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Surprise attack
「翠サーン♪」
「……断る」
「待て、まだ何も言ってないぞ」
東京都内にある、結界で守られた一見廃寺のように見える建物。その中に広がっている屋敷で、ヴィルア・ラグーンは家主である陸玖 翠(りく・みどり)に頼み事をしようとして、にべもなく断られていた。
ヴィルアは今、翠の屋敷に居候の身だ。お互い気心の知れた仲であるのだが、普段呼び捨ての癖に、急に「翠サン」などと呼ばれるときは、大抵なにか厄介な頼み事があるときだ。翠はそれをよく知っている。
「大体普段呼び捨ての癖に、急にそんな言葉遣いをしたら誰だって怪しむだろう」
ふぅ、と溜息をついた翠は、読んでいた文献から目を離し、ヴィルアを見て苦笑する。
「乗りかかった船だろう。それに、ただ『戯れ』るのではなく、確かめたいことがあってな。だから翠サン、お願い」
戯れ。
それはしばらく前からヴィルアが個人的にやっている、ナイトホークへの戦闘訓練のことだ。元々はナイトホークが『洗練された戦い方をしたい』と口走っていたのを、ヴィルアが暇つぶしに遊んでやるつもりで始めたのだが、これが結構厄介なものだった。
ナイトホークは、自分の力で敵わない相手を目の前にするとキレる。自分の身が傷つくのさえ構わないという捨て身っぷりで、敵に突っ込んでいくのだから始末に負えない。しかも、本人はその時のことをも全く覚えていないという。
そしてもう一つ。
その「敵わない相手にキレて戦闘人格に変わる」という条件付けは、何処かで後付けされたものらしい。一定期間前から過去の記憶がなく、一時期研究所にいたという所から考えると、その時に何かされたのかも知れない。
「お願いと言われてもねぇ」
大体ヴィルアは面倒なことを翠に要求する。ナイトホークにレベルを合わせるために、吸血鬼としての自分の力を封印しろと言ってみたり、今日のように何か考えていたり。
愉しむことには手間を惜しまないとはいえ、何故か翠に面倒事が回ってくる。
「いいじゃないか。どうせナイトホークにかかっている何らかの術に関しては、興味があるんだろう?」
くす……と、悪戯っぽく笑うヴィルア。
確かにあの強力な条件付けには興味がある。いったいどこの誰がそんな条件付けをして、何をしようとしていたのかは翠も知りたいところだ。
「仕方ないな……」
何だかんだと言いつつ、結局こうなるとは分かっていたのだが……。
蒼月亭の定休日である日曜日、ナイトホークはいつものように翠の屋敷へやって来た。大体ヴィルアがナイトホークを誘うのは日曜日だ。特に断る様子もなく来ているあたり、ナイトホークも何か考えるところがあるのだろう。
「あれ?翠は」
いつもならヴィルアと一緒に出迎える翠の姿が見えない。するとヴィルアは小さく溜息をつき、こう言った。
「翠は、ある依頼で負傷し寝込んでるんだ」
「それなんてハルマゲドン?」
翠が力のある陰陽師だということは、ナイトホークも知っている。どんな仕事でも涼しい顔をしてこなす翠がケガをするなど、相手はどこの神か悪魔か。
「じゃあ、今日は戯れは止めにして、見舞いにでも行った方がいいかな」
それは困る。
携帯灰皿で煙草を消し、ふぅと息をつくナイトホークをヴィルアは押しとどめた。
「いや、問題ない。それにナイトホークも、ここに来られる日は限られてるだろう?」
「そりゃそうだけど」
「それに翠だって、弱った姿を事に見せたくはないはずだ。行くぞ」
「了解」
いつものように離れに入り、ナイトホークは戦闘服に着替え銃剣を召喚した。今日もヴィルアは力を封印し、ナイトホークの実力に合わせている。
「銃剣を振り回している割には、隙がないな」
実戦形式でサーベルを操りながら、ヴィルアは冷静にナイトホークを観察した。剣やナイフは、振りが大きくなればなるほど隙が生まれやすい。懐に飛び込んでこられればそれだけで致命的だし、体から武器が離れれば、叩き落とされる率も上がる。
だが銃床などを振り回しているように見えても、脇はしっかり締めているし、構えがちゃんと出来ている。これは見よう見まねで何とかなるものではない。
「やはり何処かで訓練していたんだろうな」
それは、おそらく兵士としての訓練。
記憶としては失っているのに、体が動きを覚えている。そして、ヴィルアがもう一つ疑問に思っていたこと。
「もし相手が、ナイトホークの力量を超えていても、自分がリードできるのなら戦闘人格へのスイッチは入らないのか」
それは前の依頼で、ナイトホークと一緒に戦ったときに感じていた。
はっきり言ってしまえば、ナイトホークは不死以外はおそらく普通の人間だ。少なくとも、今まで何度か戯れてきた感じではそうだ。
それなのに以前ヴィルアがリードしていたときは、人に変化した竜を相手にしてもキレなかった。ならば自分がずっとリードを取っていれば、戦闘人格へ変わらないのではないだろうか。
「さて、そろそろか……」
辺りが急に暗くなる。
風も強くなり、離れの戸をガタガタと鳴らし始める。その時だった。
「……やっとこの忌々しい結界が弱まったわ」
「………?!」
目も眩むような稲光と雷鳴が鳴り響くと同時に、離れの入り口が吹き飛ばされ、甲高い笑い声が聞こえた。
入り口に立っていたのは、血のように赤く長い髪に、能面を被った鬼女。細く白い指に伸びている爪は、壁に鋭いひっかき傷を作っている。
距離はあるはずなのに、総毛立つような殺気と妖気。
ナイトホークが防御の構えを取ると、ヴィルアは口元に不敵な笑みを浮かべながらも、入り口を見て小さな声でこう呟いた。
「どうやら、翠が寝込んでいるせいで結界が弱まったようだ。招かれざる客、と言うべきか」
「それ、かなりヤバいんじゃねぇの……ヴィルアも力封印されてるんだろ」
自分がキレないように、力を同じぐらいにしてあるヴィルアはいつものように戦えない。ごくっと唾を飲み込むナイトホークに、ヴィルアはサーベルを構え目を細めた。
「丁度いいではないか、ここで実戦訓練だ。私がリードするから、全力で踊れ」
なんて無茶な要求をするのだろう。
弱まっているとは言え、翠の結界を破ってきた相手だ。それに、ただ者ではないということは、嫌と言うほど分かる。
首元の毛がチリチリするような感覚。平静を保ってはいるが、背筋には冷たいものが流れる。だが敵前逃亡は出来ない。ここで自分達がやられたら、寝込んでいる翠にその爪が向く。
「……自信ないけど、了解」
「行け!開幕だ!」
ヴィルアが手元に魔力を集める。それを確認するように、ナイトホークは体を低くして突撃体制を取る。
「っらああっ!」
「……小癪な」
向かってきた魔力の矢を手の甲で叩き落とし、女は向かってきたナイトホークへと顔を向ける。
にやぁ……。
能面で隠れて見えないはずの、その女が笑ったような気がした。
「くっ!」
赤い髪が生き物のようにナイトホークに襲いかかる。蔦のように伸びるそれを、ナイトホークはギリギリかわした。直接傷は受けていないはずなのに、風圧で頬が切れる。
「その女は髪と爪が武器だ。私が攪乱するから懐に飛び込め!」
「そうはさせぬ」
命令が聞こえた。
だが、目の前にいる女は容赦なく爪で襲いかかる。ヴィルアが援護する魔力の矢をすり抜けるように、ナイトホークは飛び回った。今はとにかく隙を見つけて、少しでもダメージを与えなければ。
その刹那……。
「………!」
痛みの後に、風を切る音が聞こえた。音の方が後から追いつく程早い攻撃。
長く伸びた爪がかわしきれなかった肩に刺さり、視界に赤いものが散る。
ギリッ……。
食いしばった歯から、嫌な音が漏れた。
「ナイトホーク!」
「お前達など前座にもならぬな」
能面がゆるりとナイトホークを見た。だが、ナイトホークの口元に浮かんでいたのは、笑みだった。
「……笑っているとは余裕だな」
違う。
歯を食いしばってないと、恐ろしくて歯の根が鳴るからだ。
「戻れ!ナイトホーク」
血が抜ける……ヴィルアの命令が遠く聞こえる。体を動かさなければ殺される。それが分かっているのに、自分の回りだけ時が止まったように動かない。
傷つきたくないのなら、目の前のものを殺せ。
何度でも蘇り、全てを殺すまで戦いをやめるな。
……突撃開始!
「……やっぱりキレましたねぇ」
ぐったりと気絶しているナイトホークを前に、翠は被っていた能面を外し溜息をついた。赤かった髪はいつもの色に戻り、先ほどまでたれ込めていた雲もすっかり何処かへ行っている。
「私が命令していれば上手く行くと思ったんだがな。翠が容赦しないからだ」
「何を言っているんです、本気で殺しにかからないと意味がないでしょう」
これは、相手がナイトホークの力量を超えていても、リードすることで戦闘人格へのスイッチが入らないようにすることは可能かどうかという、ヴィルアの疑問を確かめるための芝居だった。
だが、ただ試すのもつまらないと思ったので、翠に協力してもらったのだが……。
「あんな形相で突っ込んでくるとは思いませんでした」
据わっている目に狂気の光を宿しながら、ナイトホークは真っ直ぐに翠に向かって突撃してきた。前にヴィルアと戦っていたときよりも素早く、確実に急所を狙って。
結局、ヴィルアが後ろから魔力で気絶させてしまったわけだが。
「気が済みましたか?」
ふっと呆れるように笑った翠は、煙草をくわえるヴィルアをみる。
「ああ、充分だ」
「……はっ?俺死んでた?」
額に濡れタオルを乗せられていたナイトホークは、ぱちっと目を開けると勢いよく起きあがった。いったいあの後どうなったのか……覚えがないということは、キレていたのは確実だろう。
「まだまだダンスの練習が足りないようだな」
近くにいたヴィルアは、自分が吸っていた煙草をナイトホークに差し出した。その後ろでは、翠がいつものように小さく溜息をついている。
「よく眠ってましたね」
「はい?つか翠、ケガは?でもってあの女はどうした?」
「順を追って説明しますから、落ち着きなさい」
全く、落ち着きのない犬のようだ。翠は前もってこうなった時のために考えていた嘘を、ナイトホークに言った。
あの後、ナイトホークがキレて突撃したこと。結界が破られたことに気付いた翠が、術を最大限に使い傷を回復させ結界を張り直し、その間に自力で封印を解除したヴィルアがあの女を退散させたこと。
信じてくれるか心配だったが、ナイトホークは煙草を吸いながら聞いている。
「ならいいけど……術でケガ治るなら、さっさと治せば良かっただろ」
「使うのが面倒なんですよ」
変なところで細かいことを気にする奴だ。くつくつと喉の奥で笑ったヴィルアは、小銃をナイトホークの横に置く。
「お前が隙を作ってくれたおかけで、封印を解除する暇が出来た。キレはしたが、それはそれでよかったんじゃないか?」
リードをするには、まだ色々考察の余地があるようだ。それが分かっただけでも、ヴィルアからすると有意義な時間だったと言える。
「釈然としない気がするのは何故だ?」
あまり気を逸らすと、芝居に気付いてしまうかも知れない。翠は少し笑ってナイトホークに符を見せる。
「ナイトホーク、貴方が良ければ呪を施させて頂けませんか?もしかしたら、キレる原因になっている何かが解けるかも知れませんよ」
「あー、解けるんならその方が良いかな。キレるたびに自己嫌悪するの嫌だし」
「じゃあ、やりましょうか。別に何か変わる訳じゃありませんから、安心してください」
そう言いながら、翠は印を組み呪を唱える。
それは「かかっている力を体に具現化し剥いでいく」解呪と、もう一つ翠が確かめたい事を知るためのものだった。
ナイトホークの背中につけた呪。もしそれが次会うときに消えていたら、ナイトホークは継続的に、外部のどこからか未だに条件付けされていることになる。遙か昔に条件付けされたのか、それとも今でも何処かに繋がっているものがあるのか。それをたどっていけば、鳥の名を知るもの達のことも分かるような気がするのだ。
少し長めの呪を唱えた翠は、最後にトン……とナイトホークの背中を突いた。
「はい、これで終わりですよ。今日はお疲れ様でした」
苦笑する翠を見て、ヴィルアは自分用の煙草を出して火を付ける。
「戯れまた次だな。情熱的なタンゴぐらいは踊りたいものだが」
いや、急ぐまい。時間はまだあるし、あっという間に上達してしまったら、それはそれで楽しみがなくなってしまう。
これが闇を払う一筋の光となるのか。
「盆踊りぐらいで勘弁して」
それが分かるには、まだまだ時間が必要そうだ。
fin
◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
6777/ヴィルア・ラグーン/女性/28歳/運び屋
6118/陸玖・翠/女性/23歳/面倒くさがり屋の陰陽師
◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
ナイトホークの「条件付け」に関してお二人がそれぞれ確かめるということで、こんな話を書かせて頂きました。結局キレてしまったわけですが、それにも理由があったりしますのでまた別の話とさせていただきます。
ヴィルアさんと翠さんに釈然としないものを感じつつも、騙されてます。いつになったら美味く踊れるようになるのやら。
リテイク、ご意見は遠慮なく言ってください。
またよろしくお願いいたします。
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