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<東京怪談ノベル(シングル)>


白い箱の中で



 コーラにココア、野菜ジュースにレモンティー、ミルクティー……。
(うーん)
 涼しいやら暑いやら、判断に迷う状況の中にあたしはいる。
(こんなことになるなんて)
 苦笑交じりに思い出す。
 今日のお昼すぎまでは普通に過ごしていたのに。
 ――ちょっとした勘違いで、ここまで来てしまったのだ。


「美味しい!」
 アイス入りのクレープを一口食べて言ったあたしの言葉に、生徒さんは嬉しそうに相槌を打ってくれた。
「でしょう? クレープ屋はたくさんあるけど、ここのが一番美味しいのよ」
 生徒さんの言葉通り、この通りにはクレープ屋さんが結構ある。ちゃんとしたお店じゃなくて、屋台みたいなこじんまりしたものだけど、どのクレープ屋さんも並ばないと買えない。
 それはつまり、それだけ人がいるってことで――。
「凄い人ごみですね……」
「みなもちゃんは初めて来たんだものね。私はもう慣れちゃった」
 苦笑する生徒さん。
 そう、今日は生徒さんに誘われて遊びに来たのだ。息抜きにどうか、との話だったけど、朝から息抜きどころか心が弾む程の楽しい時間だった。クレープを食べながら洋服のいっぱい並ぶ通りを歩いて、古着屋さんを覗いて、まるで美術館みたいなカフェで絵を見ながら軽く食事をして……。
 あたしたちは小さな雑貨屋さんの前で立ち止まった。
(綺麗……)
 ヴィンテージビーズを扱っているお店だったようで、小さな宝石たちのようにビーズやスワロフスキーがキラキラと光って見える。
 藍色とクリスタルが順番に並んでいるブレスレットを眺めていると、海を思い出す。
(人魚になってすぐに見た水面も、こんな風に輝いていたっけ……)
「それ、欲しい?」
「え……」
 いつの間にか生徒さんが後ろに立っていた。
「貸して」
 そう言うと生徒さんはブレスレットを持って会計を済ませてしまった。
「はいプレゼント」
「そんな……。悪いです……」
 あたしは財布を出してお金を払おうとしたけど――。
 蝶のようにヒラヒラと会話を誤魔化されて、うやむやになってしまった。
(プレゼントだなんて)
 嬉しいけど、申し訳ない。
 もしかして、いつものバイトの内容がハードなのを生徒さんが気にしているのだろうか。
(でも、いつものバイトはバイトで、お金をいただいているんだから……)
 とは言え、その気持ちは嬉しい。
(無理にお金を払おうとするのも失礼だし……)
 きちんとお礼を言って、生徒さんの好意を受け取ることにした。
 ――白い小さな袋からは、藍色の光が少しだけこぼれている。あたしは宝石をしまうように、丁寧に鞄の中に入れた。
 ……今思えば、この時点ですでに生徒さんのペースに乗せられていたのだ。
 でもそんなこと、そのときのあたしが判る筈はなくて。
「人ごみに疲れちゃったでしょう? 人のいない通りに行きましょうね」
「はい」
 このときも、生徒さんってあたしのことを気遣ってくれているんだなあ、としか思わなかったのだ。
 ……もしかしてあたしって、人を信じやすいたちなのかな?

「みなもちゃんに貸したいものがあるのよ」
 他に人のいない細い路地に入ると、急に生徒さんが言った。
「何ですか?」
「同じ学校の、別の専攻の子たちが作ったやつなんだけどね。ちょっと試しにつけてみて欲しいの」
 つけて、という表現が正しいかどうかは今思うと疑問だけど。
 今日は買い物をしていっぱいの洋服を見ていた後だったから、あたしはつい生徒さんがどんな人だったかを忘れて、素直に聞き返してしまった。
「服か何かですか?」
「そうそう。まあ、ある意味凄く前衛的なファッションにならないこともない……かしら。色は白なの」
「今年の夏の流行色ですね」
「どう、つけてくれる?」
「はい」
 楽しいところへ連れて行ってくれたし、アクセサリーまで買ってくれたんだもん。それくらいのお願いはきかないとバチが当たっちゃう。
「ああ、良かった! 実はこれなのよ」
 そう言って生徒さんが指をさしたのは――。
 故障中と書かれた自動販売機。
「え……」
 と思わず後ずさりするあたし。
(た、確かに白い……)
 でもこれって、“つける”ものなの?
「ごめんねー、みなもちゃん。本当は、一日遊ぶつもりだったんだけど、前日にこの話がきちゃって。造形専攻の子たちが作ったんだけど、どうしても本物に見えるかどうか試したいらしいの。入って、動かしてみてくれるかしら? バイト料は出すから……ね?」
 すっかり服だと思っていたあたしは、自分の勘違いぶりに肩の違いが抜けてしまった。
 ――そうだよね。生徒さんだもん。
(勘違いとは言え、引き受けると言ったんだし)
 それに今日は楽しかったから。
 自動販売機になる機会なんて、普通ないんだし、良い経験だ。
 こみ上げてくる苦笑交じりの笑いをこらえながら、あたしは自動販売機をつけた――もとい、自動販売機の中に入った。
 これが服なら、生徒さんの言うとおり、前衛的すぎるだろうなあ。


 故障中、という札のなくなった自動販売機には、思い出したようにお客さんがやってくる。
 その度に実感するのだけれど、自動販売機ってよく動くのだ。
「いらっしゃいませ」
 最初は挨拶。丁度眼の高さに覗き窓があって、お客さんが来たら分かるようになっているのだ。それに、あたしの声はちゃんと機械のものに変換してくれるから安心して声が出せる。
(細かくこだわっているんだなあ)
 あんまり礼を言う自動販売機ってないもん。
 でも、挨拶があると気持ち良い気がする。例えそれが機械でも。
 次にお金が入ってくるのを確認。
(ええと、二百円だから、八十円のおつりね)
 と頭の中に置いておく。
 注文を受けたジュースを確認して、それを下へ押し出す。ガコン、という缶が落ちる音が聞こえるのをちゃんと確認して、と。さっき覚えておいたおつりを返却。
 と同時に「ありがとうございました」とまた挨拶。
(よし)
 自分のことを褒めるようで照れちゃうけれど、なかなかの自動販売機ぶりだと思う。
 ――それにしても、予想通り中は狭い。立って、手を少し動かすのがやっとだ。日本人って、挨拶のときにおじぎをする癖があるから、頭を打ちそうになっちゃう。
(いらっしゃいませ、のときに“ゴンッ”なんて音がしたら、怪しまれちゃうなあ)
 笑ってしまうようなことだけど、気をつけなくてはいけない点だ。
 眼のちょっと下にあるのが、注文ボタン。色んな飲み物があるから、ボタンの数も多い。その中を機械音が低く通り抜けていく。
(ふう……)
 生徒さんたちが気を使ってくれたのか、冷房があたしの方にも少し流れてくるようになっている。夕方なこともあって、熱射病等の心配はなさそうだ。

(あ、お客さんだ)
 今度は人のよさそうなおじいさんだ。
「いらっしゃいませ」
 チャリンチャリン、というお金の音。
(ええと、百二十円丁度)
 ボタンは缶コーヒーを示しているから、缶コーヒー……と。
「あー間違えてもうたー」
(え?)
「野菜ジュースが飲みたかったんだ。自動販売機さん、頼むわー。野菜ジュースにしておくれー」
(そっかあ)
 ボタンを押し間違えることって、あたしにもある。飲みたくないものが出てきちゃうと、結構対処に困るもの。大抵はもう一本買う気にもならなくて、最初に買ったものを我慢して飲むことになる。
(それは嫌よね)
 それじゃあ、と野菜ジュースを下に出した。
「おおっ。願いを聞いてくれたんか。近頃の販売機は優しいんだなあ」
 いえいえ、なんて心の中で答えたり。

「ありがとうございました」
 今度はあたしより少し年上くらいの女の子。
「いらっしゃいませ」
「あー嫌だなあ」
「?」
 この人は自動販売機に独り言を言っているんだろうか。
 よく見ると手には参考書が握られている。
「お母さんの言う高校になんか、行きたくないよ」
「………………」
「みんなと一緒の高校がいいのに」
「気持ち、わかります」
「え?」
 女の子が驚いて周りを見渡す。
 しまった、と思った。つい口から出てしまったのだ。
「あなたが喋ったの?」
 女の子はマジマジとあたしを眺めている。
 さすがに今度も答える訳にもいかなくて、黙っているしかない。
「……そうだよね。もう一回、お母さんに伝えてこよっと!」
 と、女の子は去っていこうとして――戻ってきた。
「…………ジュース買い忘れちゃった」
 ――笑いをこらえるのが大変だった。

 意外だったけど、自動販売機に話しかけてくる人っているみたいだ。
 酔っ払いの人ならともかく、普通の人も。
 愚痴だったり、嬉しい呟きだったり。おじいさんみたいに、こちらへのお願いごとのときもある。
 あと、やっぱり立ちっぱなしって大変で――途中から手も疲れてしまった。狭い中で気を使っているせいだろう。
 だけど―― 一番困るのは犬だ。
「わん!」
 あの鳴き声が聞こえると、あたしは身を硬くする。
 だって、犬って鼻がきくから。
(バレちゃった……?)
「わんわんわんわん!」
 犬は吠え続けている。
「こら、何を吠えているの。行くわよ」
 これは飼い主さんの声。
 犬は遠ざかって行きながらも、時折こちらを振り返っている。
(ごめんね、だますつもりはないんだけど……)


 そろそろ生徒さんが迎えに来てくれるかな――。
 そんなとき、一人のお客さんが現れた。お酒をたらふく呑んだみたいだ。千鳥足で、立っているだけでもフラついている。あたしが心配してしまうくらいに。
「おい、あんた。空見るか」
 缶コーヒーを飲みながら、そのおじさんは言う。
「一日中突っ立ってるんだから、空くらい見上げておけよ。ほら、今夜は星が少し見える」
(星が……?)
 ――何でかはわからないけれど、その言葉に胸を打たれた。
 覗き窓からじゃあ、夜空は見えない。
 でも、自動販売機に心があるなら、きっと毎晩夜空を見上げているんじゃないか――。晴れた日の夜でも、雨の日の夜でも、嵐の夜でも。
(いいなあ)
 少しだけ、自動販売機が羨ましくなって、あたしは空を見上げた。
 ――自動販売機の天井が、薄暗く眼に映っている。
 生徒さんが来るまで、あたしはおじさんと空を仰ぎ続けていた。



終。