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熊クマ・食らいマックス!
恰幅のよさそうなクマが満足げに肩を揺らしながら夜道を歩く。
不釣合いとしか言いようのない濃紺のスーツ姿は、まるで残業から解放されたサラリーマンのようだ。月光が作り出すシルエットがまた、彼を温和そうな人間に見せるのだから不思議なものである。思い込みかもしれないが、きっと表情のバリエーションも多彩なのだろう。そんな気にさせてくれる。その錯覚がさっき起きた惨劇を、男ではなくオスだからこそできた衝撃の所業を忘れさせようとしていくのだった。
現実から目を背けてはならない。ここで順を追って説明しよう。
彼はれっきとした動物である。熊である。会社に勤めているわけがない。ここまでは至極当たり前のことである。ところがこのオスは家を持っている。昭和の匂いがする一軒家。安っぽい格子戸をくぐり、東京へと繰り出した。なお個人情報保護法案に基づき、彼の住所および住居・戸籍の取得に関する一切の説明は差し控えさせていただく。スーツは安物だが、サイズはピッタリ。ネクタイも着用済み。二足歩行していることなど説明するまでもない。
そんな彼はさっきまで飢えに飢えていた。今は少し落ち着いて腹3分目……といったところだろうか。さすがに冷蔵庫を開けて、マヨネーズと保冷剤しかないのには参った。計算できない動物の宿命ではあるのだが。彼はこんな時、あの苦い経験を思い出す。いつもそうだ。窮地から脱するために自分を励まして食べたあの瞬間を。ある時はダンボールにハチミツを塗りたくって腹に放り込み、またある時は『焼き物』である陶器を飲み込んだ。前者はまだおいしかった。だって医者から糖尿病になるからと止められている大好物のハチミツで食べたのだから。しかし後者は厳しかった。飲み込んだ陶器は途中で砕け、喉を傷つけたからだ。だが、なぜかおいしい味がした。おそらく人間を含む動物が持つ防御本能がケチャップに似た調味料を体内から分泌したからだろうと彼は振り返る。でもそんなことを何度も何度もやるわけにはいかない。やっぱり喉ごし爽やかなものをたくさんおいしく頂きたい。
なんとこの熊、食物連鎖の最上位に位置しながら噛むことを知らないのだ。飲むこと、それすなわち食べること。
彼は最近になって『東京』と呼ばれる街に食べ物が豊富にあることを知る。非常時にはそこへ赴こうと考えていた。そして再び窮地に追い込まれた熊は東京へ繰り出し、まずはコンビニのはしごを開始。夜中も開いてて非常に便利。明らかに食べ物でない商品は自慢の嗅覚で無視し、残りを面白いように飲んでいく。梱包や容器なんてお構いなし。店員は絶句するしかなかった。客が熊である時点で思考回路が止まったのだから、仕方がないといえば仕方がない。しかも相手は「く、食い逃げじゃないですよぉ〜。全部おいしいですよぉ〜」などとのたまうのだからたまらない。だからこの熊は幸運にも、すぐさま警察のご厄介になることはなかった。コンビニは慌てて近隣店舗に指示を下す。
『店舗にスーツ姿の熊がやってきたら、死んだフリをしてすべてを見逃せ。余計なことは一切するな!』
かくして熊の快進撃が始まった。このオスは少し歩いただけで満腹中枢が狂うので、また同じ量を食べてしまう。ところがコンビニはそこら中にあるので、道中での飢えに関して悩む必要がない。まさに東京はパラダイスだった。
怪獣映画ばりの侵攻を行う熊の通り道に、不運にもあやかし荘が存在した。何の気まぐれか、それとも運命か、座敷わらしの嬉璃が恵美に「わしは小腹が空いたのぢゃ」と煎餅をねだった。彼女も風呂場のコンディショナーが切れているのを思い出し、いそいそと近くのコンビニへと赴いたのである。ところが、そこにコンディショナーはあっても煎餅はなかった。そしてなぜか店員はずっと死んだフリをしていた。そのまま出るわけにもいかず、恵美は店員の肩をやさしく叩き、レジの操作をお願いした。思わず勤労青年は叫ぶ。
「うわぁ! な、何するんですか! ま、まだその辺に熊がいるでしょ?!」
「く、熊……? 店員さん、もしかして食料品がきれいさっぱりなくなってるのってまさか……」
「こ、梱包ごと食ってくスーツ姿の熊が、そっ、その辺のコンビニを壊滅させてるんです! はい、598円です」
事情を説明していても商売はちゃんとするのがその道のプロ。手も震え、目も泳いでいるが、プライドは捨てない。恵美はどうしてもその話がウソに聞こえなかった。いくらコンビニでも店の半分がすっからかんになることはない。小首を傾げながら会計を済ませ、店を出た彼女は帰るべき場所へと歩を進めた。どうやって嬉璃をなだめるか……こんな非現実的な事件を説明しても、彼女が納得するわけがない。そうなると他の部屋に行って騒ぎを起こすかも。恵美は思わずため息を漏らした。また騒動かぁ……そう思っていた。不思議と荷物も足取りもどんどん重くなる。
案の定、あやかし荘に戻ると騒ぎが起きていた。そう、起きる前に起きていたのである。恵美はあり得ない画に驚き、派手に袋を廊下に落とした。話に出てきた熊は食休みにここに逗留し、手頃なおやつに嬉璃を食そうとしていたのである! このオスが食い物を手にした時のパワーは尋常ではなく、嬉璃は身動きひとつ取れない!
「わ、わ、わ、わしは食い物ではないんぢゃぞ! め、恵美、この熊をなんとかするのぢゃ!」
「ボクの口に入るものはねぇ〜、食べ物なのぉ〜。あーーーーーん」
「く、口に入るも……あ、あーっ! お、大人に、大人の姿になればいいのよ! 早く早くっ!!」
ボワァァァァ〜〜〜ン!!
嬉璃がやむを得ず大人の姿になると、熊は急につかんでいた手を離す。
「あれぇ? 急に食べ物じゃなくなったぁ……じゃあ、このまま食休みだぁ。ごろりんっとぉ……」
「か、間一髪ぢゃった。しかし……困ったもんぢゃ。このまま居座るとはナンセンスぢゃ!」
「確かにね。で、でもさ、その辺のお店で派手にちゃんとした食べ物を食べたらしいのよ。となると……」
「ほほぅ……すでにそれなりの騒ぎにはなっとると言いたいんぢゃな?」
「うん。誰かは何とかしてくれると思うんだけど……動き出さないでくれればの話なんだけどね」
ある意味、物の怪よりも厄介な熊の登場で眠れないあやかし荘の長い夜が幕を開けた。
「くま君どこだー! 勝負しろー!」
さっそく賑やかしのご登場だ。金色の瞳をした少年はあやかし荘に踏み込むなり、いかにも怪しげな食品名をいちいち叫ぶ。『ジャムおかか梅クリームおにぎり』だの、『味噌バターヨーグルトドリンク』だの、さすがの嬉璃もネーミングを聞いただけで顔を青くした。この連呼でよだれを垂らすのは目前の熊以外にいない。ようやく犯人を見つけた少年はお部屋でくつろいでいる風に見える女性にまずは自己紹介。刹利と名乗った彼はどこにあるのかもはっきりしない熊の首根っこをつかんで、期間区域限定商品を食い漁ったことをむやみやたらと責めた。
ふと恵美は半月前にそんな内容のチラシを見た覚えがある。首都圏限定で2週間だけの販売。おそらく売り上げの推移を見て全国展開するかどうかを決めるために作った商品なのだろう。彼女はそれを口にしなかった。当たり前だ。何のブームにも乗ってない食材を混ぜ合わせたものなんか、普通の人は食べる気にはならない。せいぜい話のネタに一度だけ買う程度の、いわゆる『一発もの』と呼ばれる商品である。
ところが刹利は珍妙で不可思議な味にハマってしまい、期間中は毎日のようにご購入していた。馴染みのコンビニもバカではないので絶対に在庫を切らさないようにし、もし売り切れそうなら物を隠して刹利が来店した際に渡していたほどである。なんと今日は販売最終日。彼が文句を言うのも当然なのだ。
「この、この太鼓腹の中に……ボクの、ボクのジャムおかか梅クリームおにぎりと味噌バターヨーグルトドリンクが容器ごと入ってるんだぁ……噛みもせずに飲み込んだんだね。ボクのジャムおかか梅クリームおにぎりと味噌バターヨーグル」
「うう……おぬし、少し黙るのぢゃ!」
「き、気持ち悪いし、一度も噛まずにあんな長い商品名が言えるんだ……」
「おかしいよねぇ〜。この人。ふふふぅ〜〜〜」
どさくさに紛れて何をおっしゃる熊さん。事の発端はあなたであって、乱入してきた刹利ではないのよ……危険と隣り合わせだが、女性陣はまだまだ冷静だ。
ところが賑やかしはここでさらなる騒動を巻き起こす。なんでも熊と食べ物争奪戦を繰り広げたいというのだ。ルールは簡単。あやかし荘の外にちりばめられた食べ物を探し当て、それをちゃんと食べること。食べ物を隠すのは恵美にお願いし、公平を喫する。食べ物はラップにくるまれており、これの枚数が食べた証拠になるのだ。つまり丸呑みしたらカウントされない……そう、実は最初から刹利というか人間有利のルールになっていたりする。そんなことも知らずに熊は対戦を受諾した。だって食べられるんだもん。勝負はともかくとして、食べれればそれでいい。
「やろう、やろう〜」
「野生の嗅覚はくま君の方が上だ。だけどちゃーんと勝つ手段は考えてあるもんね。食べ物の恨みが怖いことを教えてあげるよ!」
「数が足りないのはやだなぁ〜。いっぱい隠してほしいなぁ〜」
この勝負で熊が負ければ……いったいどうなるのか。嬉璃は首を傾げながら状況を見守る。そして恵美が準備を終えて部屋に帰ってくると、「スタートなのぢゃ!」と勢いで言った。のっそり動き出す熊とは対照的に、刹利は黒猫のようにすばやく夜の闇に消えていく。それに動揺のかけらも見せぬまま、熊は我が道をのっしのっしとネクタイを揺らしながら歩く。ところが刹利は途中で方向転換し、熊の行き先を推測してあっさりと方向転換。そしてあやかし荘の外に隠された食べ物を必死で探す。薄暗い街灯でわずかに光るラップ……彼の瞳はそれを逃さない。さっと片方の手袋を外し、その手でラップに触れると、わざと見つけやすいところに置いて次のターゲットを狙う。どうやら熊の先回りをして食い散らかす作戦ではないらしい。意図は別にあるようだ。
そうこうしているうちに熊がその場所にやってきた。ここの管理人なる人物は本当にやさしい。彼は心からそう思った。木の幹のように太い腕では細いところに食べ物があっても手が届かない。しかしこの勝負ではそういうハンデなど一切ない。ありがたやありがたや……と思いつつ、ラップを破ろうとしたその時だった。ラップがえらく厳重に巻かれている。さっきコンビニで飲んだものとは比較にならないほどの強度を誇っている。これはクマった、いや困った。ラップは食べた証拠として残さなければならない。しかしこれを剥がすのには相当な力が要求される。お腹が空いてしまうのだ。
これが刹利の必勝パターンだ。実はラップの特性ともいえる伸縮性と強度を過剰強化したのである。これでは並みの力では開けられない。いくら難しいところに隠しても熊はすぐに見つけてしまうし、刹利が行く先々のものを食べても熊は匂いでよそに行ってしまう。条件が五分なら絶対に負けてしまうのは火を見るより明らか。だからこそこんな手の込んだ作戦を実行したのである。案の定、熊はラップに悪戦苦闘していた。鼻息がどんどん荒くなっていき、苛立ちが最大にまで達しようとしていたその時……刹利ではない別の少年が現れる。彼は小脇にコンビニの制服を抱えていた。被害店舗の従業員だろうか。ともかく彼は鼻息荒い彼を見て、大きくため息をついた。
「いやがったな、熊公。警報が出たから見回りしてみりゃ、ずいぶん馴染み深いところに入り込みやがって!」
「あ。さっきはどうも。出前なら結構ですよ、こちらから伺いますから〜」
「るせぇ! 黙ってそのラップでもほじってろ! さてやっぱ餅は餅屋、熊には金太郎だな……降臨っ!」
若干17歳としては有能にして有名な降霊師・不動修羅の登場は熊の満腹中枢よりもクマゲノムにいささかの衝撃を与えた。彼が降臨したのは熊と因縁浅からぬ存在『坂田金時』なる人物である!
『俺の参上に、お前が泣いた! 足柄山の稽古と相撲の本能を思い出せ!』
「あ、ラップごと食べちゃった。でもいいや、喉越しいいし」
『だから人の話を聞けって! 行くぞ! エッフェルヒールキッ……じゃなかった、踵落としだぁ!』
ぐわっしゃあぁぁーーーっ!
「い、痛いじゃないですか。乱暴しないでくださいよぉ〜。お腹が空くじゃないですか。ね、コンビニの店員さん」
『並みの熊なら泣きじゃくって帰るところを痛がるだけとは……この際だ、お前は野生に戻れ! てりゃあぁぁぁっ!』
もうここまで来ると坂田金時だか不動修羅だかわからなくなってきた。武術の達人と格闘技ファンの意識は完全に同調し、すべての技名を無理やり和名変換しながら何度も何度も熊公を投げ飛ばす。ところが不屈の食欲はそんなものでは収まらない。殴られつつも投げられつつも、匂いのあるところに転がるように計算して距離を縮めるという離れ業をやってのける。これには修羅も呆れるばかり。もうこれしかないと繰り出したのが、体格差と関係のない関節技。アキレス腱固……いや足首極めで相手を動けなくしたはいいが、反応を見る限りマッサージ程度にしか聞いていない。
「あー、もうちょっと左に曲げてもらえると助かりますぅ〜」
『俺は降霊師であって、整体師じゃねぇ! いい加減にしろ!』
「ふっふっふ、くま君……ボクはほとんどの食べ物を平らげ、って何これ?!」
「あれぇ、勝負でしたっけ? マッサージでしたっけ? なんでしたっけ?」
『お前はもうしゃべんな! とにかくいろんな意味で負けろ!』
予想外の事件に呆然とする刹利。これではいったい何のために勝負をしたのか……彼の苦労は水泡に帰した。もちろん修羅のやっていることも徒労に終わるだろう。もはや何がなんだか訳がわからなくなったところでいい頃合と踏んだのか恵美が様子を見に来た。すると理解不能な状況が目の前に広がっているではないか。その直後、恵美からどでかい雷が落とされることとなる。
「みんな何やってるんですかぁっ!!」
「「「は、はいぃぃっ?!」」」
全員揃ってその場に正座させられ、適度にお灸を据えられたところで管理人室に連行。そこで嬉璃も交えてのお説教が始まった。中にはふたりの男女が控えている。この依頼をとあるコネで引き受けていた草間興信所の秘書・シュラインと、ダイエット解禁で札束を握り締めてコンビニに駆け込んだところに騒動に巻き込まれた彼瀬蔵人だ。彼らは非常に建設的な意見の持ち主で、なんとか熊には穏便にお帰り願おうと胸に策を秘めてやってきた。それに比べ、実はなーんにも考えてなかったバカ少年ふたりは嬉璃からネチネチした嫌味を延々と聞かされる始末。刹利の勝負はどっちに転んでも自己満足で終わるだけ。修羅にいたってはただただ相撲と称した総合格闘技をして暴れてただけ。修羅の横槍が入らずとも、嬉璃の心配どおりにしかならなかったという悲しい結末だったのだ。
そろそろふたりと一匹の脚も崩れてくる頃に、シュラインから大量のダンボールが小さな部屋に持ち込まれた。中身は食べ物……ではない。シュレッダーにかけられた書類、広い庭の草刈で出た雑草、木屑や包装紙とありとあらゆる廃材が登場した。
「これは……なんぢゃ?」
「俗に言う『産業廃棄物』なんでしょうけど、こういうのってリサイクルに向かないのよね。実はさっきこっそりね、お説教の最中に熊さんが食べ物を拾ったって場所に行ったの。そしたらラップごと食べたっていうとこの土がかなりえぐれてたわ。爪が長いにしても、あれはおかしいって思ったの。熊さん、もしかしてあなた重度の過食症なんじゃない?」
「シュ、シュラインさん、それはもう誰の目にも明らか……」
「ま、人間と違うものさしで計るんだから蔵人さんの言いたいこともわかるわ。でも哺乳類だから知能は高いし、だいたいスーツのボタンまでする熊さんがそんな大雑把なことするかしら?」
一同は「あっ」と声を上げた。的を射た分析に誰もが舌を巻く。
「誰が何と言おうと熊さんは過食症なの。それに飢えが重なってこんなことしでかしたのね……と、ここからが本題なんだけど」
「あれ? なんでこのダンボールにだけ調味料とか入ってるの?」
脚が痺れそうだったので作業を手伝った刹利がひとつだけおかしな箱を見つけた。そうめんのつゆにカロリーオフのマヨネーズ、そして大型の食器がどっさり詰まっている。修羅はそれを聞いて「まさか」と思ったが、そのまさかをするつもりらしい。
「で、結論としてね。人間としては食べてもらった方が喜ばれるものを用意したの。繊維質も緑もたっぷりあるでしょ。だからサラダっぽく雑草を食べたり、シュレッダーにかけられた書類はそうめんのように食べたり。木屑はちょっとだけハチミツを混ぜて丸めれば、立派なフルコースになるわ。食べても太る要素は限りなく少ないし、これならコンビニを襲う必要はないと思うわ」
「あとは僕が噛んで食べることを人間の食材を使ってレクチャーします。その準備はちゃんとしてありますから大丈夫。じゃシュラインさんと恵美さんはこのデ……いや恰幅のいい方のお食事を作ってあげてください」
「いやいや、用意してあるのならできてるものから食べますよぉ、おごっ!」
顔だけ冷静を保っていた蔵人だが、騒動に巻き込まれた恨みは相当あるようだ。デ……いや熊が余計なことを言おうとすると、爽やかな笑顔から喉輪を極めて「今から用意しますから」と静かに語りかける。さすがの刹利も修羅も自分の怒りを忘れるほどだった。蔵人はまさかこの後、自分の身に不幸が降りかかろうとは思ってもいない。
熊さん用ヘルシー……というか熊さん専用のお食事がずらっと並んだ。遠めに見れば人間の食事とほとんど差異はないが、近くで見るとビジュアルがかなり厳しい。少年たちには目に毒だ。教師役の蔵人は人間メニューのサラダを丁寧な箸さばきで一口食べる。それに倣って、熊は両手でサラダにつかみかかる。
「箸を使いましょうね?」
「そんなの使ってたら食べちゃいますもの、普段は〜。両手を使えばね、なんと一気に5倍もつかめ」
「使・い・ま・し・ょ・う・ね・!」
シュラインは経過を見ているだけで頭が痛くなった。今回の事件はなるべくしてなったことだ。食事の最中にうかつにも箸まで食べてしまうようでは過食症になっても仕方がない。恵美や嬉璃と一緒にガックリと肩を落とした。
しぶしぶ箸は使い始めたものの、やっぱり熊はそのまま食べてしまいそうになってしまう。ところが場の雰囲気をつかんだ刹利や修羅が、お手本を見せる蔵人ばかりを気遣わすのもどうかと監視を始めたのだ。さらに女性陣の視線もかなり厳しい。熊はなんとか箸で分量を調整するようにはなったが、衆人環視の緊張感からかどうしても噛まずに飲み込んでしまう。その時は師匠が噛んで食べる姿を見せて、少しでも意識を高めようと努力する。そのうち熊は口に入れたものをぎこちなく二度ほど噛んで飲み込むようになった。その姿を見て、周囲もほっとため息を漏らす。
一度に食べる分量は減ったせいか、いつもの食事時間を越えると満腹中枢が満たされてきたらしい。それでもここに来るまで1時間弱かかっている。その間、蔵人は熊と一緒に食べ続けていたのだ。ここに来るまで誰も気にしてなかったが、今度は彼を心配しなければならなくなった。そのうち痛い視線が次第に蔵人へと注がれ始める。しかし当の本人はまったく気にする様子がない。相手が食べ終わるまで一緒に食事に付き合うつもりだ。
「ボク、蔵人さんが気になってるんだけど……」
「お前よ。そんなに食って大丈夫なのか? なんかさっきより一回りデカくなってるような気がするんだけど」
「ああ、気にしないで下さい。今日になってようやくお母さんの強制ダイエットから解放されましてね。コンビニを食い尽くさん勢いで食べようと思ってたんですよ。あっはっは!」
熊の更生に心を鬼にしているのかと思いきや、実はただ好青年を気取っていただけで黙って目的を遂行していた蔵人。これにはさすがに熊までも刺すような視線を送る。そして恵美がロープをどこからか取り出し、それをシュラインに渡した。それは刹利から修羅へと巧みにリレーされ、再び坂田金時を降霊して食事に目が行った間隙を突いて一気に襲いかかる!
『俺の参上にお前が泣き叫んだ! 刹利、早くふんじばれ!』
「今度はキミが強制ダイエットだ! この! このーっ!」
「え、え、え! な、なんで! 今までこんなに協力してきたのにーーーっ?!」
『うるせぇ、もう食うな! お前は食うなーーーっ!』
熊は人間の醜い姿を見てすっかり食欲が冷めてしまったのか、シュラインに向かって「今度からはこうして食事すればいいんですね」と納得の返事をしてくれた。この言葉を引き出した時点で事件は解決だ。確かに解決している。だけど腑に落ちない。これで終わっていいのかわからない。困惑のシュラインに向かって、嬉璃が吐き捨てた。
「これでいいんぢゃ。あの大男のことはなるようにしかならん!」
「それでもいいんですけど……第2の熊になりかねなかったことを考えるとね。うーーーん」
事件は新たなる火種を残して幕を閉じた。まったくもって後味の悪い終わり方である。あやかし荘の夜明けはもう近い。
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■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
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【整理番号/ PC名 /性別/ 年齢 / 職業】
5307/施祇・刹利 /男性/18歳/過剰付与師
0086/シュライン・エマ /女性/26歳/翻訳家&幽霊作家+草間興信所事務員
2592/不動・修羅 /男性/17歳/神聖都学園高等部2年生 降霊師
4321/彼瀬・蔵人 /男性/28歳/合気道家 死神
(※登場人物の各種紹介は、受注の順番に掲載させて頂いております。)
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■ ライター通信 ■
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皆さんこんばんわ、市川 智彦です。納品までにお時間を頂き、本当に申し訳ありません。
今回はなんと初めて「あやかし荘」からのリリースとなりました!
こんなに書いてて恵美と嬉璃を出したことなかったんですね……驚きました。
それはそうと、この熊。モデルになった方がいらっしゃいます。ある意味で実在の方です。
名言がたくさんありましたが、物語中でもそれをいくつか織り交ぜております。
だからキャラクターさんが5人いるような感じでシナリオを書かせていただきました。
市川作品としては珍しい大オチがついた作品です。ぜひお楽しみ下さいませ!
また通常依頼やシチュノベ、特撮ヒーロー系やご近所異界などでお会いしましょう!
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