見えるのは――彼のこれまでの所業を考えれば仕方のないことだろう。
「なーに企んでるかは知らないけど」
 まぁ、それもいいでしょ。眠ったまんまとか、姿消されたりとかされるよりは。
 ちょっとした意趣返しと、敬愛の念を込めてムニっと紫の頬を一つまみ。
「ひはい、ひはひ。ヒュラヒンはん」
「そうだ。せっかくだから武彦さんも一緒にひやかしにいかない?」
 抗議の声を上げる紫をサラリと無視して、シュラインは武彦に誘いを投げた。
 依頼自体も興味はあるけど――やはり此方側に興をそそられるのは当然のこと。つまりは紫の家族との邂逅。気がつけば、火月とも長く顔を合わせていない。
「んーあー……行くのはかまわんけどな。そんな面白いもんでもないかもだぞ?」
 その時、武彦がチラリとディスプレイ上の地図にチラリと馳せた視線の意味を、シュラインは現地に到着してから知ることになる。


●華、二つ。

 豪奢と形容するに相応しい薄紫の花房が、数え切れぬほど垂れ下がる広い庭園。
 外界とこの領域を区切るのは、人の視界を遮ってなおあまりあるほどの高さの壁。さらに一帯を囲むように植えられた木々は、なかなかの見事さを誇って眺める者の目を楽しませるだけではなく、敷地全体の景観を保つと共に内部の人間の視野を上手に現実世界から切り離していた。
 季節はちょうど新緑の頃。
 萌え出る若葉の影にちらほらと覗く高層ビルの姿がなければ、いったい誰がこの場所が都庁からも程近い都心の中心地であると思うだろう。
「……って、つまらないわっ」
 花も美しいし、いつの間にか出されていた抹茶だって美味しかった。添えられていたケーキだって和の雰囲気を存分に纏い、場を崩すどころか盛りたてるにぴったりな一品だったのに。
 それなのに、庭を眺めるシュラインの視線は険しい――というか。期待が外れた残念さが、柳眉に深々と刻まれた皺に物語られている。
「シュラインさん、どうされたんですか?」
 対するセレスティの様子は、この上なく爽やかだ。
 一年のうちで最も紫外線が強いとされるこの時期、彼の本性には思いの他の負担がかかる。それがコンクリートに覆われた人工物のジャングルであるならばなお一層に。
 そんな彼を労わるように、藤棚は明るすぎる陽光を程よく遮り、セレスティならずとも目を細めて歓迎したい木陰を提供してくれている。
 排気ガスの気配も届かないのか、ここを支配する空気は清浄に保たれており、セレスティにはシュラインの不機嫌の理由がとんと掴めない。
「だから言ったろ。そんな面白いもんでもなさそうだぞって」
 宥めるような口調なのに、どこか自慢げな響きを武彦の口調が帯びているのは。それは彼が紫の示した地図の場所から、今の事態をおおよそ予想していたからに他ならない。
 つまりは、ここが紫の『生家』であること。
「だって、京師さん『うち』って言ったじゃない」
「別に現在進行形で住んでる『うち』とも言わなかったろ。土地柄的に多分ヤツの親父さんの方だと俺は踏んだがな」
 普段はしてやられてばかりのシュラインから、小さな勝利を得られたのが嬉しいのか、武彦は虚空に都内の地図を描き出す。
「ここがヤツの爺さんの会社があるとこで、でもってこっちが邸宅。あとこの辺にも持ちビルがあるし。そーいやこの近くにもビル建設予定地があったよな」
「もういいわよ。今度は地図のスペシャリストになってやるんだからっ」
 むぅっと唇を尖らせたシュラインの様子に、セレスティが小さく笑う。すかさずそれを聞き咎めたシュラインが鋭さを乗せた視線を投げれば、セレスティは慌てて違いますよと片手を仰いだ。
「お二人の仲がとても睦まじいので、羨ましいなと思っただけです」
 予想していなかった反撃に、さしものシュラインも押し黙る。仲睦まじいと評されるのは嫌なことではない――むしろ歓迎すべきところ――が、だからといって面と向かって言われるのはどうにも背中がむず痒い。
 そんな彼女の状態を察してか、下手に話が入り乱れる前にと、セレスティは先ほどから抱いていた疑問を武彦にぶつけてみる。
「京師さんのご実家は企業を興してらっしゃるんですか?」
 それもそれなりの資産規模の。そうでなければ、こんな一等地にこれだけの屋敷を構え、なおかつ普段は人の出入りは皆無に近いなどという遊ばせっぷりは出来ないことだろう。
「おう。ヤツの爺さんは現役の某企業の会長職さまだぜ。『京師重敏』って名前に聞き覚えはないか?」
 照れ隠しか、庭の散策に出たシュラインの背中を見送りながら、武彦はセレスティに応えを返す。
 与えられた答えに、セレスティは暫し脳内データベースの日本企業の項目にアクセスを試みる。ほどなくして、世界を股にかける財閥の総帥の記憶から、近年海外での動向もそれなりに華々しい一つの企業がロードされた。
「あぁ、なるほど。京師さんはあちらの京師さんのご一族でしたか」
「そうそうあちらの京師さんのお坊ちゃまでいらっしゃいますよ。金と暇だけは有り余らせてる放蕩道楽息子さんでございます」
「だーれが放蕩道楽息子だか。や、ロクデナシの自覚はあるけどさ」
「ちがうよ。ろくくなしじゃなーよ、パパだよ」
 業とらしい武彦の言い回しに、いつものように斜に構えた口調が反論と共に割って入った――と、同時に。ここを紫に導かれて訪れた面々からは発せられるはずもない、幼い舌足らずな声が響く。
 誰? と一斉に視線が声の主に向けられた瞬間、シュラインの感極まった黄色い悲鳴があがった。
「きゃーっ! 娘さん、娘さん?」
 逆脱兎の勢いで、室内の奥から紫に手を引かれて現れた子供にシュラインがつめよる。一目で火月の血縁であることが分かる、彼女とよく似た面差し。
「シュラインさんがむくれてたから連れてきた。火月は無理だったけど」
 どうやって、という部分を割愛した紫の言葉尻は、既に目の前の子供に夢中になっているシュラインに指摘を受けることはなかった。無論、武彦もセレスティも敢えて追及することはしない。
「ほら、神音。おばちゃんにご挨拶」
「ぱぱ、おんなのひとに『おばちゃん』はしつれいなのよ。とーざいいん、かのんです。もうすぐよんさい、なの」
 小さな手の指が4本立ち、自分の年齢を自己主張。もうすぐ4歳という表現を用いるのは、彼女なりの矜持ゆえか。
 紫の『おばちゃん』呼びに厳しい目つきになりかけたシュラインの相好が、ほにゃりと解ける。
 いずれにせよ、予想外の人物の登場に、男性二人はやや呆気にとられて暫し言葉を失う。
 やがてどちらともなく辿り着いた結論は――
「小さくても女の子ですね」
「だな。俺があれくらいの頃、あんなに弁がたったとは到底思えないぜ」
 ひそひそと耳打ちしあうセレスティと武彦に、何を思ったのか紫は彼にしては珍しい満面の笑みとVサインを送った。
 どうやら彼にとってはすこぶる自慢の娘らしい。
 微笑ましいというか、娘馬鹿というか。草間興信所に訪れる時の彼からは想像できない一面に、たまらず武彦は小さく吹き出す。
「まぁ、いいや。お前が手折れっていってんのは、あの藤だろ?」
「随分見事な藤ですね。それからこのお屋敷も」
 セレスティの感覚にひっかかる小さな違和。それはここがただの『屋敷』ではないことを予見させるに十分だった。
 庭の隅の塵芥まで意図的に浄化されたような、それなりの手段をもってして施されたとしか思えない極度の清廉さ。
 それはつまり、この場は敢えてそうしなくてはならない何かがあったという事に他ならないか。
「ははは、流石は水の神様だね。そうここは僕が生まれてからずーっと閉じ込められてた曰くつきのお屋敷なんだよ」
 からりと笑った紫の瞳は、藤の花より深い紫色を帯びて光った。


●華の記憶

「で、素直〜に藤と不死がかかっちゃってるわけよね」
「わけよね」
 シュラインに抱き上げられた神音が、彼女の言葉を真似る様子に、場は自然と和む。
 もしここで神音の存在がなければ、あっさりと何かのツボをつかれた紫の、世にも珍しいどんよりと撃沈された姿を拝むことができただろう。
「京師さんもツメが甘いというか――予想以上に素直な方なんですね」
 シュライン同様に、藤イコール不死を連想していたセレスティは、あはははと笑って誤魔化す姿勢を貫こうとしている紫を横目に、喉の奥だけで笑う。もちろん、それを聞きつけた武彦が「こいつのどこが素直だってーの」とボソリとつっこんだのは言うまでもない。
「んーんーんー、そんなあっさり言われると僕もちょっと微妙♪ とか言って踊り出したくなっちゃうけど。ほら、世界の理には『言霊』っていうのがあるでしょ?」
 言葉は意味を持つ。
 発せられた瞬間から、命をもって様々な事象に影響を及ぼす。
 名前もまた然り。
「面倒なことは割愛しちゃうけど。とにかく、より清浄さを保たなくっちゃならなかったこの屋敷にはそれなりの術が施されててね。その影響がこの藤に出ちゃったみたい……なんだよね」
 そう言いながら、紫は庭に下りて適当な花房に手を伸ばすと、花の付け根に手にしていた剪定ばさみを宛がう。
 パチン。
 確かに聞こえる、何かが切断される音――だが、しかし。
「ほらね、こんな感じ」
 なんの気負いもなく紫の手が花から退かれたが、花房は事前の説明通り地に落ちることはなく、そよそよと風にそよいで揺れるまま。
「僕にとっては、これだけが花だと思ってた時期もあったり、今度はその反動で見るのも嫌になっちゃったりとか、いろいろぐるぐるした思い出ばっかりの花なんだけどさ。それでもまぁ、目を逸らしちゃいけないことってあるじゃない」
 だからこれを部屋に飾ろうと思ったんだよね、と続けつつ、紫は剪定ばさみを武彦に手渡した。
 どうやら武彦にもチャレンジしてみろという事らしいが、結果は見事に紫と同じ。
「なら、切った瞬間に何かで断面を遮断するとかはどうですか?」
 物は試しと、歩み寄ったセレスティが武彦から剪定ばさみを受け取り、花房に向かって手を伸ばす。
 感じる気配は、決して悪いものではない。何かに悪意があって手折れないようになっているわけではなさそうだ。
 それではと、命が巡る水の気配を意識下におきながら、セレスティも刃を枝に当ててみる。そのまま一思いにパチンと切断し、二つにわかれたはずの断面が接合しないよう刃をあてたまま合間に指を差し込む。
 が、しかし。
「確かに切れはするみたいですね。でもいつどこでくっついてしまうのでしょう?」
 気がついた瞬間には、枝はくにゃりと曲がって連結済み。
「……なんというか、恐ろしいほどの生命力を感じますね。これで万一株分けとかしたらどんなことになるんでしょう?」
 どことなく戦々恐々とする思いのセレスティの脳裏には、よしんば切断できたとしても、そこからあっという間に伸びに伸びて瞬く間に大地に根を下ろす藤の図。
 株分けが簡単そうだと思う反面、あまりにシュールな映像――成長過程を見さえしなければ良いのだろうけど――に、奇怪な生物を目撃してしまったような衝撃に、背中に冷たい汗が走る。
「……なんで、この藤にそんなに拘るんだ?」
 非現実的ではあるが、どうやら本当にしぶといらしい藤の様子に、たまりかねた武彦が紫に問いかける。試しに幾重にも連なる小さな花をぐっと拳の中に握りこんでみたものの、手を放した後に残ったのは涼しげに咲き誇る傷一つない花。
 開かれた手の平には、花を一時的にでも潰した証のように、薄紫色に皮膚の一部が濡れて色付いているというのに。
「確かにここの藤は見事だが、そこまでして藤を飾りたいのであればそこら辺の花屋にでも行って鉢植えされてるヤツを買うとか、誰か人から貰うとか手はあるだろ?」
 そんな武彦の正論に、紫は静かに首を横に振った。
「ここの、でなければ僕には意味がないんだ。ここであることに意義がある――ほら、さっきも言ったでしょ? 目を逸らしちゃいけない事を克服する為には、原因そのものと対峙する必要がある――そう草間さんは思わない?」
「え?」
 低い声のトーンで訥々と喋る紫に、彼の内情を垣間見たのか武彦も応えにつまる。
 付き合いは決して短くない。けれどこんな紫の声など一度も聞いたことがなく。だから一層に衝撃は深くなる。
「京師さん……」
 あまり詳しいことまでは分からないが『閉じ込められていた』と言った紫の言葉から、ここには彼にとって重い何かが残されているのだろう。そう察したセレスティが気遣うように紫の肩に手を置いた。
 途端、弾かれたように紫の表情が激変する。
「……なーんってね。っていうか、単純に僕のワガママ? ほらほらやっぱり人を困らせて遊ぶのって楽しいじゃない?」
「京師……てめぇ」
 あまりの言い様に武彦が低い唸り声をあげてみせた。
 みせた――そう、あくまで素振り。紫の態度の急変の理由がわからないほど、武彦も単純な人間ではない。どちらかというと、人の裏も表も読みつくした立派すぎるほどの大人である。
「まったく、これだから男の人って困るわよね〜」
「ね〜」
 そんな男性陣の会話に再び割って入ったのは女性――一人は年端も行かない子供だが――二人の声。そのうち一人は、この場にいる男性全員を手玉にとってなお余裕がありそうな猛者であることに間違いない。
「どんな影響があるかはさておいて。とにかくこの藤は切られたくないって、きっとそう思ってるのよね?」
「よね?」
「それを、ばっちんばっちん切ろうとしたって駄目じゃない」
「だめじゃない」
 シュラインが言葉を紡ぐたびに、それに合いの手をいれるように神音が神妙な面持ちで真似をする。
 そんな様子がまた可愛らしくてたまらないのか、たまらずシュラインは神音を抱き上げる腕に力を込めた。
「シュラインさん……うちの子だからね?」
「分かってるわよ!」
 娘の身を案じた父親がボソリと呟けば、一瞬我を忘れかけていたシュラインは過剰にかかった腕の力をするりと解く。
 しかし、どうやらハグ慣れしているらしい幼い少女は、それがいたくご不満だったと見えて、今度は自らシュラインにぎゅむっと抱きついた。途端、シュラインの目じりがぐにゃりと下がったとしても、それに異論を唱えられる者は早々いないだろう。
「ねぇねぇ、それでそれでどうするの?」
 僕より懐かれてんじゃないかー? という紫の愚痴を右から左へと聞き流し、シュラインは磊落な笑顔を藤へと向けた。
「花が欲しいのなら、謹んで丁重にお願いする。でもってそれ相応の礼を尽くすってのが道理ってものじゃない?」


●華にも心

「ねぇ、この藤の花と話をしたりすることはできないの?」
「やー……流石の僕もそれは無理。っていうか、この藤はそこまでの段には至ってないし」
 日は、まだ高い。
 なのに一帯に立ち込めるのは品の良い日本酒の香り。源を辿れば、シュラインが手にした酒瓶の口がぽっかりと小さな口を開けて、薄紫色の藤の花を眺めていた。
「宴会、ですか?」
「それもあるけど、藤はお酒を飲ませると――じゃなくって、飲んで貰うと美しい花を咲かせてくれるって話があるのよ」
 紫の返答から、この庭の藤が明確な『意思』を持つ存在ではないと確認しながら、それでもシュラインは使う言葉を選び、そして見事な花々を宿す木をもてなすための準備を始める。
「……アルコール成分が色素に影響するのでしょうか?」
「さーな? まぁ、ある種の伝承みたいなもんかな。深く考えこむもんでもないさ」
 根ざす大地に日本酒を注ぎ、藤棚の足元に置いた杯に透明な液体を並々と注ぐ。
 まるで神に祈る儀式のようなシュラインの行動にセレスティが首を傾げれば、酒がもったいないと嘯きながら武彦がクツリと笑う。
「ほーら、あなたたちもボーっとしてないで。迷惑はかけません、ちゃんと大事にしますからって藤にお願いするのよ」
「おねがいするのー! ほら、パパもー」
 一通り準備が完了したのか、シュラインが武彦とセレスティの腕を引けば、神音が紫の裾を引く。
「お願いってな……そりゃー、藤の花を欲してる京師の仕事だろ?」
「何言ってるの。皆でお願いした方が藤も心を打たれてくれるかもしれないじゃない。それに後でお裾分けを頂くのに、心苦しさを感じなくて済むわよ?」
 チラリと酒瓶に向けられるシュラインの視線。
 中身は三分の一程度しか減っていない。つまり『お裾分け』とはそういうこと。
「頂いたお酒だから、けっこういいものよ?」
「……なんだか別のお願いになりそうだな」
「お二人とも、内緒話が聞こえてますよ」
 藤に聞かせないように、と小声で話していたはずのシュラインと武彦の声を聞きつけたセレスティが、ふふふと笑いながら指摘する。どこか小気味良い二人の会話は、聞いていても決して不快な思いは感じない。ならば藤とて、きっと笑ってお裾分けを赦してくれるに違いない。
「っち、それじゃ一つお願いしてみることにするか」
「武彦さん、舌打ちしないの」
「はいはい。えーっと、悪気は全然ないので。確かに悪気の塊のような男がこの企画の主犯ではありますが、俺たちはあくまで善良な一般市民ですので……」
「た・け・ひ・こ・さんっ!」
 シュラインに耳を抓られた武彦が、冗談だよ片頬を上げて笑いながら居住まいを正す。
「とまぁ、こんな感じで掴みはOKかな? と思いつつ。決して傷付けようとか思っちゃいないんで、良かったら一枝お裾分けさせて下さい」
「なんだ夫婦漫才で藤の気を引いていたんですか?」
 武彦の言い分を楽し気に聞いていたセレスティも、どうやら祈りを終えたらしい武彦の後に続く。
 最果ての地にあり、人の手は一切加わっていない湖のようにどこまでも澄んだ青い瞳が、静かに藤色の花房を映す。
 視覚ではおぼろげにしか捉えられないそれを補うように、そっと手を差し伸べれば柔らかな花弁が指先を擽った。
「命の源は水。もし枝を分けて頂けましたら、その時は私が責任を持ってお手入れさせて頂きますから。決して無為に命を散らせるような事は致しませんので」
 でもそんなことしなくても、ひょっとしたらあっという間に根が広がってしまうかもしれませんけど――と再びホラーな図を想像してしまった脳から、その映像を慌てて払拭してセレスティは花に頬を寄せる。
「大丈夫、あなたを欲している人物は悪い人ではありませんよ……とは微妙に言い切れないかもしれませんが、少なくともあなたに害をなすような人物ではないとお見受けしました。きっとその対価以上に愛でて下さいますよ」
「……ねぇ、僕のその評価って何?」
「日頃の行いよ、日頃の」
 ぷっくりと含みを持たせたセレスティの花への祈りに紫が、フンっと鼻を鳴らして憤るが、それもあっさりシュラインによって切り捨てられた。ただその言葉に棘がないのは、根底に篭もるのが親愛の情だから。
 何かと手間をかけさせてくれるし、面倒ばかり寄越す男ではあるけれど。だからと言って見捨てようという気が起きないのは友人としての情が既に十分すぎるくらいに湧き上がっているからだろう。それに偽悪的な態度をとることがままあるけれど、今の紫の本質がそれではないことくらい、分かりすぎてしまえるくらいに分かってしまえていて。
「まぁ、神音ちゃんが可愛いのはママ似だからだろうけど?」
 心の中では繋がっている、けれど言葉に出したら脈絡がない台詞に自分で小さく吹きだしつつ、シュラインもセレスティに倣って花房に指を伸ばす。
「神音が火月似なのは僕も認める。むしろ大歓迎。ほんっと僕に似なくて良かったよ」
「とか言っちゃうくらいに奥さん馬鹿で娘さん馬鹿な人が、あなたをちょっとだけお部屋に飾りたいって思ってます」
 何やら盛大に同意の頷きを返す紫を横目に、シュラインは胸の内側だけで溜息をつく。
 こんな風におどけたように言うけれど、紫が心の底から娘が自分に似ていない事を喜んでいるのは偽らざる本音なのだろう。
 普通だったら、どこか一つくらい自分に似て欲しいに違いない。なのに、彼はそうでなかったと言う。それはきっと、紫がどこかで自分自身を否定している証拠に他ならないか。まったく、世の中には何故こんなにも不器用にしか生きられない存在が多いのだろう。
「あなたで心を和ませ、そして新たな何かを得られると信じる人がいるんです。だから、ほんの少しでいいですから。枝を分けて下さい、お願いします」
 両手で花房を包み込み、その手の甲に額を寄せて静かに願いを口にする。どうか、どうか。この願いを聞き届けて下さいと真摯な気持ちで心を満たして。
「さいごはパパとかのんのよ」
 ひとーり、ふたーり、さんにん。
 指折り大人たちの願いを数えていた神音が、己の父を見上げてピっと人差し指を天へ――藤の花へと突き上げた。
「こら、神音。人を指差したら駄目って言ったろう?」
「はーい。おはなさんにごめんなさいなの。ね、だからパパもいっしょにおねがいするの」
 抱っこをせがみ小さな両手を紫に向けて広げた神音の体は、間をおかずして望みを果たされ、その視線の高さが花の高さにぐっと近くなる。
「じゃ、パパと一緒にお願いしようか?」
「ちがうよ、みんなでおねがいなの」
 ね、と父の眉間に小さな指を押し当て、それから順に周囲で無言で願いを掲げる大人たちへと視線を馳せる幼い少女。
「そうだね、みんなで――だね」
「そうだよ。ねぇ、お花さん。パパもかのんもみんなもおりこうさんにするの。だからおすすわけをください、なの」
「神音、おすすわけ、じゃなくて『おすそわけ』な。えーっと……そういうわけで、ちゃんと大事にするんで。だから一枝、僕に下さい」
 神音を腕に抱いたまま、紫がぺこりと藤の花に向かって頭を垂れた。
 その瞬間、柔らかい土の上にトサリと何かが落ちる音。
「あら、まぁ」
「なんとも……本当に根性のおありになる藤ですね」
 感嘆の声を向けられたその先には、幾つもの花房をつけた大振りの枝の姿。他の枝たちからは離れ、真綿に包まれた宝石のように大地に転がっていた。
「っていうか、それこそホ」
 ラーと続くはずだった武彦の言葉は、容赦なく後頭部から訪れたシュラインの張り手という衝撃によって四散する。
「わー、お花さんがプレゼントなの!」
 父の腕の中を飛び出した娘が、枝に向かって駆け寄ると、一人で抱えるにはちょっと大きすぎるそれを、足を踏ん張らせて持ち上げた。
「ほらほら、みてみて。きれいなの!」
 よろよろと覚束ない足元など気にせずに、神音は無垢な笑顔と共に願いの成果を大人たちに向かって大きく掲げる。
「本当だね――とても、綺麗だ」
 あらあら危ないと慌てて支えの手を差し伸べるシュラインに、素早く藤の枝を少女の手から預かり受けようとするセレスティ。
 それぞれが花に心を奪われていたから、紫の瞳の端に小さな涙の粒が浮かんだのを見止めたのは武彦だけだった。


●笑みの華

「本当は枝のまんまぐいぐい室内まで引っ張っちゃえばいいんじゃないかしら、とかも考えてたのよね」
 立派な花瓶に活けられた藤の枝を眺めながら、ぽそりとシュラインが零した発言に、それじゃ鍵が閉まらなくて物騒だよーと紫がケタケタと腹を抱えて笑い出す。
「あらやだ、そんなに笑うことないじゃない。京師さんちの藤なんだから何だってありと思うわよ、普通」
「そうだな、どっちかっていうと俺もシュラインの意見に一票」
 杯をあおって程よく出来上がった武彦も、すかさずシュラインの味方に回る。
「はいはい、かのんもー」
 あっという間に敵だけを増やした紫は、こつんと娘の頭に小さな拳骨を落とした。
「こら神音。今のはパパが変な人だって言われたんだぞ? パパが変な人だったら、神音だって変な人になっちゃうんだぞ?」
「……パパへんなひとなの? かのんもへん? じゃ、かのんはパパのみかたなんだよ」
「いや、神音ちゃんのパパは変な人でも、神音ちゃんが変な人になるとは限らないぞ?」
「そうよ、神音ちゃんは変な人じゃないわよ。パパだけが変なのよ」
 話の意味を掴んでいないだろう事を良いことに、大人たちは幼い子供の取り合いで押し合いへし合い。大人だらけの中に子供が混ざった時によくある光景といえば、そうに違いないけれど――この面々で、こんな日が訪れるなどかつては誰が想像しえただろう。
 そこに全員同じタイミングで考えが行ったのか、まるで計ったように三人同時に吹き出してしまった。
「やだ、もう。何このタイミング!」
「知るか。そもそも京師がパパって段階で何か可笑しいだろ」
「ひどいなー。そんなこと言うなら、草間さんこそさっさとパパになっちゃえばいいじゃん」
 不意に巻き起こった大爆笑の渦に一人乗り遅れた神音は、何だ何だと目を白黒させた後、とりあえず自分も笑ってみることにしたらしく、小さな手をお腹に当てて黄色い歓声を上げる。
 それがまた、大人たちには可笑しかったのか。笑いの連鎖は留まるところを知らず、次から次へと新たな笑いを呼び出し続けた。さながら、寄せては返し、返しては寄せる波のように。
「ま、無事に藤が飾れてよかったわね。京師さんのことだからまた何か企んでんじゃないかと思ってたけど」
「ひどいなー、僕だってたまには素直になることだってあるんだぞー」
「ないないないない、ぜったい在り得ないから、それ」
 散々な言い様に、さすがの紫も拗ねてみせるが、その姿さえほろ酔い加減のシュラインや武彦のツボにはまったらしく、さらなる笑いがどっと沸く。おまけに神音までどんどんつられていくものだから、笑いの収拾はますます遠くなる。
 そんな中で一人むくれていてもしょうがないと悟ったのか、紫も再び笑いの輪の中へと舞い戻った。
「もー、どっちでもいいや。お蔭様で無事に願いは果せたわけだし」
「そういうこと、そういうこと。つーわけで、感謝はぜひに形にして示せよな」
「武彦さんが何偉そうなこと言ってるのよ? 解決案を出したのは私でしょ」
「草間さんのものはシュラインさんのもの。シュラインさんのものはシュラインさんのもの。ってことで、草間さんに顕す感謝の意はありませんー」
 どこまでも果てがないように続く他愛のない会話。
 けれどその他愛のなさこそが、どれほど貴重で大事で愛しいものなのか、幼い少女を除く大人たちはよく知っている。
 願わくば、この少女にとってこの日常が貴重なものではない、当たり前な未来が来るように。多くの人々が、見上げる花をただ美しいと思える明日が来るように。
「むー、かのんもおはなしにまざるのー!」


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】

【0086/シュライン・エマ/ 女 / 26 /翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員】

【1883/セレスティ・カーニンガム/ 男 / 725 /財閥総帥・占い師・水霊使い】


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■         ライター通信          ■
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 こんにちは、毎度お世話になっておりますWRの観空ハツキです。
 この度は、『藤』にご参加頂きましてありがとうございました。
 目指せ早めの納品! はどこへやら(遠い目)。それと一緒に、思わぬ方向へどんぶらこっこと流れてしまった当依頼、いかがでございましたでしょうか?
 な…なんだかまさに『紫一家と(で?)遊ぼう!』なノリになってしまって、申し訳ありません。

 シュライン・エマ様
 毎度のご参加、ありがとうございます。
 というわけで(どういうわけで?)、召喚ありがとうございました(笑)。
 娘に関しては出すか出さずにいるべきか迷っていたのですが、今回でぶちっと吹っ切れてしまいました(そして転がり出した)。
 えらく懐いているのは、下準備あってこそ――とかいうことで。もしも宜しければ今後ともかまってやってくださいませ。

 誤字脱字等には注意はしておりますが、お目汚しの部分残っておりましたら申し訳ございません。
 ご意見、ご要望などございましたらテラコンなどからお気軽にお送り頂けますと幸いです。
 それでは今回はご参加頂きありがとうございました。