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<東京怪談ノベル(シングル)>


Angel Face

「『蒼月亭でのんびりしてます』……っと」
 携帯の画面に携帯に映し出される文字。それを操る細く形の良い指。
 打ったメールが送信されたことを確認したシュライン・エマは、パチンと音を立てて携帯を閉じた後、蒼月亭に向かっていた。
 今日はデートの予定だったのだが、相手の仕事が長引いて待ち合わせ時間に来られなくなったというメールがあった。そのメールを見てシュラインは、待ち合わせを蒼月亭に変更したのだ。あそこなら、もし本当に約束が駄目になったとしてもカクテルなどを飲みながら、マスターのナイトホークとの会話を楽しめる。
 今更少しぐらいの変更で、どうこう言う仲ではない。むしろ駄目になったら次の埋め合わせを期待……と言えるぐらい、気を許している。
 大通りから一本中に入ると見える、蔦の絡んだビルと古い木の看板。そのドアを開けると、いつもの聞き慣れた挨拶がシュラインにかけられた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 まだ夜が更けていないせいなのか、店の中にはナイトホークしかいなかった。のんびりと煙草を吸っているナイトホークの前に座り、シュラインは微笑みながら挨拶をする。
「こんばんは、ナっちゃん王子さん」
「どうも、シュラインさん。今日は一人?」
「待ち合わせなの。ここなら、一人で待ってても退屈しないから」
 その言葉を聞きナイトホークは目を細め、カクテルグラスに入った豆のサラダを差し出した。ここでは夜にはこうやって、小さなつまみが先に出される。それが楽しみの一つだ。
「何飲む?」
「そうね……一杯目は水分補給に『ファジーネーブル』にしようかしら」
「かしこまりました」
 ピーチリキュールとオレンジジュースで出来る簡単なカクテル。ゴブレットに大きめの氷を入れ、カクテルを作っているナイトホークを見て、シュラインは何故かくすっと笑った。
「どうしたの?シュラインさん」
「ううん、この前差し向かいでもんじゃ焼き食べた時とのギャップが、ちょっとね」
 少し前、蒼月亭の定休日の日曜に、シュラインは偶然ナイトホークと会って、一緒にもんじゃ焼きを食べたことがある。その時は「休みの日は仕事しない」とナイトホークが言う通り、砕けた感じで一緒にもんじゃ焼きを食べていたし、何だかのんびりとしていた。
 だが、やはりカウンター内にいると違う。自然に背筋が伸びるのか、動作の一つ一つに無駄がないだけでなく綺麗だ。
 ギャップと言われた当の本人は、苦笑しながらコースターをそっと置く。
「店の中はやっぱ違うね。特にカウンターの中にいると、いくら飲んでてもほとんど酔わないし。はい、お待たせいたしました。『ファジーネーブル』です」
「ありがとう。でも、意外な一面が見られて、ちょっと嬉しかったわ」
 フルーティーな香りのするカクテルを手に取り、更に悪戯っぽく笑うと、灰皿に置いてあった煙草を手に取り、ナイトホークが苦笑する。
「日曜日はちょっとなー。別に店やっててもいいんだけど、やっぱり一日ぐらいは休み取らないと……っても、引きこもりだし仕事しないしで、休みの日はあんな感じ」
「そうそう、ちゃんと休まないとね」
 そう言って二人でクスクスと笑う。
 やっぱり待ち合わせ場所を変更して良かった。楽しく話をして、美味しいカクテルを飲みながら時間を過ごせる。時間を持て余したあげく、時計とにらめっこということもない。
「ナっちゃん王子さんって、ずいぶん昔から『蒼月亭』ってお店やってるのよね」
「そうだよ。場所は変えても店の名前は変えない。こだわりみたいなもんかな」
 その話は一度シュラインもしたことがある。十年ぐらい事に転々と場所を変えるバー。その噂の話をした時、ナイトホークは「店をやってるのは、半ば趣味みたいなもの」と言った。だが、その他にもきっと理由があるのだろう、そうシュラインは思う。
「こういうお店だと、時々困ったお客さんとか来ない?」
 少し突っ込んだ質問をすると、一瞬だけ目を丸くしたナイトホークが、またいつもの人懐っこい笑みに変わった。
「んー、あんまりそういうのはないね。はしゃぎすぎて酒に飲まれたりする人もたまにはいるけど、それひっくるめて好きでやってるからな。その時はうわーって思うけど、そのうち忘れる。引きずってると客商売やってらんないしね」
 好きでやっている。
 カクテルに目を落としながら、シュラインが笑う。
 お酒を出す店だから、詳しくは言わなくても色々面倒事はあるのだろう。それを含めて好きでやっている……それはきっと、趣味以外に理由があるわけで。
「ナっちゃん王子さん、人好きなのよね……きっと」
「それはそうかも。無駄に長生きしてるから、山ん中とかで隠居することも出来たんだろうけど、結局寂しくなって戻ってきてるんだよな。店転々としてるのも、何とかして東京にしがみついてたいって悪あがき」
 東京にしがみついていたい。
 それほどまで、ナイトホークは人間が好きなのだろう。片隅で店をやりつつ、東京の移り変わりや人の移り変わりを見つめていきながら、人と寄り添って生きていく。
「羨ましいわ……」
 一つ呟き、カクテルを一口。そして小さく溜息。
 表だって言ったことはないが、シュラインは心の奥底で、実は人をあまり信用できないと思っている。時折その付き合いが疎ましく、何を考えているのか分からなくて怖いと思うことさえある。
 それは幼い頃からずっと引きずってるものだ。
 今でもはっきりと思い出せる。
 子供の頃、陰でこっそり言われた言葉。もういつの頃なのか、どんな理由かすらも忘れているのに、その言葉だけは今でも耳にはっきりと残っている。
『シュラインちゃんには内緒で、今度皆で遊ぼうね』
 何が内緒だったのか。
 自分が何故仲間はずれにされたのか。
 普段は仲が良かったはずだった。学校に行く時も一緒だったし、普通に遊んで喋って、いじめられているわけでもなく、本当に普通に日々を過ごしていた。
 あの後も何もなかったかのように、話していたはずだ。
 多分……今なら勇気を出してぶん殴り、笑い飛ばして終わる程度の話なのだろう。でもその時に出来た幼い頃の傷は未だに燻り続け、今でも人前では微笑みながら警戒してる。
 笑っていればいい。
 笑顔はプロテクターだ。それで程よい距離を作り、必要以上に相手を近寄らせない……だから、人が好きだと言えるナイトホークが、少し羨ましくもある。
 他に客がいないので静かに語るシュラインの言葉を、ナイトホークは煙草をくわえながら聞いている。
「なるほどね。でも、俺も人好きって言えるようになったのは割と最近かな。昔は人間不信で酷かったし」
 それはきっと、ナイトホークの過去に起因するものなのだろう。それについてはシュラインも少しだけ知っている。自分の力で対処できないと思うと、キレて何をやっているか分からなくなるとか、鳥の名前を持つ者達との関係とか。
 本当は、誰も頼らずに一人で生きていければ、こんなに燻り続けることもなかったのだろう。だがシュラインには、それができなかった。
 信用できない。疎ましくて怖い。
 だけど近くにいたい。
 自分の警戒心を取っ掛かりにして、相手の嘘でないものを必死に探しだそうとする。
 そうやって見つかった心の内が綺麗でもどす黒くても関係なく、その一端でも触れられると安心し、歩み寄れる。ナイトホークにこんな事を話しているのも、その心の端を見せてくれたからだろう。
 過去のことや、体質のこと。それを知っているからこそ、安心して弱みを見せられる……。
「まるで野生動物みたいよね」
 シュラインはそう言ってくすっと笑う。心を開かないと心を許さないなんて、人を信用しない獣のようだ。
 するとナイトホークもグラスを出し、そこに真紅のリキュールを注いだ。
「いや、一度嫌な目に遭うとなかなか信用できないもんだよ。何処かで『裏切られたら』って思うと、足もすくむし。俺も人好きって言ってるけど、もしかしたらそれは単に外面よく見せたいってだけで、心の中には人に懐かないもの飼ってるかも知れないし」
「私も同じかも知れないわ。笑顔でいれば隙を見せてくれるって……でも、だからこそ、人柄が出る手作りの物を見るのが好きなのかも」
 物は嘘をつかない。
 それがカクテルであれ、別の物であれ、作った者の人柄がにじみ出る。コーヒー一杯入れるにしても、入れている者が機械でなければ微かな違いは出る。
 だからシュラインは、アンティークの小物や、職人が作った手仕事が見える物が好きだ。そして自分で折り紙を折ったり、果実酒を作ったりするのも。
 何かを作っている間は、余計なことを考えずに済む。
 人付き合いが怖いとか、そういう感情に振り回されずに物と向かい合うことが出来る。
 そうやって自分が作った物を見て、誰かが何かを読み取ってくれればいい。ただ美味しいとか、そういうのでも構わない。その中に、笑顔で隠しているその仮面の下を、ちゃんと読み取る人がいるだろうから。
 カラカラ……と、シュラインは少なくなったグラスを鳴らした。大きな氷がゴブレットの中で涼しげな音を立てる。大きな氷を入れるのは、氷が溶けてカクテルが薄まらないようにという心遣いだ。こんな所からでも、人柄を伺うことは出来る。
「シュラインさんは、どういう人だと安心する?」
「んー……口の上手さより、背中で語るって人とかかしら」
「それって、待ち人のこと?」
 悪戯っぽく笑うナイトホークに、シュラインが赤くなる。
 確かにそうかも知れない。口は上手くないけど、自分が寂しいと思った時にそっと隣にいてくれる人。甘い言葉は囁いてくれないけれど、シュラインが危険な時には黙って前に立って守ってくれる人。
 最初からそんな関係だったわけではない。
 長く水をやらないまま、踏み固めてしまった土は水をやっても弾いてしまう。そこに根気よく水を与え続けるように、少しずつじんわりと、しっかり深く染みこんでいったような感じの付き合い。だから今はこうやって待っていても不安ではないし、信じていられる。
 ナイトホークに見透かされてしまったのが、ちょっと悔しくて恥ずかしくて。でも、嫌な気分ではなくて。
 笑いながら煙草を吸おうとしているナイトホークに、今度はシュラインが悪戯っぽく笑う。
「ナっちゃん王子さんにも、そういう人いる?」
「なっ……」
 少しむせそうになりながら、いきなり慌てるナイトホークにシュラインは安心した。
 いないなら、こんなに慌てない。きっと店を離れた場所で、安心して素の姿を見せられる相手がナイトホークにもちゃんといる。
 多分自分が全てを見せていないように、ナイトホークにもまだまだ隠された過去や何かがあるのだろう。でもそれは、いきなり知っても多分理解できないことだ。時間を掛けて、少しずつ知っていき、何か困ったことがあれば手を差し伸べる。
 水が大地に染みるように。
 その大地が緑で覆われるように。
 少しずつ知っていけば、それできっと大丈夫だ。
「……その辺はノーコメントでもいい?」
「そんな事言うと、肯定の意味に受け取っちゃうわよ」
「それでもいいからノーコメで。思い切り地雷踏み抜いた感じがする……つか、俺大抵こうやって、地雷原踏み抜きながら突っ走るわ」
 あまり苛めると、今度はまた自分の所に話題が返ってきそうだ。残ったカクテルを飲み干すと、それに合わせてナイトホークがシェーカーを用意し始める。
「次の一杯は俺の奢りでどう?口当たりのいいショートカクテルなんだけど」
「ナっちゃん王子さんにお任せするわ」
「かしこまりました」
 恥ずかしそうに笑っていた背中がぴっと伸び、手際よくカクテルを作り始める。カクテルグラスは氷で冷やし、シェーカーにも大きな氷。そこにメジャーカップで量られた酒が入れられ、リズム良く混ぜ合わされる。
「やっぱり、ナっちゃん王子さんがカクテルとか、コーヒー入れるの見てるの好きかもしれないわ」
 言葉ではない所から見えるもの。
 目を細めながらそれを見つめていると、薄黄色のカクテルがシュラインの前に出された。
「お待たせいたしました『エンジェル・フェイス』です。色々理由があるのかも知れないけど、シュラインさんが笑ってるとやっぱり安心するからさ……って、やっぱ上手く言えねぇー、何年客商売やってるんだ、俺」
 恥ずかしそうに口元を押さえ目を逸らすナイトホークに、シュラインはにこっと頬笑んだ。カクテルのように「天使の顔」とはいかないけれど、それでも安心してくれると言ってくれる人がいる。ナイトホークは上手く言えないと言っているけれど、カクテルを飲めばその気持ちは充分伝わってきて。
「美味しいわ。ありがとう、ナっちゃん王子さん」
「どういたしまして」
 ジンベースの口当たりの良いカクテルが、口の中に広がる。
 多分急に人を好きになることは難しいだろう。これからも時折胸の奥に燻る痛みを思いだし、人が怖いと思いながらも、笑顔を見せながらそのうち気を許せる相手が増えていく。不器用かも知れないけれど、それでいい。
 そうやってカクテルを飲んでいると、ナイトホークがカウンターの中でふいと顔を上げる。
「シュラインさん、待ち人来たみたいだよ」
 その瞬間ドアベルが鳴り、見慣れたシルエットの人物が片手を上げて入ってきた。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」

fin

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
以前のシチュノベでナイトホークの話を聞いたので、今度は意外なシュラインさんの一面をとのことで、このような話を作らせていただきました。
いつも人当たり良い笑顔の下に、そっと隠されている小さくて深い棘というような感じですが、それを受け入れて理解してくれる人がシュラインさんの回りにはたくさんいそうです。その一面を書かせていただいて、嬉しかったです。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。