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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


『A will of a witch』


【a+T】


『どういうつもりだ、貴様?』
 携帯電話の向こうの相手が抱く感情の全てが声から伝わってきた。
 そのはずだと彼も想う。だから彼の口元に自然と微笑が浮かんでしまった。
 鼓膜を震わせていた相手の荒い息遣いが一瞬、消える。
 おそらくは彼が笑った気配が携帯電話という人類の叡智の結晶を介して相手に伝わり、それが相手を激怒させたのだ。
 思わず呼吸が詰まるぐらいに相手は彼が笑った事が許せなかったのだ。
 ―――だから、
『貴様いい加減にしろぉ!』
 スピーカーから迸った音が彼の耳朶をつんざいた。
 彼はおどけたように携帯電話を持たぬ方の肩を竦めると、
 わざと大きくため息を吐いた。
「どういうつもりなのか、と、問われるのなら、それは俺の方があんたに問いたい。あんた、どういうつもりなんだ? あれはあんたと俺との正式な取り引きだったはずだ。俺はあんたの脱税を黙っておく。あんたは俺への口止め料を払う。それであんたも納得したはずだ。はずだったろう? なのにあんたは俺への口止め料2千万を入れたバッグに発信機を仕掛けたと共に、取り引き場所にヤクザを隠れさせた。これは、俺を捕まえて殺すためだろう? 当たり前だ。強請が今回で終わるだなんて、決まってないもんな。ならあんたとしては繋がりのある事務所に依頼して俺を殺させた方が安上がりで安全という訳だ。いや、実に合理的。さすがはお医者様、というところか? でもな、相手が悪かったな。あんたは俺を激しくムカつかせた。よって、俺はあんたの脱税の証拠をこれから警察に持っていく」
『ま、待て。待ってくれ』
「くれ?」
『待ってください。お願いですから待ってください。私が悪かったです』
「はは。わかればいい。だが契約違反は契約違反だ。よって口止め料の値段をあげさせてもらう。5千万だ。5千万をこれから銀行に行き、俺が言う口座に振り込め」
『5、5千万だと? そ、そんな金額は無理だ』
「たった3千万増えただけだろう? あんたが脱税して溜め込んでいる金額からしてみれば安いはずだ。それでは今から直ぐに銀行へ、行け」
 そう告げて彼、書目志信は携帯電話での通話を終了させた。



【b+T】


 科学の進歩はいつだって戦争に役立たせる事と、いかに楽をするか、という事に着目されて進んできた。
 携帯電話。これの登場は大いに人を驚かせ、そして歓迎された。常に容易に連絡を取れる便利性、また、聴覚障害者の人にも携帯電話のメール機能は多いに喜ばれている。
 しかし携帯電話の普及は新たな犯罪の発生にも繋がった。
 科学とは常に人に幸福と不幸をもたらす。
「でもまあ、携帯電話がもたらす不幸はある意味では人類の自業自得。その恩恵を受けているのですから、その逆が舞い込む事も覚悟しておかないといけませんわ。それが物事の加護を受ける事の誠意。そもそも本当の意味で完全な被害者は人間以外のものですわよね」
 つい先日、ミツバチが青信号に集まり、これが駆除された件。崖っぷち犬はいつ人命救助の報が入るかもしれぬのに税金を使い助ける愚かな人間は、ミツバチを簡単に殺した。
 このミツバチの異常を春になり、新たな女王蜂の誕生によって巣から追い出された物なのだろう、と見解を述べた者もいたが、実際は蜂たちは常に携帯電話から発せられている電波によってその生態リズムが狂わされてしまっているのだ。これはイルカやクジラ、他の物にもいえる事。
 人間が、少なくとも科学の恩恵にあやかっている人間が地球環境や生命を護ると口にするのは片腹痛いのである。それを口にするのなら、科学の全てを放棄すればそれでいいし、それが一番確実だ。
 だから人間が科学で痛い目を見るのは自業自得。
 そしてこれは、彼、書目志信の完全な隙のせいだ。
 携帯電話はデジタル電波なので盗聴をされない、彼が本気でそう想っているのなら、それは本当に愚かだとしか言いようがない。電話会社がデジタル電波をアナログ電波にする事ができる事は周知の事実である。ならば、その電話会社にできる事を個人でできる何らかの邪道が出来たとしても、それは人の常であろう。
 つまり、彼女、アデール・バラティエは書目志信と彼が強請っている男との携帯電話での会話を盗聴していた。
 ―――何のために?
 無論、書目志信を出し抜き、尚且つ利用するためである。
「魔女の本は、私が頂きますわ」
 アデールはビルの屋上からオペラグラスで書目志信が強請っている男、***産婦人科病院院長を見据えながらルージュが塗られた唇を笑みの形にした。
 


【a+U】


 ***産婦人科病院について奇妙な噂話が流れ出したのは東京で乳幼児突然死症候群で幼児の死亡が立て続けに起こってからだ。
 母親の国籍、年齢、子どもが生まれた時期、そういうのに特別な関連性は無かったが、しかしある時期を境に立て続けに起こった乳幼児突然死症候群で自分の子どもを失ったその母親の多くが、***産婦人科病院で出産していた事実が母親たちのネットワークで明らかになり、それを受けて***産婦人科病院への厚生省の査察なども入ったりした。
 だがそれで得られたのは、***産婦人科病院の診療には何の落ち度も無いという事だけだった。
 しかし、事は本当にただ凄まじい確率で不幸な事が重なった、という事だけなのだろうか?
 ―――書目志信が疑問を持ったところはそこだった。
 ただ、たまたま***産婦人科病院で子どもを出産した女性の赤ん坊が死んだ………だと? そんな偶然、あってたまるか。
 危険察知能力、彼の野性の勘と言ってもいいそれにこの事件が引っかかったのだ。
 古書買い付けのルートは何も出版関係や学会などだけのパイプに繋がっている訳ではない。そのパイプはありとあらゆる方面に繋がっており、
 そして、乳幼児突然死症候群によって子どもを失った***産婦人科病院で出産した女性からまるで不幸が伝染したかのように、その彼女たちの周りでも乳幼児突然死症候群が起こっていた事が明らかとなった。無論、その第二次の被害者たちは、***産婦人科病院で出産していない女性たちだ。
 つまり、乳幼児突然死症候群のキャリアはやはり***産婦人科病院であるのだ。
 しかしだからといって産婦人科ほど男にとって敷居の高い物はない。そこに用があるのは妻なり彼女が妊娠した場合とか、性病云々の場合ぐらいだ。志信が患者としてそこに入る事はできない。
 だったら本業を利用して? 古本の買い付けと産婦人科のどこに繋がりがある?
 という訳で彼は友人のアンティークショップの店長を妻役にして、***産婦人科病院へと入り、
 そこの待合室で、院長が妊婦たちに提供している自慢のコレクション、世界の童話や絵本、育児書などが収められた本棚の棚にあるそれを見つけた。



 ―――それは危険な古書であった。
 

 古びた装丁ながら作りがしっかりとしていて、それがまたこの童話の価値を高めていた。
 その童話の表紙を開いて直ぐに目にする事の出来るページに唄の歌詞が書かれている。
 しかし、その歌詞こそが幼児を殺していた呪いであった。


「ああ、これは、呪いだね。呪術に長けたインディアンが侵略者たちへの怨恨を込めて作り上げた呪詛だよ。なるほど。待合室で自分の順番を待っている間にこの本を手に取り、それでこの唄が気に入って歌詞を覚えてしまった人も居ただろうね」
 志信は彼女のその言葉に納得した。
 そしてそれが呪詛である事にも気付かずに、気に入って覚えたその唄を歌い、知らずに自分の子どもを呪殺していた、という事なのだ。
「やれやれだな。これは、眠らせておかなければならない本だ」



 しかし、だからといって事実を話せば良いものでもない。
 これはいたってデリケートな案件であった。
 既に何人もの子どもが亡くなっているのだ。
 そしてその子どもの親は、自分こそがその子どもを呪殺している、などとは知らない。
 知るべきじゃなし、知らせるべきでもない。
 それは不可抗力であり、
 明らかに知らなくても良い事だ、と志信は想った。
 よって、その本をそのまま持ち逃げする事を選んだのだが、
 それをしようとした瞬間に病院の玄関でブザーが鳴った。
 院長のコレクションの本を盗み、古本屋で売ろうとした女性の犯行が明らかになったのだ。
「なるほど、自慢のコレクションの本を待合室には置くが、しかしそれをむざむざ盗まれるような真似はしない、という訳か」
 そして結果、その本を持ち出そうとしていた志信の目論みも果たす事ができなくなった。



 よってどうすればいいのか?
 答えは簡単である。
 盗みに入ればいい。
 下手に院長に真実を知らせて、どこかから真実が漏れてしまうのよりもそっちの方がよっぽど良いし、それにおそらくは事実を伝えても院長が古書を手放すとはどうしても志信には思えなかった。
 しかし普通に現在市販されている何の価値も無い絵本や童話、育児書を除いて、あの本も含めた院長のコレクションは、志信が夜中侵入した時には待合室から消えていた。
 そして、運が悪い事に、



「あなた、そこで、なにをしているんですか?」
 夜勤のナースに見つかってしまったのだ。
 しかし、
 意外にも、
「あなた、泥棒なの? そうよね?」
 騒ぎ出すかと思いきや、
 そこで彼女はおもむろに煙草を取り出し、それを吸い出した。
「だったら、もっとお金を稼ぐ方法を、あたしが教えてあげるわよ?」



 そのナースは院長の愛人であったが、院長が最近、看護学校を卒業したばかりの若いナースに自分から乗り換えた事を不服に想っていて、
 これを期に田舎にでも帰って、見合いをして、普通に仕事をしていて、安定しているそこそこの男と結婚して、そこそこの家庭の専業主婦にでも落ち着こうかな、と考えていたが、
 しかし、この病院で起こった医療事故を院長が隠し、
 自分の病院に大打撃を与えた連続乳幼児突然死症候群を利用して、
 その医療事故を単なる病気として処理をした事が許せなくって、
 だけどそれを被害者家族に伝えるにしても証拠はもう既に処理されてしまっているためにどうしようもできない事を志信に話し、
 そしてこう、切り出してきたのだ。
「院長は脱税しているの。結構な額を溜め込んでいるわ。これを見て。あたし、数年前に流行ったドラマに影響されて、黒皮の手帳に院長の脱税の証拠を書き写したの。だからこれを使って院長を強請って、被害者の家族にその強請って得たお金を渡したいのよ。その手伝いをしてくれないかしら? 報酬は1千万。それでどう?」
 ――――志信が深夜の病院に忍び込んだのは金銭目的では無い。
 言って見れば人命の為である。
 しかしこのナースの口にした事は聞き捨てならなかった。
 それに、
「わかった。その誘い乗ろう」
 このどこか自棄になっているナースも見捨てる事が出来なかったのだ。
 そして事は、先の展開に繋がる。



 志信は院長を強請るその計画に乗った。
 しかし報酬は院長のコレクションである古書。
 元院長の愛人であった彼女にはその古書の回収を依頼した。
 彼女は訝しったが、しかし、「俺は古書オタクなんだ」、という言葉で納得してもらった。
 作戦は、計画通りに進んでいる。



【b+U】


「さすがはシノブよね。事は計画通りに進んでいる」
 シノブ。アデールは書目志信の事をシノブと呼ぶ。
 そのシノブの働きに彼女はくすりと満足そうに微笑んだ。
 アデールと志信はいわばライバルである。
 これまで幾度も本を廻り、熾烈な争奪戦を繰り返してきた。それは今回も一緒だ。
 彼女が求める古書も、志信と同じであった。
 しかし古書へのアプローチは志信の方が既に何歩も先を行っている。アデールは出遅れている。なのに彼女には余裕があった。
 おそらくは彼女は志信からその本を奪取する、その自信があるのだろう。それゆえの自信。
 果たして彼女の目論見とは?



【C+T】


 呪われているとしか思えなかった。
 そうでなければこんなにも次々と順調であった自分の人生で災厄が起こるとは思えない。
 ああ、ひょっとしたらこれは十年、愛人関係を続けてきたあの女の恨みに寄る物だろうか?
 きっとそうに違いない。これだから行き送れた中年女の焦りは嫌なのだ。それは容易に恨みや嫉妬、敵意に変わる。十年前、看護学校を卒業し、自分の病院に就職した彼女の前の愛人もそうだった。
 その時は知り合いの次男との見合いをセッティングし、体良く追い出しには成功したのだが、さて、次はどうやってあの行き遅れを放り出そうか?
 いや、今はそんな場合ではない。この災厄を振り払う方が先だ。
「しかし………。よもや、こうもあの女、アデール・バラティエの言う通りに事が進むとは――――正直、本当に気味が悪いな」
 正体不明の男からの強請が始まってすぐに付き合いのある暴力団事務所の親分からパンツスーツの凄まじく美人(願わくば一晩じっくりとそのスーツに隠されたしなやかな肢体を楽しませて欲しいものだ。)を紹介され、
 彼女はどういう方法でか、彼の身に起こっている不幸を言い当てて見せたのだ。
 そして事の展開、おそらく犯人との金銭の受諾方法は銀行のネットバンクを使った物になるだろう、とも言った。
 だから彼は裏ルートで融資の担保として銀行に差し押さえられているとある人物の5千万の預金が振り込まれている口座を買い(金額までアデールが言い当てていた事を知った時にはさすがに彼も彼女が怖くなった。)、
 それを携帯電話の向こうにいるはずの間抜けな犯人の言う通りに指定された口座に振り込んだ。
 しかし実際には向こうの口座に振り込まれた金額はほんの2,3百万のはずだ。それはシステム上、そうなってしまう。
 そして、そのお金を引き出そうとした相手の映像は銀行の監視カメラに撮られ、それを元にその男は彼と繋がっている暴力団組織に捕まり、殺される事になっている。無論、その報酬は捕まった男の眼球や内臓で支払われるので、問題無しだ。
 笑いが、こみ上げてきそうで、堪らなかった。
 しかしここは銀行だ。笑う訳にはいかない。
 だから銀行を出て、駐車場に止めてある車の中に入ったら、そしたら笑おう。そしてその足で暴力団事務所に赴き、親分に今回の礼を言わなければならない。
 それが済んだら二十歳の愛人を連れて、しばらくは海外で充電しようではないか。
 そんな事を考えながら彼は銀行を出て、
 そこで待ち受けていた警察に逮捕された。
 罪状は脱税である。



【a+b】


「つまり、俺はずっとおまえの手の平の上だった、という事か?」
 志信は凄まじく不機嫌そうな顔でアデールに言った。
 アデールは切れ長な瞳を悪戯好きの猫のように細め、蟲惑的な笑みを浮かべた。
「そういう事よ、シノブ。あなたがあの古書の存在を知った時には私はそれの回収に動いていた。無論、同時にあの院長に社会的制裁を与える事も目的にしてね」
「じゃあ、俺が用意していた計画、銀行ネットを利用した詐欺行為の手筈、あいつが警察に捕まるはずだったそれは?」
 ものすごく嫌な予感がするのだが、敢えて彼は訊いてみた。
「ん。それも私が手筈した引っ掛け」
 …………訊かなければよかった。
 がっくしと肩を落とした志信にアデールがくすくすと楽しそうに笑う。
 そんな彼女を志信は半目で恨みがましく睨むのだが、しかしやはりそんな表情は自分には似合わない、とでも言うかのように、転瞬後には彼も笑った。それは至極自然な物で、それがもうアデールに対して何も含む物は無いと証明していた。
「エディ」
 アデールが志信の事をシノブと呼ぶように、
 志信もアデールの事をエディと呼ぶ。
 その自分の呼び名を聞いて、アデールはくすりとたおやかに笑った。
「あら、シノブ。その呼び名で私をまた呼んでくれるのね」
「ふん。今回の数々の手の込んだ騙しの遺恨は次の機会に晴らさせてもらうからいいさ。ただ裏でおまえが仕掛けていた事の全容、想い、それを聞かせてくれ。おまえに先に古書を奪われたのは悔しいが、しかし今回は俺の目的はそれを眠らせておく事。おまえの手に渡るのはまあ、安心だからな」
「ありがとう。そうね。これを言うとまたがっくしとさせちゃうと思うのだけど、まずあなたが出会ったあのナース、あれも私の仕込み」
 空気が凍った。
 志信の顔が歪な笑みで固まっている。
「でもまあ、彼女の言っていた事は本当よ? 今回は私の方がシノブよりも先に彼女に出会い、それを聴いていただけだったのよ。そして私は古書の回収と、院長に対して社会的制裁を与えるために動き、遅ればせながらそこにあなたがやってきて、古書の危険性に気付いた。古書を奪うだけなら簡単だったわ。でもあの院長には社会的制裁を与えなければならなかった。だから私はあなたに私が脚本を書いた劇に付き合ってもらう事にした訳。どう、彼女、なかなかの名演技だったでしょう?」
 それは何か? 演技指導は私がやったのよ♪ とでも言いたいのか? 監督・脚本家兼主演女優よ。
 ますます顔を次の獲物を探す連続殺人鬼そっくりの笑みに変えていく志信にアデールはおどけたように肩を竦めると、
「感謝しているわ。あなたが居たから、あの院長は私の言を信じ、私の言う通りに動いた。これであの男の脱税も、またこの古書がもたらした不幸を利用した卑劣な犯罪行為も白日の下に曝されるはずよ」
 どこか憂いのあるアデールの笑みに、志信は息を呑んだ。
「あのナース。彼女もあの病院で起こった医療事故に関わっていたんだな?」
 アデールは頷いた。
「だけど安心して。国境無き医師団の一員として人命を救っている彼女の姿が私には見えているわ」
「そうか。で、エディ。おまえがその古書、それに目を付けたのはいつもの理由でか?」
 志信にアデールは小さく頷き、
 それから、志信と彼女、ふたりが腰を下ろしていた海岸の砂浜へと続く階段から立ち上がると、
 履いていたミュールを脱ぎ捨てて、砂浜に降り、そしてそのまま彼女は波打ち際へと歩いて行って、
 海の中に入った。
 海をバックに振り返った彼女は、頬を縁取る白金色の髪をそっと掻きあげて、耳の後ろに流す。露になった彼女の耳には古めかしいピアスがはめられていた。
「このピアスの持ち主は移民者に自分の子どもを殺され、その恨みを込めた呪唄を作り上げて、故意に移民者たちの間に広めた。この古書に載せられている唄はそういう魔女の哀しくも切なく怖ろしい心の嘆きなの。彼女を弔おうとした私に、このピアスに残った彼女の残留思念が語りかけてきた。かつて自分が広めた唄も、回収し、そしてそれを消して、とね」
 掻きあげられていた髪がふわりと頬を縁取って、彼女の形の良い耳を飾るピアスが隠される。
 そしてアデールの額の上で前髪が揺れる。
「この本、燃やしてもいいかしら?」
 志信はわざと大仰に肩を竦めると、
「ああ」、と言い、
 アデールは小首を傾げたまま優しく微笑んだ。
 そして彼女は海に向き直ると、志信に見守られながら古書に火をつけて、その灰を、目の前に広がる海へと、葬送した。



 【END】