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<東京怪談ノベル(シングル)>


むかし、むかし

 自分の上に影がある。
 明るい場所にいる限り、いつでも何処でもついてくる影。
 …何だか頼もしい相棒だと思う。

 座っていると見下ろしていてくれる。
 強い陽射しから俺を覆い隠してくれる。

 そして――自分で、動かせる。
 …自分の、翼。
 そう、結局これ、自分なんだよなぁ、と思う。

 自覚すると、それだけで――何か、堪らなくなる。
 なんでだろうと、思う。
 何がどう堪らないんだろう。



 …気がついたら、ひとりだった。
 それより前の記憶はない。
 翼の仕舞い方も知らなくて、その翼が作る影が――自分じゃないような気さえしていた。なんだか自分についてきてくれる一緒にいてくれる、何か別のいきものなんじゃないか、なんて思ってた。
 でもそれは、どうしたって自分でしかなくて。
 自分じゃない何かだなんて事はなくって。
 意志も何もなくって。
 話しかけても答えなんか当然返ってこなくって。
 つまらなかった。
 だってだれもいないから、だれも何も聞いてくれない。
 だれも何も話してくれない。

 話しかけたら答えが返ってくる相手が欲しいなぁ、と思う。
 …だれか、いないかな、と思った。



 何かが――だれかがいる気配に、気づく。
 木々が繁っている山の中じゃなくて、その木々が途切れたその先だけど。
 そこに、いる。
 行ってみたいと思った。
 だから。
 まずは近くまで――境になる里山辺りまで行って、そこからこっそり様子を見てみた。
 いた。

 俺の背中に生えている一対の黒い翼――これがない人なら、人里にたくさんいた。
 この翼以外なら、何も自分と変わらない見た目のひとたち。
 飛び上がりたくなるくらい嬉しかった。

 …話しかけてみたいと思った。
 仲良くできたらなって、思った。

 何か、返事が返ってくるかもしれないって。
 期待した。



 だから。
 人里に降りてみた。
 話しかけてみた。

 そうしたら。
 目を見開かれて驚かれた。
 その驚いた目の中にあったのは、恐ろしい怖いものを見る光。
 悲鳴を上げられた。
 …すぐに、逃げられてしまった。

 何でと。
 待ってと。
 追いかけた。
 …追いかけた先に、他のひとがいた。
 そのひとたちも、今のひとと同じ目をしてこちらを見た。

 …それだけじゃ、なくて。
 持っていた鋤とか鍬を振り上げ、怖いかおして追いかけてきた。
 そんな武器になるものを持ってないひとからは、道端の小石を拾って投げつけられた。
 驚いた。
 怖かった。

 …とてもとても、怖かった。



 慌てて山に戻る。
 怖くて怖くていつも眠るその場所で、まるくなってがたがた震えて怯えてた。
 もう追ってきてないよねって、何度も何度もうしろを確認した。それでも全然安心できなくて。
 何がなんだか全然わからなかった。

 何であんなに怖いかおをして俺を見るんだろう。
 何で追いかけてくるんだろう。
 何で石を投げてくるんだろう。
 …当たったら、痛いのに。

 俺は話がしたかった、だけなのに。

 何か、いけなかったのかな。
 何か俺の方が、話しかけるやり方、間違えちゃったのかもしれない。
 何も、あのひとたちの事知らないし。
 何か、驚かせちゃったのかもしれない。
 …やり方を変えれば大丈夫かも。

 そう思って、色々考えて、声のかけ方とかも変えて――何度か人里に降りてみた。
 みた、けれど。



 同じだった。
 怖がられた。
 …怖かった。

 駄目だった。

 結局。
 何度やってみてもおんなじだから。
 …仲良くなるのは、諦めた。
 諦めた、けど。

 それでも。

 …だれかからの返事が欲しかった。
 話がしたかった。
 相手をして欲しかった。
 このままだと、声の出し方すら忘れそうで。
 やっぱり、何か――堪らなくて。
 痛くて。
 痛くて。
 何が。
 わからない。
 でも、なりふり構わず何かにすがりついて泣きじゃくりたくなるような。
 そんな、きゅうっと締めつけられるような痛みが胸にあって。

 人里に降りてみてから、それまでよりずっと――そんな痛みは強くなってた。
 人里には、だれかがいる、ってわかっちゃったからかもしれない。
 俺は、ぽつんとひとりだけでいるのに。
 あのひとたちとは仲良くなれないのに。
 なのに。
 また、人里に行きたいと思った。
 里山で、だれかの笑ったかおを見てしまったから。
 だれかがだれかと仲良さそうに話しているのを見てしまったから。
 じゃれあってる子供の姿を、見てしまったから。
 …だれか相手がいれば、あんなことができるんだって、知ってしまったから。

 痛くて痛くて堪らなかった。
 …だから。



 …俺はやっぱり、人里に降りていた。
 ずっとずっとひとりでいるより、やっぱりだれかといたかったから。
 恐れられ追われることより、ずっとずっと独りでいることの方が――ずっとずっと怖かった。
 どうせ仲良くなれないのなら。そう思い、わざと悪戯をしてみたりした。
 ちょっとしたことでも、みんな、すごい大騒ぎをする。
 それで俺が姿を見せると、注目が集まる。
 怯えられたり逃げられたりまた追いかけられたり石を投げられたり。
 そんなことの繰り返し。
 でもそれでも、良いやと思えた。
 …だって、俺のすることにだれかが反応してくれる。
 言葉を返してくれる。

 そのうち。
 もっとちゃんと、俺の相手をしてくれるひとがきた。
 人里の他のひとたちとちょっと違った格好の、俺が操る風みたいなのまで使える奴。
 陰陽師さま、って言われてた。
 俺が悪戯をすると出てきて、邪魔をする。
 ちょっと、びっくりした。
 だってそいつは、他のひとたちみたいにただ怯えるんじゃなくて。
 ちゃんと話をしてくれたから。
 …どんな内容であれ、ちゃんと話しかけてくれたから。
 俺の返す言葉をちゃんと聞いてくれたから。

 それだけで、胸の痛みが薄れた。
 何か堪らなくなる気持ちが、ほんの少しだけど、やわらいだ…―――――。



 ―――――…そこで。
 春華はぱちりと目を開く。

 え?

 ここ、どこ。
 …って言うか、いつ。
 途惑いながら反射的に頭に浮かんだ疑問を整理する。…堪らない気持ちが和らいだかと思った途端に何故か目を開いてる自分――目の前には見慣れた天井がある。寂しくて寂しくて孤独が痛くて堪らなかった自分。ひんやりした人気の無い室内に居る自分。人里の民に追い掛けられる自分。ふかふかの布団の中に居る自分。陰陽師と対峙している自分。…幾つかの場面。記憶している事。
 俺の中にある事。
 …今は、年号で言うなら確か平成になって結構経ってるらしくって、ここは伍宮の名前をくれた保護者の家で、今俺は山の中に独りで居る訳でも陰陽師と対峙している訳でもなくて――あれはもう、もうずっとずっと昔の事になる。封印されるよりずっと前、まだ幼かった頃の――翼の仕舞い方も知らなかった頃の自分。その気持ち。
 今はもう、忘れ掛けてた感情。
 …夢、だ。
 そう自覚する。

 …人の気配がしないから。
 だから、こんな夢を見たんだろうと思う。
 今は大丈夫なんだ、と自分に言い聞かせる。

 でも。
 人の気配がしない――今もこの部屋に、誰も居ない。
 それは。
 俺しか居ないから。
 今は、同居人の二人が両方とも留守だから。
 どちらも、仕事だと言っていた。
 それで、今日は帰って来ない。
 片方が居ないのは良くある事。でも、二人ともと言うのは――考えてみれば、初めてで。
 つまりは…あの封印より目覚めてからは――ひとりきりの夜と言うのは、初めてと言う事になる。

 今は、大丈夫。
 …けれど、未来は?

 ふっと不安が頭に過ぎる。
 …親友はいつかは里に帰るだろう。
 …保護者は確実に、自分より先に死ぬ。

 その時自分は、独りにならずに済むだろうか?
 考えてみるだけで――また、堪らなくなった。

 幼い時のあの時の。心に巣食っていた感情。孤独が痛くてどうしようもなかった時のあの感覚。
 また、戻って来る。
 鮮明に思い出す。
 考えてみただけで。
 失う事を。
 またあの時と同じように独りになる事を。

 今は一緒に居られる人が居る。
 すごく嬉しい事だと思う。
 幸せな事だと思う。

 …でもそれは、いつまで続くのだろうか。
 続けられるのだろうか。

 …答えは、出ない。
 怖い。
 怖いよ。



 …誰にもこんな顔なんか、見せられないよな。

 思ってもこの気持ちはそう簡単に覆せなくて。
 怖くて。
 独りで。
 部屋の中。

 …幸い今は誰も居ないから。
 今なら、良いやと思う。

 だから。
 …こみ上がってくる嗚咽を我慢する事を、止めた。

 ―――――…春華は肩を震わせ、静かに泣いた。

【了】