|
Devil
――本当に醜いものは、心という闇の中にこそ存在する。
だからこそ人は誰かを疑い、憎む。
歴史というものはそうやって紡がれてきた。
これまでも。これからも――
○某日、午後
茹だる様な暑さは、ここにはない。暗闇の中で停止したその世界には、外の熱気など入る隙間がないのだろう。
そして、その中では緩やかに時が進む。ならば、これは一体どれほどの時間が経ったものなのだろうか。
「……」
静かに辺りを見渡せば、暗闇の中朧気に見える同じような物体。なるほど、ここであったことはそういうことだろうか。
男――書目志信は静かに灯りを壁へと向ける。ちりちりと燐の燃える音に照らされて、はるかな年月を過ごした壁が映し出された。
長い年月を経た壁は、しかし一部おかしな部分がある。何かが付着しているのだ。
「ふむ…血、か」
指にとってみれば、乾いた音とともに真っ黒なものが壁から剥がれ落ちていく。見たことがあるものならばすぐに分かる、それは確かに血の乾いた跡だった。乾燥の具合からいって、相当の年月が経っているのはすぐに理解できた。
もう一度足元へ灯りを向ける。同時に浮かび上がる、真っ白いもの。もはや肉は腐り風化したのか既になく、ただ骨のみを残すのみ。
この部屋には、何体もの死体が転がっていた。
軽く瞑目を捧げ、再び、今度は注意深く辺りを見渡す。するとその中の一つ、その傍に何かが落ちているのが見えた。
伊達に普段から古書を扱ってはいないということだろうか。手に取るまでもなく、それは小さな手帳であると分かる。
「……」
それを手に取り、積もっていた埃を息で払い除ける。当然埃は舞い飛ぶが、元々埃くさい場所であったのでさして気になることはなかった。
灯りを置き、手帳を捲る。血の混ざった色が照らし出され、そこに刻まれた文字が浮かび上がる。
「7月、10日…」
文字は、その日付から刻まれていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
7月10日(晴)
正直辟易とする暑さだ。たまらない。
そんな時トレジャーハントの仲間が、一つの地図を手に入れてきた。そこには宝の在り処が描かれていた。
勿論それの真実を裏付けるものは何もない。眉唾物だ。
この手の話は枚挙に暇がないし、正直ハズレの方が多いのは事実だ。だがしかし、中には本当のものがあるのも事実。
スカを引かされる可能性の方が高いが、その分当たったときの儲けはデカいもんだ。
皆それはよく理解している。だから今回も、特に反論もなくここを捜索することが決まった。
用意などもあるからと出発は一週間後に決まる。吉と出るか凶と出るか、これから一週間は眠れない日が続きそうだ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
手帳には英語でそんな言葉が記されている。どうやらそこに倒れている骸の日記らしい。ということは、ここに倒れているのはその仲間たちだろうか。
ともあれ、そのことはきっとこの先に記されているのだろう。志信はページを捲った。
かさついた音が、真実を告げていく。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
7月17日(曇)
いよいよ件の遺跡へと潜る。闇に包まれたそこは、外とは一転涼しいほどだった。
何時もそうだが、この先に待つ快感と落胆を思うと夜などまともに眠れなくなる。当然その日も寝不足だった。
遺跡内部は、地下に埋もれているため外からはその大きさが確認できなかった。潜ってみるとすぐに理解できたが、これは相当広い。
こんなところが手付かずで残っているという可能性からして相当低いのではないだろうか。
しかし、調査を進めるうちに分かったことだが、少なくともここ数年誰にも荒らされた形跡はない。奇跡というほかないだろう。
その日はそのまま遺跡の中で眠ることになる。この独特の埃臭さがあったほうが眠りやすいとは、俺も生粋のトレジャーハンターなんだろうな。
7月18日
外に出ていないため天気は分からない。ただ、ここは変わらず涼しく過ごしやすい。いっそここに照明を持ち込んで住み込みたいくらいだ。
目覚めは小さなアラーム。何時だってデジタル時計というのは正確で嫌になる。
この日は幾つかのグループに別れ内部を捜索することになった。これだけ広い遺跡だ、幾ら手があっても多すぎるということもないだろう。
一緒になった二人は一緒に幾つも遺跡を漁ってきた仲間だ。特に不安もない。
何時もどおり恐妻話を聞かされつつ奥へと進む。しかし特にこれといった発見はなかった。仕方なくある程度進んだ地点で眠ることに。
だからといってまだ落胆するには早い。正直、ここには何かがあると俺の勘が告げている。
7月19日
この日もデジタル時計のアラームで目が覚める。電子機器と無縁のこの地でそれがなるのは酷く滑稽だ。
今日も昨日と同じく幾つかのグループに別れての捜索となった。
太陽もなく光もない。ただ暗く静かなここでは、全てのものが停滞しているような気分になる。
結果は昨日と同じ。特にこれといった発見はなく、捜索の済んだところまで進んで寝袋を置いた。
短気なやつが愚痴をこぼしはじめた。まぁ何時ものことなので放っておくことにする。
この仕事は短気が命取りにもなるというのに、何時までも学ばない馬鹿なやつだから相手をする必要はない。
7月20日
やはり正確なのはデジタルのいいところであり悪いところでもある。いい加減無機質なアラームには飽きがくる。
この遺跡に潜る早三日。この日もグループに別れての捜索となった。
ただ、今日は一つの発見があった。それも俺自身の手で見つけたものだ。
仲間たちを集めそれを見る。それは、一つの門ともいえるものだった。
小さくはあるが、その構えと装飾は確かに門と言っていいだろう。そして、その先にはやはり暗闇と通路が続く。
確か見つけてきた地図には、門らしきものが描かれていたはず。となれば、これがそうだと考えるのもおかしくはないだろう。
最高だ、興奮してきた! この感覚があるから宝探しはやめられない!
各々興奮を隠しきれないまま、その先は体力を回復させてからということでその場で眠りにつく。
勿論俺は眠れない! 多分、他のやつもそうだろうさ。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
手帳の雑記は一旦ここで途切れている。彼が妙な違和感を感じてページを捲ると、血の着いたページが数ページ続き、再び文字が刻まれ始めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
くそっ、何が何だか意味が分からない!
いきなり殴られた、仲間がやられた、くそっ、くそっ!!
ここには俺たち以外誰もいないはずだ、何がどうなってやがる!?
7月24日
あれから二日、パーティも一応の落ち着きを取り戻す。
いまだに殴られた頭は痛むが、そんなことを言っている場合でもない。
事を整理しておく。
あの門を潜った後、先には同じように暗闇が広がっていた。当然のように別れての行動となる。
何時ものように、三つの班に別れた後、何か違和感を感じた。それが何なのかはよく分からなかったが。
するとだ。何か悲鳴が聞こえたと思ったらいきなり殴られた。くそっ、思い出すだけで頭が疼く。
それは兎も角、当然のように応戦したわけだ。遺跡で襲われること自体はそう珍しいことではないし、用意はしてある。
咄嗟に振るったナイフは確かに何かを斬る感触を伝えてきたが、それっきりだった。
訳が分からないまま合流ポイントへ戻ると、そこには騒然とする仲間たちが。どうやら襲われたのは俺たちだけではないらしい。
見ると一人倒れていた。腹を斬られ、手当ても間に合わなかったらしい。
顔を見れば、前から気に喰わなかったやつだった。ざまぁみろと思う辺り、俺も相当苛立っているらしい。
あぁ、頭が痛い。畜生、何でこんなことになった。
7月25日
また一人仲間がやられた、くそっ!
7月26日
どうやらここには俺たち以外の何者かがいる。そう考えて間違いないらしい。
班はそれぞれ元々別方向に捜索にいっている。各自プロ意識は強いから裏切りなどという無駄なことはしない。
どれほど気に喰わないやつだろうとそれだけは徹底していたし、今までもそこだけは信用できた。だから俺たちは数々の遺跡を漁る事ができたのだ。
つまり、仲間が裏切るということは考えられない。ならば、第三者がいると考えるべきだろう。
しかし妙な話だ。その場で反撃は確かにしている。なら、その第三者の死体が出てきてもおかしくはないだろうに。
なんとも嫌な空気だ。
明日からは二班になるらしい。人数も減った、しょうがないだろう。
7月27日
まただくそっ!
また何かに襲われた!!
しかも野郎、よりにもよって俺のダチを殺りやがった!
お返しに思いっきりナイフで斬りつけてやった、やっぱり見えなかったが確かに斬った感覚も残ってる!
あれなら頭からざっくりいって即死だろうよざまぁみろ!
殺られたのはこっちの班だけじゃないらしい。あっちの班も一人やられていた。
また一人減った、くそっくそっ!!
7月28日
明らかに変だ。おかしい。
なんで別れた途端に襲われる?
畜生、やっぱり襲ってきたのはあっちの班のやつらじゃないのか?
気付けば残り四人だ。これから全員で行動することになった。
7月29日
あれから誰も襲われなくなった。
やっぱりか畜生…そう考えたくないが、そう考えるしかないだろう。
何も発見はないし、明らかに全員苛立ってきている。
正直鬱陶しい。
7月30日
軽い口喧嘩が、いつの間にか殴りあいになっていた。
やりあっていたのは短気なやつと俺の親友。止めに入ったやつが殴られて頭を地面に強く打った。
それ以来動かなくなったが、だからなんだ。知らねぇよ。そんなことより、何時俺にそれが来るのかとそっちの方が心配だ。
7月31日
誰一人として口を開かなくなる。頭を打ったやつは死んじまったらしい。
沈黙ばかりが続く。それがいらぬ考えを思い浮かばせる。
残りは三人だ。なんでこんなことになった。
8月1日
目を覚ましたら短気なあいつの姿が消えていた。
あいつが犯人か、くそっ!!
ダチと話し合い、俺たちは遺跡を出ることにした。こんな状況で宝探しだなんだと言ってる場合じゃない。
この暗闇の中に、あの殺人鬼が潜んでいる。武器はしっかりと持っておこう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
雑記はそこで終わっていた。その後のことはなんとなく予想がつく。
志信は深い溜息をつき、そこでまた違和感を感じた。
「…迷宮?」
口に出して、ようやくその違和感の正体に気付く。そう、迷宮だ。
彼がここに辿り着くのに、時間はほとんどかからなかった。
おかしな話だ。自分はすぐにここに来れたというのに、彼らは雑記で数日をその迷宮の中で過ごしていると書いている。
どういうことだろうか、一体。
そこで、彼はその答えに辿り着く。バッグを探ると、そこには一枚の羊皮紙があった。
「…なるほど、これか。今思えば確かにぴったりな言葉だ」
彼がこの遺跡に入る際、重厚な扉を開ける前に行ったことが一つある。それは、その羊皮紙に描かれていた古の文字を読み上げること。
それは一種の呪いであり、キーとなる言葉であったのだろう。それならば、この状況も説明がつく。
彼らはその羊皮紙を手に入れられなかったがためにキーとなる言葉を知ることができず、結果この遺跡の仕組みが作動した。それが事の真相だろう。
闇というのは、時として人の心を狂わせる。ただ闇に包まれているだけで、人は意味もなく不安になり恐怖を抱くものだ。そして行き着く先は疑心暗鬼の境地。
それを巧みに利用したその仕掛けは、一種の魔法ともいえるものなのだろう。
キーとなる言葉を唱えない限り、その中に広がるのは無限回廊と化した闇。時として深淵の闇は、その中にあるものを歪んで映しだす。
恐らくは他にも色々とあるのだろうが、後は勝手に侵入者が朽ちるのを待てばいい。彼らはその哀れな犠牲者というわけだ。
なんとも悪趣味な仕掛けだ。だがしかし、大切なものを守るためにそういう仕掛けが施されることも多々あることなので、今更それを言っても仕方はあるまい。
そんなことを考えながらもう一度周囲を見渡す。すると、もう一つ手帳が落ちているのが目に付いた。
それを手に取り開くと、先ほどのものよりも随分と字が丁寧に綴られていた。
裏には、先ほどの手帳に出ていた名前が記されている。その中にはこう記されていた。
『8月1日
口論になった時殴ってきたあいつを殺した。親友が寝ている間に宝の在り処を見つけたといえば簡単に誘き出すことができた。
後は何のことはない、闇の中夢中に探しているところを殴ってやれば、程なくして動かなくなった。
これできっと安心だ。後は親友と一緒に外に出よう。
8月2日
親友を殺してしまった。
俺は知っている、あいつが他の仲間たちを殺していたことを。
攻撃され、錯乱したように見えたがそうじゃなかった。あの時やつの顔は醜く歪んでいた。
そしてその視線の先、そこにいたのは確かにあの時別れた別の班の仲間だったのだ。
何時殺されてもおかしくない。だから、先に殺した。
駄目だ。俺は何をしているのか。
あいつが他の仲間を殺したからといって、俺を本当に殺すことなどあったのか?
あいつとはもう十年来の親友だ。何度窮地を助け合ったかも分からない。
俺は何をした。何故殺した。
訳が分からない。俺は一体何をした。
訳が分からないといえば、あの時確かに殺したやつの死体が』
それ以降は、血に塗れて読めなくなっていた。おそらくは書いている途中、死んでいなかった男に襲われたのだろう。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
闇に囚われ、疑心暗鬼となったものたちが行った殺し合い。想像するだけでもぞっとするものがある。
そうまでして守り抜こうとされたものは、たった一枚の羊皮紙。それは部屋の奥、壁の間にひっそりと覗く隙間で一本の筒の中に納まっていた。
小さな筒の中からそれを取り出し、志信はそのまま遺跡を後にする。まるで光を求めるように、足早に。
扉を潜り、そこで志信は一度止まる。そして、手に持っていた呪いの羊皮紙をそこに置いた。
「まぁ…手向けになるとも思えないがな」
それだけ呟き、久々の陽の光に目を細めながら志信は歩き始める。
羊皮紙にはこう記されている。
――光を求めるものよ、闇を求めよ。
汝の隣に深淵はある。
闇を嫌うものほど深淵は飲み込むのだ。
なればこそ闇を求めよ――
<END>
|
|
|