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<東京怪談・PCゲームノベル>


Night Bird -蒼月亭奇譚-

「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 いつもの挨拶を聞きながら、黒 冥月(へい・みんゆぇ)は蒼月亭に入ってきた。
 時間は夜。外にいたときは初夏のじっとりとした熱気がまとわりつくようだったが、店の中は湿度もなく快適だ。
「今日はずいぶん客がいないが、この店は大丈夫なのか?」
 蒼月亭は夜の方が客の多い店のはずだが、冥月が来たときは誰も店内にいなかった。マスターのナイトホークは、カウンターの中で煙草を吸いながら少しだけ笑う。
「さっきまで賑やかだったんだけど、冥月が来る少し前にひけたんだよ。それとも賑やかな方がよかった?」
「いや。静かなぐらいが丁度いい……これから仕事の相手と待ち合わせだ」
 落ち着いてコーヒーを飲んだりするなら、少しぐらいの沈黙があったほうがいい。それにこの店にはそれが合っているような気がする。いつものようにブレンドを頼むと、冥月はカウンターの上に洒落た形のガラス瓶を置いた。蓋もガラスで出来ている香水瓶。口の所は開かないように特殊なテープで密封されている。
『あるところから瓶を取り返してきて欲しい』
 それは篁コーポレーションの社長である篁 雅輝(たかむら・まさき)からの依頼だった。本来冥月は、仕事内容に関してはあまり詳しく問う方ではない。請けるか請けないか、その取捨選択は自分にあるものだし、請けたなら余計なことを考えずに任務を遂行するだけだと思っている。
 だが捜し物がただの洒落た香水瓶であることに、何か違和感を感じる。
「仕事って、社長から?」
 ゆっくりとコーヒー豆を挽き始めながら、ナイトホークが息をつく。雅輝からの依頼に関しては、ナイトホークもよく請けているので、思うところがあるのだろう。
「ああ、そうだ。ところでナイトホーク、お前はこの瓶の中身を知っているか?」
「いや、全然。瓶がアンティークのガラスっぽいってのは見りゃ分かるけど」
「そうか……」
 知らないならまあいい。密封されているとはいえ、毒薬や劇薬の類でないのは確かだ。そんなものをこんな洒落た瓶に入れるのは色々危険すぎる。
 中身が気になるのなら、これから雅輝に聞けばいいだろう。挽かれたコーヒー豆がネルに入れられ、店の中に香りが立ち上り始めたときだった。カラン……とドアベルが鳴り、一人の少女が店内に入ってくる。
「あ、冥月さんこんばんは」
 それはこの店の従業員である立花 香里亜(たちばな・かりあ)だった。香里亜は手に持っていたラム酒の瓶を持ちながら、カウンターの中に入っていく。
「ナイトホークさん、お酒返しますね。これで自家製ラムレーズンが作れます」
「そりゃ良かった。これからアイスとか出そうだから好きなだけ作って……って、何でお前カウンターに入ってきてるの?」
 入れ立てのコーヒーが入ったカップを持ち、呆れたような表情をするナイトホークに、香里亜がくすっと笑う。
「えっ、冥月さんが来てますから。どうせだったら夜じゃなくて、昼に来てくれればいいのに」
「いや、今日は仕事だ」
「じゃあ、夜食でもいかがですか?作りますから」
 どうやら香里亜は冥月と会う時間がずれているのが残念らしい。最近はメールのやりとりもしているのだが、やはり直に会って話すのが嬉しいようだ。
 にこっとしながら香里亜は冥月の方に身を乗り出す。
「アスパラがありますから、それで何か作りましょうか?」
 もう作る気満々なのだろう。それに苦笑しつつ、冥月は出されたコーヒーを飲む。
「夜だから軽いもので頼む」
 こうやって頼みを聞くのもまた楽しいものだ。嬉しそうに笑うのを見ると、悪い気はしない。ナイトホークも気を利かせてか、カウンターの奥の方で煙草を吸っている。
 すると香里亜は横に置かれていた瓶を手に取った。
「あれ?こんな瓶お店にありましたっけ?」
 しまった。
 横に避けていた瓶のことを失念していた。つい警戒心が先走り、冥月は鋭い声を上げる。
「触るな!」
 それがいけなかった。いつもと違う冥月の口調に、香里亜がビクッとした瞬間、手から瓶が滑り落ちる。そしてパリン、とガラスが割れた。
「………!」
 その瞬間床から煙が立ち上り、冥月と香里亜を包み込み……。

 ……換気扇の音と、ドアベルが鳴る音。
 ガスであれば吸い込んでしまったらまずい。冥月は恐る恐る片目だけを開けた。両目を開けたら目がやられるかも知れないからだ。
 だが、何かがおかしい。
 目線が低いし、自分は椅子に座っていたはずなのに何故立っているのか。そして、どうして自分が目の前に……は?自分?
「はうっ!私、冥月さんになってる?」
「なっ!」
 その良く聞き慣れた声に目をしっかり開けると、そこにはおろおろとしている自分の姿がいる。そして妙に低い視点。ふとナイトホークを見ると、やたら背が高い。
「もしかして、意識だけ入れ替わったのか?」
 どうやら自分は香里亜の体に入ってしまったらしい。香里亜は椅子から立ち上がると、嬉しそうに辺りをキョロキョロし始めた。
「うわー、視点が高いです。何か嬉しい」
 そんな事を言ってる場合じゃないだろう。そう思ってドアベルが鳴った方を見ると、雅輝が肩をすくめて立っていた。
「事実は小説よりも奇なり……ややこしいことになったみたいだね」

 香里亜の体に入った冥月と、冥月の体に入った香里亜、そして瓶のかけらを片づけているナイトホークを前に、雅輝は溜息混じりに瓶の中に入っていた物の正体について話し始めた。
 曰く、それは旧日本軍が他人の体乗取る為に研究し、開発した薬だという。
「諜報のためか」
 あの時代のことは冥月には分からないが、色々な物が研究されていたらしい。その中には表に出せないようなものもある。多分これもその類だろう。
「ご明察、というところかな。でもこの薬は未完成で、近くにいる二人が入れ替わってしまう、不完全な物なんだ」
 近くにいたことで、香里亜と入れ替わってしまったのか。とりあえず、香里亜とナイトホークが入れ替わらなかったぶんだけマシだ。自分ならともかく、香里亜にそれは酷だ。
 呆然と聞いている香里亜に、篁は困ったように笑う。
「その化学式が書かれた書類を兄が見つけて、興味本位で作ったんだけど薬が盗まれてね。それを取り返して貰う予定だったんだけど……」
「この始末というわけだな」
 雅輝の口から出た「兄」のことは全員が知っている。
 天才科学者にして、天性のうっかり属性を持つ雅隆(まさたか)のことだ。研究所で作成していれば警備も出来たのだが、どうやら面白半分に家で作り、全くの無防備だったという。
 しかし。
 ナイトホークはその話を聞きつつ、違和感に頭を抱えていた。カウンターに肘を突き足を組んで不機嫌そうに話を聞いている香里亜(冥月)と、カウンターの中でコーヒーやクッキーを出しながら困ったように自分を見ている冥月(香里亜)
 そんなナイトホークには目もくれず、冥月は軽く雅輝を睨む。
「で、どうしたら戻るんだ?」
「うん。もう一度使えば戻るけど、今ので全部なくなったからね……っと、失礼。兄からメールが来たみたいだ」
 ポケットから携帯を出して、雅輝が画面を見る。そしてふぅ、と息をついた。
「『合成に最低で一週間かかるから、それまで我慢して』って。今から研究所に籠もるって言ってるから、七日あれば元に戻れるけれど」
 そんな事を言われても。
 すると香里亜が胸の前で両手を組み、冥月を見た。自分の顔のはずなのに、何だか動きや表情が妙に可愛らしい
「じゃあ、一週間私の家で暮らしましょう。私はお仕事ありますけど、いいですよね、ナイトホークさん」
「……いいも何も、違和感バリバリなんだけど」
 どうにもこうにも、それを飲むしかないだろう。特に仕事もないのが幸いと言うべきか……。

 次の日から冥月の姿をした香里亜が店に出て、香里亜の姿をした冥月は香里亜の家で過ごしたり、店の隅でその様子を見ているということになった。あちこち出歩いて色々な人に違和感を与えまくるよりは、それがいいだろうというお互いの判断からだった。
 朝から香里亜はご機嫌にカウンターなどを拭いている。
「何だか視線が高いのと、胸が重いことに感動……」
 憧れていた『格好いい女性』になれたのが嬉しいらしく、香里亜は妙にはしゃいでいる。冥月はそれに苦笑しつつ香里亜を見上げた。下から見上げるというのも何だか妙な感じだ。
「こっちは肩が凝らなくていいな」
「いや、肩が凝ってもこれはいいです。うわー、やっぱりいいな。長い髪も夜会巻きとかしてみたかったんですよね」
 そんな二人にナイトホークは眉間を押さえている。考えても仕方ない。それは分かっているのだが、可愛らしい冥月(香里亜)と、凛々しい香里亜(冥月)に慣れない。
「大丈夫なのか、これ」
 そんな心配は杞憂だった。
 冥月のモデル体型と香里亜の可愛い性格で、蒼月亭には何故か日に日に男性客が増えていった。どう考えても、香里亜目当てだとしか思えないような客の入り具合だ。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 香里亜としてはいつも通りに頬笑んでいるつもりなのだが、美人な冥月の顔なので余計その威力が増す。ある意味最強スペックかも知れない。
「冥月さんも何かあったら遠慮しないで下さいね。コーヒーとか入れますから」
 長い黒髪を夜会巻きにして、人懐っこく頬笑む香里亜に冥月は何故かドキッとする。自分の顔のはずなのに、自分じゃないみたいだ。そこにあるのは年相応の笑顔。それが妙に眩しい。
「ああ。忙しくなったら私も手伝うから、遠慮するなよ」
「はい、ありがとうございます。でも、慣れてますから大丈夫ですよ」
 暗殺者などしていなければ、自分もこんな風に笑えていたのだろうか。その無邪気な微笑みに、思わず目を細めていたときだった。
「いらっしゃいませ、蒼月亭へようこそ」
 ドアベルの音に香里亜が挨拶をする。その様子に一瞬唖然としたのは、草間 武彦(くさま・たけひこ)だった。
「冥月、お前何か悪いものでも食ったのか?何だか女みたいだぞ」
 だが香里亜は自分のことを言われていると思っていないので、にこっと笑いながらいつものように水を出している。
「いつものブレンドでよろしいですか?」
「ハハハ。気味悪い、それ何の冗談だ?」
 黙って聞いていれば言いたい放題を。
 冥月は椅子から立ち上がり、香里亜の拳を痛めぬよう掌底で草間の顔を殴りつける。
「元から女だと言ってるだろう!」
「何で香里亜ちゃんに殴られてるんだ、俺」
 やっぱりややこしいことになったか。
 苦笑混じりに煙草をくわえ、ナイトホークがカウンターの方に身を乗り出す。この調子だと何も知らないまま香里亜(冥月)に殴られることになりかねない。
「草間さん、ちょっと座って話聞いてくれない?色々理由があってね……」

「アハハハハハハ、最近冥月が興信所来なかったのって、それが原因だったのか」
 ナイトホークが事情を話すと、案の定武彦はカウンターを叩きながら大笑いをした。それを香里亜は困ったように聞いていて、冥月はじっと黙っている。
「もうそろそろ元に戻るから、他言無用で」
「いや、言わないけど……今のままだと香里亜ちゃんが男らしくなるからな。早く戻った方がいいよ」
 ぱしーん!
 掌底で武彦を殴った音が店に響く。どうしても武彦は、冥月に色々言わないと気が済まないらしい。
「誰が男らしいって?」
「草間さん、酷いですー。私、やっぱり女の人らしい感じじゃないですか?」
 うっ、しまった。
 どうやら「男らしい」と言ったのを、香里亜はコンプレックスを持っている体型の事に結びつけてしまったらしい。冥月の顔でしょんぼりとされ思わず狼狽えていると、下から香里亜の顔が不敵に笑う。
「香里亜を泣かせたな?」
「違っ、それは誤解だ。俺は冥月が男らしいから……」
「どっちにしろ失礼なのは同じだ!」
 ぱしーん、ぱしーん!
「草間さんは、余計なこと喋らない方がいいよ」
 カウンターにのびている武彦に冷たいおしぼりを出しながら、ナイトホークはただ苦笑するしかできなかった。

「ごめんねぇー。やっと薬出来たから、これで元に戻るよ」
 七日目の朝。眠そうに目をこすりながらやって来た雅隆に薬を貰い、二人はやっと元の体に戻った。視点が元の位置に戻ったことに冥月が安堵していると、香里亜は自分の胸を見ながら少し残念そうに笑う。
「何だか一週間新鮮でした。また冥月さんと変わってみたいかな」
 確かに新鮮ではあったが、やはり自分の体が落ち着く。冥月は香里亜の頭に手をやりながら、やっと自分の顔で笑う。
「香里亜は自分の体が嫌いか?」
「いえ、そうじゃないですけど……でも、やっぱり自分の体が安心しますね。んー、何か肩が軽ーい」
 香里亜が精一杯伸びをする。この一週間驚くことも多かったが、それなりに楽しかった。それを楽しめるようになったのも……。
「どうかしました?」
「いや、何でもない」
 それは心の中に留めておけばいい話。

fin

◆登場人物(この物語に登場した人物の一覧)◆
【整理番号 / PC名 / 性別 / 年齢 / 職業】
2778/黒・冥月/女性/20歳/元暗殺者・現アルバイト探偵&用心棒

◆ライター通信◆
いつもありがとうございます、水月小織です。
とんでもない薬で、香里亜と中身が入れ替わってしまったてんやわんやを書かせていただきました。香里亜は割と喜んでいますが、冥月さんはさぞかし大変な一週間だと…そちらの方はまた別の話として。
拳を傷つけないように掌底を打つとか、そんな優しさが嬉しいです。草間氏は大変でしたが…。
リテイク、ご意見は遠慮なく言って下さい。
またよろしくお願いいたします。