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『夢鬼邂逅』
―――何て頭の悪い夢。
目の前に居る彼女を見てそう想った。
今、俺が片想いしているクラスメイトの女の子。
高校の制服を着た彼女は、いつも教室で見る爽やかな笑みじゃなくって、いつもDVDや雑誌を見ながら俺が想像する彼女の表情を浮かべている。
―――つまり、エロイ顔。
誘う顔。
卑猥で妖艶な、それでいてそれを楽しむような誘う表情を浮かべて、彼女は前かがみになる。
教室で見る彼女はいつもきっちりとボタンをはめて、ネクタイを締めている。けど今、目の前に居る彼女は第二ボタンまではずして、下着の上の方の柔らかみや、谷間を見せている。
いつもやりながら想像していたのは、清楚な彼女の顔を汚す事。
だけどこれまで想像の中でどれだけ俺が貶めてきた彼女よりも今、目の前に居る彼女の方が確実に卑猥だった。
可憐なはずの彼女は卑猥な蝶の羽ばたきを顕す様に軽やかなスキップでベッドに寝転ぶ俺の傍らまで来て、
そしてキスをしてきた。
ファーストキスで舌を入れられた。
いや、これは夢。夢だ。
夢なら、もうやりたいようにやっちまってもいいよな?
覆い被さる彼女の胸元に手を入れて、力任せに下着をずらす。
彼女は、喜ぶ表情を浮かべる。
―――ああ、本当になんて頭の悪い夢。DVDや本の読みすぎ。想像のしすぎ。
でも………これ、本当に、夢?
ベッドが軋む音に肌がぶつかる音。
濡れた、音。
そんな音を奏でながら、妾の下で感じているご飯に対して妾は彼がいつも想像しているような男の幼稚な妄想以上に本当は淫乱な女の本性を曝してあげる。
男って本当に馬鹿。自分の欲望のままに彼女を想像の産物にするという行為は、その好きな女の子を貶めている、という事にそのまま直結するというのに。
でも、妾はそんな男の可愛い矛盾したスケベ心を楽しみながらその男の精気を美味しく頂く。
身体を楽しんで、
精気を頂いて、
一粒で二度美味しい人間の男の子。
若くて綺麗な男の子が抱く好きな女の子への妄想を妾で具現化させて、現実化させて、美味しく頂くこの瞬間が、
「す・て・き♪」
妾の中でいってしまった彼のを愛でる行為で最後の一滴まで、彼が死ぬ、その寸前までの精気を吸い取って、
それでもう、ご飯には用無し。
食事が終わった瞬間には、欲望の限りを尽くして、尽くす行為で精気を吸い取られた彼には興味が無くなって、
お腹も心も満たされた妾は帰宅の途に着く。
素晴らしきかな人間界。
ひとりの自由の身。
男の欲望の限りを味わい尽くすのも、
若い男が溢れるかえるほど持っている精気も、
本当、美味しい。
そんな気分最高の夜に、
「果たして現れた坊やは誰なのかしらん?」
食事を楽しんでいる最中からその気配はしていた。
男が欲望の限りを妾の中で出し尽くしたその瞬間、さすがに妾の隙にもなるその一瞬をついてくるかと思っていたけど、
その気配の持ち主が襲ってくる事は無かった。
妾たちの姿にたまらなくなったのか、
それとも妾を攻撃すれば妾がご飯にした男をも傷つけてしまっていただろうから、それで攻撃できなかったのか―――
どちらにしろ、そんな程度の事で狙う相手に攻撃の一つもできないようなのに、この妾がどうにかされる事は無い。
それでも食後の運動には、なってくれるかしらん?
マンションの屋上。
天上にある月の一筋が当たる舞台で妾は気配を振り返った。
気配の主は夜の闇に姿を隠してはいるけど、魔界の夢魔、その上位種族に値するこの妾にとってはそれは何の意味も持たない。
闇は魔の眷属。
その闇に、どれだけ潜ろうが、何の意味も持たない。
妾は相手の姿を見据え、
そして、唇を舌でぺろりと舐めまわした。
―――美味しそう、と、そう思ったのだ。
「へぇー。なかなか綺麗な男じゃない。その金糸の様なさらさらの髪も、ブラウンの瞳も、好みよ。すごく。久々に心底吸い取り甲斐がありそう♪」
と、言うが早いか、妾は気配の主の後ろに回る。
これが女だったらもう既に妾はその首を手折っている。
ただ甘い匂いと味だけが濃密な腐った果実の様な女の精気など私は不味くって食べれたものじゃないから。
食べるのなら男。若くて顔の綺麗な、それでいて純情そうなチェリーボーイの精気なんか熟れる前の、早熟一歩手前の果汁たっぷりの果実を食べる様なカタルシスが満たされる快感を味わせてくれる。
「あら、少し髪が傷んでる。ねぇー、トリートメントはちゃんとしている? 髪は男にとっても命なんだからちゃんとしないと。昨今は、」
言い終わる前に彼の裏拳が妾の顔目掛けて放たれる。
―――無論、人間程度の下等生物が繰り出すそんな攻撃なんて、避ける事、造作も無い。
彼は裏拳を放ったその行動から繋げて、バックステップをした妾を振り返った。
再び妾たちは顔を付き合わせる。
クールそうな仮面の下に、果たして彼はどれほどの女への妄想、欲望を抱き抱いているのか、それを思うと濡れそうだった。
「いえ、濡れちゃったわね。もう。あなたは?」
また言い終わる前に加速。
人間なんかには見えないスピードで彼の後ろを取って、
そして抱きつく。
首に両腕を回して、
髪が彼の肌に触れるようにして、
彼の背中に妾の胸の柔らかさと大きさが感じられるように押し当てて、それでいて焦らすように。
―――悦びを感じるのは男の身体に身体を密着させて、快感を味わう事よりも、肌で肌を愛撫して、男の本性を引きずり出す、その快・感。
「さあ、剥き出しにしなさいな。そのクールそうな男の仮面に隠した本性、っていう奴を」
左腕を首に回したまま、
右手を彼の下半身に持って行き、
そして、彼の右側の首筋を舌で舐めた後に、噛んだ。
だけど握ろうとしたその瞬間に、彼の肘打ちが妾の腹部を穿たんとして、
それをアクションに移る前の筋肉の緊張で察知した妾は屋上コンクリートを蹴って、彼の前に降り立つと共に右足を後ろへと蹴り上げた。
後ろに彼はバックステップ。その後ろ蹴りを避ける。
妾はそれを追い、右腕を旋回してその勢いを利用し半回転。軸足となっていた左足で屋上コンクリートを蹴り、彼に突っ込み、右手で作った拳で彼の頬を殴った。
彼はマンションの屋上コンクリートの上を滑りながらスチール製のマンション屋内階段へと繋がる扉にぶち当たり、
それをひしゃげて止まる。
スチール製の扉が良い感じでクッションになって彼を受け止めてくれた構図だ。
もちろん、妾がちゃんと手加減した、その結果でもあるのだけど。
そうでなければ彼の綺麗な顔は、今頃はスイカを潰したようにひしゃげている。
「どう、感じた?」
妾は意識して意地悪そうな、小生意気そうな娘に見えるように可愛らしく小首を傾げた。
そしてひしゃげたスチール製の扉と一緒にゴミみたいになっている彼の首を掴んで、持ち上げた。
「綺麗で、クールな顔立ちをして、好みはSMなの? 過激で、悪食ね。まあ、人の趣味にはどうこう言わない主義なんだけど、それでも妾、一応、ノーマルな女の子なの♪ この綺麗な顔や、自慢の男好きする小生意気な我が侭ボディーを乱暴に扱われるのは嫌なのよねん。やっぱり、優しくされた方がか・ん・じ・ちゃ・う♪ だから、まあ、SとMの交代で許してよ。妾がSで、あなたがM。それで許して♪ イケメンさん♪」
彼の首を掴む右手の五本の指に力を込める。柔らかな弾力を貫くように力を込めると、首の骨のコリコリ、とした感触に指先が包まれる。
いつもはコリコリとした感触はどちらかといえば男の方が楽しむものだけど、まあ、今宵は御一興。こういうのもつまらなくはない。
闇世の中でも彼の顔から血の気が消えていくのがわかるし、
目が虚ろになっていくのが見える。
上になった妾のリズムでいかされた男が浮かべるイッた表情とはまた違う表情で、面白い。
でもまあ、この男は本当にどうしようかな?
乱暴なプレイばかりを求めてくるからほんの少しの遊び心と、ムカつきに任せて遊んであげたけど、
さて、殺すべきか、
それとも殺さずに生かすか?
ああ、でも本当、
「良い男よね。ぞくぞくしてきちゃう♪」
そう口にして、妾はくすりと口だけで笑う。
どんなに成人面した男だって頭の中では女の服を脱がして、裸にした女に卑猥な妄想を抱いているんだから、それはこの男だって一緒でしょう―――
だから、この男のそういう男の本性、やっぱり引きずり出して、殺すよりも精神面で甚振ってあげた方が面白そうだなー。
「うん。決めた。そうしましょう。だから、妾が、これから遊んであげる」
そして妾は、彼を降ろして、口付けをした――――
―――――柔らかな彼の唇の感触の後に熱さが走った。
この男、この期に及んで妾の唇を噛んだのだ。
苛つきが凄まじく妾の中で募った。
激しく燃える感情の炎が妾の身を焦がす。
望むのなら、
殺してさしあげるわよ、
この愚かで下等な人間がぁッ!!!
+++
目の前の夢魔の表情が劇的に変わった。
それを見てまず最初に思った事は、
「ざまあみろ。俺を、舐めるな」
―――口に出してやった感想に、
夢魔は目を猫のように細めたかと思うと、右手を天へと向けて振り上げて、そのままスナップを利かせて俺の頭を叩き潰すように殴った。
殴られて、気づいた時には、顔を屋上コンクリートに埋めていた。
じわりと割れた額と鼻腔から血が溢れ出したのを俺は知る。
既に洒落にならないぐらいに身体はズタボロだったんだ。気絶しそうなぐらいの痛みに付け加えた出血。
痛みは覚悟と気合で乗り越えられる。
だけど出血は出過ぎれば、それは身体の構造上の問題で、アウト。
つまり、もう、下手な意地を張っていられる場合じゃねー、って訳だ。
……………へっ。
いいさ、使ってやるよ。
鬼の血。
それを使ってやるさ。
「何を笑っているのかしらん、この人間がッ」
夢魔は俺の頭を鷲掴むと共に腕を上げた。
俺の顔は夢魔の顔と同じ位置になる。
割れた額から溢れ出る血が目に入っていて視界は紅。その紅のトーン調の世界の中で佇むひとりの夢魔。
怒り心頭だった夢魔の表情が毒花を咲かせるように哂った。
「頭を強く打ちすぎて、壊れた? 馬鹿な男ね。大人しくしていれば気持ち良い快楽に溺れて、下と精気を妾に、吸ってもらえたのに」
――――本当に、この夢魔、手配書の通りだ。
サキュバス。succubus。夢魔。
睡眠中の人間の夢の中に好意を寄せる異性の姿を象って現れ、性交渉をしつつ、餌とした人間の精気を吸い取る魔物。
ここ最近、東京に現れ、その欲望のままに男を捕食。
ただし、捕食された男は殺されること無く、生存ラインギリギリで精気を残されて生かされている。無論、しばらくは病院のベッドの上で点滴生活が続くだろうが。
だがまあ、夢とはいえ好きな女の姿をした夢魔と良い想いをしたのだ。それぐらいは安いものなのかもしれない。なにせ命を取られなかったのだから。
本来の夢魔ならば殺されている。
よって、手配書には必ずしも殺す必要は無しとされている。
生殺与奪の権利は夢魔と接触し、それを倒した術者に任される。
殺すか、
それとも――――
「殺すか、それとも?」
ゆっくりと小首を傾げる夢魔。
人間などに自分が倒せる訳が無い、そう思い込んでいる表情。信じきった仕草。
なるほど。奔放で、思い込みが激しい、と―――。
なかなかに厄介な女じゃん。
面倒クセェ。
「だ・か・ら、何で、笑える・の?」
そのまま俺を屋上の床コンクリートに叩きつけようとして、しかし、夢魔は後ろに飛んだ。
その顔は、驚きに満ちている。
当然だ。
ただの人間が、
ただの人間だと思い込んでいた俺が、
凄まじい妖気を放ったのだから。
「あなた、何者?」
上ずった声。
―――それに俺は初めてこの夢魔と出会い、夢魔が求め続けた快感を覚える。
今までの良い様にやられていた俺が、今、初めてこの夢魔を圧倒し始めたのだから。
感情がぐつぐつと煮えたぎってきたような熱い血にのぼせ上がっていく。
熱い血が身体を駆け巡り、
発汗機能が狂いだして、
頭が疼きだす。
頭髪が、
全身の毛が、
逆立つこの感触の後に、
身体の中で暴れていた台風が過ぎ去った後の様な、
静寂が舞い降りる。
いつもこうだ。
思わず叫び声を上げたくなるような激しい破壊衝動の後に、
俺の心の中に沈殿して残るのは、清々しいまでの闇。
「生半可な、気持ちなんかじゃねーんだよ。この血を、この闇の血に刻み付けられた鬼の遺伝子を目覚めさせて、それにこの身体を任せるのは、生半可な気持ちじゃできねーんだよ。暴れ馬に乗ってるようなそんな恐怖感と、そして笑いたくなる様な高揚感。気をつけねーと、誰彼構わずに、殺したくなる。殺して、やりたくなる。さっきからくどいほどに俺に訊いていたよな? 感じているか、ってよ。ああ、感じてるぜ。おまえと出会って初めて今、俺は興奮して、感じている。おまえを俺は、殺すぞ?」
「このおとこぉ―――――鬼?」
「ああ、鬼だ。チンケな淫乱女が鬼の闇に敵うと思うなよ?」
拳を見せ付ける様に握り締めて、
そしてその拳を振った風圧だけで夢魔を弾き飛ばす。
しかしそれは有り余る力を見せ付けてやるためだけの行為。
深い意味は、無し。
が、
身体の前で両腕を交差させてそれに耐えた夢魔は、くすくすと笑う。
「妾も今まで以上に濡れているわ。鬼の、精気なんて、滅多に無いご馳走だもの、」
―――ねぇッッッ。言い終わるが早いか夢魔の右手が俺へと向けて何かを放っている。
つまり俺を射程距離に入れている飛び道具か何か。
が、
「しゃらくさい」
鬼へと目覚めた俺の動体視力はそれを捕らえている。闇に溶け込む色を持つ鎖。
防御の為に出した左腕にそれは巻きつき、
「なるほど」
その鎖を腕力だけで断ち切る事は不可能だった。
―――鬼と化したこの俺でも。
「だが、これで繋がった訳だろうがぁ!」
腕力に任せて断ち切る事が不可能なら、
「なにぃ?」
引き寄せてしまえば良い。夢魔が踏ん張る事すら出来ないほどに全力で。
引き寄せた夢魔を斬り捨てる武器は、獄炎鬼はこの右手に握っている。
しかし、
この期に及んで夢魔が浮かべたのが、
笑みだった。
それは勝ち誇った者だけが浮かべる不敵な物だ。
そして左腕に巻きつくその鎖が鳴動した。
+++
勝った!!!
あなたが妾を圧倒し、妾の使う獄悦鎖を嘲ったその瞬間に実は勝敗は決していたのよ!!!
断ち切れない闇色の鎖。それだけだと踏んでのその行動がこの鬼の敗因。
獄悦鎖の能力は魔界製の武器ゆえの強度じゃない。巻きついた場所から精気を据えるという事。
精気を吸われればたとえ鬼であろうが、力は弱まり、
そして妾は、
「Ptolomea」
あなたから吸い取ったその精気を使い、あなたをコピーする。
たとえその力がコピーゆえに劣っているとしても、それでも精気を吸われたあなたの力の絶対量と比べれば、妾の方が総合力では上回る。
簡単な計算よ。
「これで妾の勝ちよ。終りね、鬼ぃ!!!」
腕力に任せて獄悦鎖を引いたのが悪かった。その加速力に加えて、妾は引っ張られた瞬間に屋上コンクリートも蹴っている。
二つの力のベクトルの向かう先は鬼の胸。
さらにPtolomea。それを発動すれば!!!
―――精気を吸いつつ、Ptolomeaを発動すれば、それで、―――――!!!
「―――――――あっ!」
その瞬間、さぁー、と何かが頭の中から引いた。
―――それが何であるか?
決まっている。妾はその時初めて、この目の前に居る鬼に、
―――――恐怖した。
何故なら妾のPtolomeaが発動しない、
それはこの鬼が、妾の能力が発動しないほどに力強い力を持っている、
その、証拠なのだから。
それを悟った瞬間、妾の中で何かが切れて、
そしてそれまで鬼を倒すために鬼に向かっていた加速のベクトルの全てが、
妾が鬼が右手に持つ剣に刺し貫かれるベクトルに変わった。
―――妾は、この剣に刺し貫かれる――――――――
瞼は、どうしようもないぐらいに勝手に閉じた。
+++
瞼は勝手に閉じられた、そういう表情だった。その花を握り潰した様な夢魔の顔は―――。
そして俺は、
初めてこの夢魔を見た瞬間に抱いた感情に、再度、心を震わされた。
+++
何が起こったのか、それは釈然としない、ぶぅわぁ、とした感覚の中で考えた事だった。
妾が瞼を開けると、そこには剣の切っ先があった。
その切っ先目掛けて引っ張られていた妾は、しかしその手前で、何故かこの鬼に救われていたのだ。
何故?
妾が鬼、だった男を見ると、彼は妾を見据えたまま、言った。
「ちょうど手ごろな使い魔が欲しい、そう思っていたところだ。おまえが俺の物になるというのなら、その命、救ってやる」
そう言って、鬼は、妾の眼から自分の眼を逸らした。
そして、再度、妾を睨む。
妾がくすっと口で笑ったから。
「この男、まったく妾の魅力に骨抜きにならない、そうすごく不愉快に思っていたんだけど、何だ、あなた、妾にもうメロメロじゃん? いいわ。そんなにも妾の事が欲しい、ってそう意地らしい事を言ってくれるなら、その想いに、応えてあ・げ・る♪」
妾は男の口に口付けをした。
それがまずは契約の手付金。
唇を離した途端に右手の甲で口元を拭うという可愛らしい行為をした彼に、そこで初めて妾は思い至って、
それで訊いた。
「妾はシオン。あなたは?」
「時雨八雲、だ」
それが妾、シオンと、妾の主、時雨八雲との、出逢いだった。
→closed
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