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<東京怪談ノベル(シングル)>


Baby-step


 あやこがその検診を受けたのは、ほんの気まぐれだった。
 だというのに、細胞の異常だとか。卵子がどうだとか。
 検診結果に返ってきたものは、自分には関係ないと思っていたものばかりだった。
 そりゃ妙な感覚に冴えているというのは、もともとあった。
 冗談半分『地震が来ればいい』なんて言った翌日に阪神大震災が発生して以来、どうにも、予知だか念力だか分からないものに付きまとわれているというのは、自分でも分かっている。
 けれど、不老だとか、子供が産めないだとか。
 そんなものは、論外だ。あるわけないと思っていた。
 自分はやがて結婚して、子供を産んで、母親になるのだと思っていた。それが幸せだと。

 ――全て、覆された。

 足元からガラガラと道が崩れていって、ポーンと一人、暗闇に放り出されたような気になった。
 そうして、抜けだせない。誰も、闇から引き上げてくれたりは、しない。

 ◇

「あやこちゃん?」
 思考を断ち切るように女の声が聞こえて、あやこは慌てて顔を上げた。反射的に、手にしている対戦車ライフルを構えなおす。
 眼前のSHIZUKUが「大丈夫?」と首をかしげている。

 ――そうだ、今は撮影中だった。

 SHIZUKUの新作ビデオ撮影の為、南太平洋の島へと来ていた。
 夜毎大暴れを繰り返す亡霊を説得するという、なんともオカルト系アイドルらしい企画。
 そのエキストラはどうかと、検診結果に落ち込む姿を見かねたのだろう。『誰かの平和を産む雌鶏になるのも生き方だ』と教授に持ちかけられた話に、あやこはとりあえず頷いていた。
 結果、高校時代の制服に袖を通した自分が、今、ここにいる。
 なぜ制服なのか当初は疑問だったが、亡霊が女生徒ばかりで構成された旧日本軍の地上部隊だと知って――なるほど。理解した。
 旧日本軍時代の彼女達にとって、確かに今現在の自分達のような女は、見苦しいものがあるかもしれない。制服に膝が見えるようなスカートなんてもってのほかだろうし、貞操観念なんてものもかなり薄れ気味だ。その現代女性への怒りを、夜中に大暴れという形で発散しているらしい。
 だからこそ、現代の制服や、男女や、学校生活などを、SHIZUKUらしく歌や踊りを駆使して説得するのだ。貞操観念を、ゆるがすのだ。
 その為の制服姿。
 あやこも24歳にして、すっかりコギャルと化している。

 そんな企画の中心人物であるSHIZUKUは現在、体操服姿でマイク片手にかなりノリノリで歌っていた。
「現代のっ、おーんなのっこはっ、せっきょくてーきーでー♪ ヘイヘイヘイ!!」
 闇が落ちた島に響くにはどうにも馬鹿明るい歌に、あやこの気持ちは浮上する。ライフルを手にしたまま、SHIZUKUの後ろで気合を入れなおした。
 浜辺をランニングする女生徒の亡霊達は苛立ちを覚えたのか、やがて二人の周りへと集まってきた。
 歌が止む。撮影スタッフ達にも、緊張が走る。
「時代は変わったんだよ、もっと楽しくやろうよ。お洒落だって、沢山できるんだよ!」
 だから暴れるのは止めようよ、とマイクを握り締めたSHIZUKUに、亡霊達は眉を寄せた。
『私達は、お国のために戦わなければならないの』
『そうよ。大体その姿はなんなの。貴方達、恥ずかしくなくて?』
『破廉恥だわ!』
 周りからのブーイングに、あやこが自分の制服に手をかける。
「これで破廉恥だというのなら――これはどうなるのよ!?」
 ばっさぁ、と音がしそうな勢いで脱ぎ捨てると、その下には水着姿――ビキニタイプのそれが、彼女の身を包んでいた。
『信じられないわ! これだから今時の女は!!』
「水着は女の子の綺麗なラインを表現してくれるんだよ。素敵なデザインだって多いよ。
 それに制服だって皆、可愛いって言ってる。
 あたしの着てる体操服だって、一部の男子には人気があるんだから!」
 SHIZUKUの言葉に、亡霊達が言葉を詰まらせる。
「男の子にもてるんだよ!」
 マイクを通した彼女の声が、島中に響き渡ったような気さえした。
 亡霊達は微動だにしない。
 終わったのだろうか――と。あやこが小さく息をついた瞬間、だった。
『……でも、そんなに沢山もてても。女は一生一人の人と、過ごすんですもの』
 ぽつ、と亡霊の声が聞こえた。
「一生一人って……だ、だってそんなのわからないじゃない!?」
 抗議の言葉にSHIZUKUが慌てたように声にしたが、亡霊達のざわめきは大きくなる一方だった。
『そんなことないわ。女は結婚して、子供を産んで、夫に寄り添って生きるのが幸せ。一人の人に尽くすのが幸せなのよ』
 零れ落ちる亡霊の声に、あやこの手がピクと動く。
『一人に尽くすのだから、いろんな人に好きになられても困るわよね』
『ええ、だって結婚こそが女の幸せですもの』
『そうだわ、結婚こそが全てよ。そのような破廉恥な格好で男性の気を惹こうだなんて、信じられない』
 あやこの思考は一瞬にして真っ白になった。
 SHIZUKUの声も聞こえない。撮影クルーの様子も、もう目に入らない。
 亡霊の声しか、あやこの中には響かない。

 結婚こそが、女の幸せ。
 結婚こそが、女の全て。
 それならば、子供が産めずに結婚なんてものから遠ざかった私には、幸せがないって言うんだろうか?

『だって、結婚が』
『結婚してこそ』
『そうして、妻になって、子供を産んで』
『だから慎ましやかに生きることこそが』
『お国のために、そうして夫のために働くことが』
『女の幸せなのでしょう?』

 ――それじゃあ、私の幸せは、どこにある!!

「結婚結婚って、それがなんだあああッ!」

 感情が、弾けた。

 叫び声と共に、手にしていた対戦車ライフルが火を噴いた。
「女の幸せが結婚だけだなんて誰が決めた!
 結婚して子供産んで家庭を守っていくことだけが幸せだなんて、誰が決めたのよ!」
 ぼろっ、と音を立てそうな程に大きな雫があやこの頬を伝う。
 鼻の奥が痛い。しびれる。声も鼻声になる。
 ぼろぼろと零れるそれは――涙は、なんだか酷く熱を持っているように思う。
「水着が破廉恥だとかいうけど、現代の私たちにとってはそれだってお洒落なの! お洒落で幸せになる人だっているの!
 女は皆、自分の幸せのために、お洒落したり、恋したり、傷ついたって、突き進んでるんだよ!!
 ねえ、そんなこと少しも考えなかったの? 自立を考えたりしなかったの? 誰かに寄り添って生きるだけが幸せだって、本当に思ったの?
 それならいいよ、結婚だって幸せだよ。
 でも、違うなら考えてよ。自分の想いで頑張って生きてる今の私たちが、どうしてそれが幸せじゃないなんて、過去のあなた達に分かるの!?
 なんでそれで、現代の女は、なんて言われなくちゃいけないのよ!」
 SHIZUKUが見ている。撮影スタッフも、亡霊達も呆然としている。
 でも、止められない。
「もっと、自分の幸せを見てよ!!」
 しゃくりあげながらの全てを吐き出すような叫び声が、辺りに大きく響き渡った――。

 ◇

 亡霊達は、あやこの言葉に沈黙を落とし、やがて消えていった。
 誰かに寄り添うだけじゃない、自立する生き方。
 彼女達だって、本当は心のどこかにあったに違いないのだ。言われるままじゃない、寄り添うだけじゃない、そういう幸せに対する羨望のようなものが。
 だからこそ、現代の女達に腹を立てた。

 ――嫉妬に、近かったに違いない。




 全てを終え船に乗ったあやこは、ぼんやりと撮影中のことを思い出していた。

 彼女達に言ったことは、自分に対して言ったことだ。
 結婚すれば、子供が出来れば。そうすれば幸せになれるんだと、勝手にそう思っていた。
 だから母親になれない自分は幸せになれないんだと。
 でも、違う。
 子供は結婚の延長で、結婚だって恋愛の延長で。恋愛は、自分の進む道の延長だ。
 いくつもある分岐点、橋の一つが落ちただけで、幸せになれないと決め付けていたのは自分のほうだった。

「あやこちゃん」
 背後の声に振り向くと、SHIZUKUが笑顔で立っている。
「ずるいよー。あたしより良い所持っていっちゃうんだもん」
 軽い調子で「ずるいずるい」と口にする彼女の表情は可笑しげで、本気で怒っているのではないとすぐにわかる。

 その表情に、ふと『誰かの平和を産む雌鶏になるのも生き方だ』という言葉を思い出した。
 確かに、そうかもしれない。
 誰かの笑顔がこんなに気持ち良いものだと思う、心地よいと思う時間がある、これだって幸せじゃない?

 楽しそうに目を細める彼女につられて、あやこも笑顔を零した。
 自分の幸せの為に進むその一歩を、彼女は今、しっかりと踏み出していた。




- 了 -