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<東京怪談ノベル(シングル)>


やさしい玉ほど丁寧に

「やっと会合終わったぜ……」
 狭苦しいところにいるのは息が詰まる。外に出て少し深呼吸をした後、ナイトホークはポケットに入れているシガレットケースを無意識に探していた。
 今日は飲食店業界の組合の会合だ。何かと物騒な話題も多い昨今、こういう集まりにはちゃんと参加しておいた方が良い。人を避けて生きるならともかく、人と触れ合うために店をやっているならなおさらだ。ネックがあるとしたら、夜やっている店は日曜休みが多いので、会合も日曜のことが多く、休日が少し潰れてしまうことなのだが。
「さて、家帰ってどうすっかな」
 食事をするには中途半端な時間だし、特に予定も何もない。雨上がりでちょっと肌寒く、まだうっすらと雲がたれ込めている空を仰いだ時だった。
「ナイトホークさん、うっふっふ……♪」
 そんな声と共に、ちょいちょいと袖を引っ張られる感触。振り返るとそこには、スナック『瑞穂』のママである桜塚 詩文(さくらづか・しふみ)が、にまーっと微笑みながら立っていた。
 詩文とナイトホークは、お互いの店に行って時々酒を飲む仲だ。お互い長生きということと、東京で暮らしている者同士何処か気が合うのだろう。いつも上機嫌で微笑みを絶やさない詩文は、今日もやっぱり上機嫌だ。
「おっ、詩文さん久しぶり。会合来てたんだ」
「うふふーん、ちょっと遅れて後ろから入ってきたのよん♪ところで、ナイトホークさんにお願いがあるんだけど……」
 ナイトホークにそう言った詩文は、片手でナイトホークの袖をつまんだままある店の看板を指さした。
「女一人じゃ入りにくいのよん。場所代は私が持つから連れてって♪」
 それは『ボーラード』という名で、色々な施設に併設されているビリヤード場とは違い、ラシャやキューの調整などもしっかりしてある、本格的なビリヤード場だ。ナイトホークも何度か行ったことがある。
「ビリヤードか……詩文さん玉撞きするんだ」
「するわよん。でも、一人だと寂しいでしょ?私みたいなお姉さんが一人で……ってのも、ちょっとね」
「確かに一人だと、店の名前と同じ『ボーラード』ぐらいしかできないよな」
 店の名前にもなっている『ボーラード』というゲームは、ボーリングとビリヤードを合わせたような一人用のゲームだ。プロテストの時にも行われ、やりこんでいる人ならビリヤードの腕を聞かれた時に、このゲームのスコアを言うこともある。
 携帯灰皿に灰を落としながらナイトホークが少し考えていると、詩文は上目遣いで見上げながら人懐っこい笑みを浮かべた。
「ね?久しぶりに会ったんだし、遊びましょ」

 中に入って受付をし、ナイトホークと詩文は借りるキューを選んでいた。腕が長ければ手に合う物がいいし、その点ここは本格的なのでキューが合わなくて狙いが定まらないということもない。
「ビリヤード久しぶりだ……昔教えてもらったけど、最近ご無沙汰で。手加減してくれよ」
 長めのキューを選んでいるナイトホークにそう言われ、詩文も笑ってキューを取る。
「それは私も同じよん」
「ふーん、ボーラドのスコアどれぐらい?」
「150ぐらいかしらん?」
 あっさりと言っているが、それはレッスンプロ並みの腕前だ。それでもナイトホークはふっと笑い台の方へと向かう。
「じゃ、似たようなもんかな……ゲームは『ナインボール』でいい?」
「お任せするわん♪」
 ビリヤードと言えばナインボールが一番ポピュラーだろう。手玉を一番若い番号のボールに当て、9が落ちれば勝ちが決まる。上級者同士なら短時間で勝負が決まるだけでなく、かなり面白い戦いが出来る。
「ねえ、マッセとかジャンプはありかしらん?」
「ボーラードのスコアが150なら許可してくれるかも知れないけど、一応聞いてくるよ。ラシャ傷つけるほど下手じゃないだろ?」
 ボールを普通に横から撞くのではなく、上から下へと撞くマッセは下手な人間がやると敷いてあるラシャを思い切り傷つけるので禁止されている場所が多い。玉を飛ばすジャンプショットも同じだ。
 しばらく待っていると、ナイトホークが笑いながら戻ってくる。
「ワンゲーム見てから決めるって。マッセとか使えなくても充分楽しめるから、ゲーム始めようぜ」
「分かったわん。あ、折角だから何か賭けましょ。私が勝ったら……そうねぇ、カクテル飲み放題で」
「了解。俺が勝ったら……詩文さんの店のニューボトルでも」

 先攻後攻をバンキングで決め、最初は詩文からのゲームになった。ビリヤードは、攻撃の間はミスをするまで一方的に攻めることが出来る。ボールを枠に入れて並べ、ブレイクショット。
「うん、久しぶりにしてはいい感じだわー」
「詩文さん上手いなぁ」
 的確にキューを撞き、いくつもボールをポケットに落としていくのを見てナイトホークが感心する。それに悪戯っぽくウインクした詩文は、手玉の方へと楽しそうに移動する。
「昔の彼氏がね、スコッチとビリヤードをこよなく愛す人だったのよん」
 昔……と言っているが、それも百年ぐらい前のことだ。『ザ・マッカラン』を好み、詩文にビリヤードのテクニックを色々教えてくれた彼。身に付いた技はしばらくぶりでも鈍っている様子はない。
「へぇ、そりゃ上手いわけだ。どんな人?」
「ヤード(スコットランドヤード)の刑事さんだったんだけどね……彼に棒術も教わったかしら♪」
 あまり人に見せるような機会はないが、か弱そうに見えて詩文はクォータースタッフなどを扱わせれば達人級の動きをする。少しぐらい腕の立つ相手でも、モップの一本もあれば撃退する自信もあるし、世界を放浪していた時はそれで身を守っていたこともある。
 コン……と、軽く手玉を撞き、ポケットに玉を落とし詩文はにこっと笑った。
「ナイトホークさんは、誰からビリヤードを教えてもらったのかしらん?」
 お互い過去にどうやって生きてきたのかは知らないが、見かけ通りの歳ではないのだということは何となく分かっている。不意に聞かれたナイトホークは煙草を吸いながら、ほんの少しだけ目を丸くした。
「ああ、俺は友達から。退屈しのぎにって教えてもらって」
「そうなのね。そういえば、ちょっと気になってたんだけど、ナイトホークさんの吸ってる煙草って両切りよね?」
「そうだよ。一番安いゴールデンバット」
「吸う時に、名前書いてある方に火を付けるのは癖かしらん?」
 煙草の名前が書いてある側は、普通ならフィルターがついている方だ。両切りだとどちらから吸ってもいいのだが、名前の付いている方に火を付けることに関して、詩文が知っていることが一つある。
 フィルター側……名前の付いてある方から火を付けるのは、訓練された軍人がやるということ。
 そうやって名前の方を燃やしてしまえば、どこの国の煙草か分からなくなってしまう。自分がどこの国の軍人かを伏せるために、そういう訓練をしていることがあることも、ヤードの彼に教えてもらったことだ。
 そう聞かれ、ナイトホークが苦笑する。
「そうだな……もう癖だよな。なんかマークのある方からつけないと落ち着かない」
「両切りだとどっちから吸ってもいいものね……さーて、このまま行っちゃうわよん」

 お互いブランクはあったが、プレイしているうちに感覚を取り戻して来たようだった。その撞き方を見て上級者だと認識されたのか、マッセやジャンプショットも詩文達は許可された。
「ナイトホークさんは足が長いから、マッセするとき楽でしょ?」
 くすっと微笑みながら、詩文は台に軽く腰掛けているナイトホークにそう言う。
 ビリヤードでは両足を床から離して玉を撞くとファールになる。片方のつま先だけでも床につけていなくてはならない。詩文も背が高いので苦労することはないのだが、やはりショットのフォームも様になる人がやっていると、見ていても楽しい。
 コン……と小気味よい音と共に手玉が撞かれ、ボールがポケットに入る。
「楽って言えば楽かな。でも詩文さんが台に乗ると、セクシーだから目がそっち行く……って、どこ見てんだって話だよな」
「うふふ、ナイトホークさんなら見てもいいわよん」
 それに動揺したのか、さっきは難しいショットをマッセで決めたのに、簡単な所をナイトホークは外した。手玉は一番若いボールに当たったのだが、どのボールもポケットに入らない。
「うわーっ、動揺した。修行足りねーぇ」
 顔に手を当て天を仰いで悔しがるナイトホーク。
 詩文はすれ違い様にポンと肩を叩き、形の良い唇に指を当て笑った。青い瞳が嬉しそうに細くなる。
「ダメよ、ナイトホークさん。ビリヤードは『やさしい玉ほど丁寧に』撞かなきゃ」
 それも、ビリヤードを教えてくれた彼に聞かせてもらった言葉だ。誰もが失敗しないという、簡単なところにあるものほど大切に、丁寧に撞かなければビリヤードは上達しない。そして、それは同時に生きていく上での大切な言葉でもある。
 簡単なことほど丁寧に、大事にすること。
 そうしていけば、時代の移り変わりを見つめることになっても、ちゃんと生きていける。
「いや、今のは完璧に詩文さんにやられた。こういう時男って奴ぁ……って思うな」
「ふふー、そういうところがカワイイのよねん」
 年月が過ぎても、変わらないところ。
 何処か遠くを見るように笑いながら、詩文は次々とボールをポケットに入れた。

 実力が同じぐらいの詩文達のゲームは、スコアが拮抗したまま最後の時間を迎えようとしていた。
「今のところ五分五分か…このゲームで決まりだな」
 とは言っても、今手玉を撞いているのは詩文だ。いくら玉をたくさんポケットに入れても、9を入れればその人がゲームの勝者になる。順番が来なければ、どんなに上手くても勝つチャンスがないのが、ビリヤードの厳しいルールだ。
「うっふふーん、詩文さん絶好調♪」
 調子が上がってきたのか、パックスピンなども的確だ。詩文の「魅せる」プレイに、いつしか他の台の客達もチラチラとゲームの行方を見守っている。
「……こりゃ、詩文さんの勝ちかな」
 難しいボールはない。後は順番に落とせばいいだけだ。
 久々にビリヤードをやるきっかけにもなったし、場所代も詩文が出したので、カクテルを奢るぐらいはたいしたものではない。普段休みの時は家にいることが多いが、これをきっかけにまたビリヤードでもやろうか。
「……っと。んー、これは順番に落とすのがいいわよねん」
 台の回りを軽快に歩きながら、詩文はにこっと笑う。
 順番にボールを落とし、残りは最後のナインボールだけだ。詩文がミスをしたらナイトホークにも勝ち目があるが、それを願うにはあまりにも簡単すぎる位置に手玉がある。
「………」
 キューを握った詩文は、一瞬だけ真剣な表情を見せた。
 だが次の瞬間、にこっと口元に笑みを見せ手玉を撞く。
「………?」
 真っ直ぐ進むはずの手玉が、微かに左に逸れた。玉に当てられず、ポケットにも落とせなければファールだ。少し溜息をつき、詩文は肩をすくめる。
「あららら、やだわん。勝負だからって、力入り過ぎちゃったみたい」
 今のコースなら外すようなミスはしないはずだ。力が入ったと言っても、だったらもっと前からミスを連発しているはずだ。だが……。
「はい、ナイトホークさんの番よん。決めちゃってね」
 これ以上ミスの仕様がないというぐらい、ポケットの側にある手玉とナインボール。
 軽くそれを撞いて、ポケットにそれを入れる。
「あー、久しぶりに楽しかったわ〜」
 勝ったナイトホークに、詩文は笑いながら右手を差し出した。

 店の店主が「久々に面白いゲームを魅せてくれたから」と、出してくれた瓶のコーラを飲みながら、詩文とナイトホークはカウンターに座っていた。
「甘ーっ、でもこの甘さがたまに無性に飲みたくなる」
「そうね〜、今日は付き合ってくれてありがとう。ナイトホークさん♪」
 そう言って楽しそうに他の台で行われているゲームを見ている詩文に、ナイトホークか何かを言いかける。
「詩文さん、最後の……」
 あれはわざに外したショットだった。
 自分が外した時に『やさしい玉ほど丁寧に』と言っていた詩文が、あんな簡単なショットを外すはずがない。それに最後に一瞬だけ見せた真剣な表情……。
 すると詩文はまだ何か言おうとするナイトホークの唇に、自分の人差し指を当てにこっと頬笑む。
『それ以上は言っちゃダメよ』
 頬笑む瞳がそう言っている。こうされてしまってはもう何も言えない……全く、男って奴はどうしようもない。
「うふふ、また『瑞穂』に遊びに来て頂戴ね。今度遊ぶ時は負けないわよん」
「りょーかい。店が暇な時に遊びに行くから、ニューボトル用意しておいて」
 小悪魔っぽく頬笑んだ詩文は、ナイトホークの唇につけていた指を自分の唇に当てて、魔法をかけるように小さくウインクした。
「待ってるわん♪」

fin

◆ライター通信◆
お誘いありがとうございます、水月小織です。
小悪魔チックな詩文さんと、一緒にビリヤードと言うことで楽しく書かせていただきました。マッセは上手くないとラシャを傷つけるのですが、上手にこなしてそうです。そして絶対絵になるなとか思ったり。セクシーですよね、女性のマッセは。
最後にわざと外してというところも、ナイトホークが手玉に取られてていい感じです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。